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An Original - JST

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Yokkaichi University NII-Electronic Library Service Yokkalohl UnlverSlty した 〈目 次〉 1 はしS II クと う概 III An American Original lV メの V とチ VI 映画技術と 次元世界 ラン ドを くる 19 N 工工 Eleotronlo Llbrary
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デ ィ ズ ニ ー ・ ラ ン ドに お け るテ ー マ 性

       一 ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ー が 残 した もの 一

亀 出    忠 男

〈 目   次 〉

1 .は しカS“き

II.テ ー マ ・パ ーク と い う概 念

III.  An   American   Original

lV.ア ニ メの 心

V .ウ ォル トとチ ャ ッ プ リン

VI.映 画 技 術 と三 次 元 世 界

冊 .デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドをつ くる

一 19 一

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デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドに お けるテ

ーマ 性

一ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ

ーが 残 した もの一

1 . は しカぜき

 私 が ロ サ ン ゼ ル ス 郊外ア ナ ハ イム に あるデ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドを最初に 訪れ た の は ,

20年以上 も前の こ とに な る 。 回 り終 え て ラ ン ドを 、ヒち , その 感動 を どう い う言 葉で 表

現 した もの か と考えて い た折 ,10数人の 僧侶の 方々 と出会 っ た。

「どち らの お方で しょ うか ?」

「京都 ・妙 心寺派の 者で す 。

ロ サ ン ゼ ル ス に禅 堂 が 開 か れ るこ と に な りま した の で ,

こ の 機会に や っ て 参 りま した 。 」

「そ うで すか 。 とこ ろで デ ィズ ニ ー ・ラ ン ドに つ い て どん な印象 をお持 ち に な りま し

た か ?」

  こ の 質 問に即 答が なか っ たの で , つ い 次の 言葉が 私 の 方か ら 口に 出 た 。 それ は 先程

か ら迷 っ て い た デ ィズ ニ ー ・ラ ン ドに 対 す る感動の 答 えで もあ っ た よ うで あ る。

「こ こ に は宗教が ある, と思 い ますが 如何 な もの で しょ うか。」

つ ま り, こ の 世 に い て あの 世を体験 した と い う法 悦 を表現 した か っ たの だ と思 う。

 聖職に あ る方 々 に , 敢 え て遊 園地 ご と きを宗教 と言 っ て しま っ た こ とが 皮肉 に 聞こ

えた よ うだ 。こ の 質問に も反応が 無か っ た 。

  そ れ以 来 , 私 の 課題 と な っ た もの はデ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け る宗教性 と い うこ と

だ っ た 。 世の 中に は同 じような 試み で デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドを捕 らえ よ うとす る研 究 者

が ある もの で ,能戸路 雅 子 さん はその 著 書の 中で 「デ ィ ズ ; 一 ・ラ ン ドは 人間 の 意の

ま まに な らな い 自然 の 力 を放 遂 した 人工 的な理 想世 界で あ る j と述 べ, その 著 書名に

は 「デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドと い う聖 地 」 と い う標 題 をつ け て い られ る 。 ま た 「マ ル コ ポ ー

ロ 」 1991年 8 月号 で ,二 人の 評 論家の 対談の 見 出 しを 「聖 地 ・デ ィ ズ ニ

ーラ ン ドか ら

の 新 日本 人論 」 と つ け て い る 。

  実 は私 自身 ひ そ か に 伊勢神 宮 こ そ世 X!一.の テ ーマ ・パ ー クで あ る と思 っ て い た とこ

ろ , 能登路 さん が , また著書の 中で , デ ィズ ニ ー ・ラ ン ドに感動 した ドン ・ジ ャ ク ソ

ン 教授の 経験 は,西行法師 が伊勢神宮 を詠ん だ 「何 ご との おわ しますか は 知 らね ど も,

か た じけ な さに涙 こ ぼ る る」 の 境地 に 通 じる と述 べ た 部 分 に,心 の 琴線が 触 れ あ っ た

こ とだ っ た 。

  本論 は そ うい う こ とで ,デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドの テーマ 性 に潜 む 宗教的 要素 の 次元 に

まで 触 れ て み た い と念願 した もの で ある 。

  もっ と もウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ー 自身 は ,

「宗教」 に よ る安心 立 命 , とい う ようなタ イ

プの 人間 で は さ らさ らなか っ た。

 「ウ ォ ル トは , 自分 を信仰心 ある人間だ と思 っ て い た が , 教会 には行か なか っ た 。 宗

教 の 中に は子 供 の 頃 ど っ ぷ り とつ か っ て い たの で , もう結構 , とい う気持 ちが はた ら

い て い た し, 特 に 聖 人ぶ っ た説教師 が 嫌 い だ っ た。」  

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参 考文 献

    ボ ブ ・トマ ス 著 厂ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ー」           講談 社

   エ イ ドリア ン ・ベ イ リー

著「 ウ ォ ル ト ・

デ ィ ズ ニ ー, フ ァ ン タ ジー

の IU:界」

                                         講談社

◎ G ・サ ドゥー

ル 著「世 界 映画史 」

  中野 好夫訳 「チ ャ ッ プ リン 自伝 」

   能戸路 ve r一著 「デ ィ ズ ニー

ラ ン ドと い う聖地 」

   マ ー ク ・トウ ェ イン , 大久保康雄 訳 「 トム ・ソー

ヤーの 冒険」

体 篇 中の 引用個 所 に は L記 の     ◎ ・・を付 した)

み すず書房

 新潮文 庵

 岩波新書

 新潮 文庫

  な お,ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ーの 生 い 立 ち は 次の ようで あ る (エ イ ドリア ン・べ 一 リー

著“ウ t ル ト・デ ィ ズ ニ

ー”よ り)。

  1901 年12月 5 日 シ カ ゴ で 生 まれ た 。5 才の 時父 イラ イア ス ・デ ィ ズ ニ ー は家族 ぐる

み ミズ iJ 一州北 部の 小 さな村マ ーセ リー ン に 移住 し, 肥沃な農地 45エ ーカ ーを買 い,

農場 を始 め た 。 しか しイ ラ イア ス は い つ も職 を転 々 と して 引 っ 越 しば か り して い た 。

ア イル ラ ン ド系 カ ナ ダ八で , 冗 談 を飛 ばす こ と もな く, 息 r− 4 人 (ウ ォ ル トは 4 人 目

だ っ た ) と娘 ひ と りの 子 ど もに 対 して は 厳 しい 父 親で あ っ た 。

 事業は失敗ば か りだ っ たが, イラ イア ス は よ く働 い た 。 ウ ォ ル トも, 兄 ロ イの 想 い

出 話 に よれ ば 「 とに か く働 い て ばか り い ま した 」。

  母親 は フ ロー

ラ , 何 世代 も杢 た ア メ リカ 人 の 家系 で 子 ど もた ち を絶 えず 暖 か い 愛情

で くるん だ 。

  ウ ォ ル トが 9 才の 時 ,   家 は カ ン ザ ス シ テ ィ に移 り, イラ イア ス は 新聞配達店 を始

め た。

ウ ォ ル トは こ こ で 6 年間 も毎 目700軒 もの 新聞配 達 を続 けた 。 (な お また , ウ ォ

ル トが ア ニ メ の 世 界 を切 り開 い て い っ た 経歴 は , 本篇 の 主眼 で もあ るの で 省略 した 。 )

II. テ ーマ ・ パ ー ク と い う概 念

 テ ーマ ・パ ー ク と い う言 葉 は , 手許 に ある 1929年版Oxford  Dictionaryに は見 当た ら

な い 。 きわ め て 新 し い 概念の ようで あ る 。

 勧 中部産業活性化 セ ン ター

で は , 三重大学渡辺悌爾教授 を委員長 に,

5 回 に わ た っ

て 中部 に お け るテ ーマ ・パ ー クに つ い て の 企 画 , 立 案研究会 を開催 し, 平成 3 年 3 月

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デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け るテー

マ 性一

ウ ォ ル ト・デ ィ ズ ニ ーが 残 し た もの一

に 報告書 を発表 して い る 。 そ の 報告書の 中で , テー

マ・パ ー

ク を次 の よ うに 述 べ て い

る 。

「ア メ リカ の デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドが オ ープ ン した の は ,

1955 年な の で , テ ーマ ・バ ー

クの 歴 史は たか だ か 36年 に しか過 ぎな い 」

「デ ン マ ー クの チ ボ リ公園は 1843年, ア メ IJカ の ナ ツ ッ ベ リ

ー ・フ ァーム は 1920 年 に

創業 した 。欧州の (テー

マ ・パ ークの 〉歴 史 は産 業革命期 まで さか の ぼ る こ とが で き

る 。

  しか し, テー

マ ・パ ークの 要件 = テ

ーマ 性 ・排他性な ど = に 基づ き, 計画的か つ 統

…的に 演出運 営された の は , デ ィ ズ ニ ー

ラ ン ドが 初め て で ある , とい っ て差 しつ か え

な い。 」

 わ が 国で は こ の テーマ ・パ ー

ク の 概 念が 確 ウニし,浸 透 して い っ た の は ,1983 年千葉

県 浦安海岸 に オ ープ ン した東 京デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ド(TDL )の 大成功 と大 人気 に よる。

と い っ て も, ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ

ー自身 は, 自分が 企 画 ・創 造 した ロ サ ン ゼ ル ス ・ア

ナハ イム の デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドが 最 初 に して 最後の テ ーマ ・パ ー クで あ る と考 えて い

た 。

「他 に もデ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドを作 らな い か とい う申 し出が い くっ もIHさ れ たが , ウ ォ

ル トは , デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドは た だ一

っ で すか ら, と 言 っ て 断 っ て い た。」  

  た だ ウ ォ ル トは ,1966年 に デ ィ ズ ニ ー

に と っ て 第 2 の テー

マ ・ パ ー ク と い われ るデ ィ

ズ ニ ー ・ワ ール ドをフ ロ リ ダ州 オ ーラ ン ドに 作 り始め た 。こ の 年 12月ウ ォ ル トは 64才

で 亡 くな っ て い るが , こ れは ウ ォ ル トに と っ て テ ーマ ・パ ー ク と い う もの で は な く,

「未

米の 都 市 」 (City of  tomorrow )の た めの 実験 プ ロ ジ ェ ク トで あ っ たの で あ る。

 後 で も触 れ る よ うに ,デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドは ウ ォ ル トの 最 初 の 一里塚 で あ る とすれ

ば , 彼 の 二 番 目の 一里塚 は こ の デ ィ ズ ニ ー ・ワ ール ドで あっ た。

 今や わ が 国で は リゾー ト法 とバ ブ ル 景気が 引 き金に な っ て,

ブ ーム と言えるほ ど の

テ ー マ ・パ ー ク時代 に 入 っ て い る 。 そ れ な りに TDL の 大成功が 年令 を問わず,男 女を

間わ ず,TDL に 対 して熱 病 の ような関心 を集め た結果で あ る こ とに 外 な らな い。

 何 しろTDL は年 間 1,500万 人以 上 の 入場者 , しか も80 %以上 が リピー ター と い うか ら,

たん な る娯 楽施 設 で は 持 っ て い ない 強烈 な魅力が ある は ずで あ る。

  平成 3 年度, 四 目市大学 ・学会 で は学生 諸君 に 第 2 回懸 賞論 文 を募 集 した とこ ろ ,

応募 38編 中テー

マ ・パ ーク に 関 す る もの は実 に 次の 4 編 を 占め て い た 。

「遊 園地 対 テ ーマ ・パ ー ク」               須原通元 (経営 ・4 年〉

「オ リエ ン タル ラ ン ド社 の 経 営戦 略 に つ い て一TDL の 生 み の 親 」

                            山 下 浩 (経営 ・4 年)

「テ

ーマ ・パ ー クブー

ム に お け るそ の 実態 に つ い て 」    浅田 仲 (経営 ・4 年)

「テ

ーマ ・パ ー ク と して の 水族館 」                 山出 義武 (経 営 ・4 年)

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III. An Arnerican Original

 そ うい うこ と で デ ィズ ニ ー ・ラ ン ドは , ウ ォ ル トが抱 い た 完璧 な 「夢 と魔法の 国」

を 160エ ーカ ーの 土地 に 追求 した娯 楽 産業 で あ る 。 した が っ て デ ィ ズニ ー ・ラ ン ドの コ

ン セ プ トはテー マ パ ークが理 想とす る,非 日常 的で 排他的 な もの で あ り, ア メ リカの

土壌 の 上 に ウ ォ ル トが見 事に 結実 させ た もの で あ る 。

 デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに 人 る と, メ イ ン ス トリー トは 両側 に 20世 紀 初頭 の ア メ リカ の

町並 みが 続 く。 リ ン カーン 館 。 ア メ リカ河 を周遊 す るマーク ・トウ ェ イ ン 号やデ ヴ ィ

ー ・

ク ロ ケ ッ トの 探検カ ヌー

な どの 「国粋 的 なア メ リカ 」 は 多い

 そ れ はそ れな りにAn  American Originalと い え る もの で ある 。 だ か ら とい っ て 偏狭

に ア メ リカ と受 け取 るの は大 きな過 ち で あ る。

 1992年 6 月, パ リ郊外に ユ ー ロ ー ・デ ィ ズ ニ ーが オープ ン した 。

ユ ー ロー ・デ ィ ズ

ニ ーの 建 設に 当た っ て は,デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドが 持 つ An Arnerican Origjnalの 姿勢を

くず さな い 程 度 に欧州 を意 識 す る注意が は らわ れ た 。 しか し一

方 ,フ ラ ン ス 国内 で は ,

ミ ッ テラ ン.大統領は じめ 知識 人た ちが顔 を しか め て

「個性 あ る文化が ,

い わ ゆ るア メ

リカ の 文化帝国主 義に よ っ て ,大衆娯 楽 と い う最低 公分 母に 組 み 入 れ られ る 。」 と惧 れ

た こ と も事実で あ る (注 )。

 ア メ リカ で は ユ ー ロー ・デ ィ ズ ニ ーの オ

ープ ン が ,ア メ リカ ・フ ラ ン ス 間の 文 化摩

擦 の 火種 に な らな い か を懸念 した と思わ れ る。

TRENDS”

(ア メ リカ大使館編 集 ・協

力)92年 7 月 号 に ,マ イ ケ ル ・ア イズ ナ ー (ウ ォ ル ト・デ ィ ズ ニ

ー ・コ ン パ ニー会 長 )

の 名前で 次 の一・

文 を掲 載 して い る (.要約)。

1. ア メ リカ の 娯 楽産業は 世界中か ら,作品,俳優,音楽 , 人材 を求め るこ とが で き

   る。そ れ はア メ 1丿力の み な らず , 世 界 中に英 語圏 の 安定 した マ ーケ ッ トが 広 が っ

   て い るた め で あ る 。 そ れ は ドイツ 語圏,フ ラ ン ス語圏 とは比較 に な らな い 広大 な

   もの で あ る 。

2 . ア メ リカ の 娯楽 産 業は これ まで 世 界の 人が求 め る , 個 入 の 自由, 個性 の 発揮 ,機

   会や 選択 の 多様性 や 可能性 に つ い て の ア メ リカ ン・ドリーム を追求 して きた 。

 3 .ア メ リカの 娯 楽 産業 に は , 創 造 の 自由に は ま っ た く制限が な い 。 こ の こ とに ,い

   ずれ の 国に も見 られ な い オ リジナ リテ ィが ある 。

 ’i.子供 と い う もの は,そ れ ぞ れ の 社 会 に適応す る よ う仕 込 まれ る 前は , 無垢 で あ け っ

   ぱ な しの もの なの だ 。

    デ ィズ ニ ーに 登場 す るキ ャ ラ ク ターは,明 らか に 世界 中の 子供 に 共通 した何か

   に 触れ る 。ま た わ れわ れ に潜 ん で い る

.F供 性 を刺

.戟す る 。

 5 . フ ラ ン ス の あ る前衛劇場の 監督が,

ユ ー ロー ・デ ィ ズ ニ

ーを

“文化の チ ェ ル ノ ブ

   イ IJ”

と呼 ん だ 。 しか し彼 は , デ ィ ズ ニ ー最 初 の 長編 ラ イブ ・ア ク シ ョ ン 作品が ,

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デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け る テ ーマ 性

一ウ ォ ル ト・デ ィ ズ ニ ーが 残 した もの

  フ ラ ン ス SF作家ジ ュール ・ヴ ェ ル ヌ の

「海底 2 万 マ イル 」 であ っ て , デ ィ ズ ニ ー

  が 最初 か らフ ラ ン ス 化 され て い た か を知 らな い 。

6 . た と え ア メ リカ の テ レ ビ ・娯 楽番 組 が 多 くの 視聴 者 を引 き付 け て い る と は い え ,

  消費者が 自由に選択 で きる とい う点 か ら, 帝国主義 な ど とはほ ど遠 い。

(注) (1) ユー

ロ ・デ ィ ズ ニ ーで は トム ・ソーヤ ーや カ ウ ボ ーイ な ど純 ア メ リカ 的なア トラ ク シ ョ

     ン が な く,逆 に中近 東 の バ ザ ー一ル と い っ た 本国 の デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに 無 い もの が 加

     え ら れ て い る (92年 5 月 19 日 付朝 日新聞)。

      童 話研究家 マ ル ク ・ソ リ ア ノ氏は 「 ミ ッ キーに ,文化の 堕落 と単 ・化をみ る」 と強 く

     警告 して い る (同上紙 )。

   (3) An  American  Origina1と は ,前述 し た ボ ブ ・トマ ス 著「 ウ ォ ル ト

・デ ィ ズ ニ ー」 の 原

     著 書名 で あ る。

   (4) 能 戸路推 子 さん はそ の 著 i 「デ ィ ズ ニー

ラ ン ドとそ の 聖 地 」 の 中で , デ ィ ズ ニ ー ・ラ

     ン ドは新 し い 「ア メ リ カ の シ ン ボ ル 」で あ る と述 べ て い る。そ し て 1955年 の デ ィ ズ ニ ー ・

       ラ ン ドの オー

プ ニ ン グセ レ モ ニ イに お い て ,司会 の ボ ブ ・カ ミ ン グ ス が 叫ん だ言 葉「こ

     こ に お集ま り の方 々 は , 1889年パ リ ・エ ッ フ ェ ル 塔の 完工 式に居合わせ た 人 々 と同様 ,

        い っ か 誇 り に 思 う で し ょ う」 を 引 用 して い る。

         つ ま り,「ア メ リカ文化 に と りエ ッ フ ェ ル 塔 を凌駕 す る何 か を作 り出す こ と は,19世

     紀末以 来 の一・

っ の 重 要課 題 で あ っ た 」 と し て い る 。

    (5)  「メ イ ン ス トリー ト」

      ウ ォ ル トに と っ て,マ ーセ リ ン で 過 ご し た 少年時代は,忘 れ る こ との で きな い 楽 し

     い 思 い 出だ っ た。お よそ50年後,ウ ォ ル トがデ ィ ズ ニー ・ラ ン ドに メ イ ン ス トリ

ー ト

     を作 っ た と き,そ の イ メー

ジ と な っ た もの は マー

セ リー

ン の 町 並 み で あ っ た 。 

   (6) 能登路 さ ん は ,「ア メ リ カ の 共 通 した 伝 統や 歴 史感覚 の 欠如 し た 八 々 に 対 して , 最 大 公

     約数的に ア メ リカ入た ちを統合す る場 と して デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ド以上 の もの はな い ,

     ふ だ ん は 孤 立 し た 生活を送 っ て い る 八 々 が こ こ に集 う とき,出身地 や 階級 の 差 を こ え,

     ア メ リカ の 神話的 イ メー

ジの 中 を散策 しなが ら, こ の 世は安 全で美 しく,希望に み ち

     た 場所で あ る こ と を確認 し あえ る 。 」 と い っ て い る 。

   (7) ユー

ロー ・デ ィ ズ ニ

ーへ の フ ラ ン ス 人の 反撥 は未だ に 尾 を引 い て い る ようだ 。1992年

      8 月20日 付中 日新聞 は次の ように報道 した 。

      「 ユ 日平均 35,000人 の 人場者 は 当初予 定 した 6 万人 の 半分 強,年間動 員 目標 1,100万 人

     の 達成 は絶望 的 だ。

      最大 の 誤算 は,人 場 者 の 4 分 の 3 は 外国 人 で あ る こ とで ,地 元 フ ラ ン ス 人 は ソ ッ ポ

     を向 い て い る 。 中高年以 Lに 根 強 い 「米 国嫌 い 」 を指摘す る 声 もあ る。」

   (8) フ ラ ン ス・

リベ ラ シ オ ン 紙 は次 の ように デ ィ ズ ニ ーの 従業員教育を皮肉っ た。「長 い ツ

     メ はだ め 。直径 2 セ ン チ以 トの イヤ リン グはだ め 。男性 の ヒ ゲ や長髪は許 さない。 フ

        ラ ン ス で は 異 質 の 文化 だ。」

      (1992年 8 月 23日付朝 日新聞 )

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IV. ア ニ メ の 心

 た か が漫 画 , た か が ア ニ メ, で は な い か 。 た か が 人 形 が 演ず る 文楽 で はな い か 。 そ

れ が 人 間以 上 の 何 か を伝 え るの は,い っ た い 何 なの だ ろ うか 。

「擬 人化 」 と い う に は 空

そ ら し くさえ聞 こ え る。 歌舞伎の 女形の 艶 っ ぽ さ 。 宝 塚 少 女歌劇 は小林一三 (宝塚 創

設者 )が 大正 3 年 (1924), 20人の 少女 に よ っ て第 1 回公 演 を行 っ た 。 物珍 しさ もあ っ

た が , 文楽 の 本場だ けあ っ て 関西 で は 少 女 に マ チ シ モ (男 っ ぽ さ〉 を演 じ させ る小林

一三 の 意図 に大衆 は拍手 を送 っ た。

 こ れはデ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドが An  American  Originalで あれ ば 文楽 は まさに A  Japanese

Originalと呼べ る もの で あろ う。 西 田哲学 で い う 「否 定の 否定 」 と い え るだ ろ う。

 ア ニ メ は 映画一

コ マ に一

枚 の 絵を画 く。 した が っ て ア ニ メ ー ターた ち は職 人 で あ り

芸 術家で あ っ て , 頑 固 さは入後 に 落 ち な い。

  ウ ォ ル トが 1922年,初め て 「赤ず きん 」 を制作 す るた め に ス タ ジオ を開 設 して 2 人

の ア ニ メ ー ターを雇 い 入 れた 。 以 後 , デ ィズ ニ ーが 企業化 して 数百 人の ア ニ メ ー ター

の 陣 容 を持 つ まで に ,独 立 した り離反 した り, ひ っ こ 抜か れ た り したア ニ メ ータ

ーた

ち は 数 え きれ な い ほ どで あ っ て , ウ ォ ル トを悩 ませ た 。 しか しウ ォ ル トは い つ もス タ

ジ オの 中で , 作品の 狙 い や , キ ャ ラ ク ターを身ぶ り手振 り を交 えて 話 し込 ん だ 。 ア ニ

メ ーターた ち を美術学校 に 行か せ て 芸術の 心 を学 ばせ た。 ア ニ メ ー ターた ち は , ウ ォ

ル トその 人 をキ ャ ラ ク ター と思 い 込 み よ うに な る。

  そ して , デ ィ ズ ニ ー とい う組織 の 中で , た えず ハ イ ・ク オ リテ ィ を求め て や まな い

ウ ォ ル トと.・体 とな っ た雰 囲 気が 生 まれ て くる。 こ の 雰囲気の 中で , ア ニ メ ー ターた

ち は生 き甲斐 と使 命 感 を持 つ よ うに な っ た 。

ミ ッ キー ・マ ウス

 デ ィ ズ ニ ー ・ア ニ メ の 人気 者 「 ミ ッ キー ・マ ウ ス 」 は , 誕 生 以 来今 日 まで も人気 抜

群 で あ る。キ ャ ラク ター商品 の 売 り.ヒげ もケ タ は ずれ に 大 き い 。

  ミ ッ キ ー ・マ ウス の 誕 生 に つ い て は , 次 の よ うな説 明が なされ て い る 。

「ウ ォ ル トは , それ まで の ア ニ メ ・キ ャ ラ ク ターで あるオ ズ ワ ル ド (兎)漫画 を作 っ

て い た ア ニ メ ーターの 全員が ユ ニ バ ーサ ル 社に 引 っ こ ぬ かれ た (1928)機会 に ,か ね

て 暖 め て い た ネ ズ ミ を ミ ッ キー ・マ ウ ス に 仕立 て , オ ズ ワ ル ドの 後継者 と し, 再 出発

しよ う と図 っ た 。」  

「本 当の と こ ろ ミ ッ キーの 誕 生 は ,

ウ ォ ル トと その ネ ズ ミに 形 と動 きを与 えた アブ ・

ア イ ワース (ウ ォ ル トの 友 人) の 共 同作業の 結果 と思 わ れ る 。

  似て い るの は,声だ けで は な い。 ウ ォ ル トと ミ ッ キ ーの 二 人 と も成功 した い とい う

少 年の よ うな野 望 を抱 き, 裸一・貫か らた た き⊥ げ た 人間像に 臆面 もな憧れ て い た。 そ

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デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドに お け る テ

ーマ 性

一ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ー

が 残 し た もの一

れ に , た っ た一一人 の 女性 に 生涯 忠実で あ る と い う,昔 なが らの 道 徳 に しが み つ い て い

る点で も似 て い る。」  

「“人畜 無害 の い い 奴 で ね。窮地 に 陥 る の も自分 の せ い で は な い

。い つ もは い 上 が っ て

きて は ,照 れ笑 い して い るか わ い い 奴 なん だ。”」  

「ウ ォ ル ト自身 が , ミ ッ キ ーの 大 部 分 の 作品 で 声優 をっ とめ た。明 る くか ん 高 い 声 で

話す こ の ネ ズ ミは , ウ ォ ル ト自 らの 楽 天 主義や 強 固な 意志 , 本物の 気概 をそ っ く り体

現 して い る 。 」  

  ネズ ミが 好 きな人 は まず無 い。 悲鳴 をあ げ て 追 っ ぱ らうか 逃 げ出 すか の ど ち ら か で

あ ろ う。 ウ ォ ル トは,小学校 時代 に は 教室 に ネズ ミ を持 ち込 ん だ り, ス タデ ィオ に 巣

食 うネ ズ ミをペ ッ トの よ うに 扱 っ た り した。 お そ ら くネ ズ ミ の 食べ そ うな パ ン くず を

用 意 して 食事代わ りに して や っ たの で は な い か 。

  そ して ウ ォ ル トと ネ ズ ミ とは馴 じみ, 顔 み し りに な る 。

二 人 の 生 き もの の 間 に 会 話

が 始 ま る 。

  ウ ォ ル トは ネズ ミ を ミ ッ キー ・マ ウ ス に仕立 て る機 会 を窺 っ て い た 。 それ まで オ ズ

ワ ル ド (兎) に協 力 した ア ニ メ ー ターの 全 員が競争 相 手 に ひ っ こ ぬ か れ る。企業 と し

て デ ィズ ニ ー は大 ピ ン チ で あ る 。 ウ ォ ル トは ネズ ミに 向か っ て,

お そ ら くこ う言 い き

か せ た に 違 い な い。

「お い ミ ッ キー

, 今度 は お 前が 出番だ 。 」

三 匹の 子 ブタ

 ウ ォ ル トは , ア ニ メ に 登場す るすべ て の キ ャ ラ ク タ ーを擬 人化 して い の ち を吹 き込

ん だ 。 そ して 自分 が 満 足す る まで , 惜 しみ な く金 をつ ぎ込 ん だ。ア ニ メ ー ターた ち に ,

キ ャ ラ ク ターの 説 明 をす る と きに は まず 自分 か ら声 を出 した り,身体 を動 か して , や っ

て み せ た り した 。

 デ ィ ズ ニ ー ・ア ニ メ 作品 に 対 す る最初の ア カ デ ミー

賞は 「花 と木 」 (1932 )。二 度 目

は 1 年後の 「三 匹 の 子ブ タ 」 (1933) で あ る 。

  「三 匹 の 子 ブ タ」 は , その テー

マ ソ ン グ 「お おか み なん か こ わ くな い 」 と共 に世 界

中 に ヒ ッ トして 絶 賛 を浴び た。 と りわ け 「三 匹 の 子 ブ タ 」 が 作 られ た 1933 年 頃 は世 界

大恐慌 時代 の さ中で あ る (1929年10月 24 日は魔の 木曜 日 と い われ , 大不況が ニュ

ーヨ

ク ・ウ ォー

ル 街 の 暴落 か ら始 ま っ た )。

「勤勉 に働 く者 だ け が,オ オ カ ミを遠 ざ ける こ とが で きる,と い う伝統的価値観 をウ ォ

ル トは こ の 作品 の 中で 確認 して い る 。 」(TRENS1985 年 12月号,ロ ー レ ン ス ・W ・ル ビー

ン の 論文 よ り)

  弟ブ タ た ち は はね 1ロ亅っ て 遊 ん で い て, 建 て た 家は オ オ カ ミが 簡 単 に 吹 き飛 ば して し

ま う。

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い ちばん上の 働 き者の 子ブ タが 歌う。

「ぼ くは ,石の お家 を建 て る。

ぼ くは , れ んが の お家 を建 て る 。

ぼ くには,歌 っ た り踊 っ た りす る

ひ まなん か あ りや しな い。

仕事 と遊 び は い っ しょ に な らな い もの 。 」

V . ウ ォ ル トとチ ャ ッ プ リン

 ウ ォ ル トは 1917年 , シ カ ゴ の マ ッ キ ン リー

高校 に 入学 した。15,6才 と い う年令 は ど

こ の 若者で もそ うで あ る よ うに , ようや く自分 の 能力の 発芽 に 気づ き始 め る。 また 同

時 に ,外 界 に対 して 鋭 い 感受性 の 目 (ま) な ざ し を向 け出す 頃 で あ る 。

「校 内紙 の”声

に こ ん な記 事が 載 っ て い る。…新 入 生 の一 人, ウ ォ ル ト君 は優 れた

美術の 才能 を発揮 し, この たび“声

”の 漫画家に選 ば れた 。

…そ して 彼の 画 い た漫画

は ,軽快な タ ッ チ とユ ーモ ア に溢 れ て い た。」 (A)

 ウ ォ ル トは 自分 の 画 く漫画 に よ っ て , 自己の 主張を訴え る術 (すべ ) を知 る よ うに

な る 。

 また こ の 頃の ウ ォ ル トは,

ア ル バ イ トで稼 い だ 小遣 い で チ ャール ズ ・チ ャ ッ プ リ ン

(1889 〜/977)の短 編喜劇 を見た り, 自分の 8mm フ ィ ル ム に チ ャ ッ プ リン の 真似を し

て収 め た り した 。

 ウ ォ ル トが 最 も影響 を受け た 人物 , 私 はそれ は こ の チ ャ ッ プ il ン と,もう一

人はマー

ク ・トウ ェ イン (注)の 二 人で あ る と考 えて い る 。

「ウ ォ ル トは 普通 の 学習 が 嫌 い だ っ た 。 その 一一方,図書館 をよ く利用 して ,

マ ーク ・

トウ ェ イ ン を片 っ ぱ しか ら読ん だ 。 トウ ェ イン の ミズ リー州 で の 少 年時代 は ウ ォ ル ト

自身の 思 い 出 に 似通 っ て い た。」  

「デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドの ア メ リカ 河 を巡航 す る臼 い 蒸気船の 名前を , ウ ォ ル トは マ ー

ク ・トウ ェ イ ン 号 と した 。 また ア メ リカ 河 の 中洲 に , トム ・ソ ーヤ ーの 島 と い う冒険

の 世 界を作 っ た 。 」  

  ウ ォ ル トは , 少年時代の トウ ェ イ ン に対す る強 烈 な思 い 出を,デ ィ ズ = 一 ・ラ ン ド

の 中に 永遠 に 残 す よ うに した の で あ る 。

(注 1  マーク ・トウ ェ イ ン 1835〜1910,ミ ズ リー州の 寒村 で 6 人兄弟 の 第 5 子 に 生 まれ た。父

   は空想家で忠 実な 市民,母は や さ しくユー

モ ア の セ ン ス が あ っ た 。  彼 が 4 才 の と き一一

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デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け る テ ーマ 性

一ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ーが 残 した もの

は ミ シ シ ッ ピ の 流れ に沿 っ た 小 さな村に移 っ た 。雄 大な河 の 流れ を上 下 す る 帆船 を眺 め 空

想 に ふ け っ た。後年 , ミ シ シ ッ ピー

を舞 台 に著 明な作品 を書 い た 。

 印刷工 と な っ て 家計 を助 けた が ,こ の と き文.章を綴 る こ とを覚 えた。

 1862年 ,マ ーク ・トウ ェ イ ン の ペ ン ネーム を使 い 始 め

, 創作活動に 入 っ て ,西 部 を舞 台

と し,また 自伝的な小説を書 い た。“トム ・

ソーヤ ー

の 冒険”,“

ハッ クル ベ リ ・

フ ィ ン の 冒

険”“

ミ シ シ ッ ピーに 生 きる

”な ど現 在 で も世 界中 の 若 い 読 者 か ら愛 読 さ れ て い る. 

 ウ ォ ル トの 高校生 時代 , チ ャ ッ プ リン は 全米 で 人気沸騰 の 喜劇 俳優 と認 め られ る よ

うに な り, 行 く先 々 で 熱狂 的な 大歓迎 を受 けて い た 。2 ・3 週 間に

一本の 割 で 作 り出

す短 編喜劇 は い ずれ も ヒ ッ トし , そ の 都度 , 映画会社 との 契約 金は は ね ヒが っ て い っ

た 。

  チ ャール ズ の あ の 独 特 の コ ス チ ュ

ーム が ,コ メ デ ィ ア ン と して の チ ャ ッ プ リン の キ ャ

ラ クタ ーを見 る人 に強 く印象づ け た 。 チ ョ ビ ひ げ , 山高帽 , 大 きな ドタ靴 , 細 い ス テ ッ

キ, ダブ ダブ の ズ ボ ン , 窮屈 な フ ロ ッ ク コ ー ト, 破れ た チ ョ ッ キ , そ して 腰 をふ らつ

か せ て つ ま先 を開 い て 歩 く。

 こ うい う愛す べ き底辺 の 人間像が まず共感 を呼ん だ 。 そ して こ の 小柄の チ ョ ビ ひ げ

男は 生 活 に 負け ま い と して , 精一

杯 の 努 力 をす る。

  チ ャ ッ プ リ ン は 自伝で 次の ように 述 べ て い る 。

「喜劇 の 制作方法 とい え ば あるア イデ ア が 浮 か ぶ と , 自然 と事件 との 追 っ か け場 面 に

なる 。 私 はそ うい う追 っ か け っ こ は好 きで は なか っ た。 それ は俳優 の 個性 を無 くす こ

とだ っ た 。 私 の 信念 は , とに か く個性 こ そ最 高 と い うこ と だ っ た 。

 衣 裳 をつ け て み る と,想像 もつ か なか っ た よ うな奇想 が 泉の ように 湧 い て くる の だ っ

た 。

 私 の や っ た人間 は , ア メ リカ 人 に とっ て は全 く知 らない, は じめ て の 性格 像だ っ た

の で あ る。」  

 チ ャ ッ プ リ ン は , それ まで の ギ ャ グ と ドタバ タに 終 始 して い た ハ リウ ッ ドの 喜劇 か

ら,初め て 強 い キ ャ ラ クターを うち出 し,ス トー リ

ーを 明確 に す る作品 を生 み 出 した 。

「チ ャ ッ プ リン の 第 1 回監督 ・主 演作品

チ ャ ッ プ リン の 総理 大 臣”

(1915)で は , す

で に彼 の 有名なテー

マ の 片鱗が うか が わ れ る 。 」 ◎

  ウ ォ ル トは こ う した チ ャ ッ プ リ ン とい う人 間 を全 面的 に共 感す る と共 に , チャ ッ プ

リン を師 と仰 い だ 。 チ ャ ッ プ リ ン の 短 編 集 と デ ィ ズ ニー

の ア ニ メ短 編 集の モ チ ーフ が ,

きわ め て 似通 っ て い るの は こ の ため で あ る 。

  また特 に ミ ッ キ ー ・マ ウ ス に い た っ て は ,ミ ッ ve 一 と い うネ ズ ミ ・人間像 は ウ ォ ル

トに もチ ャ ッ プ リン に も生 き写 しで あ っ た 。 ウ ォ ル トは言 っ て い る 。

「 ミ ッ キ ーを , あの チ ャ ッ プ リン の ち ょ っ と もの 寂 しげ な雰 囲気 を持 っ た小 ネズ ミに

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し ようと思 っ て ね 。小 さ い なが ら も自分の ベ ス トを尽 くしてが ん ば っ て い る とい う姿

だ な 。 」  

  なお 1933 年 , ウ ォ ル トが チ ャ ッ プ リン と面接 して い る 。 そ して ウ ォ ル トが チ ャ ッ プ

リン の フ ァ ン で あ る と同様 , チ ャ ッ プ リン もデ ィ ズ ニ ー漫画 の フ ァ ン で あ る こ とを知 っ

た。  

VI.映 画技 術 と三 次元 世 界

 完全 な トーキ ー映 画の 第 1 作は

,1928 年の 「ニ ュ

ーヨ

ーク の 灯 」 とい われ て い る 。

しか し映 画産業 界で こ の 技 術 革新 が , すん な り と採 り入 れ られ た もの で は な か っ た。

 ル ネ ・ク レ ール,

エ イゼ ン シ ュ テ イン ,チ ャ ッ プ リ ン と い っ た 著名な映画作家 た ち

は 非難 の 声 を浴 び せ た し ,ハ リウ ッ ドに お い て も トーキ ー

映画化 に 二 の 足 を踏 ん だ 時

期が あ っ た 。

「パ リで ア メ リカ 映画の トー キー第 1 作が ヒ映 され た時 , 観客は フ ラ ン ス 語 を喋れ ,

と叫 んだ 。ロ ン ドン で はア メ リカ訛 りに 対 して観 客 は H 笛 を吹 い て 非難 した 。 」 ◎

 こ うい う時期 で あ っ て も, ウ ォ ル トは デ ィ ズ ニ ー ・ア ニ メ に積極的 に トー キー を採

り入 れ ,新展 開 を図 り, 名作を発 表 し て い る 。

 ウ ォ ル トの 事 業の 軌道 を振 り返 っ てみ る時 , ア ニ メ映画 だ け で はな く, デ ィ ズ ニ ー ・

ラ ン ド, デ ィ ズ ニ ー ・ワー

ル ドに 至 る総合空 間づ くりに 達す る まで, あ らゆ る技術革

新 の 手法 を駆 使 して , 二 歩 も三 歩 も前進 を試 み て い る こ とが 印 象的で あ る 。

  さて ,デ ィ ズ ニ ーに お け る大成 功 の トー キー ・ア ニ メ 第 1 作は , 前記 の 「ニ ュ

ー ヨ ー

ク の 灯 」 の す ぐ翌年 , 1929年制作に か か わ る 「ガ イ コ ッ の 踊 り」 で あ っ た 。

 「 4 体 の ガ イ コ ッ が な まめ か し く,

い か に も流れ る よ うに 踊 る 。 ガ イ コ ツ た ち に よ

る墓 場 の 浮 かれ騒 ぎが 始 ま る 。

…グ リー ク作曲 ペー

ル ・ギ ュ ン トに合 わせ 。 あるガ イ

コ ッ は仲 間 の 背柱 を シ ロ ホ ン 代わ りに 演奏す る 。 」  

  しか し, デ ィ ズ ニ ー ・ア ニ メ に お け るこ の 素晴 ら しい トーキー効果 も, 度 重 な っ て

使 わ れ る と,

「世 界映画史 」 に よれ ば ,

「乱用 され た の で 飽 き られ る よ うに な っ た 」。

  こ っ い っ 小道 具の 使 い 方 は , 英 国や ドイツ の ロ マ ン 主義 が 使 い 古 した もの だ と い う。

「膰骨で 肉 が そ げ落 ち た胸 部 を木琴代わ りに演奏」 す る パ ロ デ ィ 的 な効果 ,

「幽 霊 が あ

らわ れ る城 」「鎖の 音 」

「真 夜 中の 時 計の 音 」 と い う古 び た 手法 も, トー キー時代の 当

初 は新鮮 に 受 け取 られ た もの だ っ た 。

  しか し, 陳腐化 も また早 か っ た。 そ して 「こ の 行 き詰 ま っ た チ ャ ン ス の , ち ょ うど

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デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドに お け るテ ー

マ 性一ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ

ーが 残 した もの

良 い 時 機 に カ ラー ・フ ィ ル ム の 登 場 が

一新 した 。 」 ◎

 さ らに 注 目 した い こ と は , ウ ォ ル トは た だ ア ニ メ の カ ラー

化 に 積 極的だ っ た とい う

に と どま らな い で , カ ラ ーに よ っ て 「空 間」 を意識 し , 三 次元 の 世 界を求め よう と し

た こ とで あ る。

 カ ラー ・ア ニ メ 「花の 木 」 (1932)は , デ ィ ズ ニ ー最初の カ ラー作品 と して 大 ヒ ッ ト

した。

「人気沸騰の ミ ッ キー ・ マ ウ ス に 匹敵す る数の 予約 が 殺到 した 。 ウ ォ ル トは , 今後の

シ リーズ はすべ て カ ラーで 制作す る ,と発表 した 。 」  

  こ の 「花 の 木 」は,モ ノ ク ロ で すで に完 成 して い た もの で ,メ ン デル ス ゾ ー ン や シ ュ

ベ ル トの 曲 に 合わせ た幻 想的 なすば ら しい 作品 で あ っ たが , ウ ォ ル トは カ ラー化の た

め に 急 ぎ , 断 固 と して廃 棄 を命 じた と い う。

  カ ラー ・ア ニ メ ・シ リ

ーズ が 順 調 に進 行 して い るあ る 日, ス タ ジ オ の ア ニ メ ーター

た ち を前 に して ウ ォ ル トは次 の よ うに 発 言 した 。

「奥の 方の カ ゲ に な っ て い る部分 に は深 み が あ り, 背景 もうん と抑制の きい た い い 色 。

い い か い。 僕 た ち は今 ,

一定の 遠近 感 と リア リズ ム を表現 して い るんだ 。」  

  と は い っ て も, それ まで の 技法 で は , カ メ ラ を接 近 させ て一

枚 の 絵 を大写 し し よ う

と して も, そ こ に 映 っ た物 の 比 率 は変化 しな い。 前景 と背景 の 距 離 感 も変 わ らな い

 そこ で ウ ォ ル トが望 む ような奥行 きが 表現 で き るマ ル チブ レー

ン ・カメ ラが 開 発 さ

れ る。こ の カ メ ラ を使 っ た 「風 車小屋 の シ ン ポ ニ ー」 (1937)が 効果 を発揮 し , 大 成 功

を収 め る 。

「こ の カメ ラ を駆 使 したデ ィ ズ ニ

ーの 長編 ア ニ メ 臼雪姫 (ユ937 >は特別ア カデ ミー賞

を, そ して 1940年 に は ピノ キ オが 発表 さ れ た 。 」  

  さらに ウ ォ ル トは , ア ニ メ の 中に 実在の 俳優 を登 場 させ た りした 。 1940年 に 発 表 し

た 長編音楽 ア ニ メの「フ ァ ン タ ジ ア 」 の 中で , 名指揮者ス トコ フ ス キ

ー と ミ ッ キー ・

マ ウ ス を握手 させ て い る。 1946年 の「南部の 唄 」 で は, リーマ ス お じさん (実写) と

ウ サ ギ どん (ア ニ メ ) が 競演 した 。

  とこ ろで また ウ ォ ル トは , 画面 に ミ ッ キーの 脇役 を数 多 く登 場 させ た 。 そ して こ う

した脇役 た ちが ミ ッ キー以 上 の 人気 を得て い く。「観 客に す っ か りお な じみ に な っ た 主

人公 を , 相 も変 わ らぬ や り方で , く り返 し登 場 させ る こ とに ウ ォ ル トは 満足 しな か っ

た 。 そ して 1930〜34年 まで の 短編 の 中に ,無邪 気 な ハ ウ ン ド犬 の ブ ルー ト, 間抜けの

グーフ ィ , 怒 りん坊 の ドナ ル ド ・ダ ッ クな ど を次 々 と誕生 させ た。」  

  多 くの 脇役 を誕生 させ た ウ ォ ル トの 信条 に は「観 客 との 接点 」 が あ っ た 。

 「コ メ デ ィが面白 い もの に なる に は , 観 客 との接 点が なけれ ば な らない 。 接 点 とい う

意味 は,見 る者 の 潜在意識 の 中で , な じみ 深 い もの を連想させ る何 か が あ る とい うこ

とだ 。

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 ス ク IJ 一 ン の 上 に映 し出 され る状況 と同 じ感 じを, 観客自身が い つ, どこ で抱 い た

か , そ う い う場面 に 出会 っ た か , あ る い は夢 に あ っ た か, とい う具合 に 。

 観 客 と の 接 点 と僕 が 呼 ん だ の は , こ う い う こ とだ 。 こ の 接点 を失 うと,作品 は観 客

が 見 て , つ ま らな い, 馬鹿 げ た , と い うこ とに な る 。 」  

  こ こ で は , ウ ォ ル トが カ ラー

作 品 を通 じて 奥行 きと高 さ , 巾の あ る 空 間 を求め て い っ

た こ と を強 調 した い 。 つ ま り「物 理 的 な二 次元 世 界 」 を創 り出 そ うと した 。 しか しま

た 同時 に ,こ こ に い うウ ォ ル トの 「接 点 」 が , ミ ッ キ ー ・マ ウ ス , ドナ ル ド ・ダ ッ ク

を始 め 多 くの キ ャ ラ ク タ ー を生 み ,観 客を さ らに幻 想 の 世 界へ と惹 (ひ ) きこ ん で ,

ウ ォ ル トの い う 「接 点 」 が , あ らた に 「心 象的な 三次元 空 間 」 を生 ん だ こ と も併せ て

強 調 した い。

(こ う考え る と,デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け る キ ャ ラ ク ター

の ぬ い ぐる み が , た ん に

子 供の ため に 面 白お か し く演 じて い るだ けで はな い こ とが 分 か る)

 最 初 に 私が ロ サ ン ゼ ル ス の デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドを訪 れ た時 は , 日本の 遊 園地 の あ る

経営者 と一緒だ っ た。 ア トラ ク シ ョ ン の 中に は , 生首 (な ま くび ) が し ゃ べ りか け た

り, 八形が さまざ まな 動き を して 興味が つ きな い の で , そ の 経営 者に 向か っ て ,

「あ な たの 遊園地で もや られた ら」

と勧め た と こ ろ ,

「とて もと て も出 来 る もの で は あ りませ ん 」

とい う返事だ っ た。

 なん の こ れ しき , 当時 な ら精巧 なメ カ ニ ズム で やれ な い こ とは ない, 現 在な ら世 界

…優秀 な 日本の メ カ ・トロ 技 術 が や っ て の けれ るはずだ , と考えて い た。

 現 に ウ ォ ル トは ニ ュー

ヨ ー ク世 界博 (1964 〜5)に 実物大 の , Il ン カー

ン 大統領 を製

作 し, 動 き と言葉 を 与・え, こ れ をデ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに 移 して い る 。 (注)

  しか し 「 とて も, とて も出来 な い 」 ,が 本 当で あ っ た 。 人形 の 微細 な動 きに は , デ ィ

ズ ニ ーが ア ニ メ で 長年 に わた っ て 育 て 成長 させ て きた こ の 「接 点」 が あ っ た事 に ,私

は気づ か なか っ た 。 つ ま り一コ マ

ー一コ マ の ア ニ メ に

,い か に 魅 力あ る動 きを表現 させ

て い くか に , 全 生 命が あ っ た の で あ る 。

 ウ ォ ル ト晩年の デ ィ ズ ニ ー作品 で は ,

「ア ニ メ と人 間の 実写」 が 渾 然 と溶 け合 っ た

lt’s

asmall   world”

(注 )が 登 場す る 。 こ れ は デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドと基底 が 同 じで あ っ て ,

ウ ォ ル ト晩年の 映画作品 に こ の 種 の もの が 多い 。

 その 一つ に デ ィ ズ ニ ー最 高傑作 とい われ る 1964年の

「メ リー ・ ポ ピ ン ス 」 が ある 。

こ の ア ニ メ 長編 作品 の 中で 乳母役 の ジ ュ リー ・ア ン ドリウ ス は最優秀女 演賞 に輝 い た 。

 ウ ォ ル トは 1964年 に ,映 画 で は 「 メ リー ・ポ ピ ン ス 」 を完成 し, そ して 第二 の テ ー

マ ・ パ ー ク 「デ ィ ズ ニ ー ・ワ ール ド」 を未完成 の ま まに ,肺 ガ ン の た め 世 を去 っ た。

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デ ィ ズ ニ ー・ラ ン ドに お け る テ ーマ 性  一ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ーが 残 した もの

(注 )  It’s  a   small   world

   デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お けるア トラ ク シ ョ ン の 主題歌。32小節か らなり英語,フ ラ ン ス 語,

    ドイツ 語, 日 本語 と さ まざ まな言語 に 変わ っ て い くが ,メ ロ デ ィ は皆お なじ で シ ン プ ル で

   覚 えや す い 。

     「私 た ち の 世 界 に は 笑 い も,涙 も,希望 も,恐 怖 もあ る 。

     私 達 は 共有 す る もの が ,あ ま りに 多 い 。今 こ そ悟 ろ うで は な い か 。結 局,世 界 は 小 さ い

   の だ と い う こ と を 。 」… 

(注)   リン カーン 大統領の 入形 に 声 と動 きを与えた の は

「オー

デ ィ オ ・ア ニ マ トロ ニ クス 」 の

    開発 に よる。当初 はカ ム と レ バ ーに よる簡 単な動 きし か得 ら れ なか っ た が , 音響や電気 部

    門 と の 共 同作業に よ っ て , 磁 気 テ ープ を使 っ て コ ン トロー

ル す るシ ス テ ム を開発 し,人 間

    の 筋肉,表情,動 きを微細 に,そ して た くみ に 表現 した 。  

    そ れ は ,一

コ マ に一一

枚 の ア ニ メ を画 く表現技 術 の 限 りな い 積 み 重 ね の 上 に,始 め て 可 能

    で あ っ た 。

W 。 デ ィ ズ ニ ー ・ ラ ン ドをつ くる

 ボ ブ ・トマ ス 著 「ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ー」 (講談社版 )の グ ラ ビア をめ くる と,ア ナ

ハ イム で デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドが オ ープ ン した初 日 (1955年 7 月 170 ),ウ ォ ル トが 左 腕

で女 の 子 をか か え,右手で 男の 子 と握 手 して い る写 真 が 出 て い る 。

 こ れ は , ラ ン ドを訪れ た最 初 の 子供 を ウ ォ ル トが ゲ ー トに迎 えた姿 で あ る。175cm と

長身の ウ ォ ル トは , 子供 よ り小 さ く身 をか が め て い る 。 ウ ォ ル トは笑 顔 が一

ぱ い。

 何故 ウ ォ ル トが デ ィ ズ ニ ー ・ ラ ン ドを作 っ た の か。 こ の一

枚 の 写 真が すべ て を語 っ

て い るようだ 。 こ の 一瞬 の た め に ,ウ ォ ル トは人類 史上始 め て の プ ロ ジ ェ ク トを完成

させ た よ うに思 われ る。

  「何故 」 と い うよ りは , ウ ォ ル トに と っ て デ ィ ズ ニ

ー ・ラ ン ドは , 当然 そ こ へ 辿 る

べ き一

里 塚 で あ っ た 。こ の 「夢 と魔法 の 国」 と い う三次 元 空 間 の

一里 塚 に ウ ォ ル トが

まず到 達 した と い うこ とで あ る 。

「彼 は見本市 , サ ーカ ス, カ ーニ バ ル

, 国立 公 園な どつ ぶ さ に観 察 した 。

 もっ と もが っ か り したの は ,

ニュ

ー ヨ ー ク の コ ニ ーア イラ ン ドだ っ た 。 施設 の 荒廃

と安 っ ぽ さ , 乗物係員の と げ とげ した態 度。         ’『

  しか し コ ペ ン ハー

ゲ ン の チボ ll ・ガ ーデ ン を見 た時 , ゆ きと ど い た清掃 , 鮮や か な

色 彩 , 納 得 で きる料金 , 陽気 な音楽 , お い しい 飲 食物,暖 か な感 じの 礼儀正 し い 従業

員,すべ て が 溶 け合 っ た一・つ の 楽 しい 世 界 。

 “

こ れ だ”

とウ ォ ル トは夢中に な っ て 妻の リリーに 言 っ た 。 」  

一 32 一

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 ウ ォ ル トは,惜 しみ な く金 をか け,世の 中か ら称讃 を浴 び た 多くの 映画傑作を もの

に しなが ら も,絶 えず 心 の 奥に 不 満が 巣 くっ て い た 。

「映 画 は仕 Lげ て 渡せ ば そ れ で 終 わ り 。 僕 は , 生 きて い る もの

, 成 長す る もの,

の 何

か が ほ しい。

パ ー ク は ま さに そ れ だ。

 パ ーク は 永遠 に 太完成。 常に 発展 させ .プ ラス α を加 え て い け る 。 要す るに パ ー ク

は 牛 き物なん だ 。

 大 衆が 何 を求め て い る か を理 解す る ように すれば , パ ー ク は もっ と もっ とす ば ら し

い もの に して い け る 。こ れ は映 画で は で きな い こ とだ 。 」  

「ウ ォ ル トは 「ア リス 」 (1923 ) や 「 ピー ターパ ン 」 (1953) を製作 中, 彼の 心 を.・生

と らえ て 離 さなか っ た遊 園地 建 設の ア イデ ィ ア に1

燃 えた 。 」  

「実 の と こ ろ僕の 二 人の 娘 が 幼 い 頃 , 近 くの 遊 園 地 に 遊び に 行 っ て 回転木 馬 に 乗 っ て

い る 間 , 僕 は ピー

ナ ッ ツ をか じ りなが ら考え た。大 人 も.緒 に 楽 しめ る遊 園地 もあ っ

て よさそ うな もの だ と。 こ の 考え を実現 す る まで, 結局15年 もか か っ て しまっ た

。 」  

「デ ィ ズ ニ ー

ラ ン ド事業 に な っ た こ の 動機 と い うの は , む しろ 後で つ くり.ヒげ られ た

デ ィ ズ ニ ー伝 説 の ひ とつ とみ る方が よさ そ うだ …」  

 デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ド建 設 の 動機 を, よ くウ ォ ル トが ニ ュー

ヨー

ク の 安 っ ぽ い 遊 園地

で ヒ記の よ うな経験 を した か ら, と して い る。 ま さに こ れ は能 登 寺 さんが 指摘 して い

られ るよ う に,   般 うけの す るデ ィ ズ ニ

ー神活に しか す ぎな い

  デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに 残 され た 記念碑 に こ そ , デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドを作 っ た ウ ォ ル

トの メ ッ セ ージ が , われ われ に 直接伝 わ っ て くる。

「こ こで は過去 の 懐か しい 思 い 出が よみ が え り, 未来へ の 挑戦 と確信が 若 い 心 を満た

す 。 デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドは ア メ 11 カ を生ん だ理 想 と夢, そ して厳 しい 現 実 に 捧 げ られ

る 。 μ堺 の 人 々 に と っ て 喜 び と感動の 泉た れ ,の 願 い をこ め て …

。 」  

  ウ ォ ル トはア ニ メ に 求 め た 「接点 」 の 物理 的 ・心 象的三 次 元 の 世 界 か ら,無 限大 の

空間づ く りへ と進 ん だ。 そ して こ の 空 問 に, 匿界の 人 を喜 ば す理 想 と夢 を托 した。

(注 )   ウ ォ ル トは デ で ズ ニー ・ラ ン ドの 建 設 に あ た っ て は,そ の コ ン セ プ ト と運 営の ポ リ シー

    を頑固 な まで に 徹底 させ た。そ し て 300 冊.の マ ニ ュ ア ル に 残 し た。そ れ は ロ サ ン ゼ ル ス ,7

    ロ リ ダ.東京,バ リの デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドへ と 受 け継 が れ て い る。

      例 え ば 「 もの 」 (ハ ー ド} に つ い て ,

「夢 と魔法 の 王 国」 の テ ーマ 性 をラ ン ド全体 を舞台

    装置 と して 生 か して い くため に ,東京デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドで は 周 辺 の ホ テ ル を 11階 の 高 さ

    に 圧 え て 外界 と遮断 させ た り, 1 − 2 年に一.・

つ ク)割 合で 本格的な ア トラ ク シ ョ ン を追加投

    資 して .ラ ン ドは 「未完 成 」 の 魅 力を残 して い る、、ま た 「

非 [1常的 」 な コ ン セ プ トを維持

    す るた め に,「目 常的 」 な もの を極端 に 排 除す る。ゴ ミの 清掃,ア ル コ ール 販 売 の 禁止,べ

    ん とう持 ち込 み の 禁 lll t; ど に は 妥協を 許 さ な い 。

      入 と の 「 コ ミ tL ・= ケ ーシ ョ ン 」 (ソ フ ト) に っ い て も.マ ニ ュ ア ル に 詳 し く定め て い る 。

    例 えば チ ケ ッ ト売 り場一 「あな た は チ ケ ッ トを売 る の で は あ り ませ ん 。ゲ ス ト (客 ) と声

一 33 一

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デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに おけ る テー

マ 性一ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニ ーが 残 した もの

をか けあ う こ とで す。い ら っ しゃ い ませ と rl うの で は な く,こ ん に ちは と呼 び か け る」 と

か ,「子供 に 風船 を渡す と き は.∫

一供の 背 の 高 さ に 身 をか が め .r.供 と 目線 を合わせ る こ と 」

とか,

「ゲ ス トが 写真 を写 そ う と して い た ら,近 く に い る カ ス トーデ ィ ア ル (清掃担 当)や ,

セ キ ュ リ テ ィ (警備担 当〉 の キ ャ ス ト (係員) は手 を ILめ て,ゲ ス トに シ ャ ッ ターを押 し

ま し ょ うか ,  と 声’をか け る 」 な ど 。

 な お デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドで は,入 場 者の こ と を VIP とみ な し て ,ゲ ス トと呼 ん で い る。

 デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドの 概要 が 発表 され たの は 1954年 4 月 2i ]だ っ た 。こ れ まで も述

べ て きた よ うに , ウ ォ ル トに と っ て こ の 種 の ラ ン ドを作 っ て み た い と い うmotivation

(動機) は , 長 い 間彼 の 胸 の 中で 暖 め られ て きた。 具体 化 の 歩 み を,−i三と して ボ ブ ・

トマ ス 著 「ウ ォ ル ト ・デ ィズ ニ ー」 よ り次 の よ うに 拾 い 出 して み た 。

○ こ れ まで デ ィ ズ ニー.

事業 の 資 金繰 りの 面 倒 を見 て い た 兄の ロ イ も , 妻 の リリー も,

 ラ ン ド建 設に は反 対 だ っ た 。 しか し自分の 牛 命保 険 を担 保に して 借金 を始め た ウ ォ

 ル トを見て 狼 狽 (ろ うば い ) した 。

パ ー ク完 成 前 に 借金 は もう10万 ドル に 達 して い

  た 。

○ ウ ォ ル トの 個 人的 な企 業 を支 え る組織 と して Walt  Elias Disney Enterprise(WED )

  が誕 生 した (1952)。

〔)ウ ォ ル トは,ス ケ ッ チ で は 自分 の 右 腕 と して 信頼す る ハープ ・ラ イマ ン と 緒 に な っ

 て ,パ ーク 完 成 f想 図 を描 きあ げ た 。

「パ ーク は 逆 三 角形 , ち ょ う ど下 の 角に あた る

  とこ ろか ら客が 入 る。盛 り⊥ で 周辺 を と り囲 み , 中か ら外の 景色 は見 え な い 。 盛 り

 土 の ヒに は鉄 道 が 走 る 。メ イ ン ス トリ

ー トは, ち ょ う ど漏斗 の 役割 を果 た し,客 を

 城 の 方向に 移動 させ る 。パ ー クの 中心 ハ ブ か らの 道 は さ ま ざ まな

“国

”に 通 じる 。

 ’”

  現 在 の デ ィ ズ ニー ・ラ ン ドの 原図 と概 念が 定義づ け られ て い る。

○ 兄 の ロ イは こ の 原図 と説 明 パ ン フ レ ッ トを持 フ て ニ ュー ヨ ー ク に趣 き, 交渉 に 当 た

 る 。 ABC テ レ ビ か ら50万 ドル の 投資 をす る合 意 を得 る。 (195,1)

○ ウ ォ ル トは映画 と同 じよ うに ,パ ー

ク の 中に 兄事 な連続性 を持 たせ,

シ ー ン か らシー

  ン へ 移 っ て い くもの と した 。

⊂)「メ イ ン ス トリ

ート」 の 般 の 建物 の

・階 は 9 割の 縮尺 で

,二 階は 8 割 , 一三階 は 6

 割 と徐 々 に縮 小 し, 全体 と し て うま く錯覚 を起 こ させ る こ とに 成功 した 。

o 蒸気船 マ ー ク ・トウ ェ イ ン 号 と,サ ン タフ ェ 鉄 道 と ,メ イ ン ス トリ

ートUS .A .は ,

 人 々 を栄光 の 時代の ア メ リカ に タ イム ・ス リ ッ プ させ る装置 と して 三位・体で ある 。

  

○ ウ ォ ル トは ,

パ ー クの 全 体理 念か ら, 木造の 細か い 細工 , 植裁, に い た る まで 自分

 の 考 え を反 映 させ よ う と した 。 ご み 箱 で さえ , 目ざわ りな道具 で な く, 装飾 の一

  と して 魅 力あ る もの に した か っ た 。

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o 植裁 はず い 分 と気 を使 っ た 。  一木

.・木の 樹木 をそれ に ふ さわ しい 場所 に 植 え たか っ

 た 。

「ア メ リカ 河 」 の あた りに は 楓 (か えで ),

プ ラ タ ナ ス, カ バ ノ キ を,

「開拓 の 国 」

 に は松 や カ シ と い うよ うに 。

○ 枯れ 葉や しお れ た花 は 許 され な い 。樹木 は ほ とん ど落葉 しな い 常緑樹。花 は毎 日満

 開状 態の もの と植 え代 え る 。  

O −L事の あ らゆ る段階 で ウ ォ ル トは必 ず現 場 を訪れ た 。 そ して もの の 大 きさや バ ラ ン

 ス に つ い て 意見 を出 した 。よ くしゃ が ん で 見 て は ,

「ほ らね, 小 さ い 子 は こ うや っ て

 兄 Eげ るん だ よ」 と 言 っ た り した 。 ⊥ 事 の ス タ ッ フ た ち は,子供 の 視 点 か ら眺 め る

 こ と な ど , 考えた こ と もなか っ た 。

○「 カ リブ の 海賊 」 が 直撃 して くるの は

, 空間や 位 置に 関す るわ れ わ れ の亀F衡感覚で

 あ る。 入間や 動物 は ほ ぽ 実物大 だ が , 夜空 は 無 限 に 広が っ て い る 。 こ の 建 物か らは

 想 像 もつ か な い 空 問 の 広 が りで あ る 。 

○ パ ー ク完成 も間近 とい うあ る 日 ,7 才の 白血 病 の 子供 を持 つ 母親 か ら , デ ィ ズ ニ ー

 の 汽 申に 乗 っ て み た い と い う, f供の 願 い を卩1.(か な〉 え させ て や りた い と , 手紙

 が舞 い こ ん だ 。

  ウ ォ ル トは その・家 を暖 か く迎 え , ク レ

ーン で 車輔 を レ

ール に 乗せ , 少年 と 緒

 に運 転 室 に 乗 りこ ん だ 。そ れ は デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け るサ ン タ フ ェ 鉄 道 の 始 め

 て の 運 行で あ っ た 。こ の 模様 を見守 っ て い た ス タ ッ フ に ウ ォ ル トは ,

こ の 日の 出来

 事は い っ さい 1」外 しな い ように と言 い 渡 した 。

 晩・年に近づ くと ,ヘ ビ

ー ・ス モ ー カ ーの ウ ォ ル トはた え ずせ き払 い す る よ うに な っ

た v 遠 くか らで も彼が や っ て くる の に 気づ い た とい う。また ,ボ ブ ・トマ ス は,ウ ォ

ル トは事業の 途 中で 死 ぬ の を大変に 恐 れ て い た , と も言 っ て い る 。 早 くか ら肺 ガ ン

を意.識 し始 め て い たの で は あ る ま い か 。

  「未来の 都市 」一

フ ロ リダ ・オ ーラ ン ドの デ ィ ズ ニ ー ・ワ

ール ドは ,丁 度ウ ォ ル

トが 亡 くな っ た 64才 の 1966 年に着手 した が , 未完成 だ っ た 。 こ れ も, 何か 因縁 め い

て感 じられ る。彼 をもう10年長生 きさせ て,完璧なこ の 実験都 rii− Experimental  Prototype

Community  of   Tomorrow (EPCOT ) を地 上 に あ らわ して ほ しか っ た。 (注 )

そ して さ らに , ウ ォ ル トに とっ て は 第 3 の・…

甲塚 を着手 して もら い た か っ た 。

(注 ) デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ド建 設 と い う.一脚 冢を 越 え た ウ t ル トは ,次 の一凩 塚 に 向 か っ て ,つ ま

   りこ こ で い う「未来 の 都 「†i」 (City of Tonlorrom ) EPCOT の 建設 に か か っ た。こ の デ ィ

    ズ ニ ー ・ワ ール ドの テ ーマ ・バ ーク 部分 は 全体面積 の わず か 0.496 に 過 ぎな い と い うか ら,

    い か に 令 体 の 規模 は 大 きい もの で あ る か が 分 か る c

      ウ ォ ル ト自身 が こ の 構想 を映画 に 振寅 (非 公開 ) し て 次 の よう に 説 明 して い る。

     「“オー

ラ ン ドに 10億 ドル を投 じて ,マ ン ハ

ソ タ ン の 2 倍 もあ る都 市を建 設す る。

一 35 −一

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デ ィ ズ ニ ー ・ラ ン ドに お け るテー

マ 性 一ウ t ル ト・デ ィ ズニ

ーが残 した もの 一

 現 在 デ ィ ズ ニー ・

ワー

ル ドと し て 知 ら れ て い る 『魔法 の .1三国』 は そ の一.一

部 で あ る。ワー

ル ドの 中の ブ エ ナ ビ ス コ 湖 の 村こ そはEPCOT の 理想に近 づ くニ ュー

タウ ン で あ っ て,こ こ

で は 16,500 人 の 住民 と・t ,0〔〕  人 の 従業員が 生活で きる よう設計 され て い る 。

『魔法の 王 国』は 生 き た博物館で あ っ て ,エ ン ターテ イ メ ン トの 総合施設 で あ る。園内 は

『冒険 の 国』 『お と ぎの 剛 糊 拓 の 国』」メ イ ン ス トリー

ト」; 「自由 の 広場」 f未 来の 国』 に

分 か れ て い る n そ れ は 茫然 と な る ほ ど 巨大 な ケ ーキ,お 菓 r一の ク レ ム リ ン で あ る ♂’

 デ ィ X“

=  一が 抱 い て い た未来の 構想は, こ れ ま で もお と ぎ 話 が 現 実 の もの に な り 得 る こ

とを大衆 に信 じて もらお うと したが , そ の 確信 を 自 ら実行 に 移 してほ しい ,と呼 び か け た

だ け だ っ た 。…」   1

 ウ ォ ル トの 死 後 , 兄 ロ イ ・デ ィ ズ ニ ーは こ の 事業 を引 き継 ぎ, 1971年 10月, 一応の

完工 に い た っ た 。 開 園 10年後の 年間 入場 蓄は 1,300.万人 に 達 した 。

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