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大阪大学大学院 - Osaka University ·...

Date post: 22-May-2020
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理学研究科数学専攻案内 大阪大学大学院 2013
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Page 1: 大阪大学大学院 - Osaka University · 理学研究科数学専攻では平成7年4月1日から、教育・研究の両面において、 大学院にその重点を移し、研究組織を改組しました。また情報科学研究科情報基

理学研究科数学専攻案内大阪大学大学院

2 013 年 6 月

2 013

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この冊子を手にしている学生諸君は、きっと数学に対する情熱を持ち、自らの将来について真剣に思いを巡らしていることでしょう。もしかしたら、大学院に進学して数学を学ぼうかどうしようか迷っている人もいるかもしれません。本冊子は、そのような諸君に対し、大阪大学数学専攻の活気あふれる姿や最新情報を紹介する目的で作られました。

ガリレオ・ガリレイをして「数学は神が宇宙を書くためのアルファベットである」と言わしめたように、数学は諸学の根幹をなす人類の英知の結晶です。大阪帝国大学創設以来の伝統を受け継ぐ当数学専攻は、創造性を重んじる自由な学風のもと、日々活気に満ちた研究活動を推進すると同時に、世界トップレベルの研究を基盤とする質の高い教育を行っています。また、数万冊にも及ぶ専門書を所蔵する数学図書室をはじめ、電子ジャーナルや電子ブック、あるいは各種ソフトウエアやデータベースが利用できるコンピュータ環境など、様々な設備が学生諸君に開放されており、自主的に学び、研究するための国内屈指の環境を誇っています。さらには、ティーチング・アシスタント制度やリサーチ・アシスタント制度による経済的支援、海外渡航支援など、学生サポートプログラムも充実しています。

心に秘めた夢を現実のものとすべく、不断の努力を惜しまず歩み続けることのできる人、大阪大学はそんな諸君を待っています。

大阪大学大学院理学研究科数学専攻長

藤 原 彰 夫

─ 空 を 飛 ぶ こ と を 可 能 に し た の は 、

          空 を 飛 ぶ 夢 で あ る (カール・ポパー) カリキュラム 2

教育環境 4

隣のセミナー訪問 6

教員の紹介 10

海外研究支援 25

数学へのいざない 26

研究活動 28

学年縦断合宿 30

進路・就職情報 31

教員からのメッセージ 32

入試情報・アクセス 36

1931年5月1日 大阪帝国大学創設

大阪中之島に物理・化学とともに理学部数学科誕生

1953年4月 新制大学院理学研究科発足

1965年7月 理学部が豊中待兼山に移転

1994年4月 改組により教養部教官が理学部に配置換え

2008年5月 理学部改修工事終了に伴い南北ブロックが統一

■ 数学教室のあゆみ

C O N T E N T S

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カ リ キ ュ ラ ム

理学研究科数学専攻では平成 7年 4月 1日から、教育・研究の両面において、大学院にその重点を移し、研究組織を改組しました。また情報科学研究科情報基礎数学専攻や全学教育推進機構との兼任講座、慶應義塾大学との連携講座も設けており、各講座でさまざまな分野の研究がされています。

他大学や他研究科から、その分野の一線で活躍されている研究者を講師として招き、 1週間集中で講義を行っていただきます。また平成20年度より、慶應義塾大学との連携併任による協力を

強化することになり、相互に集中講義を行っています。

数学専攻では、毎年前期後期あわせて50科目ほどの多岐の分野にわたる講義を開講しています。各分野における基礎知識の充実をはかるために、修士 1年生を

対象とする「概論」が開講され、修士 2年次においては、より高度な専門知識の修得を目的とする「特論」が開講されています。

金融・保険教育研究センター(CSFI)は保険・年金数理をファイナンス・金融工学と一体的に捉えた学際的な文理融合系教育プログラムを開発・実施する組織として、平成18年度に設立されました。

臼井 三平(代数幾何学)大鹿 健一(位相幾何学)小木曽啓示(代数幾何学)小磯 憲史(微分幾何学)後藤 竜司(微分幾何学)小林  治(微分幾何学)今野 一宏(複素代数幾何学)杉田  洋(確率論)土居 伸一(偏微分方程式論)西谷 達雄(偏微分方程式論)林  仲夫(偏微分方程式論)藤原 彰夫(数理工学)満渕 俊樹(複素幾何学)盛田 健彦(確率論、力学系)渡部 隆夫(代数的整数論)

石田 政司(微分幾何学)植田 一石(幾何学)内田 素夫(代数解析学)榎  一郎(複素微分幾何学)落合  理(数論幾何学)金  英子(位相幾何学)小松  玄(複素解析と幾何)鈴木  譲(情報数理学)砂川 秀明(偏微分方程式論)角  大輝(複素力学系)髙橋 篤史(複素幾何学)冨田 直人(実函数論)深澤 正彰(数理統計学、確率論、

数理ファイナンス)

宮地 秀樹(双曲幾何学)

大川新之介(代数幾何学)菊池 和徳(微分トポロジー)

森山 知則(整数論)安田 正大(整数論)安田 健彦(代数幾何学)

4月 戸田 幸伸准教授 (東京大学国際高等研究所カプリ数物連携宇宙研究機構)

「導来圏の安定性条件とDonaldson-Thomas不変量」

6月 杉本 充教授(名古屋大学大学院多元数理科学研究科) 「フーリエ積分作用素の理論とその応用」

11月 志甫 淳准教授(東京大学大学院数理科学研究科) 「p進微分方程式と係数つきリジッドコホモロジー」

大学院の授業では、学部時代の基礎的な授業

をベースに、より専門的な内容を学びます。

中には最新の研究結果を知ることができた

り、自分の研究テーマにつながる話題が見つ

かる授業もあります。

11月 辻 元教授(上智大学理工学部) 「一般化されたアインシュタイン計量と多重標準系写像」

12月 桒田 和正准教授 (お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科)

「最適輸送理論と熱分布の解析」

1月 山田 澄生准教授(東北大学大学院理学研究科) 「タイヒミュラー空間上の微分幾何学」

庵原 隆雄(非線形偏微分方程式論)大野 浩司(代数幾何学)小川 裕之(代数的整数論)原  靖浩(位相幾何学)松尾信一郎(微分幾何学)三浦 英之(偏微分方程式論)

大阪大学数学専攻 M2

澤 田   潤

全学教育推進機構● 教 授

宇野 勝博(代数系の表現論)

情報科学研究科情報基礎数学専攻● 教 授

有木  進(表現論・組合せ論)日比 孝之(計算可換代数)松村 昭孝(非線形偏微分方程式論)和田 昌昭(数理情報学)

● 准教授

大山 陽介(微分方程式論)茶碗谷 毅(大自由度力学系)永友 清和(数理物理学)三木  敬(数理物理学)

サイバーメディアセンター● 教 授

小田中紳二(応用数学)● 准教授

降籏 大介(数値解析)

インターナショナルカレッジ

井原健太郎(整数論)

● 招聘教授

太田 克弘(慶應義塾大学)仲田  均(慶應義塾大学)湯浅味代士(住友生命保険)

● 招聘准教授

亀谷 幸生(慶應義塾大学)

*理学研究科所属教員の紹介については10ページにあります。

平 成 2 5 年 度   集 中 講 義

答えてくれた人

■ 教員一覧 ■ 集中講義

■ 講義科目

■ 金融・保険教育研究センター

教 授

兼任教員

准教授

講 師

助 教

連携併任・招聘教員

大学院の授業って

どんな感じ??

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のセミナー訪問2013版

山野:今日は角先生のセミナーにお邪魔しています。みなさんどうぞよろしくお願い致します。 Johannesさんはどこから来られました?日本に来られた理由をお聞かせください。Johannes:平成23年10月にドイツからきました。29歳です。角先生と数学がしたかったし、日本にも興味がありました。 いくつか角先生の仕事を知っていてその先を一緒に研究したいと思いました。山野:ドイツで数学は人気があります?男女の比率はどんな感じですか?Johannes:いえあまり人気はないです。変わった人が多いですね。女性の生徒の比率は 3 割くらいです。女性教員の比率は 3 割以下ですね。でも少しずつ改善されているようです。山野:ドイツから来て生活面での問題はありましたか?Johannes:たくさんの人に助けてもらいました。 ぼくの奥さんが日本人なのでそれも大きかったです。阪大のヘルプセンターにも非常に助けてもらいました。

山野:彼がいることでセミナーに変化がありますか?角:セミナーの発表を彼も聞くので、英語を話したり聞いたりコミュニケーションする機会が増えましたね。山野:みなさんにお聞きし

ます。院に進もうとしたきっかけはなんでしょうか?住川:学部 1 年からです。自分は最初から研究者になりたいと思って入学してきたので院に進むことは決めていました。村上:迷っていたのですが、 4 回生になって角先生の研究室にお話を聞きに行った時にこんな事があるんだって色々わかり、それをするためには 1 年間では絶対に足りないとわかり、院に進む事を決めました。木元:院へ行くのは 2 年生から決めていました。専修免許を取って、教員になろうと考えているので、院への進学もそのためです。

杉田:僕は他大学から来ました。卒論もなかったのでもうちょっとしっかりやりたいなと考えて院への進学を決めました。山野:どうですか?阪大は?杉田:基本的には変わらないんですけど、先生と生徒の距離が近いですね。 暖かい雰囲気で生徒間でも仲良くなれます。飲み会も多いですからね。山野:院に進んで数学に対する意識は変わりましたか?村上: 4 年生からの続きですが、何もわかっていなかった事がわかるというところから始まった感じです。そこから出発してもう一度やり直してわかるようになったところですね。山野:角先生は厳しいですか?角:はっきり言ってもらっていいですよ。木元:セミナーに関しては厳しいと思いますが、人格的に厳しいのではないので、頑張ろうという気持ちになります。熱心に指導していただいています。普段自分で本を読んでいるだけでは見落としてしまうような事や当たり前のように書かれている部分も本当はここをチェックしないといけないというポイントを教えていだたけるので非常に勉強になります。 数学的に厳しく、教育的には丁寧という事です。杉田:付け加えるとするなら論理的に厳密であることに厳しいと思います。山野:どういうこと?杉田:論理的に正しくあろうとすることに厳しいのです。見落としている箇所があれば必ずチェックされますね。山野:院から企業などに就職していった人たちからよく聞くのですが、論理的な思考力が鍛えられたというのですが、そういう事ですかね。杉田:たぶん、この研究室はどの研究室よりも素晴らしい鍛え方をしてもらっていると思います。村上:角先生は本当に教育熱心です。その熱意に応えなければと思うのですが、なかなか応えられないのでもっともっと頑張りたいと思っています。力不足を実感しています。

◦先生

角  大輝

◦学生

Johannes Jaerisch(外国人招聘研究員)木元 康介(M1)杉田 秀樹(M1)住川  豪(M1)村上 敬太(M1)

◦インタビュアー

山野  薫(数学事務室)

ドイツからやってきた研究員と一緒に数学を追究している角研究室のM1セミナーにお邪魔させていただきました。徹底的に基礎から学び直すという角先生の学生に対する熱い想いに感動しました。

Johannes Jaerisch

木元 康介

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Sumi's seminar

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杉田:一人暮らしなので料理が一番の方法です。不慣れなので、料理をしている時はそれ以外の事は考えられないです。いい意味で忘れられますね。頭をからっぽにできます。角:村上君は弁当男子ですよ。山野:料理は本当にいいですね。いい意味で完結しますからね。みなさん凄いですね〜。お弁当食べてみたいです!木元:僕は調子のいい時と悪い時がはっきりしているので悪い時はすっぱりと辞めてしまいます。いい時に備えて、溜まった用事とかを全部済ませてしまいます。雑用の日と数学の日をわけるって感じです。 調子がよくなると何時間でも考え続けられます。山野:先生はいかがですか?角:私はまず歩き続けます。学生の時は京都に住んでいたので京都市内をずっと歩き続けていましたね。それでも行き詰まった時は綺麗な景色をみたり、鴨川沿いでぼーっとしたりしていましたね。しょっちゅう行き詰まりますけど、ずっと行き詰まる訳ではないのです。努力している分だけ進むことは確実なので永遠に苦しみ続ける事はないとわかればなんとかやっていけると思えるのではないでしょうか。努力量に比例するのではないかな。Johannes:とりあえず、何度も何度も試してダメだったら歩いてみたり、一週間ほど休んでみたりします。角:先ほどは考え続ける努力量に比例するとは言いましたが、考え続けるとちょっと危ない状態になることもあります。そんな時は集中を解くテクニックも必要になることもありますね。コントロール能力かな。

住川:この研究室は 2 冊の本にわかれてセミナーを進めているのでいろんな事を学べるチャンスが多くあります。視野が広がります。角:私も実は両方の分野で仕事をしているですが、互いに関係が生じるのでちょうど補えあえると思っています。 4 回生でゼミが始まった時に木元くんは解析が勉強したいと言い、他のメンバーは幾何がしたいと言ったので、じゃあということでテキストをそれぞれ変えてみようと始まったんですよ。木元:そのために非常にたくさんの時間をセミナーに費やしていただきましたね。角:二つのグループがそれぞれ毎週 3 時間ずつ発表してもらっていますね。お互いに聞きたかったら参加するということにしています。 それとは別に大学 1 回生の時の内容を復習するというセミナーをここはやっています。週 1 時間半は自主ゼミという形で進めています。山野:それは何故ですか?角:これをしなければいけないかなという時期がありまして実践するようになりました。正直言って、20年前に比べてかなり学力が低下しているかなという思いがありました。昔の阪大はサイボーグみたいな人がたくさんいましたからね。昔は、院に入るのにかなりの勉強をしていたのですが最近はそんな感じではなく、学部 1 回生や2 回生の内容を知らなくても入ってくるわけです。それで再教育の必要性を感じました。本を読んでも理解できないと楽しくないですよね。それは嫌だなと思い、みん

山野:修論発表会を見学されましたか?来年はいよいよ自分たちの番ですよね。初めて論文にとりかかるという心境はいかがなものですか?木元:テーマは今考え中の段階で、まだ確定していない状態です。村上:この前の飲み会で直前の心構えみたいものを先輩から色々聞きました。発表前には何回も練習しろよとか、早めに書き始めろよとか、TeX勉強しろよとか言われました。角:そうそう、突然M 2 が偉そうに言ってました。完全に上から目線でしたね。発表前は結構おたおたしていたくせに終わったとたん態度が変わりましたねぇ。彼らは真面目なので一生懸命聞いてました。 コンピュータが苦手だったM 2 の学生がいたのですが、修論発表前にプログラミングの体験をさせたのです。それが非常に面白かったらしく、「数学ってこんなに面白いんやー!」って叫んで急に変わってしまったというエピソードもありました。山野:苦しいけど楽しいのはいいですね。角:数学ってよく山登りにたとえられるんですけど、確かにそうだと思います。 最後には綺麗な景色がみられます。今までみたこともないすばらしい景色を見るために頑張って登ります。そういう感じです。過程はとてもしんどいのですが、最後にはつらかった過程さえ楽しめるというのがいいですね。山野:熱いものを感じます!私が学生なら角研に入りたいですね! 最後に学生にアドバイスの言葉をお願いします。角:基本を大切にして欲しいというのは第一ですが、自分の個性と感性を大事にしてほしいと非常に強く思います。感性はとても大切です。 数学だけでなく仕事をしていくうえでも自分らしさを活かしてやっていくという場面は多いのではないでしょうか?自分自身の感性って、他人に話すと笑われたりけなされたりすることが結構多いのですが、それでもくじけずに大事にしていてもらいたいし、育ててもらいたいのです。苗を育てる感じです。

(平成25年 2 月)

なで 1 ページ目から読むようにしました。半年くらいは私も一緒に参加してその後は自主ゼミとしてやってもらうようにしています。そうしていくとどんどん理解度が上がっていくように思います。 これは私自身の経験でもあります。私は 4 回生の時になんだか数学がわからない状態のままでいて、院試に落ちました。これはいかんなと反省して、 1 回生の微積の本を 1 ページ目から読み返してみたら急にわかるようになって、おもしろくなり、他の本を読んでもどんどん理解できるようになりました。この同じ経験を彼らにもしてもらいたいと思います。多分入り口でつまずいているんです。高校の数学と大学の数学は全然違うものですからね。大学の数学の入り口に立つということが重要ですね。各ステップはとても簡単です。丁寧に積み重ねることによって高い山のてっぺんに立つことができます。これはとても楽しい事なので、彼らにも是非この楽しさを経験して欲しいのです。これが基礎ゼミをやっている理由ですね。 基本に忠実に!ですね。木元:単位は取れているのですが、なんとなくしかわかっていなかったという事がわかりましたね。なんとなく理解した事は使えないのです。ちゃんとわかるという事の大切さを理解しました。 1 回生の内容とはいえ、案外大変ですよ!これが。今だからわかるって思いますね。杉田: 4 回生の時に発表していた内容も実はステップに大きな間隔があったんです。その間にいくつもの細かいステップが積み重ねられていることに気付かないまま発表していました。今になってその事に気付きました。山野:なるほど、答えを出せるというのと理解するというのは質が違うという事ですね。木元:理想を言えば 3 回生までにやっておければよかったんですね。 以前はなぜここで急に不等式が出てくるんだろうとか思ってましたけど、最近はそういう流れになっていくよねとか少しずつ思えるようになりました。山野:話しは変わりますが、どんなスタイルで勉強していますか?住川:基本的に考えて考えて寝て起きてまた考えてってやってますけど、どうしてもわからない時は調べたりしています。考え続けていないと答えはでないし、あきらめちゃうと力がついてこない気がします。山野:考え続けるには体力というか気力が必要ですね。住川:とりあえず、電車乗っている時も、自転車乗っている時も、歩いている時もです。どうしてもセミナー直前になると夜更かしが増えてしまいます。杉田:時々リセットすることも必要かなとも思います。僕の場合は一旦離れてリフレッシュする方法も取っています。一瞬でもリセットすると違う視線で戻ってきます。山野:どんな方法で?

村上 敬太

住川 豪

杉田 秀樹

角  大輝

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Sumi's seminar

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トポロジーHexはトポロジカル・ゲームの元祖とよく言われます。

その後、多くのゲームが Hex からヒントを得て誕生しました。Euler Getter もその一つです。トポロジーは幾何学の一分野で、曲げたり伸ばしたりしても変わらない図形の性質を調べる学問です。例えば、最近 Perelmanによって証明された Poincaré 予想はトポロジーの問題です。トポロジーの萌芽は「ケーニヒスベルクの橋の問題」に遡ります。ケーニヒスベルクという町にある 7 つの橋を、同じ橋を 2 度渡ることなしに、全ての橋を渡ることは出来るかというものです。[図1]

Euler は、[図2]を一筆書きできるかという問題に言い換えました。点とそれを繋ぐ線からなるこのような図をグラフと言います。さらに、Euler はグラフが一筆書き可能かどうかの簡単な判定法を見つけ、ケーニヒスベルクの橋の問題を鮮やかに解決しました。答えは、「同じ橋を 2 度渡ることなしに全ての橋を渡ることは出来ない」です。ところで、グラフを曲げたり伸ばしたりしても、問題の性質は変わりませんよね。これがトポロジーです。

トポロジーは、電車の路線図にも見て取れます。路線図では、路線が綺麗な直線や円だったり、駅の間隔が等しかったりと、正確な地図とは随分違います。しかし、必要な情報は含まれていて、問題は生じません。このように、トポロジーは人が普段無意識のうちに行っている、本質を取り出すという行為を数学的に厳密にしたものと言うことも出来ます。

Euler Getter のボードと射影平面Euler Getter のボードは、Hex 同様、六角形が平行四

辺形状に並んだもので 1 、そこに赤と青のプレイヤーが交互にマスに色をつけていきます。ただし、四辺上に並ぶマスに色をつけるときは、中心対称の位置にあるマスにも同時に同じ色をつけます。この取り決めは何を意味するのでしょうか。

(オイラーゲッターボード、福島高専ミニ研究「Euler Getterを学ぼう」所属学生制作、画像提供:廣瀬大輔)

昔、テレビゲームの中で世界を救うために、良く旅をしましたが、その世界の地図は大体長方形をしていて、上の端まで行くと下の端から出てきて、右の端まで行く

と左の端から出てくるという風になっていました。地図を曲げて端と端をくっつけると分かりますが、その世界の惑星は下のようなドーナツ状の形をしているはずです。

(数学ではトーラスと呼びます。)

少しくっつけ方を変えて、上下の辺は普通にくっつけて、左右は逆向きにくっつけると、有名なクラインの壺という図形ができあがります。

では、上下と左右の両方を逆向きにくっつけるとどうなるかというと、射影平面と呼ばれる図形になります。これは、Euler Getter のルールと同じものです。つまり、Euler Getter は射影平面の上で行うゲームです。射影平面を使うアイデアは新しいものでは無く、Shapleyによって射影平面で行う Hex の変種が考案されています。射影平面は、絵画の技法である遠近法にも起源を持っています。

勝敗と Euler 数Euler Getter のゲームは全てのマスに色が付いたら終

了です。勝者は点数が多い方で、その点数は Euler 数というものです。例えば、 [図3]の図形全体の Euler 数は− 1 です。

(ひと繋がりの部分の数)−(輪の数)で計算できます 2 。Euler 数は図形の曲げ伸ばしで変わらないため、不変量と呼ばれ数学で大事な役割を果たします。Hex同様、Euler Getterにも引き分けがありません。その理由は、Euler 数は測度の性質を持っていて、赤と青の Euler 数の和が必ず 1 になるからです。測度とは物の長さ、大きさ、多さなどを測る尺度のことで、例えば個数、長さ、面積、体積などがそうです。測度を測度たらしめる性質は、│A∪B│=│A│+│B│−│A∩B│(│A│は A の「大きさ」)

です。実は、Euler 数もこの性質を満たしていて、その意味で測度になっているのです。ただし、負の値を取るというのが通常と異なります。図形の「大きさ」が負であるというのは奇妙ですが、おおらかな心で許して下さい。ゲームでは、射影平面の Euler 数は 1 で、また赤と青のエリアの共通部分は複数の輪になり、従って Euler数は 0 です。このことから赤と青の Euler 数の和が 1 になります。

数学研究新しいゲームを考えるというのは一種の遊びですが、

上で説明した中にも数学研究で基本的な以下の要素が見て取れるのではないでしょうか:

●先人の仕事にインスパイアされる。●「こんなことを考えたらどうなる?」という好奇心。●矛盾しなければ問題設定は自由。

Hex1940年代に Hex というゲームが考案されました。下

のように六角形のマスが並んだボードで対戦します。

赤のプレーヤーと青のプレーヤーがいて、交互に空いたマスを選び、自分の色に塗ります。赤い辺が赤のマスで繋がると赤の勝ち、青も同様です。繋ぐというのは、まっすぐな線でなく、曲がっていても、枝分かれしていても構いません。このゲームには引き分けがありません。赤が繋がれば、そこを青が乗り越えることは出来ないからです。

図1

図2 図3

いE u l e r G e t t e r

数年前に考案したEuler Getter というゲームとそれに関連する数学を紹介します。

准教授 安田健彦

1他にも、いろいろな形のボードを使うことが出来ます。2これらの図形は本質的に1次元のため、この公式で良いのですが、高次元の図形では高次元の「穴」の数を勘定に入れなければなりません。

トーラス

クラインの壺

射影平面

26 27

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H�@<HP海外研究支援

理学研究科では、海外での勉強を支援する制度があります。チャンスを生かしてどんどん世界に羽ばたいてみましょう!

落合研究室の佐久川と川島は研究科長裁量経費により、2012年 7 月29日から 8月 4日にドイツのHeidelberg大学で行われた国際研究集会「Iwasawa 2012」に参加しました。研究集会では岩澤理論に関係のある幅広い最先端の話題の講演がなされました。講演はそれぞれの内容が深く、実際にその場で理解することが出来た話題は少なかったのですが、自分の研究に対してのきっかけをもらい、さらには実際に著名な研究者による研究内容や、発表の卓越さを肌で感じることが出来たことが何よりもためになりました。Heidelbergは、ドイツ最古の大学である、Heidelberg大学のある学生街である一方古く美しい街並みで有名な観光地でもあります。その中心にはネッカー川が流れ、その岸辺に街の象徴とも言えるHeidelberg城があります。連日、研究集会が終わった時間から、大学から徒歩で城下を散策しました。当初は言語について不安があったのですが、散策の間に様々な人と触れ合っていくうちに、殆んどすべての方が英語を話され、こちらの慣れな

い英語にも丁寧に答えてくださることが分かり、最終的にはこちらからどんどん話しかけることができました。その中で古くからある大きな教会のオルガン演奏を聞かせて貰ったり、路上でライブを行っていた大道芸人の方の即席の助手をさせて貰ったりしたことが印象に残っています。また研究集会中の全体での食事会の際に一人のイタリアの学生の人に思い切って話しかけ、イタリアの学生の人を紹介して貰い、最終日にはイタリアの学生と日本の学生をあわせて全員で食事に行き数学以外にも多くの交流をすることが出来ました。このように、言語については誤りを恐れずに、積極的に話しかけていくことが重要であることが分かりました。海外に行くことは私にとって初めての経験で不安が大きかったのですが、実際に行ってみて様々な人と話をして、数学をする人の熱気を感じ、歴史を感じる美しい街を見ることができて本当によかったです。皆さんもこの機会を利用して海外での研究集会に参加することをお勧めします。

川島 誠

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数学専攻では年に1回、学部、修士、博士を対象に1泊2日の「学年縦断合宿」を行っています。学生委員が中心になって、行き先やプログラムなどを決める学生主導の行事です。OBを講師にむかえて、現在の仕事について語ってもらったり、先生と腰を据えて語りあったり、さらには学年を越えたつながりがつくれる行事です。あなたも参加してみませんか?!

13:30~13:35 事前説明13:35~13:45 宮川慎平さん(学部4年) 「大学院入試」13:45~14:00 下村健吾さん(博士1年) 「ドクター・修士論文」14:00~14:10 一丸全人さん(修士2年) 「院の生活について」14:10~14:25 休憩14:25~14:35 石井大紀さん(学部4年) 「就職活動について(教職)」14:35~14:45 安田恭平さん(修士2年) 「就職活動について(保険業)」14:45~15:00 休憩15:00~15:20 的場俊昭さん(外部講師) 「高校教員」15:20~15:40 長澤佑宜さん(外部講師) 「三井住友銀行」

学年縦断

合宿へ行こう

2012年10月

Report*

10:30 阪大出発13:00 到着13:00~15:40 講演会

15:50~16:30 教員講演

16:40~18:00 第一回グループ研修

18:00~19:30 夕食・入浴19:30~21:00 第二回グループ研修

21:00~23:00 分科会・懇親会

23:00 就寝

7:30~9:00 朝食

9:30~11:30 グループ研修発表会

12:00 出発12:30~14:30 宝牧場観光16:30 阪大到着

10/6(土)

講演会スケジュール

10/7(日)

外部講師や学生の方による講演です。進路を考えるいい機会に!!

数学者ってどんな職業? 伊吹山先生に教えていただきます。

先生や色んな学年の人たちと一緒に思い切り数学を!

グループ研修の続きです。翌日の発表に向けて準備を固めます。

研修の成果を発表します。

先輩・後輩・OBの知り合いを増やすチャンスです。たくさん交流しましょう。

朝食後チェックアウトの準備です。荷物を持って発表会へ!

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母親によると、私は赤ん坊の頃カレンダーの数字が好きだったそうです。私自身はまったく覚えていないのですが、どんなに泣いていても、カレンダーのところに連れていって数字を見せると泣きやんだといいます。数学者という言葉に最初に興味を持ったのは小学校高学年の頃で、「不思議の国のアリス」という本が好きだったのですが、その作者が数学を教えていたと知った時です。当時和田誠さんという方のイラストが好きで、そのため和田さんが挿絵を描いている角川文庫の「不思議の国のアリス」が気に入っていました。読まれたことのある方はご存じかもしれませんが、「不思議の国のアリス」はジョーク連発の全然まじめでない本です。最初はそういうジョークを読んでも、感性が違いすぎてあまりピンとこなかったのですが、何度も読み返しているうちに、なんとなく良さが分かるような気がしてきました。中学校に入るころには、原作のテニエルさんの挿絵のほうが好きになり、マクミラン社の英語版を買って読んでみたりしていました。挿絵に触発されて、授業中よくノートに落書きをしていました。さすがに今ではしなくなりましたが、大学院生になっても時々ノートに落書きを書いていました。小学校のときは比較的算数は得意のほうだったのですが、

気がしてくるようになってきました。どんなに厳密そうに見える論理体系でも、突き詰めて検証してゆくと必ずどこかに体系化されていない暗黙の前提のようなものにぶつかり、完璧な体系のようなものは存在しえない、私たちの論理性は、

そのような儚い空間の中にただよっている雲のようなものだという、悲観的な感覚の中で当時は過ごしていたように思います。現在のように数学の研究を職業にしていると、数学の世界の正しさを確信しきって暮らしていたほうが健康的なのですが、今でも当時の思考の名残りがあって、そのような心地の良い世界に安住していてはならないと、つい考えてしまうことがときどきあります。私の入学した大学には教養学部というものがありました。

理系の科目よりも文系の科目のほうが興味深く感じました。文系の先生の書かれた本の方が数学の本のよりも華々しくて面白いと思いました。数学の本は行間を埋めるのが大変だという人もいますが、私はそうは思いません。数学の本は誰が書いていても、思考のパターンが大体想定の範囲内でありすぐ慣れます。文系の一部の本のほうが、ずっと行間を埋めるのが難しく、読んでいていろいろと想像をめぐらすのが面白いように感じました。数学科に進学することにしたのも、文系の研究をするような才能も素養も自分にはない、という諦めの気持ちほうが強かったように思います。そのようなわけで、大学での最初の1年半の間はあまり数

学をしませんでした。読んだ数学書はといえば、岩波講座の「数論」と、「保型関数」の前半部分や、フルヴィッツ・クーラントの「楕円関数論」くらいのもので、他にも何冊かあったような気がしますが全部で10冊に満たないと思います。もっと勉強しておけばよかったと後悔しています。大学時代は、私は自分でいろいろと数学を考えたり計算し

たりするのは好きでしたが、数学書を読むのは苦手でした。数学の本は大抵、後で面白い話をするための準備が最初のほうに書かれています。伏線がいたるところに散りばめられていたことにある程度読み進むと気づかされるのですが、最初の辺りを読んでいるときにそこまで気づくには相当の勘か経験が必要です。なので、大抵は読んでいて退屈に思えてきて、ここの公理をこう変えたらどうなるのか、といった、どうでもよいような方向に思考し始めて、自分の関心が本の主題からかけ離れた方向に進んでしまう傾向がありました。そうこうしているうちに、数学セミナーの記事をまとめた

「数学の最前線」という本の中で、土屋昭博さんが「三〇歳を過ぎてから、よその分野の勉強を始めるのはすごくしんどいんです」と書いているのを読んで、自分で考えてばかりいないで、若いうちにいろいろと知識・技術を習得しておかなければいけないと思うようになり、退屈な内容だと思っても

算数よりも理科のほうが好きでした。今でもそうですが、私は注意深さが足りない人間で、よく間違いをするので、特別算数のテストがよくできるというわけもありませんでした。中学に入ると、同級生に数学のできる何人かいて、普通な

らば高校に入ってからではないと習わないようなことを知っており、3次方程式、4次方程式の解法や eiθ= cosθ+isinθのようなことを教わりました。私自身はそれほど数学ができたわけでもなく、中学1年のときに数学の試験で落第点を取りました。そのときは先生がおまけをし、実際の点数に15点プラスをしてくれたので落第をせずに済みました。中学1年の時に初等幾何を教わった数学の先生が、ユーク

リッドの第5公準や、ヒルベルトによる幾何学の基礎づけなど、かなり立ち入った話を授業でしてくださいました。それに影響されて、公理系からスタートして厳密に理論を組み立ててゆくのが面白いなと思うようになりました。普通の数学の教科書は、証明の議論や問題の解答の細かいところの書き方が厳密でなく不満に感じるようになりました。また、数学に限らず、世の中のいろいろなことを公理系を設定して考えるのが習慣になりました。今にして思えば、とても偏った世の中の見方をしていたように思います。そのうち、ヒルベルトの定式化でも完全に厳密とは言えないのではないかという

我慢して本の内容に付き合うことが少しずつできるようになってきました。年を取ると新しい数学を勉強できなくなるのではないかと

いうことが以前は心配だったのですが、ある程度年をとってきて、いくつになっても新しい数学を勉強するのは全く苦ではなく、むしろ刺激的で楽しいことだということも分かるようになりました。大学院では数論幾何という分野の研究をすることにしまし

た。好きだったわけではありません。どちらかというと苦手でした。スキームというものが出てくるのですがよく分からず、苦手意識があったので、怖がっていてはいけないと思い、苦手克服のために分野を選びました。私の父は「人間辛抱だ」という言葉が好きで、よく口にしていました。もっと若いころは、私は親に反抗しておりその言葉が嫌いだったのですが、大学院に進んだころはその言葉が好きになっていました。自分がどこまで苦痛に耐えられるか、その限界に挑戦するのが数学だ、と当時は考えていました。「数学は楽しい」などと言っている人は大嫌いでした。大学院のセミナーでは、自分が面白そうだと思えないもの、難しすぎで分からなそうなものを無理して選び、案の定全然理解できず、よく泣きながらセミナーの準備をしていました。年を取るとともに、だんだん研究をするのが楽しくなってきて、現在では研究をするのがとても楽しくなっています。辛さを耐え忍んで仕事をするものだというかつての感覚が今でも残っており、こんなに楽しいことばかりしてお給料をもらってよいのかという罪悪感を感じてしまうこともあります。最近気が付いたのは、私は人に数学を教えるのが好きだと

いうことです。うまく教えられているかどうかはともかく、教えるのはとても楽しいです。最先端の内容についてではなくても、基本的な内容でも教えるのは面白いし、理解の早い学生を教えるのも、そうでない人を教えるのもどちらも面白いと思います。教えることによって逆に自分もいろいろなことを教えられます。教えることが、自分の研究そして自分の人生にとってプラスになるような、そういう研究・教育環境を築いてゆきたいと思っています。

安 田 正 大

いくつになっても新しい

数学を勉強するのは全く

苦ではなく、むしろ刺激的

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たぶん参考にならない回想

私はどこにでもいる平凡な中学生で、将来は阪大ILEでレーザー核融合の研究をして、世界のエネルギー問題を永久に解決するんだと思っていました。高校に入ってから堕落して、役に立つことよりも面白いことに興味を持つようになり、大学は「就職無理学部」を選びました。(実際には大勢の方が理学部を出て社会で活躍しています。)大学では数学より物理の単位を多く取り、院試の願書で物理を第一志望にして、院試対策もほとんど物理に費やした挙句、物理の院試を受けずに京大の数理解析研究所に進学しました。直前まで素粒子か物性の分野に進むものだと思っていた私の進路を大きく変えたのは、教員と話をしているうちに抱くようになった、物理学者は数学に対してある種の "敵意 "を持っている一方、数学者は物理に敬意を払っているという印象です。物理に進学すると数学の勉強ができなくなる一方、数学に進めば物理も勉強できると思ったので、これは単に決断を先延ばしにするだけのはずだったのですが、今思うと実際にはここが人生の分かれ道でした。M1セミナーではPolchinski の StringTheoryを読み、超弦理論の論文をいくつか眺めました。一方、前野俊昭さんや入谷寛さんと行なっていたやや非公式なセミナーでKhovanov と Seidel の論文を読み、それが修士論文に繋がっていきます。そこから博士論文まではある意味で平坦な道程でしたが、学位を取った直後に当時B4の山崎雅人さんと出会って、ダイマー模型の研究を始めます。その後も様々な出会いがあって今に至りますが、たとえ経験の差があっても、研究者同士の関係はある意味で対等(真理の

ら演習問題をまじめに解いていて、その延長で誰も答を知らない問題を解けば、論文が書けるわけです。一方、こういう「ちょっと高級な演習問題」を解くのと違い、本当に新しい数学を創るのは大変で、後から見れば簡単なことでも、慎重に検討しないと、蟻の穴から堤も崩れることになりかねません。

大抵の人にとっては、修論を書く時に人生で初めて本当に「数学をする」経験をすることになります。普通の人は小学校から高校までの12年間で、微積分の初歩までを勉強するわけですが、微積というのはニュートンとライプニッツが発明したので、時代で言うと17世紀の終わりになります。大学で数学科に入ると、4年間で19世紀の終わりか20世紀の始めくらいまでの数学を勉強するわけですが、それ以前の数学でも大学で教えないことは沢山あるし、数学の進歩は加速度的で、最後の100年の進歩はそれまでのどの100年よりもはるかに大きいので、ここから最先端の数学に到達するにはかなりの量の勉強をしないといけません。そういう意味で、M1というのは人生で一番たくさん勉強をする時期です。

こうして首尾よく最先端までたどり着けば、そこには未開の原野が広がっています。高い山もあるし、広い湖や深い森もあります。地図はありません。あるのは神秘的な予言か怪しげな民間伝承だけです。最初は関係のありそうな論文を読んだりノートに向かって計算をしたりしますが、ある段階に来ると問題が隅から隅まで頭の中に入って、散歩中も、食事中も、入浴中も、テレビを見ている時も、ベッドに横になっている時も数学を考えるようになります。最初は問題が解けるのか半信半疑なのですが、そういう時には解けません。そのうち、実は解けるんじゃないかと思い始めます。いいアイデアを思いついて天にも舞い上がる心地になったかと思えば、ちゃんと書き下そうとしてギャップに気付いて落ち込むということを繰り返します。気持ちのアップダウンが激しくて、精神衛生上良くありません。後一歩で解けそうなときは特に危険です。こういう時は車の運転などは控えたほうがいいですね。また、そうでなくても運転中に助手席の人と数学の話をするのは、ナビを操作したり電話を掛けたりするよりも明らかに危険なので、法律で禁止すべきです。やがてアップダウンの周期が徐々に短くなってきて、遂に証明を書き下してもギャップが見つからなくなります。

数学は役に立つのか

この問いに対する答はイエスであり、ノーでもあります。おおよそあらゆる自然科学と工学の基礎には数学があって、現代文明は数学なしには成り立ちません。一方、ほとんどの数学者は役に立つことを目指して数学をしているわけではありません。フェルミ研究所の所長のウィルソンが冷戦真っ直中の1969年にアメリカ連邦議会の委員会で行った答弁を引用しておきましょう:上院議員「(2億5千万ドルもの納税者の金がつぎ込まれた)加速器はアメリカの国防に貢献しますか?」ウィルソン「いいえ、全く。」「でも、アメリカを守

前では平等、と言ってもいいかも知れません)なので、研究を志して大学院に進学する人は、誰かの弟子になるのではなく、同僚になるのだという気概を持つべきでしょう。

数学の道に進むべきか

こう悩むのは才能の有無にかかわらずごく普通のことで、Gaussですら19歳の朝に正17角形の作図法を発見するまでは進路を決めかねていたという話もあるくらいです。Gaussのことはさておき、数学ができる人ほど、自分は本当に数学でやっていけるのだろうかと悩む傾向があるので、そういう人には、自分の能力ではなく数学への愛を問うことを勧めます。例えば、一週間、一ヶ月あるいは一年間、ずっと一つのことだけをしないといけないとしたら、何をして過ごしますか?ここで数学と即答できる人には、間違いなく数学者になる素質があります。例えば午前中は幾何、午後は解析の勉強をして、夕食の後は気分転換に数論の本を読んだりするわけです。(ここでテレビを見たり小説を読んだりしてしまう人には素質がないと言っているわけではありません。)何らかの事情で数学ができなかった日の夕方には禁断症状で手が震えるようならなお良いです。

修論を書くということ

大学と大学院の最大の違いは、大学では既にある数学を学ぶのに対し、大学院では研究をしなければいけないことです。この差はある意味ではそんなに大きなものではなく、普段か

る価値のある国にするのに貢献します。」フルバージョンはhttp://history.fnal.gov/testimony.html で読むことができますが、なかなか感動的です。もちろん、役に立つということは尊いことで、純粋数学と応用数学の間に貴賤があるわけではありません。

ドラゴンボール現象

少年漫画にしばしば見られる強さのインフレーションは、数学では日常茶飯事です。あるシーズンでは手の届く遥か彼方にある最強の敵だったものが、次のシーズンには一撃で倒せる雑魚キャラになります。典型的な例としてはAtiyah-Singer の指数定理があります。これは Chern-Gauss-Bonnet の定理やHirzebruch-Riemann-Rochの定理などを特別な場合として含み、位相的な指数と解析的な指数が一致することを主張します。証明された当時は代数、幾何、解析に跨って聳え立つ現代数学の到達点と位置付けられましたが、今ではモジュライの幾何を研究する際の出発点に過ぎません。

インフレが進む最大の原因は、何かを最初に成し遂げるのは難しくても、それを学ぶのは遥かに容易であることにあります。スポーツだと、誰かが100mを9秒台で走っても、別の人が9秒台で走るには(たとえ全く同じではないにしろ)はじめの人に近い努力が必要です。数学なら、ある日誰かが9秒台を達成した翌日には皆が9秒台で走っていて、8秒台への到達を競うようになります。

大学院に入る前に

高校までと違い、大学には学習指導要領はありません。大学の授業では一言も出てこないにもかかわらず、大学院に入ると常識になってしまうことは多々あり、こういったことは全ていつの間にか自分で勉強していることになっています。また、誰しも多少の好き嫌いはありますが、どんなことでも深く学べば面白いものです。研究をしていく上で何が役に立つかは前もって分かりませんが、違う分野のアイデアを持ち込むことによって解決の糸口が掴めることはしばしばあります。使える道具はたくさん持っている方が有利で、食わず嫌いは自分の可能性をそれだけ狭めることになります。そもそも、数学はさまざまな分野が境目なく繋がった一つの生きもので、例えば自分は幾何だから代数や解析は勉強しない、などというのは不可能です。

植 田 一 石数学はさまざまな分野が

境目なく繋がった一つの生きもの

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理学研究科数学専攻案内大阪大学大学院

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