+ All Categories
Home > Documents > NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output...

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output...

Date post: 21-May-2020
Category:
Upload: others
View: 2 times
Download: 0 times
Share this document with a friend
10
This document is downloaded at: 2020-05-22T00:29:41Z Title 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案 Author(s) 上薗, 恒太郎; 眞榮城, 善之介; 岡崎, 耕 Citation 教育実践総合センター紀要, 13, pp.61-69; 2014 Issue Date 2014-03-20 URL http://hdl.handle.net/10069/35521 Right NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
Transcript
Page 1: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

This document is downloaded at: 2020-05-22T00:29:41Z

Title 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

Author(s) 上薗, 恒太郎; 眞榮城, 善之介; 岡崎, 耕

Citation 教育実践総合センター紀要, 13, pp.61-69; 2014

Issue Date 2014-03-20

URL http://hdl.handle.net/10069/35521

Right

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

Page 2: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

研究論文

日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

上薗恒太郎(長崎大学)

虞築城善之介(琉球大学教育学部附属小学校)

岡崎耕(長崎大学大学院)

I グローパル化するアジア社会における道徳教育

I-l プロジェクトの経緯

2014年 1月 1日から 6日に台湾でおこなった 6つの道徳授業と講演は、「グロ

ーパル化するアジア社会における道徳教育」を掲げたプロジェクトの一環として

2010年から継続する。2010年にアジア太平洋道徳教育ネットワーク第 5回大会お

よび日本道徳教育方法学会第 16回大会として、さらに 2011年に日本道徳教育学

会第 77回大会として、このタイトルを掲げて長崎大学教育学部で国際学会ならび

に全国学会を相次いで開催していらい、台湾との道徳授業交流は続いている。

日本から台湾を 1月初めに訪問しておこなう道徳授業・ディスカッション・講

演は 2014年で 4回目で、 2012年 7月には台湾からの一行が福岡・長崎を訪問し、

国際シンポジワムの際の長崎での授業、 2013年 7月の台湾一行訪問と、互いに訪

問しての交流は 7回目となる。

タイトノレだけでなく取り上げてきた内容も一貫して、「いのちの支え合い」をテ

ーマに進められ、 3.11東日本大震災以降とくに「海をこえたいのちの支え合い」

がプロジェクトの軸になっている。金額にして最も多額の援助をしていただいた

台湾への学校訪問は、 3.11のお礼を述べながら交流を進めてきた。台湾側が授業

をした際、海をこえた支援は地震と台風の際に日本が台湾を支援をしたお礼だと

の一節が授業に組み込まれ、阪神淡路大震災のエピソードが組み込まれた。そし

てさらにさかのぼると、このプロジェクトはチリ地震における炭鉱労働者を取り

上げて始まり、台湾の SARSの際にパスの運転手がおこなったボランティア活動

を日本側で資料にした「あるパス運転手のたたかいJ 1)、アフリカ支援を描いた

『ゴンダールのやさしい光』、ねこの命をコミュニティのみんなが支える自作資料

「ねこといっしょにJ2)など、同ーの授業素材で、国際統一道徳学習案を作って、

共に授業を進めた。

2014年も海をこえたいのちの支え合いへのお礼を述べながら、内容を少し広げ

て「異なる他者と助け合えること」をテーマに、日本から 2人の授業者、台湾か

ら2人の授業者を迎えて、台湾の嘉義豚中靖国民小学校 (JhongPuprimary school)

および台中市軍劫国民小学校 (Jyun-GongElementary School)の 2つの小学校で 6

つの道徳授業をおこない、また、日本が植民地時代の 1901年に創設した師範学校

l

au

Page 3: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

に始まる DepartmentofEducation, National Taichung University ofEducationで、2013

年 の 道 徳授業交流を分析した講演、 DiverseReflections on Self-affirmative

Consciousness of a Moral Education Lesson by means of International Praxis in

Taiwanese and Jap阻 eseClassrooms: Association method shows visible changes of

consciousness in both volume and qualityをおこない、1.r聞く」力、ならびに 2. 自

分への「ふり返り」が、自己肯定感に届く授業に関わる点を語った。この成果は、

2014年の学習案に活かされた。

2014年は日本側から授業素材として民話「へふり嫁J3) を取り上げ、虞築城

善之介教諭の学習案をもとに台湾側も授業をおこなった。虞築城教諭は中靖国民

小学校 5年乙組と軍功国民小学校 6年 1組で道徳授業をおこない、岡崎耕大学院

生が同じ授業素材で展開を異にして、中靖国民小学校 5年甲組と軍功国民小学校

6年 6組でおこなった。本論では 2014年の道徳授業の意義を論じ、学習案を別に

掲載する。

継続してきた道徳授業は、タイトルと内容の特色だけでなく、授業を組む考え

方として「臨床道徳授業」、授業方法として「協同の学び」、授業で使う技法とし

て協同の「手づくり連想マップ」、授業評価として「連想法」、そして授業の目的

として子どもの「自己肯定感」育成をうちだして、特徴をはっきりさせてきてい

る。

1-2 4つの基本となる考え

(グローパル化)

グローパノレ化を本論は 3つの層構造において捉え、場の重要の重要性を指摘す

る。すなわち、人のつながりの場に根ざして考えることが、グローパル化を捉え

ることになる。

グローパル化については、「世界は単一の場 (singleplace) になりつつある」

(Walters, 2001,序文)とのとらえ方が一般的である。しかし、人がそこで生きて

いると意識する faceto faceの場が意味を失うわけではない。 Nel N oddingsは「個

人とグループの生活する場が重要である・・・グローパルなシティズンシップにお

いては、人々の場 (place)への愛着を理解し共感する必要がある J(N oddings, 2005,

p.65)と述べ、人が愛着を感じうるローカルな場の重要性を指摘する。この 2つ、

世界が単一の場となるとの指摘と生活する場の重要性の指摘は、グローパノレとロ

ーカルの二分法によって捉えられるべきではない。

日本と台湾のいのちの支え合いのように、文化圏を介して世界とローカルな場

とが結びついており、文化圏相互の結びつきはグローパル化する世界の流れに乗

って、しかし文化圏の結びつき(台湾の日本への援助)として意識され、それが

生活する場に届けられ、 faceto faceでお礼を述べる形で結びつきとして意識化さ

れる。グローパル化は、世界、文化圏、生活の場の 3層構造で捉えなければ、今

回のような国際共同のパラダイムとして不十分である。この「グローパル化する

-62ー

Page 4: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

アジア社会における道徳教育」プロジェクトは、個別の学校の個別の学級におい

て展開し、その意味で子どもの生活の場で展開するグローパル化であり、異なる

文化圏の交流として意識化されたグローパル化であるとともに、それは世界のグ

ローパル化の流れの中で生起している。

「へふり嫁」は、嫁と婿、(それに仲人)という最小限の人の場で、異なる他者

とどのように向き合うかを考える授業素材であり、言いかえれば、異なる他者と

いうグローパル化がもたらす関わりを、生活する場で考える素材である。授業素

材「へふり嫁」は日本の九州の佐賀と福岡県南部に広がる平野に由来する民話を

再構成しており、ローカノレな生活の場の話であるが、異なる他者との関わりとい

う一般化できる質をもっており、グローパノレ化がもたらす異質性と共通性のある

課題を生活において考えるに適した資料である。

(臨床道徳授業)

本道徳授業のテーマとなった「異なる他者を思いやる」授業、すなわち「思い

やり」の授業は、民主主義、資本主義といった価値の共通性が日本と台湾の聞に

あるにせよ、台湾の子どもたちにどのように受け取られるのか、授業者としては

気がかりであろう。その点で、臨床授業の考え方が有効であった。 3点を挙げる。

すなわち、1.扱う概念の定義、について当の子どもたちがどのような意識を抱

いているのか、あらかじめ連想法によって分析した。この場合(思いやり)につ

いて、当の学級の子どもの意識が示されることによって、どのような応答があり

得るかを予め知ることができた。これは訳語を決める場合にも役に立った。学術

的に妥当な訳語であっても、子どもの意識にない言葉を使って授業をおこなうこ

とはできない。子どもの意識に通用する言葉によって授業をすすめることは、授

業にとって本質的である。岡崎案では学習指導案に、授業をおこなう各学級の子

どもの意識が連想マップとして示された。子どもの意識の予めの連想調査による

と、自己を肯定する意識について、授業をおこなう 2つの学級だけをみると、軍

功国民小学校が高いことがわかる。軍功国民小学校の学級で(自分〉について肯

定する回答語が人数比 117.9%想起されており、平均すると 1人 1語を超える自分

を肯定する言葉の量になる。中靖国民小学校の学級では 72.0%であり、自己肯定

感の伸びる余地が大きく、これを育てる授業の必要性が高いことがわかる。

加えて、授業が他の文化圏で通用するかは、 2. 共通に首肯しうる概念の定義

をすること、が学習案として重要である。授業がねらいの構造化され、明確化さ

れ、共通理解を得て、共通道徳授業はおこないうる。その点で「思いやり」は、

岡崎の案で「①相手の立場にたって考え,②相手を全体として受け入れることだ」

と最初に記述され、虞築城案で「グローパル化する社会,価値多様化する社会に

おいて,相手の特異性を多様性として認め受け入れる寛容な心は,これからの時

代においてますます必要であろう。そしてさらに,相手を認め受け入れようとす

る心は,同時に自分自身の特異と恩われがちな面も受け入れ,自己肯定感をもた

せることにもつながるだろう J!::、ねらいとする価値について記述された。

-63ー

Page 5: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

(自己肯定感)

さらに何のために授業をおこなうかの目的の明確化が必要であった。日本内で

の道徳授業は多く、学習指導要領の内容項目のどれにあたるかを示せば、教員は、

当の子どもにとって必要な授業なのか、またどのような教育目的によるかの説明

責任を、逃れている意識がある。しかし、日本の学習指導要領に即しながらも、

法体系と行政の枠を超える場合、台湾の子どもにとってそれが必要な授業であり、

台湾の教育目的として妥当だとの説明を必要とする。すなわち 3 その文化圏と

共通の課題を授業の目的として設定することが必要である。その点では、研究者

同士ならびに学校長によるこの授業の教育目的についての共通理解を必要とした。

本授業の場合、それは自己肯定感の育成であった。

台湾においても、いじめが発生しており、また子どもの自死も社会に衝撃をあ

たえている。こうした子どもの課題に応えるために、子どもの自己肯定感の育成

が教育の重要な課題であるとの共通認識があって、この道徳授業交流は受け入れ

られた。共通認識がなければ、授業は日本の授業研究が堕しがちであるような、

授業テクニックを見せることに終わる。「グローパル化するアジア社会における道

徳教育」のプロジェクトは、授業技術のショワウインドウを目指すものではなく、

必要に基づく子どもの教育を目指している。日本内での道徳授業においても、い

かなる教育目的のための授業か、教科や単元のねらいとは別に、教育の目的が意

識化されるべきである。それによって、教科のねらいに止まらない、何のために

勉強するかの目的について、子どもと保護者と学校教育全体の聞いに、授業者が

答えることができる。

(連想法)

授業をおとなう以上、授業の評価が必要である。授業の評価は、子ども個別の

評価によって代替されるものではない。教科においても、例えば算数・数学のい

わゆるテストの成績によって授業が評価されるわけではない。学校の授業は粗悪

でも、塾が良ければ子どもはできるようになる。学期末などのテストは、塾を含

めた総合的な教科の評価であり、必ずしも学校での授業の評価ではない。

子どもの道徳性についての個別の評価は、授業にかかわらず、いい子はいい子

であると評価することになると、子どもの道徳性と道徳授業の質とは関わりがな

し、。

道徳授業がどれほど子どもの力になっているかは、例えば日本の 20代の死亡原

因の最多が自死である 4)点に、生命尊重の道徳授業の無力を考えてみていい。生

命尊重の道徳授業は、子どもの自死を止めるカになっていないと恩わせる。すな

わち子どもの意識にどう応じる授業になっているか、自己肯定感を育む授業であ

るかの、授業評価を考える必要がある。

子ども個別の評価は、授業外の要因を含む。すると、授業は授業として独自に

評価されるべきである。授業の評価をおこなって、学校の授業を改善する態勢を

とるべきである。

-64-

Page 6: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

本プロジェクトでは、授業の評価として、授業前後におこなう連想調査を導入

した(上薗恒太郎、 2011)。授業の後には、連想調査のほか、授業に対する子ども

の主観評価、自由感想の態勢をとった。

II 自己肯定感を育む道徳授業

II・1 楽しい道徳授業

本道徳授業の基底は、楽しさと深さにある。それに事前の子どもの意識調査を

おこない、直前直後の授業評価をおこない、エピデンスに基づいた教育を展開す

るところにある。楽しさと深さとエピデンスのうち、この授業の楽しさと深さの

要素について論じておく。

(民話)

この授業が始まるなり多くの子どもの笑いを誘うのは、へふり嫁の物語の故で

ある。大きな屈をふる嫁さん、それだけで子どもたちは沸き立つ。授業を組む側

は、おならを授業の場に持ち出すことを文化上で顔をしかめられないか気にしな

がら提案するが、台湾、アメリカ合衆国、そしてドイツでも大きな問題はなさそ

うだ。人間のきれいごとではない、粗相になりかねない地平を笑いによって、日

常の平等な地平から掬い上げる民話は、むしろ人の深いつながりを考えさせる。

話が進むと、小学校 2年生で、おならが出るのは健康な証拠だという肯定意見が

出たりする。

(どの意見も受け止める)

「へふり嫁」の授業は、大きなおならの嫁さんと別れるか否か考えながら、答

えとしては、別れる場合も別れない場合もどちらも資料によって展開する。どの

意見も授業展開から外れにしない。使う話が一本の筋だと、先を当てさせながら

進む授業は、外れになる子どもを作り、外れの容を誘発することによって場合に

よっては子どもの意識を授業から外し落としながら、進む。これに対して、どち

らの答えも資料によって受け止める授業は、子どもを話の筋から外さない。

重要なのは、判断の根拠である。どのように考えてそう判断したのか、そして

判断は誰の立場に立つことになるのか。意見の根拠を深めるところに、深い授業

になる授業構成がある。

(自己肯定感)

授業は最後に自分自身へのふり返りを組んであり、それも未来からの、つまり

授業で明らかになった価値へと成長しようとする振り返りを組んである。伸びよ

うとする意識、子どもの自己肯定感の源はそこにあるのではないか。

子ども存在は、大人に比べて、できないことが多い。したがって何ができるかに

依拠して自己肯定感を考えるよりも、まして他の子どもと比べてどれだけできる

かの比較よりも、伸びようとする意欲によって自己肯定感を抱くことが子どもの

姿だろう。友だちとの比較による自己肯定は、反対側で自己をおとしめる比較構

造をつくりだす。「一般的に言って、学校のような競争的なシステムは・・・自己評

Fhu

au

Page 7: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

価の低い人の自信を失わせる J(アンドレ&ルロール、 2012、p.126) ならば、学

校のすべての子どもの自己肯定感を高める作業は、学校教育のありかたを基本に

おいて考え直す重みをもっている。自分はダメだと恩わせる揚が学校ではない。

学級運営は、すべての子どもの自己肯定感の高さによって、活気づく。道徳授業

は、すべての子どもの自己肯定感のために、すぐれた時間になるべきである。そ

して自己肯定できる時聞は、子どもにとって楽しい時間である。道徳授業の楽し

さの淵源を、自己肯定感を抱けるところにおくべきである。

II・2 深い道徳捜業

本授業で判断の根拠を問うて、考えを深めるようにした。その道具立てとして、

異築城案は赤と白の帽子のどちらをかぶるかによる立場表明、岡崎案ではネーム

プレートを使い、意見の根拠に探りを入れていくよすがとした。

そのほかこの授業では、協同の学びを、子どもが相互に考え、自己肯定感を育

むために仕組んだ 5)。

授業でねらいとした思いやりは、同質の他者を思いやるばかりではない。自分

とは異なる他者を思いやるとともに、自分自身を思いやることをめざした。子ど

もの聞に広がる思いやりは、身近な他者、友人や学級の仲間に広がる。それを物

語の世界のなかで、一般的な他者へと思いを致すことによって、それも自分とは

大いに異なって受け入れがたい他者を考えることによって、根拠を探り、語り合

う協同によって、視野を広げ、理由をもって受け入れを考えるところに、子ども

の思考を引き込むようにした。

(立場の転換)

その際、嫁さんを受け入れがたいと考えるのは、多く婿さんの立場である。婿

さんの立場からは、それなりに受け入れがたい理由を挙げることができる。しか

し、思いやるとは、そして深く考えるとは、立場を変えて考えることである。中

心発問「嫁さんはそれでいいのか」は、この発聞が明示的に授業に現れるかは別

としても、この授業の転換点となり、立場を変えて考える思いやりと思考を子ど

もに促す発問である。

明示的に授業に現れるか否かは、発達段階によって、立場の転回に追いっけな

いと予想される授業を許容するからである。

授業前半はこの立場の転換に向けて準備される。立場を転換した上で、理由が

再び吟味される。嫁さんの立場からすると、この授業では 3つの拒否と受け入れ

の根拠のクラスター(理由のまとまり)がある。 1つは、大きな異なりによって

拒否するクラスター、 2つには、受け入れるとしても異なりが役に立っとの根拠

によるクラスター、 3つめは、異なりが誰にでもあることとして同じ地平の差違

として受け入れるクラスターである。台湾の授業で出た意見では、役に立つから

それでいいとの嫁さん側からの根拠への志向が強かった。役に立つことも 1つの

認められ方であるとの思いがあったのだろう。

-66ー

Page 8: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

(手づくり連想マップ)

意見と根拠の表明は、子ども個人と授業者の聞でおこなわれるわけではない。 1

対 1の教室のやりとりでも、他の子どもが耳を傾けているとの前提で、授業者は

受け答えする。しかし、子ども個別と授業者のやりとりでは、考えの深まりと広

がりは薄い。何より子どもにとって、自分の意見を表明し、互いに語る発言の機会

が機会が少ない。

本授業で強調したのは、授業者が話さないことであった。時間の多くを授業者

が話している授業は、台湾でその傾向が強い。代わりに子ども相互に語ってもら

う時間をとるようにした。そこに協同の学びを組み込んだ意味がある。とはいえ、

子どもにしても互いに話しなさいと言われてすぐ話せるものではない。そこで、

互いに思いを表明し、 4人を基本とするグループの互いが何を思っているか、考

えの基となる言葉を出し合う装置として、手づくり連想マップを使った。

手づくり連想マップは、学習案に示されるように、提示語から思いつく言葉を

協同で出し合う装置である。これによって、文章として記述される前の多様な思

い、根拠を示せないままでも想起する言葉を互いに書き出し、相互に認知し、話

合いに持ち込むことができる。

グループで出し合った手づくり連想マップは、全体で共有された。

手づくり連想マップによって、グループ学習で何が話し合われているかを、子

ども相互だけでなく、授業者や参観者が視認でき、また記録として残るために、

再び教室全体で共有できる。

(ふり返り)

授業におけるふり返りは、道徳授業の本質を構成する。振り返りには 2つの意

味がある。 lつは、授業を通じて獲得した高い価値を自分と結びつける振り返り

であり、 2つには自己肯定感を高める授業過程としての自分自身への振り返りで

ある。

道徳授業において、知識を獲得すること、できるようになること、の 2つが達

成されればいいわけではない。生命について知識を獲得すると、いわゆるテスト

で正解を書けるかも知れない。しかし、道徳授業として、いのちの大切さはわか

りました、でも自分はそうする気になれません、では目的を達したと言えない。

できるようになりました、でも嫌いになりましたでは、授業に意味があったとは

言えない。挨拶が文化による/レールであるとき、妥当な挨拶のスキルが必要であ

る。しかし、スキルを教えて終われば、それは道徳ではない。 1. わかる(知に

よる理解、 2. うけいれる(心情による受容)、 3.できる(スキル)、が自分に

結びついて、 4. おこなう(行為)として道徳性は発揮される 6)。そう整理する

と、 4つのどの点に重点を置いた授業であれ、自分に結びつける構成を欠いては、

道徳授業として不十分である。

その上で、なおわかる自分、高い価値を受け入れている自分、できる自分、行

為へと動くであろう自分を見出して、自己肯定感に至る筋道をつけておくことが、

-67ー

Page 9: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

道徳授業として必要である。高い価値にうなずいた自分は、それだけで高く評価

されていい、すなわち自己肯定していい。

例えば、思いやりとはやさしさだと考えた子どもが、嫁さんにやさしさを見出

し、やがてやさしい自分を発見したとき、子どもは肯定すべき自己を見出してい

る。本授業によって、この過程が子どもの意識に生起しうる。すなわち、自己肯

定感が高まりうる。

そのために本授業の学習案は、振り返りを手厚くしている。

(資料で)

するとへふり嫁の授業素材は、そのなかに価値の高い行為が含まれて、思いや

りとはこのように行動することですと諭す資料ではない。諭す資料と説教型の授

業者に、言いかえれば一読して何を言わせたいかわかる資料と授業者の言葉数の

多い説教に、子どもは砕易しているのではないか。

へふり嫁は、資料を教えれば内容項目を教えられるようにつくられていない。

民話である。内容項目毎に整理され、読めばわかる資料を扱うだけが道徳授業であ

るという狭い視野にとらわれてカのない授業者にとって、へふり嫁で授業を構想

することは、授業用に調理されたレトルト食品を扱う以上に、オリジナルな素材

を料理して深く楽しい道徳授業を実現する楽しみを提供する。この資料で楽しん

でもらいながら、子どもに新たな思いやりの視野を提供し、自己肯定感にいたっ

てもらう、本道徳授業の意義はそこにある。

(板書計画)

台湾は、日本よりも IT機器の導入が進んでいる。台湾から日本を訪問した一行

が、板書を主に使う授業を見て、自分たちが小さい頃通った学校を思い出したと

述べるくらいである。しかし、本授業では、板書計画を重視した。構造化された

授業、そこに子どもの発言を入れ込んで描きあげ、最後に思考過程がわかる構造

は、パワーポイントで授業者の意図だけを提示する授業よりも、子どもと協同で

作る授業として意味がある。現在の IT機器利用を支える思考の多くは、授業者の

意図の一方通行か、個別の授業参加者と授業者との相互性を強調しながらの交流

に止まっている。手づくり連想マップの世界、黒板で創りあげる解釈の協同の世

界に届いていない。それは機器の問題よりも、授業を構想する側が、それだけの

要求をするほどすぐれた授業を評価を交えておこなおうとしない問題である。

それにしてもしかし、現時点で、黒板と紙は、安上がりで手軽で有用な機器で

ある。 A3の紙に印刷した手づくり連想マップを用い、黒板を用い、ふり返りシ

ートを用い、赤自の帽子や、ネームカードを用いる授業に、そして言葉のやりとり

で尋ね合いながら進める授業に、使い勝手に煩わされない自由さと創造性があっ

た。

子どもと協同で創りあげていく授業過程として、板書計画を考え、残しておく

ことは、授業作りに有効である。

-68ー

Page 10: NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITEnaosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35521/...研究論文 日本と台湾の共通道徳授業の意義と学習案

2人の授業者、異築城善之介と岡崎耕の学習案は、紙数の関係で、この紀要

(pp.355-364) に資料として別掲する。

1 )主題名を「いのちの支え合い」とした長田誠の学習案および展開案を日本語と中

国語(繁体字)で、長崎大学教育学部教育実践総合センター紀要第 11号、 2012年

3月、 pp.83-97、「グローパル化と国際共同道徳学習案の意義 一台湾と日本のいの

ちの支え合いー」の論考に載せた。

2 )中島由美子と道徳教育研究会九州 IIによる「ねこといっしょに」の授業素材な

らびに一瀬利朗による学習案を、長崎大学教育学部教育実践総合センター紀要第

12号、 2013年 3月、 pp.83-97に「台湾の 3小学校における日本の道徳授業 一連

想法による授業分析ー」として載せた。

3 )授業素材「へふり嫁」は、上薗恒太郎 (2006)、民話による道徳授業論、北大路

書房、 pp.91・93に掲載。

4) http://www.mh1w.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html

5 )協同の学びと自己肯定感については、上薗恒太郎;森永謙二 (2013)、自己肯定

感を育てる道徳授業ー協同で学ぶ思いやり一、長崎大学教育学部紀要:教育科学,

77, pp.1・18; http://naosite.lb.nagasaki -u. ac .jp/ dspace/bitstream/ 1 0069/32336/11

kyoikukagaku77 _l.pdfを参照。

6 )理解の 4区分については、上菌恒太郎 (2011)、連想法による道徳授業評価教育

臨床の技法、教育出版、 p.194に図示している。

引用文献

アンドレ、クリストフ&ルロール、フランソワ、高野優訳 (2012)、自己評価の心

理学 なぜあの人は自分に自信があるのか、紀伊国屋書庫

上薗恒太郎 (2011)、連想法による道徳授業評価教育臨床の技法、教育出版

Noddings, Nel (2005), Education Citizens for Global Awareness, Teachers College Press

みなみななみ作、葉祥明絵、日本飢餓対策機構英訳 (2001)、ゴンダーノレのやさしい

光、自由国民社

Walters, Malcom (2001),Globalization 2nd edition, Routledge

-69ー


Recommended