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Title 山海経研究序説 Citation Issue Date URL …...方三千里天下説と大九州説...

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43
Title 山海経研究序説 Author(s) 吉本, 道雅 Citation 京都大學文學部研究紀要 = Memoirs of the Faculty of Letters, Kyoto University (2007), 46: 27-68 Issue Date 2007-03-31 URL http://hdl.handle.net/2433/73131 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University
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Page 1: Title 山海経研究序説 Citation Issue Date URL …...方三千里天下説と大九州説 五戚山経と海外海内経・大荒海内経との世界観の最も決定的な相違は、後者が大荒あるいは海外を記述し、海内に対置し

Title 山海経研究序説

Author(s) 吉本, 道雅

Citation 京都大學文學部研究紀要 = Memoirs of the Faculty ofLetters, Kyoto University (2007), 46: 27-68

Issue Date 2007-03-31

URL http://hdl.handle.net/2433/73131

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

Page 2: Title 山海経研究序説 Citation Issue Date URL …...方三千里天下説と大九州説 五戚山経と海外海内経・大荒海内経との世界観の最も決定的な相違は、後者が大荒あるいは海外を記述し、海内に対置し

山海経研究序説

序言

現行の「山海経』は、①五戒山経・②海外南経

1海外東経・海内高経1海内東経(以下「海外海内経」と汎称する)

大荒東経1大荒北経・海内経(以下大荒東経l北経の四篇を「大荒経」、海内経を加えた五篇を「大荒海内経」と汎称する)

の三つの部分より構成されている。

「山海経』の成書年代、あるいはこの三つの部分桔互の関係については、今なお定説がない。本稿では、これらが前提と

する世界観のありかたに注目してこの間題を考察するものとする。

二七

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二人

第一章

五戒山経

五戒山経は、高山経(高山言経j・一清次三経)

-西山経(西山首経j西次西経)

-北山経(北山首経1北次三経)

-東山経

(東山首経i束次西経)

-中山経(中山首経i中次十二経)の山系ごとの記述になっており、

南山経之官日韓山、其首日招揺之山、:・又束三百皇、日堂庭之山、:又束三百八十里、日猿翼之山、・:(南山首経)

の如く、ある山の記述の次に、「又:・×塁、日×山」という書き出しで次の出を記述することが一貫している。

五戒山経の世界は、山と山を結ぶ山系の集積として示されているわけだが、これとよく叡た世界観を提示するものが、

「穆天子伝」である。「穆天子伝」は穆王の遠征路に沿って地名と関連する稽報が連ねちれる。後代の起屠注に類似して干支

が記されるが、遠征の最後の部分には、

庚辰、天子大朝子宗周之廟、乃里西土之数、目、自宗周濯水以西、至子河宗之邦・陽好之山、三千有四百里。自陽好

西至子西夏氏、二千又五百里、自西夏至子珠余氏及河首、千又五百里、白河首裏山以西、南至子春山珠津・昆命之丘、

七百里、自春山以西、至子赤烏氏春山、三百豆、東北還至子群玉之山、裁春出以北、岳群玉之出以西、至子西王母之邦、

三千里、口、自茜王母之邦、北至子襲原之野、飛鳥之所解其羽、千有九百皇、己宗題至子西北大嘆原、

一万四千里、乃

還東南、復至子揚好、七千里、還帰子周、三千里。各行兼数、三万有五千里、

と里数を記述している。ここにもまた地点を結ぶ線の集積としての世界観が提示されている。

「穆天子伝』は、五戒山経の或童百年代を考える手掛かりとなる。『穆天子伝』は貌裏王二十年(前二九九)までの年代記

である『竹書紀年』とともに、汲家より出土したので、前四世紀末が或書の下腹となる。一議実の比定に従えば、「穆天子伝」

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の西征経路は、洛揚を起点に、錨山(法氏)

-淳水・盤石(平定)

-鋲出(井隆)を経て寧泥水北岸に至り、当水(唐河)

北岸の犬戎を伐ったあと、捻之爵(羅円)

るが、撞水渡海後、北上して車泥水に至り、西行して雲中に至る概要は動かない。この経路が戦国超の領域を専ら通過す

ることは、穆王西征説話が、越地において第一次的に成立したことを強く示唆する。一体、越は、武霊王(前三二五

l前

二九九)以蜂、北方・西北方進出に政策を転換する。『穆天子伝」には、月(「季夏」などと表示される)

-罵居を経て湾宗の子孫たる競拾の冨(雲中)に至る。地名比定には異論があ

-干支が記されて

いるが、

一年目の孟秋七月には丁酉誕j乙丑位の干支が見え、丁酉から数えて乙丑はお

EEとなる。従って、この月の期は

丙申お・丁喜弘に限定される。

1 季夏マフ巳モミ

30,g了5 04

j 孟秋 乙1孟秋

丁3酉4葵巳 。丑2了酉

30 34

えE亥

ぺ亥60

了亥1冬孟壬

24戎60

了西~ {i冬壬中

34反29

「穆天子伝」

の一年自の「孟秋」は、建寅正月となる龍一二一一一年九日月(丁酉お朔)が最も適合的である。「穆天子伝」

月・干支は前三二一

1前一二一一年の暦譜に適合するが、これは、武霊王十四j十五年に当たり、『史記』越世家では十四年

に「趨何攻貌」とあるだけで、十五年には記事がなく、六国年表趨表は二年とも空欄である。この二年間に「穆天子伝』

原型となった酉北遠征が敢行されたものとなろう。

「穆天子伝」

では黄河に沿って漢の瀧西郡の西方あたりに至り、そこから「北征」「酉征」を重ねて西王母之邦に至るが、

ここに見える地名は「山海経」西山経/西次三経にも散見する。すなわち、西次三経現行本の二十二山のうち、2長沙出・

5鍾山・

8昆命山・

9楽券山・日玉山・日積石山が、「穆天子伝』にも見える。ただし、その類、番は、楽都

(9楽議

二九

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三O

山?

-積石(日)

-昆命

(8)

-春山

(5鍾出)

-郡玉之山(日)となり、西王母之邦からの復路に長沙之山

(2)が見

えるものであり、西次三経とは著しく異なる。

秦の領域を避け黄河に沿って瀧西都西方あたりに至り、西方に向かうル

iトは、「戦国策』趨一/越収天下旦以伐斉「今

魯勾注禁常山両守、三百里通於燕之唐・出吾、此代馬・胡駒不束、面昆山之玉不出也」にもその存在が窺われる。しかしな

がら、「穆天子伝」「山海経』がいくつもの地名を共有しながら、その相対的位置関係に甚だしい矛盾を呈するという事実は、

これらの地点を恒常的に結ぶ交通路が不安定で、それらに関する情報が個別的にしか獲得されないといった状況を窺わせる。

従って、それらの相対的位置関係に依拠した地名比定に有効性を認めることはほとんど国難であるといわざるを得ない。

「穆天子伝』と五戒山経の先後を考える一つの手掛かりとなるのは、昆命出をめぐる認識である。

『穆天子伝』では、往路について、「口封膜妻子河水之陽、:・遂宿子毘禽之閥、赤水之揚、:・済子洋水、:・至子黒水」と

河水・赤水・洋水・黒本が願次見えるが、昆命に関係づけられるのは、赤水だけである。昆命・赤水の関係は、「荘子』外

篇/天地「黄膏遊乎赤水之北、登乎昆寄之丘市南望」にも窺われ、

一方で、「穆天子伝』も昆命に「黄帝之宮」があったと

する。こ

れに対し、西次三経では、

西南西百皇、目見命之丘、・:汚水出湾、而南流東注子無達、赤水出記局、商東南流注子氾天之水、洋水出意、而西南流注

子醜塗之水、黒本出五局、両酉流子大好、是多怪鳥獣、

と、河水・赤水・洋水・黒水の四本が全て「昆命之丘」から発するものとされる。時代を誇るにつれて昆命の神都性が増大

するという推移において、五戒山経が「穆天子伝』より降ることは明らかで為る。

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第二章

海外海内経と大荒海内経

1

方三千里天下説と大九州説

五戚山経と海外海内経・大荒海内経との世界観の最も決定的な相違は、後者が大荒あるいは海外を記述し、海内に対置し

ている点にある。確かに、五戒山経においても、たとえば南山首経最初の龍山招揺山につき「臨子西海之上」と、最後の箕

尾出につき「其尾援子東海」とあり、天下の果てに「西海」が想定されてはいるが、海外に対する記述は皆無である。

加えて、海外海内経・大荒海内経では、たとえば海外南経の篇蓄に「海外自西南諏至東南限者」とあるように、海外・大

荒および海内は四つの「諏」(「隅」)をもっ方形をなすものとされている。実は五戚山経の末尾にも、

天地之東西二万八千里、南北二万六千里、出水之山者八千里、受水者八千里、出銅之山四百六十七、出鉄之山三千六百

九十、此天地之所分壌樹穀也、え矛之所発也、万鍛之所起塩、能者右館、拙者不足、封子太山、禅子梁父、七十二家、

得失之数、皆在此内、是謂国用、

と、大地を方形とする記述が見えるが、これは翠款校書の段階で「管子』地数かち議入されたものであろう。

の時の髄作に係る「詩』蕗領/玄烏の「邦畿千里」にすでに見える

方形の大地の観念は、宋裏公(訪問六五

01前六三七)

が、天下を全体として方形のものとして把握することは、「孟子』梁恵玉上の孟子と斉宣王(前コ二九

1前三

Oニとの対

話の中に、「海内之地方千里者九」とあるものが初見である。孟子の方三千里九州説は、王畿方千里説に天下九州説を結合

したものだが、実は天下九州説も「詩」蕗額/玄鳥「奄有九有」に克える。孟子はその遊竪の最も早い時期に宋にあったc

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一一一一一

藤文公下に「万章男日、宋、小毘進、今将行王致、斉楚悪而茂之、期如之荷」とあるが、宋王彊の称王は前三二八年のこと

であり、これが年代の特定できる「孟子」諸章のうち最も早い。宋の称王に際し、設王朝以来の歴史に関心が高まったこと

は想像に難くない。宋にあった孟子は、宋の詩篇である商績に触発され、方三千里天下説を構築するに至ったものと思われ

る。「海内」は、雲謹間』顔淵に見える「西海之内」の略称であ号、天下の果てに西海が存在するという観念は、つとに言亘

小雅/北山「薄天之下、莫非王士、率土之演、莫非王臣」の「率土之漬」に窺われる。「四海」は語義からいえば、

凡屈於天地之問、包於西海之内、天壌之情、陰陽之和、莫不有也、難至聖不龍吏也、何以知其然、(「墨子』辞過)

の如く、「天地之間」と同義であり、従って「海外」は到達不能の絶域であったはずだが、「海外」の初見例である「詩』商

領/長発「栢土烈烈、海外有裁」がすでに遠方というほどの意味で用いており、戦国後期には、

西海之内、粒食之民、莫不犠宇羊、黍犬哉、潔為奈盛酒盤、以祭記於上帝鬼神、天有邑人、何用弗愛也、(『墨子」天

志上)

西海之内、社稜之中、粒食之民、

一意向欲、(「妻子春秋』内篇関上/第十一)

の如く「四海之内」は、「粒食之民」すなわち農耕民の居住域である中華を指すことが普通である。上海博楚簡「容成氏』

「西海之外賓、国語之内民の如く、「海外」の異民族もまた天子の影響下にあるものとされた。

これに対し、「西海」ないし「海外」を語義どおりに想定する世界観が出現する。それが、第街の大九州訟である。『史

記』孟子萄卿列伝に、

以為樗者所謂中国者、於天下乃八十一分居其一分耳、中国名目赤蘇神州、赤牒神州内自有九州、一高之序九州是也、不得

為州数、中国外如赤牒神州者九、乃所謂九州也、於是有稗海環之、人民禽獣莫能相通者、如一区中者、乃為一州、如此

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九州所謂九州傷者所謂九期

大九州説密 1

者九、乃有大議海環其外、天地之捺正局、

と見える。「儒者所謂九州」が九橿で

「州」、「州」は「袴海」に留まれ、「人民禽獣莫能相通者」

であるとされる。「海外」の絶域性は、同じく孟子萄郷列伝の、

先列中国名山大川、通谷禽獣、本土所殖、物類所珍、因而推之、及海外人之所不能賭、

に、よち明確に一不されている。ここに「海内」を物理的に限定する「四海」とその外の「海外」な

いし「大荒」が言説化されることになった。

「儒者所謂中国」を方三千里とすると、「所謂九州」は方九千里、「九州」は方二万七千里となる。

「史記」

の記述を無前提に先秦の言説とすることは一般にはできないが、ここで注目されるのは、

『呂氏春秋』右始「凡四海之内、東西二万八千里、南北二万六千里」である。この二万八千里・二万六千里が上に誰算した

二万七千里を調整した数種であることは容易に了解される。勝街の大九州説が「呂氏春秋」

の成書した前二三九年以前に

確かに存在した可能性を示唆するものである。

2

爵貢

「尚書」爵貢は今日の西別に当たる巴萄を梁期とする独自の九州説に基づき、前三二六年の秦の己萄征服を反映し、

において制制作されたものと推定されている。

華陽黒水惟梁州、

秦地

眠播既妻、花潜既道、察蒙旅平、

原貢謬・鉄・

和夷底績、

援土青察、

蕨田堆下上、

蕨賦下中三錯、

銀・鍍・楚・磐・熊・震・狐・程・織皮、

西額因桓是来、浮子潜、途子汚、

入子清、

乱子河、

一一一一一一

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三四

黒水西河惟棄州、弱水既西、淫属清治、漆温既従、謹水依向、荊岐既旅、終南惇物、至子鳥鼠、原隠底績、至子猪野、

三危既宅、三苗杢欽、蕨土惟黄壌、原因惟上上、厭賦中下、既貢惟球・琳・譲耳、浮子積石、至子龍門西河、会子清治、

織皮昆寄、析支渠捜、西戎郎叙、

導新及岐、至子菊山、・:

西傾、朱圏、鳥鼠、至子太華、熊耳、外方、栴柏、至子賠尾、導婚家、至子荊山、内方至子大別、根山之陽、至子衡

山、過九江、至子敷浅原、導弱水、至子合察、鈴波入子流沙、導黒水、至子三危、入子南海、導河積石、至子龍門、:・

幡家導濠、東流為漢、又東、為治浪之水、過三溢、至子大別、南入子江、

..

導濡自鳥鼠胃穴、東会子護、又東会子淫、又束通漆近、入子湾、導洛自繋耳、東北会子溝濯、又東会子伊、又東北入

子湾、

の部分は秦地における西方に対する地理的認識を反映する。あらかじめ指摘しておかねばならないのは、

五百里旬服、百塁賦納総、二百里納姪、三百里納桔服、四百里粟、五百里米、五百里侯服、百塁采、二百里男邦、三

百里諸侯、五百里緩服、三百里挨文教、二百里奮武衛、五百里要服、三百里夷、二百里察、五百里荒服、三百里蛮、二

百里流、

とあるように、爵貢が方千里の旬報を幅五百里の侯服・緩服・要服・荒服が頼次取り巻いていく五服説を想定していること

である。すなわち馬貢の搭く世界は方五千里の方形という枠組みをあらかじめ与えられているのである。この点は、『穆天

子伝』や五戒山経のより古拙な世界観と大きく異なる。

需品異はたとえば昆寄を西戎の一国とするように、『謬天子伝」や五戒山経の神話的要素を極力排してお号、その地名はお

おむね実在のそれに比定しうる。しかしながら、すでに指摘されているように、西方に関しては五戒山経に認められるよう

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な架空の材料が用いられている。

方形の大地は、「西被子流沙」とあるように西方の「流沙」に至り、その手前に「華陽黒本憶、梁州」「黒水西河惟棄州」と

あるように、薬剤・梁州の酉界として南北に流れる黒水が想定されている。

弓穆天子伝』はその婦諮において、「鋳以成器子黒水之上、:・乙丑、・:至子長沙之出、:・壬{員、天子飲子文山之下」と、

黒水から長沙之出・文山に至ったのち、突酉却に「千里」の流沙を踏破し、甲戎日巨蒐、乙亥ロ揚好の「汚水」に裂達して

いる。穆王と「流沙」の関係は、「竹書紀年』局紀白「穆王北征、行流沙千里、積羽千里」にも見える。陽好が「史記』蒙

悟列伝「於是渡河、拠陽山、透蛇市北」の陽山に比定されることは異論無く、従って、この「流沙」は今日のテンゲル沙

漠・ウランブフ沙漠あたり'を想定している。往路に「流沙」が見えないことは、河西国廊あるいは高山に対する認識を示唆

する。こ

れに対し、西次三経では、上述の如く、海水・赤水・洋水・黒水の西水が全て晃命之丘に発源するものとし、昆含から

「又西三百七十里、日楽議之山」を経て、「酉水行四百皇、日流沙」とある。

結論的にいえば、爵貢は五戚山経を参照しているものと判断される。まずは流沙が黒水の西にあること、

ついで黒水を薬

州・梁州の西界とすることは、四水のうち黒水が「西流」し、最も西方に位置するためであろう。三危山は、酉次三経では

黒水に関係しないが、兎貢が「導黒水、至子三危」と、黒水を三危と関連づけることは、すでに「楚辞」天間「黒水玄祉、

三危安在」にも見えるように、三危を西凶放震の地、酉極の出とする観念を反映するものであろう。さらに注目されるのは、

南次三経に「又東五百里、日難山、其上多金、其下多丹穫、黒水出罵、而南流注子海」と見える今一つの黒水の存在であ

る。爵貢は二つの黒水を一つのものとみなすことで、十錐州・梁州の西界を南北に流れ、「入子南海」となる黒水を仮構して

いるのである。西次三経に見える四水のうち、一局貢が黒水および河水・洋水(濠水)を載せ、赤水を排除したのは、あるい

三五

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三ムハ

は上掲「荘子」外篇/天地に窺われるように、赤水がすでに黄帝の神話的記述に組み込まれていたことを嫌ったものであろ

h

つ。弱本もまた五戚山経を参照したものと思われる。すなわち、西次回経の終点の崎畷之山の条に、「西南三百六十里、日崎

畷之山、:・若水出罵、而酉流注子海」とあるが、郭瑛注によれば、「若水」は一本に「若水」に作ったとある。『大戴礼』

帝繋

黄帝居軒鞍之部、妻子茜援氏之子、謂之媒祖氏、産青揚及昌意、青揚蜂居抵水、昌意降居若水、

BE意妻子易山氏、易

山氏之子謂之呂田撲氏、産額裏、

の「昌意降居若水」を、「今本竹書紀年』黄膏七十七年は「昌意降居弱水」に作り、西次回経の「若水」もまた「弱水」で

ありえたことは明らかである。「弱水既晋」は西次回経の「酉流」に基づく。爵貢はこの「若水」

2

「弱水」が、西次回経

の西端である掩蟻之山に発することに注自して採録したものであろう。西次回経の「若水」は「注子海」とあるが、大地

の西辺に「流沙」を想定する馬貢は、これを「鎗波入子流沙」に改変したものである。

3

大荒海内経と海外海内経の原型

(1)大荒経お章本

大荒海内経は、たとえば、

(月一品)有小入園、名靖入、

(8)有神、人面獣身、名目型融之戸、

(9)有満山、楊水出湾、(日)脊蕩園、黍食、使

西島・虎・豹・能プ居然、(日)大荒之中、有山名目合虚、日月所出、(大荒東経)

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では、小入国・翠議之戸・議出・蒸留・合虚山を記述するが、基本的に「有」が章の書き出しとなっている。各章は基本

的には前章との関係を記さずいわば相互に孤立している。こうした基準で大荒海内経を分章すると、大荒東経必章・大荒南

経路章・大荒西経引け章・大荒北経回章・海内経mM章の都合初章となる。

注目されるのは、(日)合虚山について「有山」の前にその位置を示す「大荒之中」の一勾を冠していることである。こ

うした位置表現の存在はすでに注目されているが、ここでさらに指摘すべきは、この種の位置表現をもっ章が、大荒経西篇

各日章、海内経路章の都合万章となることである。これがあらかじめ定められた数であることは明らかである。このことが

従来留意されなかったのは、この

η章の現行本各篇における分布が不規間別であったからであろう。万章の数的な計画性と現

一定の時聞が経過するうちに、

η章本にそれ以

外の章が不規則に挿入された結果と判断される。書物のこのような成立のありかたは、先秦諸文献に頻見するところである。

行本における分布の不規期性という事実は、現行本以前に

η章本が存在し、

この万章は全体としてはなお書式に一貫性がないが、注目されるのは、「大荒之中」など「大荒」を含む泣量表現をもっ

ものが、大荒東経・西経・北経に各9章、南経に

7章存在することである。これらの章のほとんどは、「大荒:¥有山、名

日×」の書式を採り、東2「大荒東南隅春山、名皮母地丘」の如くただその山の存在を記すか、あるいは東3

「東海之外、

大荒之中、有山名日大言、間刷所副」の如く「日月所×」を附記するだけのものが多い。その点からいって、大荒北経9章

のうち、北1a「東北海之外、大荒之中、河水之関、附高之出、帝接頭与九嬢葬、・:」は額衰の葬に記述の重点が置かれ

ている点で、また北白

a「大荒之中、有欝石山・九桧山・沼野之出」は複数の出を並べている点で異郷である。この二章

を捺くと、大荒東経・西経各9章、高経・北経各7章となる。東経・西経が南経・北経に比べて

2章、ずつ多いのは、東2

「大荒東南隅」

-東抑制「大荒東北隅中」

-酉1a「西北海之外、大荒之縞」

-西川内「西南、大荒之中隅」の如く、東経が東

南・東北隅、西経が西北・西南隅の山に関する記述を擁するからである。

三七

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三八

η章に見出される今一つ一貫した書式としては、東幻「東海之渚中有神、・:名目高貌」の如く東南西北各経に1章、ずつあ

る「×海[之]渚中有神、・:名目×」である。これら4章を「大荒:・、有山、名日×」の包章に加えるとお章になる。おも

また刀と同様に編纂の計画性を窺わせる。現行本の前々段階、

η章本の前段階に、お章本がまず存在したのであるc

お章を

以下に掲げると次の知くである。

{大荒東経}

①(東2)大荒漏嗣鋼一有山、名皮母地正、

②(東3)

漏閣品持斗大荒之中、宥山名日大一三一口、日月所出、

③(東9)大荒之中、宥山名目合虚、日月所出、

④(東ロ)大荒中有山名日明星、日丹所出、

⑤(東お)大荒之中、・有山名B韓陵子天、東握、離替、日月一所出、名日折丹!東方自折、来風日後i

娃東撞以出入風、

⑥(東幻)東海之渚中有神、人面烏身、頭両黄蛇、践南黄蛇、名目高続税、黄帝生再貌、局総抗生局京、高京処北海、高貌処

⑦(東お

a)大荒之中、有山名目撃搭額涯、

(b)上有扶木、柱三百皇、其葉知芥、

③(東芝大荒之中、春出名猪天蘇問、日丹所生、

⑤(東必)事荒之中、有山名日窓一明俊疾、日月所出、

⑧(東初出)大荒漏認調車、有山名目凶型土丘、応龍処南極、殺量尤与奪父、不得復上、故下数皐、日子而為応龍之状、乃

得対闘uf

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{大荒南経}

①(南8)大荒之中、有不庭之山、矧剥親問叶

②(南Ha)大荒之中、有不美之山、黒水窮湾、

(b)又有買山、治水出意、(C)

又有言山、

(d)又有登備之山、(お

a)

有諒恕之山。

(b)又有蒲山、謹水出王将、(

c

)

又有隣山、其西有丹、其東有玉、

(d)又寓宥山、漂水由記局、

③(甫お)大荒之中、有山名日去窪、南麓果、北不成、去窪果、

④(南幻)高海港中、有持、人面、現再青蛇、践再赤蛇、日不廷胡余、

⑤(南お)大荒之中、有山名臼融天、J

⑤(南お)大荒之中、有山名巧塗之山、青水窮湾、

⑦(南訂)大荒之中、有

翼布行、維

宣芭萱、穆楊是金、

⑧(南日)大荒之中、有山名目天墓古河出、調刻利関

U1

{大荒西経】

圏南海津桝己大荒之画、有山市不合、名目不周負子、

②(西日

a)画悔は闘は大荒之中、右方出者、

(b)上有青樹、名目桓格之松、

③(茜お)大荒之中、有山名日豊温玉問、日丹所入、

(b)有商黄獣守之、

①(西12)

(C)

日月所出入也、

④(西お)大荒之中、有龍山、日丹所入、

⑤(西お)西海賭中、有神人面烏身、頭南青蛇、践雨赤蛇、名目会慈、

⑤(酉必)大荒之中、有山名目月山、天桓也、旦ハ矩天門、日月所入、

三九

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四O

⑦(西幻)大荒之中、有山、名日塞整鑑、日月所入者、

⑧(西町)大荒之中、有山名日常陽之山、日月一所入、

⑨(西飴)大荒之中、有山名目大荒之山、日月所入、

⑧(西九)属関口大荒之中圏、有偏勾常羊之山、

{大荒北経}

①(北3)大荒之中、有山、名目不成、

②(北ロ)大荒之中、有山名日衡天、

③(北国

a)大荒之中、有山名日先櫨大逢之山、測調剤刻、湖羽剖瑚

U1

④(北お)北海之港中、有神、入面鳥島芳、窺南青蛇、践再赤蛇、名目黒彊、

③(北幻)大荒之中、有山名目北撞天橿、、

⑤(北お)大荒之中、有山名目成都載天、

⑦(北お)大荒之中、有山名不句、湖刻刻扇叫

1

⑧(北訪)大荒之中、有山名目融父山、鯛ポ対霜可

「大荒之中」に何らかの位置表現が時加・挿入され、あるいは「大荒之中」が変形を来している枠で囲った部分は、

お章本から

η章本ないし現行本が形成される過程で二次的に関加され、あるいは転写の擦に本来の「大荒之中」が損なわれ

たものであろう。傍線を附した個々の章に特有の記述もまた二次的な附加部分とみなされる。

南Uだけが山でなく「有人名目騒頭」であるのは、本来存在した山に関する記述が二次的に脱落したものであろう。また

南8・南Ha-西日

a・酉お・西九では、「有山名日×〔山こではなく「宥×山」になっているが、これも現行本に至る過

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大荒軽36章本の世界観

丘土翠凶⑧

①不成

②衡天

③先濫大逢之出

⑤北極天橿

⑤成都載天

⑦不匂

舎融父山

②方出

③大荒之出

丘地母皮①

③天蓋高山

⑦*纏頭

⑤野塗之山

⑤融天

③去痘

号不菱之山

①不定之山

山之羊常匂偏⑮

程で改変されたものであろう。また東2は「名日」

(2)大荒海内経吃章本

図 2

①不愚負子

「日」が脱落している。なお衰耳は西九「編匂常羊」を二

山の名とするが、複数の山の場合は先に排除した北白

a

「有衡石山・九陰山・潤野之山」

の如く「山」を一々樹

けるはずである。

以上お章を密示すると、密2のようになる。大荒経は

本来的に、図式化された世界観を前提に、四荒の認名山

と西海の・4神を列挙するだけの文献であったことになる。

そも現行本の大荒経において「大荒之中」は、それが

大荒経に屡する以上なくもがなの表現といわざるを得な

い。お章の段賠で存在したものをそのまま存置したもの

であろう。臆測を逗しくすれば、「大荒之中、有山名目×」

お章から成る詩篇の如きものがあり、章首のいわば見出しの部分だけが採録されたのかもしれない。

を章首に置き、

大荒海内経万章本である。

大荒経お章本に対し、大荒東経・西経に各4章、南経・北経に各6章を加えて各H章に議え、海内経路章を加えたものが

附加された笠早i

i以下「新お章」と称し、

お章本のお章を「原お章」と称するi

iの位置表現のみを一不すと次の如くで

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ある。

大荒東経

①東1a「東海之外」

-②東

na「海内」

-④東川知

a「東海中」 西

-③東必「東北海外」

大荒南経

①鳶1

「甫海之外、赤水之西、流沙之東」

-③南5

「赤水之東」

-⑤南必「海中」

-②南4

「・一南海之中」

-④高7

「黒水之

大荒西経

①西叩「西北海之外、赤水之東」

水之後、黒水之前」

-⑤南臼「東高海之外、甘水之関」

-②西崎「西北海之外、赤本之西」

-③西お

a「西海之南、流沙之演、赤

-④西俗「西南海之外、赤水之南、流沙之酉」

部「西北海外、黒水之北」

大荒北経

①北l

a「東北海之外、大荒之中、河水之関」

-②北認b

「其西」

-③北必「西北海外、流沙之東」

-④北

大荒海内経72章本の世界観

爵3

-⑤北辺

a「大荒之中」

-⑤北日「西北海之外、赤水之北」

71<. 黒水

甘水

海内経

①内1

「東海之内、北海之謂」

-②内2

「西海之内、流

-③内3

「西海之内、流沙之酉」

-④内4

a「流沙之

沙之中」-

⑤内5

「流沙之東、黒水之西」

-⑤内6

「流沙之東、黒水

西之関」・⑦内7

a「華山青水之東」・③内8

「西南黒水之関」・

③内9

a「南海之外、黒水青水之需」

-⑮内口「西南」

-⑬内

-⑫内お「南海之内」

-⑬内お「南方」

-⑬内似品

2a「南方」

「北海之内」

-⑬内お「北海之内」

-⑮内お

a「北海之内」

新お章において最も特徴的なことは、図3の如く、大荒に流沙・黒

水・赤水・吉水・河水を、海内に流沙・黒水・青水を配置することに

よって、原お章の図式的な世界観が克服されていることである。

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現行本に従う限り、大荒経

η章本の新お章には形式・内容の上で一貫性を見出しがたい。この事実は、お章本を

η章本に

拡張するというすぐれて計画的な作業とは適合しない。

η章本から現行本が形成される過程で、位置表現の後に別の章が二

次的に挿入され、さらには錯簡・脱簡が発生したことで、新お章の形式・内容が不統一を呈するに至ったものと思われる。

ここで、新お章の本来の記述を復元してみよう。まず、現行本において笠置表現のあとに一章しかなく、その一章の中に、

本来的に位置表現の直後にあった部分が含まれると判断される章を挙げると次の如くである。

η章とは無関係な章と書式を

共有する記述は現行本成立までの二次的な附加に係るものと思われる。傍線を附しておく。

{大荒東経】

②(東詑

a)海内有再入、名目女丑、

(b)女丑有大蟹、

哀珂がすでに指摘するように、脱文があるようである。

④(東必

a)東海中有流波山、入海七千里、

(b)其上有獣、状知牛、蒼身両禁角、

一足、出入水則必風雨、其光如日月、

其声如雷、其名目菱、黄帝得之、以其皮為鼓、棟以雷獣之骨、声聞五百里、以威天下、

{大荒南経}

②(南4)需海之中、有氾天之山、赤水窮罵、

赤水は

η章本の世界観の基本的な講成要素である。そのため赤水の接点となる氾天之山が選択されたものであろう。

④(南7a)黒木之南、有劃如、

b

有亙山者、

C

固有|劃鳥、

ノ斎、黄鳥子亙出、司比玄如、

【大荒西経】

③(茜日

a)西海之南、流沙之漬、赤水之後、黒水之前、有大山、名目昆命之丘。

(b)有神i

出日矧剥?

(

C

)

其下有弱水之淵環之、

(d)其外有炎火之山、投物親然、(乏し有

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四四

{海内経}

①(内1)東海之内、北海之隅、有国名日朝鮮、天毒、其入水居、俣入愛之、

②(内2)西海之内、流沙之中、有国名日餐市、

③(内3)西海之内、流沙之茜、有菌名目氾葉、

④(内4a)流沙之西、有鳥山者、三水出罵、愛有黄金・蓉魂・丹貨、銀鉄、皆流子此中、

(b)又有進出、好水出耳目局、

⑤(内5)涜沙之東、黒水之宮、有朝雲之国・可歳之国、黄帝妻雷担、生昌意、昌意降処若求、生韓流、韓流擢言、謹

耳、人面、一本壕、麟身、渠股、豚止、取淳子日阿女、生帝額頭、

⑤(内8)流沙之東、黒水之問、宥山名不死之山、

⑦(内7a)華山膏水之東、有出名目肇山、

b

名目柏高、柏高

③(内8)西南黒求之開、有都広之野、后稜葬吾局、愛存膏萩・膏穏・膏黍・膏稜、百穀自生、冬夏播琴、驚鳥自歌、愚

烏白傷、霊寿実華、草木所索、愛有百獣、相群愛処、此草也、冬夏不死、

②(内包)南方蒼梧之丘、蒼梧之淵、其中有九疑山、舜之所葬、

大荒経では、説文が推定される東包

a以外の4章は全て山である。出の記述を基謂とする原お章を拡張するので、ある意

味当然ともいえようが、大荒経のお章の前加もまた出を基調としたことが容易に予滅される。位置表現の産後に本来置かれ

た記述は、まずは現行本において次の位置表現との穏に置かれた諸章の中から、出に関わる章を優先的に選べばよいことに

なる。海

内経では、山4章・国4章・野1章となっており、位置表現の後に山が置かれたとは摂らない。個別的な検討を要する。

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以下、残る辺章について検討を加えることとする。第単に判断のつくものはその章だけ掲げる。

{大荒東経}

①(東1a)東海之外:・

(b)有吉山者、吉本出罵、生宮淵、

甘水は後掲南臼「東高海之外、甘水之間」の如く新お章の世界観の構成要素でもあった。上掲南4

「南海之中、有氾天之

出、赤水窮惹」が赤水に関わるため選択されたと同議の理由で選択されたものであろう。また「有×出者」は、上掲甫7

a・内48に見え、新お章の特数的な書式でもある。

③(東必)東北海外、又有三青馬・三韓・甘華、愛有遺玉・三青烏・三陸・

4肉・甘事・

位置表現の後に「又有」を置く東必の書式は異例であり、これも脱文が予測される。傍線部にほぼ一致する表現として、

華、吾妻一月在」がある。東誕の前に本来、「有高類之山」と同様の出

に関する記述があったものと思われる。

{大荒南経}

①(南1)南海之外、赤水之西、流沙之東、:(南3)有阿山者、

南3も「有×山者」の書式をもっ。

③(南5)赤水之東、・:(南8)有栄山、栄水出寿、

栄水辻原お章の車8

「大荒之中、在不定之山、栄水窮罵」に見える。原お章における同様の記述としては、

(南Ha)大荒之中、有不美之山、黒ボ窮覇叫

1

(南お)大荒之中、有山名目融天、、、

君、

(南お)大荒之中、有山名月塗之山、青水窮吾旬、

四五

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四六

(南日)大荒之中、有山名目天蓋高山、湖刻刈瑚

U1

(北お

a)大荒之中、有山名目先麓大逢之山、測調剤刻、期相出頭

U1

(北幻)大荒之中、有山名日北極天橿、

(北お)大荒之中、・有山名不句、海ポ刈覇

U1

(北約制)大荒之中、有山名目融父山、明ボ利関川

1

がある。

η章本が「本」を構成要素とする世界観を構築する過程で附加されたものであろう。

⑤(寓Gg)又有白水山、白水出五局、両生白滞、昆吾之師一月浴也、(南斜)有人日張弘、在海上捕魚、(南必)海中有張弘

之菌、食魚、費四鳥、(南必)右人五局、鳥味、有翼、方捕魚子海、(南初出)大荒之中、有人名目躍頭、鱗妻士敬、士敬子

日炎議、生謹頭、襲頭人面鳥塚、有翼、食海中魚、杖翼布行、維宣芭室、謬楊是食、(高川知)有繊維頭之国、

すでに指摘したように、南抑制には脱文が推定され、このあたりはかなりの混乱が予想される。南G

g「有白水山、白水出

正局、而寧日淵」は、東1b「有甘山者、甘水出湾、射訓淵」に書式上ほぼ一致し、かつ同様のものは大荒経のほかの部分に

は克出せない。

η章本一編纂の際にともに収録されたものと思われる。南訪「海中」の後には本来「有白水山、白水出五局、ナ間

生自潟」があり、錯第改変を被ったものであろうc

⑤(南詔)東高海之外、吉水之関、:・(南副社8)

存蓋猶之山者、

(b)其上有甘程、枝斡皆赤、黄葉、白華、黒実、

(c)

東又・有甘華、枝韓皆赤、黄葉、

{大荒西経}

①(西日)西北海之外、赤水之東、:・(西弘)有双山、

②(酉時)西北海之外、赤水之西、:・(茜

ma)有権出、

(b)其上有人、号日太子長琴、議要生老童、老童生祝謀、祝

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融生太子長琴、是処格山、始作楽風、

「其上」は上掲東川知

b・南Mbに見え、大荒経のほかの部分には見えない。新お章段階における独自の表現となる。「号

日」が大荒海内経ではここ以外に見えないことも、

mb「号日太子長琴」までがお

aとともに新お章に含まれていたことを

傍証する。

④(西侃)西高海之外、赤水之南、流沙之西、・:(西万)有大豆出、(西お)寄金之山、

西

η・西刀のいずれかであろう。

{大荒北経}

①(北1a)東北海之外、大荒之中、河水之語、的高之出、立官接頭与九嬢葬五局、愛有鶏久・文貝・離食・驚鳥・皇鳥・

大物・小物、有青鳥・譲鳥・玄鳥・黄鳥・虎・豹・援・窯・黄蛇・視肉・蓉・魂・落・碧、普出衛子山、丘方再三吾

里、丘南帝俊竹林在罵、大可為舟、

b竹南有赤津水、名日封淵、

c有三桑無枝、

d丘西有沈滞、額要所浴、

②(北wmb)

其西有山、名目百円所積石、

③(北必)有山名目斉州之山・君山・鷺山・鮮野山・魚出、(北必)有人一目、当面中生、

一日是威姓、少美之子、食黍、

(北話)有継無氏、継無民任姓、無骨子、食気・魚、(北必)西北海外、流沙之束、有国日中輔、

韻衰之子、食黍、(北

訂)有国名目頼豆、(北川知)有犬戎国、(北必)有神、人面獣身、名呂犬戎、

北必の少し前に北必がある。現行本において「有山名目×」の書式が位置表現の産後に置かれない事例は、北必のほか北

日・内おの

3章であり、異例というべきだが、後述の如く、北日・内おについては位置表現の後に他の章が挿入されたこと

が推定されるc

北認は北必「西北海外、流沙之東」の直後から錯簡したものであろう。

④(北部)茜北海外、黒水之北、:・(北日)有山名目章出、

四七

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西J¥

上述の知く「有山名目×」が位置表現の直後に置かれないことは異関である。北関の位置表現と北日の簡に二次的な挿入

が施されたことをあらためて傍証するものとなる。

⑤(北臼

a)大荒之中、有衡石山・九陰山・洞野之山、

(b)上有赤樹・青葉・赤華、名目若木、

⑥(北田)西北海之外、赤求之北、有章尾山、

{海内経】

⑤(内9a)・一南海之外、黒水膏水之語、有木名目若木、若水出車局、

(b)有馬中之国、

(c)有列裏之菌、

(d)有霊

出、

(e)有赤蛇在木上、名目摂蛇、木食、(内問)存塩長之国、

(内日)有人罵、鳥首、名目烏氏、(内ロ)有九丘、

以水絡之、名目陶唐之丘、(内日)有叔得之丘・孟盈之丘・昆吾之丘・黒白之丘・赤望之丘・参衛之丘・武夫之丘・神

民之丘、(内Ha)有木、青葉紫室、玄華黄実、名目建木、百初無枝、有九楊、(る)下有九布、其実如麻、其葉如芝、

(

C

)

大蒔愛過、黄膏所為、(内日)有実録、龍昔、是食入、(内謁)有青獣、人面、名日狸狸、

⑮(内口)茜高有巴国、大嘩生成鳥、成鳥生乗輩、乗蓬生後照、後照是始為己入、(内回)有国名目流黄辛氏、其域中方

三百里、其出是塵土、(内mma)

有巴遂山、海水出意、

(b)又有朱巻之園、(内初)有黒蛇、青首、食象、

海内経については、山以外にすでに国・野が見えることから、多様な事物が選択された可能性があり、特定は困難である。

すでに確認された書式・内容に即していえば、傍謀部にはいずれも可能性がある。

⑪(内包

a)薦方有議巨人、人面長管、黒身有毛、反謹、見人笑事笑、底再就航其面、西部逃也、

(b)又有黒人、虎言鳥足、

再手持蛇、方略之、(内沼)有嘉民、鳥足、(内お)有封一家、(内弘)有人白苗民、(内お)有神五局、入首蛇身、長如鞍、

左右存首、衣紫衣、冠施冠、名目廷維、人主得雨饗食之、伯天下、(内お

a)有驚烏白歌、鳳烏自舞、鳳烏首文日徳、

翼文日願、膚文日仁、背文日義、見則天下和、

(b)又有青獣如菟、名目菌狗、(内訂)有翠鳥、(内お)有孔鳥、

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これは類訟の書式が認められず、暫断が難しい。

⑫(内お)甫海之内:・(内包)有山名三天子之都、

内訟は「有山名目×」の書式(「E」が脱落)をもっ。

⑭(内鈍)北海之内、有蛇山者、蛇水出五局、東入子海、

内弘は「×水出意」の書式をもっ。

⑬(内お)北海之内、有反縛盗械、苦文常倍之佐、名日担額之戸、(内釘)信夷父生西岳、西岳生先龍、先龍是始生長

充、氏莞乞姓、

内訂の書式は大荒経のほかの部分に散見し、二次的な附加に係ることは明らかである。

⑬(内お

a)北海之内、有山名日幽都之出、黒水出意、

(b)其上有玄烏・玄蛇・玄豹・玄虎・玄狐蓬尾、

「有山名目×」の書式をもっ。黒水は新お章の世界観の重要な構成要素である。

(3)海外経図

η章・海内経図

η章

海外海内経は、表珂の分章に従えば、海外南経忽章・西経2章・北経幻章・東経日章、海内南経口章・西経辺章・北経MU

章・東経mw章となる。海外経四篇・海内経由篇の章数は不均衡だが、その合計は海外経鉛章・海内経鉛章で一致する。この

分章に無批判に従うわけにはいかないが、海外経・海内経の章数が均衡していることは、計画的な一編纂を予灘させる。

海外海内経を大荒海内経と比較した場合にただちに気付かれるの誌山の数の著しい少なきである。

一体、海外海内経は、

海外自西南限至東南諏者、結旬国在其西南、・:南山在其東南。:・比翼烏在其束、・:(海外南経)

の如く、ある事物に関する記述は、「在其×」の如き請の事物からの方角を記すことが通例だが、山については、

四九

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五O

狭山、帝嘉葬子陽、帝劇害葬子陰、愛有熊・震・文虎・蜂・豹・離朱・視肉、時咽、文王皆葬其所、

一日湯山、

愛有熊・窯・文虎・雄・豹・離朱・鶏久・視肉・摩交、其沼林方三百皇、(海外南経)

務隈之出、帝額要葬子陽、九掻葬子陰、

一日愛有紫・窯・文虎・離朱・鶏久・視肉、(海外北経)

蒼梧之由、帝舜葬子揚、京市丹朱葬子陰、(海内高経)

流沙出鍾山、西行又南行昆命之虚、西南入海黒水之山、(海内西経)

蛇亙之山、上有人操径百東向立、

一日亀山、(海内北経)

の如く、この通例から外れ、その前後の事物との相対的な位置関係を記さない事例が少なくない。これらの記述が二次的に

前加挿入されたものであることは明らかであろう。こうした次第で山の数はいよいよ少なくなる。

(話)

海外海内経が何らかの留を前提とする記述であったことはつとに指摘されているが、結論的にいえば、その「海外海内経

図」は、海外・海内の四方にそれぞれ四個、すなわち海外・海内にそれぞれ刀個の画像を配寵したものであったと思われる。

この図には、

η個の画像とは別に出別も描かれていた。「海外海内経図」が文章化されたものが現行本海外海内経だが、そ

の際に、本来は画像に数えない出もほかの画像と同様に文章化されたものであろう。たとえば、

南山在其東南、自此山来、長為蛇、蛇競為魚、

一日南山在結句東南、(海外南経)

など、「在其×」をもっ山がその事関である。この文章化の過程で、本来「海外海内経図」に無関係だった出の記述も加え

られた。それが上掲の位置関係の見えない事例である。

すでに指擁されているように、海外海内経の錯簡は甚だしく、それ以前に文章化の段階で画像が誤解されたことが現行本

の如き不均衡をもたらしたものと思われる。さちに、上掲の南山の事部で辻、「在其東高」に対して「在結句東南」に作る

異本を提示するが、このように「宜こではなく具体的な事物を記す事訴の少なくとも一部は、「宜この援味さを嫌って伝承

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本の段階で加筆されたものと思われ、こうした場合、錯簡が固定してしまうこともありえたであろう。本来の海外海内図の

ありかたを推定すれば、それは図4のようなものであったと思われる。各篇ごとに説明しておこう

{海外高経忽章}山に関わる南山・昆命患・狭山の

3章と「南方祝融、獣身人面、乗雨龍」の

1章の都合4章を除けばwm

章となる。四方神に関する記述は、「在其×」の書式をもたず、やはり/二次的な荷加部分であると思われる。

{海外西経2章}哀跨は滅蒙烏・大運山を静せて

1章とするが、「滅蒙烏在結句国j、為烏青、赤尾、大運山高三百初、

租減菊尉羽」の書式から2章となるはずであり、西経は実は辺章である。山に関わる大運山・窮山の

2章とつとに錯簡が指

摘されている龍魚段居・自民国・粛慎国3章および西方憲政1章を除いてはω章、女祭・女戚と鴬鳥・鶴鳥をそれぞれ1画

後1章として各2章と数えれば認章となる。

{海外北経幻章}山に関わる雷同一防護石山・務璃之山・平正の

3章および北方呉彊1章を除けばロ章となる。北海諸獣の一

章には4倍の獣があり、

4画像で44章と数えられる。海外北経現行本は「海外自東北限至西北撮者」に作るが、最初の無一緊

之国が「在長股国東」と、海外西経最後の長股国に連続しているので、実際には西北から東北に並んでいる。従って最後の

北海諸獣は東北隅にあったことになる。図が4画像のうち鞠除・駁を北、蚤蚤・羅羅を東に含めたものとすれば、

wm章と

なる。{

海外東経お章}出に関わる嵯正の

1章および東方匂せの

1章を捺き、現行本では海外北経に属する蛮蛮・羅羅の2章お

よび錯簡に係る海外西経の龍魚援居・自民国・粛慎国3章を加えれば路章となる。

{海内南経口章}「甑居海中、間在海中」を2章、「伯慮園、離耳園、腫題園、北胸国」を4章、「旬奴、開題之園、列入

之国並在西北」を3章と数えればお章となる。山に関わる三天子蔀山・蒼桂出の2章を徐き、「在西北」とある旬奴・開題

之国・列人之国の

3章を茜経に移せば認章となる。

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【海内茜経沼章}海舟北経に重出する或負之臣日危の

1章、山に関わる薦問山・鍾山の

2章、錯簡に係る東拐・夷人・結

国・孟鳥の4章、昆命之虚に関わる日章を徐き、南経に属する旬奴・開題之国・列人之国の3章、北経に属する「昆命虚南

所」は西経の海内見命之虚の南であれば西経に属するはずなので、そこに見える氾林・泳夷・王子夜之戸・宵明・燭光の

5

章を西経に加え、さらに東経に錯簡している国在流沙中者・国在流沙外者・西胡白玉山の

3章のうち、前2章に属する等

端・璽喚・大夏、竪沙・居録・月支之国をpo章と数えると認章となる。

{海内北経担章}出に関わる蛇亙之山・帝嘉蓋以下呂牽の

2章を除き、「昆命』虚南所」に属する上掲の

5章を西経に、蓋

国以下の

m章を東経に移す。西王母と三青鳥、大行伯と蒸負之戸、犬封国と文馬、大捧と朱蛾をそれぞれ2画像2章とすれ

ばwm章となる。

{海内東経印章}錯簡に係る国在流沙中者・国在流沙外者・西胡白玉山の

3章、山に関わる都州・譲邪蓋・会稽由の3章

を除く。現行本では海内西経に量かれる東拐以下4章、北経に置かれる蓋毘以下山章を加え、蓋菌・倭、朝鮮・列揚をそれ

ぞれ2章に数え、出に関わる列姑射・蓬莱山を除けばmm章となる。

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図 4 海外海内経図の世界聾

⑬長股之国

③諸天之野

@軒鞍之国

⑮女子国

⑬井封

⑬亙成国

⑫女丑之戸

。丈夫国

⑮鶴鳥

③鳶鳥

③女戚

⑦女祭

⑤形天

③奇肱之国

④一菅匡

③ニ身国 ③高椋 ⑮雷神 ③君子国

②夏居敷 CID読黄欝氏之国 ⑫韓属 ②者比之戸

①滅蒙鳥 ①后稜之葬 ⑬始鳩 ①大入国五一一

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五回

第三章

「山海経」

の成立

1

或書年代

上述の如く、五戚山経の成書は、およそ前回世紀末、前一三一

i前二九九年の間に成書した『穆天子伝』よりは下り、五

戚由経とは踊絶した世界観をもっ海外海内経・大荒海内経の成主目はさらに下ると思われる。

この年代観は、「山海経」に特徴的な表現によっても務証される。すなわち、

粛慎之国在自民北、有樹名目雄常、先入伐帝、子此取之、(海外西経)

東海之外、大荒之中、有山名目

言、日月所出、(大荒東経)

傍隷部の「有×、名目×」は五戒出経・海外海内経・大荒海内経ともに頻見するところだが、「山海経』以外の先秦諸文献

における再様の用例は次の如くである。

北冥有魚、其名為鰻、・:有魚意、主ハ広数千里、未有知其傍者、其名為鰻、有烏豆局、其名為鵬、(「荘子』内篇/遺逢遊)

辺立見・有人五局、其名為籍、(『荘子』外篇/天道)

南方有鳥、其名鶏鶴、(「荘子』外篇/秋水)

南越有邑意、名為建徳之国、:・東海宥鳥罵、名目立忌怠、(「荘子』外篇/山木)

高方・一有鳥五局、名目蒙鳩、:・西方有木罵、名目射干、(「奇子」勧学)

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空石之中有人意、其名目飯、(『萄子』解蔽)

有其状若入、蒼衣赤言、不動、其名目天衡、有其状若懸釜荷赤、其名目雲務、有其状若衆馬以関、其名日滑馬、有其

状若衆植華以長、黄上自下、其名量尤之旗、(「呂氏春秋」明理)

鈴替之南、南極之山屋、有菜、其名目嘉樹、其色若碧、(『呂氏春秋」本味)

北方有獣、名目蹴、(『呂氏春秋』不広)

「有×、名為×」まで含めておおむね前四世紀末から前三世紀中葉までに特有の句法であることが了解されよう。「山海

経』の或書地域については、立ち入った議論は控えざるを得ないが、少なくともこの勾法が、斉・魯の東方や楚ではなく、

むしろ宋・一二晋・秦といった中東や西方に誤ってもっぱら見えることは指請しておく。

さらに、海外海内経・大荒海内経の成書年代を考える上で注医されるの誌前二三九年に或書した吉氏春秋」であ(的。

「山海経』との対応が集中的に認められる篇としては、論大・本味・任数・求人がある。

地大則有常祥、不庭、岐母、群抵、天潮位、不局、(諭大)

肉之美者、猿狸之底討、獲濯之炎、需嬢之翠、述蕩之踏、接象之約、流沙之西、丹出之南、有鳳之丸、沃民所食、魚

之美者、病庭之欝、東海之編、礎控水之魚、名目朱襲、六足、有珠百碧、差水之魚、名目媛、其状若鯉需有翼、常従西海

夜飛、準於東海、菜之美者、昆寄之葉、寿木之華、指姑之束、中容之菌、有赤木玄木之葉罵、鈴警之南、南極之崖、有

菜、其名目嘉樹、主ハ色若碧、陽華之芸、雲夢之芹、具直之茸円、浸潟之草、名目土英、和之美者、揚撲之墓、掴樹剥樹、

越路之菌、纏鮪之監、大夏之塩、宰掲之露、其色如玉、長淳之卵、飯之美者、玄山之禾、不周之粟、陽出之祭、南海之

程、水之美者、三危之露、盟嶺認制刻、

ii

期菊剥調、常山之北、投漉之上、有国病頭、群帝所食、箕山之束、

、日山之水、高泉

山、其しいし」有湧泉正局、糞州之原、果之美者、

ヘ江浦之橘、雲夢之柏、漢上石

五五

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五六

耳、所以致之馬之美者、青龍之匹、遺風之乗、(本味)

其以東至関梧、南撫多額、西服寿襲、北懐槍耳、若之何哉、(任数)

」南東至樽木之地、日出、九津、青莞之野、援樹之所、援天之山、鳥谷、青丘之郷、黒歯之園、南至交祉、孫撲、

積構之国、丹粟、漆樹、沸水、漂漂、九陽之山、羽入、裸民之処、不死之郷、西至三危之園、亙山之下、飲露、吸気之

民、積金之山、

銅剣、北至人正之盟、夏海之窮、衡山之上、却損之国、頚須之野、再調之所、讃水、

積石岩山、(求人)

傍線部については、表現には出入りがあるものの、「山海経」現行本との対中泌が認められる。対応が集中的に認められ、

しかもその対応箇所が五減山経・海外海内経・大荒海内経にあまねく及ぶという事実は、これら三つの部分を含んだ『山海

経』がすでに基本的に成立し、四篇の編者がその内容を参照する便宜を有していたことを示すものである。ばらばらの原資

料から引用したものが結果的に現行本「山海経」に対応するものが多かったといった構然を想定することは不都合である。

表現の出入りは一編者による坦噂を意味するものとなる。

本味「群帝所食」の「群帝」は、ほかの先秦諸文献では大荒南経・大荒北経に各一一例見えるだけである。また「流沙之西」

とあるが、「流沙之×」なる位置表現も大荒海内経特有の表現である。有始に「何謂六川、河水、赤水、遼水、黒水、江水、

准水」と赤水・黒水を特筆することとともに、上述の如く大荒経

η章本において構築された世界観に呼応するものである。

また、

凡酉極之内、東茜五億有九万七千里、南北亦五議有九万七千里。極星与天保券、雨天極不移、冬至百行遠道、題行四

極、命日玄明、夏至日行近道、乃参於上、当枢之下無昼夜、(有始)

lま

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帝命藍亥歩、自東極至子酉極、五億十選九千八百歩、竪亥左手把算、左手指青丘北、

一日馬令藍亥、

一日五億十万九千

八百歩、(海外東経)

を踏まえた上で、「歩」を「塁」に改めたものと思われる。

現行本『山海経』の基本的な部分は、前二九九j前二三九年の間の六十年間に形成されたものといってよかろう。

2

成書過程

ここでは、世界観の展開という視点から、とくに海外海内経・大荒海内経の成書過程を簡単に展望しておくことにする。

(1)大荒経お章本

大荒海内経の最古の原型は大荒経お章である。大荒の認出および西方神を扱う都合お章から成るわけだが、訟は「需者所

謂九州」に相当する区画担個から成る天下の最外辺沼個を取り出したものである。孟子の方三千里九州説↓第街の大九州説

↓大荒経お章には世界観の継起的展開が認められるのである。

(2)海外国万章・海内図万章

大荒経お章がもっぱら山に関わる記述であったのに対し、海外国吃章・海内図万章はむしろ山以外を記述する。その点に

おいて需者に重なるところはないし、実際に大荒経お章に海外海内経との記述の重複は認められない。しかしながら、海

外・海内を各

η個の事物によって描く海外海内図の世界観には、大荒日海外をお章で記述した大荒経お章本の少なくとも間

接的な影響を認めざるを得ない。ここで強調したいのは、

ηという数が、大九州説からは直接には導かれないことである。

五七

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五J¥

大九州説の最外辺たる認に四方神の

4を加えたものがあ、それを2倍したものが刀なのである。

(3)大荒海内経万章本

大荒海内経吃章本は、大荒西経各民章、海内経路章から成る点でこれも大九州説とはすでに全く議離したものというべき

である。

ηなる数がもっぱら留意されている。大荒経お章がもっぱら山を扱うものであったことに対し、海内経が山以外の

事物を取り入れていることは、世界観の転換といってさえよい。転換の有力な契機として、もっぱら山以外の

ηの事物で海

外・海内を描く海外海内図の少なくとも間接的な影響を挙げることは不当ではあるまい。

大荒経万章本の成立に際して考憲すべきは爵震との関係である。上述の如く、

η章本の段階で前加された新お章の世界観

において最も特徴的なことほ、大荒に流沙・黒水・赤水・甘水・海水を、海内に流沙・黒水・青水を配置することによって、

原お章の図式的な世界観が克服されていることである。大荒・海内それぞれに流沙・黒水が相似的に存在するが、ともに流

沙が西辺をなし、その東に黒水が位置し南北に流れることは爵貢に同じく、偶然の一致ではあり得ない。上述の如く、流

沙・黒水を西辺とする言説の発生は、方五千里の方形という爵貢の世界観に動機づけちれたものであり、そのことは、大荒

海内経の爵貢引用を示唆する。方五千里の「海内」に限定された爵貢に対し、「海外」たる大荒を擁する大荒海内経の世界

観がより発展したものであることや、爵貢における神話的要素の忌避も、話内貢の先行を支持する。

さらに、大荒海内経現行本まで考慮すると、馬貢の影響はより顕著である。大荒西経/昆命西王母

(a)西海之南、流沙之演、赤水之後、黒水之前、有大山、名目昆命之丘、

(b)有神i

入面虎身、有文有尾、皆白i

処之、

(C)

其下有弱水之滞環之、

(d)其外有炎火之出、投物親然、(

e

)

有人、戴勝、虎歯、有豹尾、穴処、名目西

王母、此山万物尽有、

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の(C)

が万章本の段階から

(2)

に連なっていたか、それとも現行本成立までに附加されたものか、当面確言できないが、

弱水が特筆されることは、やはり爵貢の影響とみなしえよう。

さらに、爵貢は、「導河積石」と、需が海水を麓石山に引いたことをいう。酉次三経においても確かに、「又西三百里、日

積石之出、其下右石円、汚水冒以西流」と河水と積石由を関連づけるが、一員との関係泣いわない。これに対し、

(a)

大荒之中、有山名目先程大逢之山、海済所入、海北注意、

(b)其西有山、名日馬所積石、(大荒北経)

(b)は積石山を爵と関連づける。これまた再貢の影響とみなしえよう。

(4)現行本海外海内経・大荒海内経

現行本海外海内経は、海外海内図に対する解釈を文章化すると同時に、件数はさ誌ど多くないが、山に関する記述を前加

している。これは一面では

η章という数的合理性の放棄である。

海外海内経につき特筆すべきは、昆命に関する記述の充実である。海外南経の「昆命虚」とは別に、海内西経には「海内

昆命之童」があり、衰珂の分章ではそれ以下の孔章が昆命に関わる。ほかに「流沙」についても、「西行又南行昆命之童」

とあり、さらに海内北経では、西王母とその南の三青烏が「在昆命虚北」、帝桑蓋等西塞が「在昆命東北」、ついで「昆命虚

北所有」として窮非以下6章、「昆命虚南一所」として氾林以下5章が置かれている。さらに海内東経に錯第している国在流

沙中者・酉胡白玉山についても、「昆命虚東南」と見える。現行本海外海内経は、海外海内図に依拠しつつも、海内の西北

隅に巨大な昆命複合体を創作するに至っているのである。海内昆命之虚の、

海内昆命之虚、在西北、膏之下都、昆命之虚、方八百里、高万初、上有木禾、長五尋、大五囲、面有九井、以玉為種、

面有九円、円有開明獣守之、百神之所在、在八隈之巌、赤水之際、非仁葬莫龍上関之巌、赤水出東南瞬、以行其東北、

五九

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六O

汚水出東北隅、以行其北、西南又入湯海、又出海外、即西花北、入一局所導積石山、洋水・黒水出西北鶴、以束、東行、

又東北、南入海、羽民南、弱水・青水出西南稿、以東、又北、又西南、過畢方烏束、

なる記述は、

一見して明らかなように、上掲の酉次三経/昆命之丘に弱本・青本が加わり六水となっている。弱水が加えら

れたのは、再貢の影響であろうし、黒水につき「南入海」とあるのも、爵貢の「入子南海」を踏まえたものであろう。爵貢

の影響は、爵

所積石之山在其束、海水所入、(海外北経)

河水出東北潟、以行其北、西南又入湯海、又出海外、即西市北、入爵所導積石山、(海内西経)

と、爵と積石山を関連づけている点にも確認できる。

現行本大荒海内経もまた

η章の枠組みを放棄し、初章に増加しているc

様々な材料が荷加された結果、今日の如き無秩序

な外観を呈するに至っているのであり、ここには海外海内留から海外海内経への時加と同様の志向を見出すことができる。

結語

現行本「山海経』のうち、海外海内経・大荒海内経については、その原型としての海外海内図・大荒経お章本・大荒経万

章本の存在が推定できる。これらを媒介項とし、またそれぞれの反映する世界観を考慮して『山海経』の成書過程を整理す

ると、①五戒由経、②大荒経お章本、③海外海内図、④大荒経

η章本、④海外海内経、⑤大荒海内経の先後関係が推定でき

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る現行本海外海内経・大荒海内経の関には一定の記述の重複が認められるが、それは引用関係というほどには忠実なもので

はない。とりわけ大荒経

η章本以降においては五戚山経をも含む先行資料群を想定し、それらから随時に引用されたと考え

た方がよいのかもしれない。

ここに推定した成書過程は、上述以外のいくつかの材料によっても傍証される。いくつか取り上、げておこう。

(必)

まずは四方神である。「左伝』昭二十九には、「木正日匂で、火正日祝一織、金正日露攻、水正日玄冥、土正日后土」と五行

に対応する五正が見えるが、『礼記』月令(および

「呂氏春秋』)

の四方・中央の神はこれを四時に対応させたものであり、

『尚室田大伝』鴻範五行伝や『漢書」律暦志にも踏襲されていく。大荒経がこれらとは全く独自の四方神をもつのに対し、海

外経は北方は大荒経と司じ高彊だが、東・・一南・西方は月令と同じ神を掲げるに至っている。大荒経の四方神はお章本の段搭

ですでにあったが、海外経の方の西方神は海外経図

η章からさらに下った現行本の段階でようやく前加されたものである。

大荒経お章本成立後、海外経が成立するまでに丹令に採用されることになる五神が伝播したことを示すものであろう。

海外北経の馬彊につき、郭瑛は、「字玄冥、水神也、荘周目、馬彊立子北極、

一日高京、

一本云、北方高彊、黒身手足、

乗雨龍」と注する。ここに指摘されるように、高彊は「荘子』内篇/大宗師「高強得之、立乎北極」に見える。哀珂は、

『荘子』内篇/遺逢遊「北冥有魚、其名為鰻」の「鰻」を『経典釈文』荘子音義「星諜云、鰻当為鯨」が「鯨」とする説に

注目し、北冥HU

玄冥、鯨引U

一再京HH

一員彊とする。郭嘆が高彊を玄冥の字とすることは存外に肯繋を得ていることになる。月令

に採用されることになる五神が伝播した擦にも、高彊を玄冥の別名と解して存置し、句

t・祝融・意牧と並べたものとなろ

h

つ。

---.L..

ノ、

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-L. ノ、

北 西央中

南 東

④ E高E 室慈 ② 不廷胡余① 貌同 経大荒

③ 彊同 ② 鳶収 ① 祝融 容を 外海経

⑤ 議④ 少勝 ③ 黄帝 実帝 安帝

ρ月-p 、

一.ι品4語、

意収 后土 祝議 勾士三神

ついで開題となるのは、西方のム序列である。五戒出経・海外海内経は南東西北の序列を採るが、大荒海内経で辻、大荒経

四篇は東・一南西北、海内経はその内部で東西南北の序列を採る。

戦国期における四方の序列は、大まかにいえば、東西南北の「対比称呼」が先行し、戦国後期、前三世紀以降に東南西北

の「環状称呼」が出現する。また東南西北以外の「環状称呼」は、東南西北に先行して出現している。

東西南北↓種々の環状称呼↓東高西北という出現の先後は、海内経(大荒海内経

η章本)が東西南北、海外海内経が南西

北東を用いることに対応する。大荒経由篇が東高西北の序列を採るのは、何より海内経と食い違う点からいって、現行本の

段階で二次的に改変されたものとなろう。同様に、現行の五戚山経が南東西北中の序列を採るのは、海外海内経成立のころ

に、たとえば中東西南北といった本来の序列が改変された結果であったかもしれない。いずれにせよ、東南西北の影響がほ

とんど認められないことは、上掲の年代観を支持する。

一体、東甫西北は、つとに設代甲骨文に見えるが、それは一自一中絶したらしく、戦盟後期における出現は、おそらくは五

行説・時令思想が結合した結果である。「管子」劫官/幼官国・西詩・五行などの事併はそれが斉地で発生したことを示し

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ている。東南西北は、『楚設計」招魂や月令および「呂氏春秋』に認められるように楚・秦には比較的早く伝来したが、『萄子』

『韓非子』

には見えず、三晋における受容は遅れた模様である。これもまた

「山海経』

の成書地域を推定する一つの材料に

なるであろう。

本稿では戦国後期、前二九九

l前二三九年の間に『山海経』

れ以蜂の附加改変の可能性や、

「山海経』

の個々の記述がこの時期以前に成立した可能性を否定するものではない。またそ

の基本的な部分が成書したものと考えたが、この推定は、そ

の或書地域については、宋・三晋といった中原地域が一つの侯請になることを指摘しておいた。

を要する。

注(1)小高一郎一九八七にそれ弘前の『山海経』研究史が整理されている。

それ以降の日本の研究としては、松田稔一九九五・二

00六のほか、

竹内豪浩一九八七・一九九一、大野圭介一九九五・一九九八・一九

九九・二

OOOa・二

000b・二

OO二、森和二

000・二

00

一a・二

00一をむなどがある。

(2)五戒山経の量界観に関する詳細な議論としては、森和二

000があ

る。

(3)

「穆天子缶』についての近年の萌究としては、大野圭介二

000

a-二OO五がある。

(4)

『竹書記年』については、方詩銘・王鯵齢一九八一の編号を用いる。

いずれにせよさらなる考察

(5)顧実一九コ二。

(S)小川琢治一九二九など。

(7)

『骨書記年」晋紀以W

に、「晋烈公元年(前四一五)、趨献子域法氏」

とあるように、法氏は避の邑であった。湾水以南は鶏の彊域に寓す

る(謹其譲一九八二)。『謬天子伝」に該氏から撞水までの地名が見

えないことも、越との関係を強く示唆するものとなる

D

(8)吉本一九九八

a・二

00五b第三部第一章。

(

Q

d

)

張培議一九八七。

(日)吉本二

00因。「竹書記年」は題紀日「竹書亦日、穆王北征、行流

沙千里、積羽千里」・話「紀年又日、取其五王以東」・口「紀年目、

穆王十三年、茜征、至子青鳥之所憩」・沼「紀年、謬王十七年、西

笹昆命豆、見西王母、其年来見、賓於昭宮」など「穆天子伝』に重

-L...

ノ、

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複する内容を複数の年次に分散している。これらの年次の出来は現

時点では不明とせざるを得ないが、年代記の体裁に整えるべく、二

次的に創作された繋年と思'われる。なお大野圭介二

CC五によれば

頭韻関「穆天子伝及其著非持代」(『文史哲」一九五一agal--

一乙がつと

に『謬天子伝』と秦趨始誼伝説・武霊王遠征との関連を論乙ている

とのことである。

(日)「史記」勾奴列伝「衛青復出雲中以茜至難西」・藷将軍襲騎列伝

「令車騎籍軍青出雲中以菖至高瞬、遂略河南地、至子髄西」に見える

元期二年(前一二七)の禽青の遠征はこのル

iトをたどったもので

あり、旬奴列伝「漢度海自朔方以西至令岩、往往通渠量回、宮吏卒

五六万人、精譲食、地譲旬奴以北」に見えるように、漢辻このルー

ト沿いに訪衛線を構築している

G

(立)「昆寄西本説」については、海野一葦二

00四がある。

(日)「管子」地数「桓公司、地数可得関乎、管子対日、地之東西二万八

千里、甫北二万六千里、其出水者八千里、受水者八千皇、出錦之山

田百六十七出、出鉄之山三千六百九出、此之所以分壌樹穀也、文矛

之所発、万瞥之所起・也、能者有鈴、拙者不足、封於泰山、禅於梁父、

封禅之王、七十二家、得失之数、普在此内、是謂昌用」c

(弘)都議行護琉「今案自員自己下、蓋皆麗人相伝信語、故管子援入地数

語、而校書者前著五戒出経之末」は「属人栢伝田語」を

Zg子」地

数が引用したものとするが、むしろ「管子」地数から引用されたも

のであろう。「地之東西二万八千里、甫北二万六千里、其出水者八千

里、受水者八千里」辻、地数が後掲の「呂氏春秋」有始「凡辺海之

内、東茜二万八千里、南北二万六千里、水道八千里、受水者亦八千

里」を出引用したものであろう。有始の「水道」「受水者」を地数は

六四

「其出水者」「受水者」の対句に整えている

D

「封子泰出、弾子梁父、

七十二家」は『管子」封禅にも見える

D

さらに「昌用」は、「蔚君書」

算地に見える況かは、『管子」中匡・乗馬数・山権数・『孫子」作

戦・「罵礼」秋宮/小苛窪など斉地の文献に法ぼ誤って出現する。

(日)吉本二

00六

ac

(時)吉本一九九八b。

(訂)吉本二

00六

ac

(認)『容成氏」について辻、李零二

OO二・蘇建洲二

OO三参照。

(回)都街の大九期説については、御手洗勝一九八四・安語香出一九六六

の論争があるが、本稿では立ち入らないc

(お)小川琢治一九二九。

(幻)五競説・九寂説の概要については、吉本二

CO五

aを見よ。

(辺)頭韻顕一九五九。

(お)『漢書」地理志/益州郡「摸池、大津在西、漢池津在西北、有黒水

語」の「黒水絹」はこの黒水に期間わるもので為ろう。

(M)西次西経/労出「北五十里、日労出、多克草、詩水出霧、荷西流註

子洛」に見える「弱水」も「西流」するが、上部の洛水に流入する

もので、爵貢の弱水とは無関部で、あろう。

(お)以下大荒海内経の章番号は筆者の分章による。句読点辻基本的に嚢

珂一九八

Oに拠るc

(お)大荒海内経では、吉京市王の系譜を記す記述が「有」を書き出しとす

る章に挿入されているが、海内経「炎京市之努狛陵」以下辻需じ書式

でもつばら古帝王の系譜ばかりを記す。挿入する場所を得なかった

系譜資料の残診をまとめて篇末に重いたものであろう

G

この部分に

ついては章数に数えないc

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(幻)大野圭介二

000b。

(お)吉本一九九五c

(怨)衰寓一九八

O、四一七l四一八頁。

(お)松田稔一九九五第二章第八箆はすでに、大荒東経・西経の「日丹所

出」「日月所入」に注目し、東富各七山などの芽比が意識的になされ

たことを推定している。

(お)哀湾一九八

O、三五回真。

(認)松富稔二

OO六上編第三章が指摘するように、昆命・西王母の結合

は降る。後述の如く、大荒海内経

η章より降ると思われる海外海内

経において、茜王母がなお昆禽に住まうものとされていないという

事実は、この西王母に慢する記述が現行本大荒海内経形成の段階で

隙加されたことを示す。総じていえば、大荒海内経と五戚山経は対

応が乏しい。務隷部

eが、茜次三経/玉山「西王母其状知人、豹尾

虎茜而善掛湖、蓬髪戴勝、是可天之震及五残」・覆次三経/積石山

「是出也、万物無不有意」に対応し、傍糠蔀bが西次三経/昆命出

「神陸吾司之。其神状虎身罷九尾、人面市虎尻、是神官、可天之九部

及帝之国持」に対応することは、これらが付加部分であることを傍

証する。

b

「娃之」もまた、中次入経/露出「神革国処之」・中次

八経/光出「神計蒙服用之」・中次入経/岐山「神渉革処之」・中次

十一経/豊山「神葬父娃之」など五戒山経に散見する表現を引用し

たものとなろうc

(お)海内東経末尾の「眠三江」以下は畢語以来二次的に附加された部分

とされるので数えない9

(お)松田稔一九九五、第一章第二第。

(お)小川琢治一九二八は錯第を指掠するが、その後元案は本稿のそれと

はかなり異なる。

(お)海舟西経「東語在大揮東」の「東語」が海内東経からの錯欝である

ことは明らかだが、同じく海内西経「大津方百塁、群鳥所生及所解、

在属門北、展開出、属出其慢。在高椋北」は、海内西経に属するも

のと見て需題ない。「東拐在大津東」の「在大津東」は、本来「在其

東」にあったものが、錯欝ののち加筆されたものとなる。骨内康浩

一九九一は具体的な事物を用いる形式を「プロトタイプ」とするが

支持できない。

(許)吉本二

OO二・二

CC六bに指捺したように、「毎奴」の稔謂の確

実な吊例は前漢以降に降る。果たして郭漢は「一日数挽」と注して

おり、本来「猿挽」と作ったものを前漢以降「毎奴」に書き直した

ものであろう。

(お)「東拐」は海外西経に二見するが、吉本二

00二・二

00六bで指

請したように、「東鵠」の確実な用例もまた詰漢以誇に降る。海外東

経に見える「西拐」とともに、議漢以降の改一訂を被ったものであろ

、つノ。

(お)田鳳蓋一九八六・松田稔二

OO六上一橋第三章。

(必)論大「常祥」一大荒西経「常揚」あるいは「偏匂常羊之出」。「不

庭」一大荒薦経「不庭之出」。「蚊母」一大荒東経「変母地丘」。「群

抵」…大荒東経「撃揺額悲」。「天翠」一大荒南経「天童霊高山」ある

いは大荒北経「北極天橿」。「不毘」一大荒西経「不局負子」。

O本味

「獲擢」一南出経「濯濯」。「述蕩」…大荒高経「践揚」。「有鳳之丸、

沃民一敗食」一大荒西経「有沃之屋、沃民是延、沃之野、愚鳥之卵是

食、甘露是飲」。「醒水之魚、名日朱繁、六足、有珠吉碧」一東次二

経「謹水出正局、東流詮子余揮、其中多珠整魚、其状如勝部右吾、六

六五

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足存珠」。「墓水之魚、名目鰭、其状若鯉市有翼、常従西海夜飛、準

於東海」一西次三経「観水出罵、西流注子流沙、是多文鰭魚、状如

鯉魚、魚身高鳥翼、蒼文市白首、赤味、常行西海、遊子東海、以夜

飛」。「昆山品開之嘉」二四次三経「西南西百皇、日昆命之丘、:・有草意、

名自妻草」。「寿木之華」…海内経「霊寿実華、「中容之国」一大荒

東経「中容之国」。「嘉樹」一中次七経「嘉栄」

5

「招揺之桂」二回山

経「其首日招搭之出、臨子西海之上、多桂」。「崖喬之井」一海内西

経「海内昆禽之虚、:・面脊九井、以玉為権」

G

「混江之丘、名目搭

本」一西次三経「又西三百二十里、日梶江之山、:・愛有淫水」。「高

泉之山、其上有涌泉意」…中次十一経「又東南五十里、日高前之山、

其上有水罵」

5

「沙案之実」一西次三経「黄華赤実、其味如李而蕪核、

名B沙業」c

「存百果罵」「青島之所、有甘櫨駕」…海外北経「平丘在

三桑東、愛有遺玉・青鳥・視肉・楊梅・甘桓・甘華、百果所生」

海外東経「嵯

E、愛有遺玉・青馬・視肉・楊椀・甘根・甘華、百果

所生」・大荒東経「又有三青馬・三雄・甘華、愛春遺玉・三青鳥・

三陸・視肉・甘華・吉桓、百穀所在」・大荒南経「有蓋猶之山者、

其上有甘担、枝鞍皆赤、黄葉、自華、黒実、東又有甘華、枝韓皆赤、

黄葉、有青馬、有赤馬、名目三雄、有視肉」。

O任数「寿磨」一大荒

西経「寿麻之園、「健耳」一大荒北経「傷耳之国」

EO求人「馬東

至樽木之地」一東次三経「樗木」・大荒東経「扶本」。「鳥谷」一海

外東経「湯谷」。「青丘之郷」…海外東経「青丘国」・大荒東経「青

丘之国」。「黒歯之国」…海外東経「黒歯国」・大荒東経「里…歯之園、

「交陛」一海外南経「交腔国」

9

「羽入」一海外南経「羽民国」・大荒

南経「羽民国」。「不死之郷」一海外南経「不死民」・大荒南経「不

死之国」c

「三定之国」一酉次三経「三危之山」。「亙出」…大荒南経

ムハムハ

-大荒西経「亙山弓「共肱、一皆、三彊之郷」一海外西経

「奇肱之国在其北、其人一菅三巨」。「犬戎之昌」…海外北経「犬封国

日犬戎国」・大荒北経「犬戎弓「志向え之野」一海外北経「寄父」

大荒北経「苓父、「高彊之所」一海外北経「高彊」・大荒北経「馬

彊」む「積五之山」一海外北経「馬一所積石之山」・海外西経「爵所導

稜石出」・大荒北経「勇一敗積石、

(日出)事瑛は「昆命虚北一所有」を上に続けるが、個々の位置を示さない以

下の6章に達なるべきものとなろう。

(必)松田稔二

00六下編第一章第一節己

(必)松田稔二

OO六上編第五章第一一簡は屈原作とされる宗疋辞」離騒・

九歌・天間・九章の神話的記述を『山海経」と比較し、前者がより

新しい要素を惇うことを議拠に『山海経」の「楚辞」に対する先行

を主張するむしかしながら、とりわけ大荒海内経において、神話的

記述は二次的付加部分に属するのであり、まずはその部分の原資料

が『楚辞』より古いということになろう。今一つの問題は屈原の卒

年および離騒以下を屈原作とすることの信恵性である

5

屈原卒年に

ついては、九章/哀器を根拠に器の陥落した前二七八年とされるこ

とが多いが、銭穆一九五六がつとに指摘するように、「史記」屈原貫

生男伝に従うならば、屈原の卒年は、楚懐王が秦に抑留された前二

九九年とすべきであろうむ従って九章も後人の作ということになる。

(必)『山海経」の四方神に関する専論としては、阪谷昭弘一九九入があ

るD

一-,

霊山L ー

(必)『詩」大雅/文王有声「自酉自東、自南自北」。『礼記」檀弓上「今

正也、東西南北之入也」。『左伝」信西「東至子海、酉至子河、南至

子穆陵、北至子舞様」・億九「故北伐出戎、南伐楚、西為此会也、

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東略之不知」・裏二十九「東西高北、誰敢寧処」・昭九「吾西土也、

:・吾東土也、・:五日南土也、・:吾北土輩、『孟子』梁恵王下・藤文公

下・尽心下「東面面征、西夷怨、南面商佳、北狭怨」・公孫丑上

「詩云、自西自東、自南自北、無思不服」。「荘子』内篇/大宗蹄「父

母於子、東西南北、唯命之従」。『楚辞」天間「東西南北、其修敦多」。

上博楚簡「容成氏」「東方之旗以司、西方之旗以月、南方之旗以蛇、

中正之旗は態、北方之旗以鳥」「東方為三倍、西方為三倍、南方為

三倍、北方為三倍」自

(必)『札記」曲札下「其在東夷・北狭・西戎・南蛮」。『国一語」斉語「地

南至於簡陰、西至子済、北至子河、東至子紀静」・『管子』小匡

「地南至於岱陰、西至於済、北至於海、東至於紀随」・覇影「南致楚

越之君、百酉伐秦、北伎致、東存晋公於南」。「墨子』兼愛中「西為

西河漁賓、:・北為防原説、:・東方溺之陸防孟諸之淳、:・南為江・

漢・進・汝」。

(訂)松田稔一九九五第四章第二節は、方泣観として、東南西北の環状称

呼と東西南北の対比称呼を対置し、それぞれ段・周に由来するもの

で、『山海経」が環状称呼に従うものとするが、少なくとも現行本海

内経の東西甫北には妥当しない。また同じく環状称呼でも南西北東

と東南西北の相違は説明されていない。

引用文献

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一1二七頁。

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一二

O、二二八j二五八頁。

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i『白海経」と『穆天子伝』の「愛

有」

i

」、『輿麓教授退宮記念中国文学論集』、七一j八六夏、汲古書

院。

iiiiこ

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三三、二三ニj一五人頁。

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百ハ。

一三

1二一

海野一隆二

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一{J

四六頁、清文堂出版。

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oi一回

六頁、弘文堂書房。

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O八頁、弘文堂書房。

一六五

i四

小高一部一九八七「「山海経」研究の現状と課題」、「中国i

社会と文化」

一一、二二

01二二六頁

5

阪谷昭弘一九九八三山海経」四方神考」、『学林』二入・二九、二五

1四

回頁。

性内康浩一九八七「後漢時代における『山海経』

i

現行本の成立の問題

六七

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について

lH秋月観瑛編「道教と宗教文化円六一

rI八O夏、平河

出版社

B

ill一九九一「海外諸経の成立

l『告海経」現行本の成立の問題につ

いて

(2)iH「史流」=二、二一一一

1五回頁。

松田稔一九九五三山海経」の基礎的研究可笠需書続。

lil二OO六三山海経」の比較的研究そ笠間書院。

伽御手洗勝一九入居「都軒の大九州説と琵嵩伝説」、「古代中患の神々」前

録一(六五三j六八一頁)、都文社c

森和二

0CC三山海経」五蔑山経の世界講造」、「史潟」二二、二

1一七

頁c

i

-

-

i二00一a三山海経」五蔵山経における山岳神祭花町「B本中国

学会報』五三、一

rEz

一五頁s

iiii二OO一b

「『山海経」五蔵出経における昆禽之丘」、『史滴』二三、

八九

1九四真由

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l替に大九州説について

ー」「緯書における大九州説|特に侮手法勝氏の批判に答えて|」、

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O一'i二

頁)・第七章(一一一八

1二四O頁)、毘書刊行会c

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四頁己

一一七

一1四

ilii一九九人

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頁9

一i七六

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六人

一九七

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1五七頁

2

1

1

1

二OO五

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秩序と交流の歴史的研究ニューズレタ

1」三、三j五頁。

1111二00五b

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1

1

1

二CC六

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O

頁、立命館東洋史学会G

ili二00六b

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一i五


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