Title 白居易「池上篇并序」論 : あわせて自適の空閒を定義する幾つかの表現について
Author(s) 二宮, 美那子
Citation 中國文學報 (2007), 73: 14-38
Issue Date 2007-04
URL https://doi.org/10.14989/177992
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
中国文筆報
第七十三冊
自居易
「池上篇井序」論
-
あわせて自適の空間を定義する幾つかの表現について
二
宮
美
那
子
京都大学
は
じ
め
に
①
「池上篇井序」〔巻三七
補入・29
28]は'大和三年
(八
二九)、太子賓客分司とな-洛陽詰めになった白居易が'
履造里の邸宅を題材として詠んだ作品である。この邸宅は、
長慶四年
(八二四)、太子左庶子分司の官職に就いた際に鉦
に購入していたものであった。「池上篇井序」を書いたと
き白氏は五十八歳'致仕にはなお時があり'就いたのは
「官は優にして緑料有り'職は散にして帝磨無し」(「詠所
奨」)〔巻二九
格詩歌行雑膿・2980〕と言う'いわば名巻の
閑職である。作品中では'洛陽遭居に首たって、この地で
残-の人生を思うさま悠々と生きようという暢びやかな心
情が詠われる。本論では'この
「池上篇井序」が描-世界
を中心に据え'あわせて自居易が自適の空間を詠う際に特
徴的な、幾つかの表現方法を取-上げて論じてみたい。
「池上篇井序」を取-上げた先行研究として、埋田重夫
氏
「自居易
「池上篇」考1
水蓮
の時空と閑適の至境
②
-
」
が挙げられる。氏の研究は'居住室間において池を
題材とする多数の詩篇'その全膿を考察の封象とし、自居
易文学における池畔の意義を解明するものである。本論で
は、この埋田氏の研究を参考にしつつ、「池上篇井序」と
いう
1篇の作品に焦鮎を首てる。これは、後述するように
この作品が'自居易の住庭を描-数多の作品の中で'特に
注目に値すると考えるからである。埋田氏の研究の中でも
③
「池上篇井序」に特に
一章を割いて分析されている
が
'そ
れは圭に、何を描いているか、という内容の分析である。
本論では'この
一篇の作品が'どのような言葉
・表現を
使
って
一つの世界を描き上げているかに特に重鮎をおいて
分析し、また自店易閑適文学におけるその意義を考えてみ
- 14-
た
い
。
一
作
品
の
概
要
(
一
)
「池上篇拝序」について
自己のいる場所を措き'それが虞世観や債値観を言うこ
とにほぼ直結するというのは、隠逸文学の傍流の一つと
言って良いだろう。自店易は、その大量に残された作品世
界の中で、自己のいる場所'居住室閲を繰-返し語った詩
人である。居住室閲を描-ことは'自店易の、特に閑適の
④
文学において、中心的な位置を占めている
。
このような白居易作品の中でも'この
「池上篇井序」は
特に注目に値する作品だと考えられる。まず指摘されるべ
きは'形式の濁特さと規模の大きさであろう。白居易は、
長安'江川、洛陽--と任庭が奨わるごと'住居そのもの、
また書斎や庭園などを題材とする作品を数多-作っている
が、江州で作られた
「草堂記」〔1472]など
1部の例外を
除けば'それらはみな五言または七言詩の形式を取る。長
日居易
「池上篇拝序」論
(二宮)
い序文のあとに四言をメインとする雑言詩という形式を取
るのは'二度目の分司の職を得た際に新たに書かれた'こ
の
「池上篇杵序」のみであ-'このような形式は大量の白
居易詩の中で他に類を見ない。作品は'形式だけを見るな
ら'長い序文を伴った
「銘」や
「質」に近いが、その内容
や書きぶ-は平易で自由閥達であ-'「銘」や
「賛」とは
全-異質のものである。自居易の創意によるところが大き
いと考えられるこのような形式面については、序や韻文部
分を見てい-際に再度髄れたい。
また規模の大きさという面で言えば、韻文部分で描かれ
る境地と強い補完関係を持っている序文は'それのみで作
品として成立するほど長い。白居易の住庭に関する文と言
えば'江州司馬時に書かれた
「草堂記」があるが'この
「池上篇井序」の序文は
「草堂記」と並べて遜色ないほど
のボリュームを持っているのである。それ故にか'この作
⑤
品を詩ではな-
「序」に分類する見方もある
。
形式や規模の他に更に付け加えると'この作品が結果と
して'長の
「流浪」-
理想の住居探し1
の果てによう
JJ
中国文学報
第七十三冊
や-辿-着
いた住まいで'
年齢'立場を鑑みてもこれから
は吏陰の生活を詣歌しょうとする'そのほぼ起鮎となると
きに書かれた作品であるという鮎も重要である。これから
のち白居易は、洛陽において贋義での
「閑適詩」を'友人
との交流の中'また季節や風景を愛でながら次々と繰-出
し'時に放窓に傾きもする晩年の詩境が形成されてい-の
である。
(
二)
題名について
題名にな
っている
「池上」とは'池の達'または池の上
とも課されようが、詩語としては珍しいものではない。唐
詩の中でも、宴席が庭園などの水蓮に敷かれることが多
い
ことから'宴の詩にはよ-使われる表現のようである。し
かし'白居易作品における
「池上」の意味はこれに止まら
ない。池とい
う題材は自店易
にとっ
て非常に重要な意味を
⑥
持ってお-'「池上」という言葉を
詩
題に冠
する作品も数
多
い。「池上」にたゆたい
'池連に運び込ま
れた様々なも
のたちと'時に封話し時に
l膿化しながらゆった-と過ご
す境地こそが'洛陽における閑適詩の中核を占めているの
である。
題名に関してもう
一鮎問題となるのは'「-篇」という
名付け方である。「-篇」という題名を持
つ作品として'
一般に想起されるのは楽府詩篇であろう。「白馬篇」「軽薄
篇」など'俸続的な話題に則-綴られる五言または七言の
詩篇は'唐代にも多-作られている。但し、次節で引-本
文を見ても分かるように'自居易の
「池上篇井序」の長い
序文、そして田富の韻文部分の自由
・平易で流れるような
「口調」は'美刺
∴献物などを詠うこれらの楽府作品とは
距離がある。このように'
一見形式などが異なる作品に
「-篇」という題名をつけた鮎にも、自居易の工夫が感じ
られる。以下、作品を見てい-際にも梱れるが'時間軸に
沿
って語られる序文'それを受けて完結する韻文部分に、
自居易は'禦府の持
つ叙事性へ物語を語るような調子を'
見ていたのではないだろうか。
このような後世からの考察とは別に、この作品が生まれ'
そして名付けられる経緯は'序文の中で白居易によ
って匪
- Jd-
に語られている。それによると'池の連で宴骨をLtうた
た寝のあと目覚めて口ずさんだものが韻文になったので'
「池上篇」と名付けたtと言う。ただしここで注意したい
のは'この作品に描かれるのはあ-まで'池を中心とした
洛陽履道里の住まい全健と'それによって宣言される自己
の有-ようだということである。池はこの作品で、大き-
豊かな贋がりを持
った自適の地の言い換えとして機能して
いる。ここでは'題名は作品
(本文)を定義するだけでな
-'逆に作品によって特別な意味を輿えられているのであ
る。こ
のように、「池上篇拝序」は、様々な面において白居
易の創意と意欲が強-感じられる作品である。
二
序
文
と
本
文
長い序文に績いて些吉の韻文という形式を取る
「池上篇
井序」だが'ここではまず序文から見ていこう。便宜上三
段に分ける。
白居易
「池上篇杵序」論
(二宮)
都城風土水木之勝在東南偏'東南之勝在履道里'里之
勝在西北隅へ西関北垣第
一第、即日氏斐楽天退老之地。
地方十七畝'屋室三之
一'水五之
一㌧竹九之
一㌧而島樹
構造聞之。
初楽天挽馬主'喜且日'難有蓋池、無実不能守也O乃
作池東粟廉。又日、雄有子弟'無害不能訓也。乃作池北
書庫。又日'雄有賓朋'無琴酒不能娯也。乃作池西琴亭、
加石樽蔦.禦天罷杭州刺史時'得天竺石
l'華亭鶴二以
蹄、始作西平橋、閉環池路。罷蘇州刺史時'得大潮石、
白蓮'折腰菱'青板肪以蹄'又作中高橋'通三島達。罷
刑部侍郎時'有粟千射'善
一車、泊戚獲之習莞薯絃歌者
指百以掃。先是穎川陳孝山輿醸法酒'味甚任。博陵荏晦
叔輿琴、韻甚清。萄客妾費授秋思、聾甚淡。弘農楊貞
一
輿青石三㌧方長平滑、可以坐臥。
大和三年夏'楽天始得請為太子賓客'分秩於洛下'息
窮於池上。凡三任所得'四人所輿'泊吾不才身'今季為
地中物臭。毎至池風春'池月秋'水香蓮開之旦'露清鶴
嘆之夕'排楊石'拳陳酒'援雀琴'弾妻秋思'頼然自適'
77
中囲文学報
第六十四柵
不知其他。酒酎琴罷'叉命築童登中島亭'合奏寛裳散序。
聾随風瓢'戎凝或散、悠揚於竹姻波月之際者久之.曲末
寛而楽天陶然巳酔'陸於石上臭。陸起偶詠、非詩非購、
阿亀握筆'因題石間。税其租成韻章、命為池上篇云爾。
すみ
(洛陽城の風土
・水木の勝景は東南の
偏
に
ある。東南の勝景は
履道里にある。里の勝景は西北の隅にある。西の門から北垣に
もきな
沿
って
1番目の屋敷が、白氏の
翌
禦
天の隠居の地であるO土
地は四万十七畝'住居がその三分の
一'水がその五分の
一㌧竹
がその九分の1、島'樹木'橋や歩道がその間を縫う。
楽天がこの場所の圭になったばか-の時、喜びそして言うに
・つてな
は、「
童
や
池が有
っても'穀物が無ければそれを守ることがで
きない」。そこで池東の穀物庫を造
った。また言うには、「子弟
が有
ってもへ本が無ければ彼らを数えられない」。そこで池北
の書庫を造
った。また言うには'「乗客や友人が有
っても、琴
や酒が無ければ彼らと楽しむことができない」。そこで池西の
琴亭を造-'石造りの酒樽を添えた。楽天は杭州刺史を辞す時、
天竺石
1Eつへ華亭鶴二羽を手に入れて掃-'始めに酉年橋を造
り、池連をぐるり取り巻-小道を開いた。蘇州刺史を辞す時、
大潮石
・白蓮
・折腰菱
・青板坊を手に入れて締り'更に中高橋
を造-、三島
への道を通した。刑部侍部を辞す時、穀物を千射、
本を車
1墓へそれから召使いで'楽器や歌を学んだ者百人を連
れて締
ったo始めの頃へ穎川の陳孝山が醸した酒を贈って-れ、
その味は大暦旨いものだ
った。博陵の雀晦叔が琴を贈って-れ、
その響きは大層清らかであ
った。菊の人妻尊が
「秋思」曲を俸
接して-れ、その響きは大層淡やかであ
った。弘農の楊貞
一が
青石を三つ-れたが'長方形の石は平た-滑らかで'座
った-
寝そべった-できるものだった。
大和三年夏'初めて楽天は求めて太子賓客とな-'洛陽の地
に財産を投じへ池上に身健を休めることができた。三たびの任
で得たもの、四人から輿えられたもの'そして我が不才の身は'
今悉-地中のものとなったのである。風が池を渡
って-る春'
ゆうペ
月が池に映える秋、水香り蓮開-朝'露清-鶴鳴く
夕
ご
とに'
楊氏の石を拭い'陳氏の酒杯を挙げへ在民の琴を手にし'妻氏
の
「秋恩」の曲をつま弾-。酔
っぱらってごきげんで、他のこ
となど
一向気にしない。酒たけなわにして琴が止むと'今度は
1S
禦童たちに命じて中島享に登らせ'寛裳散の序を合奏させる。
音柴は風に乗って漂い'集まりまた散じ、竹林のもや'波間の
月の閲をゆった-と流れること久しい。曲が終わらない内に楽
天はうっとりと酔っぱらい'石の上で眠ってしまう。目醒めて
ふと詠いだすが'詩ともつかず蔵ともつかず、阿亀が筆を握っ
て、それを石の上に題する。それが大方韻文となっているのを
見'名付けて
「池上篇」とした。)
長い序文の一段目、都城という囲まれた場所'更にその
中でも東南の隅--と、「地の勝」である場所を奉げてい
き、辿-着いた所こそ自身の除生のための地であることを
言う。このように次第に税鮎を寄せていき、最終的に主題
となる場所に焦鮎を昔てるという手法は'自店易の景物を
措いた他の散文作品'「冷泉亭記」〔)482〕や
「草堂記」の
⑦
頭の部分と共通するが
'
この序文の場合は入れ子のような
構造が強-意識されているのが特徴的である。この表現に
よ-先ず四方を囲まれた室閲が現出Ltそれは'作品が持
つ内部で完結した幸一帽な雰囲気を生み出す'
一つの大きな
白居易
「池上篇拝序」論
(二宮)
要因となっている。自居易は、「分司」「司馬」や
「白ヂ」
など'自己を場合に鷹じた多様な呼び方で客鰹化すること
で'作品に軽みや物語性などを持たせる表現を好んで用い
る。ここでの日柄も'入れ子構造の中心にあるのは
「自民
里禦天」の退老の地'と表現することによ-'文章に濁特
の軽やかさや暢びやかさ'物語性を輿えている。積けて自
居易作品の特徴の
一つである数字を多用した表現で、大ま
かな様子が紹介され'ここに洛陽履道里邸を描-下地が整
うのである。績いての第二段では'これまで自分がいかに
この
「池上」の住居を造
ってきたか、これまでの任地で自
分が誰から何を手に入れたかなどを、同じ句式の繰-返し
で叙述する。これはいわば'自身の構築と獲得の歴史の紹
介である。入れ子の中心、囲われた場所に詰め込まれるべ
きものごとが'具膿的な名を伴
って次々と登場し'自居易
が自適の生活を描-ためのお膳立てがここに整う。最後の
第三段では、これらのものと共に今
「地中の物」となった
白自身が、そこで日ごと悠々と過ごすさまが措かれ'口ず
さんだものがたまたま韻文になった、と四言詩の部分につ
10
中国文学報
第七十三冊
ながっていく。
序文の語句は全膿に平易であり、また同じ句作-を多用
して非常に通-の良い文章になっている。白居易が
「池
上」を構築してい-過程が'順序を迫
って語られてい-樵
は'ひとつの物語を聞いているような雰囲気がある。まず
注目したいのが'使われている語嚢がご-個人的なもので
あるという鮎である。つま-'例えば
「天竺石」にせよ
「大潮石」にせよ'恐ら-自居易とその周連の人々によっ
てのみ債値を見出され認められているものであると考えら
れ、そのような名詞の羅列が'この文章のごく私的な雰囲
気を決定づけているのである。
文章は更に績いて'それらのコレクションと自己が共に
「池中の物」となる、と述べるに到る。これは'石や鶴を
⑧
度々自己の伴侶として描-自居易にあっても
'
特に注目さ
れる表現であろう。「池中の物」という表現は白居易の他
の作品にも出て-る。「池上篇拝序」の数年後に書かれた
長編
「詠輿」詩の四首目'「四月池水満」(大和七年
洛陽)
〔巻二九
格詩歌行雑鰹
・2959]ではへ池にいる魚や亀に語
たぐい
-かけ'「況んや吾と爾の輩'本より蚊龍の
疋
に
あらず。
もし
た
⑨
仮如雲雨の乗たるもう概
だ是れ地中の物なり
」
と詠う。た
だし、この句と比べると
「池上篇拝序」の
「池中の物」は'
典故をどの程度踏まえているのか判断するのが難しい。典
故によって喚起される意味づけよ-も、自己を
「物」の集
合の中に嬉々として並び入れてしまう姿そのものが、強調
されているように感じられるのである。自己を物と同列に
並べ数えるという態度は、後世で言えば欧陽修
「六
一居士
⑲
俸」と共通する自己認識である
。
ただし自居易は、欧陽修
のように自分でその所以を語-はせず、序文は績けて
「池
中の物」となった自居易がその境地を楽しむ姿を措-のみ
である。唐突とも思えるような表現ではあるが、これに
よって、序文を見てきた際に述べた'
一種の物語を語るよ
うな口調は更に強調される。序文で構築と獲得の歴史を語
る中で'作品としての舞憂設定が次第に整
ってい-。その
中で自居易は'獲得されたものたちと同様、「池中」の登
場人物よろし-自分をもその中に並べ入れてしまうのであ
る。
20
序文の末尾には'自分がこの池上での
l年'
1日をいか
に楽しむかと言うことを言うが、ここに至
って特定の日時
を示す時間の概念が取-排われ'巡る季節のなか'永遠に
檀-かのような楽しみが措かれる。では次に、その中で生
まれたとされる四言の韻文部分を見てみよう。
十畝之宅
五畝之園
有水
一池
有竹千竿
勿謂土狭
勿謂地偏
足以容膝
足以息肩
有堂有亭
有橋有船
有書有酒
有歌有絃
十畝の宅
五畝の園
水の1池有-
竹の千竿有-
土の狭きを請う勿かれ
地の偏なるを謂う勿かれ
以て膝を容るるに足-
以て眉を息ますに足る
堂有り
亭有-
橋有-
船有り
書有-
酒有-
歌有-
絃有-
有里在中
自責瓢然
識分知足
外無求罵
如鳥揮木
姑務巣安
知恵居吹
不知海寛
塞鶴怪石
紫菱白蓮
皆吾所好
蓋在我前
時引
一杯
戎吟
1篇
妻挙
配嵐州
薙大関閑
優哉瀞哉
吾牌終老乎共闘
里の中に在る有-
自棄
瓢然た-
分を識-
足るを知-
外に求むる無し
鳥の如-木を揮びて
姑-巣を安んじるに務む
竃の如-次に居-て
海の寛きを知らず
壷鶴
怪
石
紫菱
白
蓮
皆な吾れの好む所
塞-我が前に在-
時に
一杯を引き
或いは
一篇を吟ず
妻
撃
畢配州たり
薙大
関閑たり
優なるかな
瀞なるかな
吾れ将に其の閲に老いを終えん
- 21-
白居易
「池上篇杵序」論
(二宮)
中国文筆報
第七十三筋
二韻してまず印象的なのは'その通りの良さと滑らかな
リズムである。序に言う
「陸起して偶たま詠じ'詩に非ず
賦に非ず」という雰囲気そのままに、白居易の満足感が柔
らか-'しかし明確に侍わって-る。序文と合わせて、閉
ざされた平和で親密な空間がここに完成するのである。
ところで、四言という韻文形式は'多-は改まった内容
を言うときに用いられる。この作品において四言の表現が
用いられるのも'作品が'自分が今後いかに過ごすかをい
う
「宣言」としての意味を持っているからだと考えられる。
但し'本文を見ると分かるようにへその表現はあ-まで平
易で暢びやかである。四言のリズムの連積の中で'最後に
結びとしておかれる破格の句'これも宣言の総括として非
常に致果的である。
前半部分には、「有水
一池'有竹千竿」と舞董設定を終
えた上で、「有里在中'日額瓢然」に繋がる-だりがある。
これは'ある修件'環境を持
った空間をまず現出させ、次
にその中にいる人物にスポットを普てるという手法だが'
江州で書かれた
「香焼峰下新置草堂即事詠懐題於石上」詩
(元和
l11年)〔巻七
閑適
・0303]の前半部分も似たような
結構を持
っている。以下に引用してみよう。
香煙峰北面
遺愛寺西偏
白石何整整
清流亦湛湛
有松数十株
有竹千鎗竿
松張翠撤蓋
竹倍青現坪
其下無人居
惜哉多歳年
有時衆渡鳥
終日室風姻
時有沈冥子
姓日宇楽天
平生無所好
香鐘峰の北面
遭愛寺の西偏
白石
何ぞ整整たる
清流
亦た湛混た-
松有-
数十株
竹有-
千絵竿
松は翠の撤蓋を張り
竹は青き改野を俸す
其の下
人の居る無-
惜しいかな
多歳の年
有時
猛鳥衆まるも
終日
風咽を空しくす
時に沈実子有り
姓白
字禦天
平生
好む所無きも
22
見此心依然
如獲終老地
忽乎不知還
此れを見て
心
依然た-
終
老の地を獲Lが如-
忽として還るを知らず
具健的な数字で表現される舞蓋が描き出され'その中に
いる
「自己」が登場した後は'彼を主語として詩が展開し
ていく。主人公を言う句に'いずれも
「自」の字が使われ
ている鮎にも注目したい。後の論でも梱れることになるが'
江川鹿山を描-ときに使用される表現と'洛陽履造里を措
く際に使われるそれとは、指摘すべき共通鮎が多-'特に
注目される。
さて'自居易文学には'同時代の他の詩人に比べて異例
に多い詩文の中で'類似した表現
・思想をしばしば繰-近
す-
しかもその表現
・思想は'
一生を通してぶれること
⑪
が少ない-
という特徴が有-
、
この
「池上篇井序」でも
それは例外ではない。例えば、自己の居る土地は狭-て達
都だがそれに満足していると言うこと、また
「識分知足」
白居易
「池上篇杵序」論
(二言)
などの道家的な庭世哲学は'自居易文学の中ではいずれも
なじみの表現であろう。更に、「有
○有
O」という表現で
綴られてい-堂'亭'橋'船、書'酒'歌'舷はいずれも
閑適詩の題材として'個別にまた組み合わされて様々に詠
われるものであるLtそのあとで羅列される震鶴'怪石、
紫菱'白蓮は自店易閑適生活の映-べからざる相棒として
詩文にしばしば登場する。つまり'ここで内容面のみ見れ
ば、特に目に止まる新奇な鮎は皆無と言
って良い。しかし
逆に言えば'ここで提示される
1つ1つの思想また題材は'
それぞれが濁立
・分散して
一篇の詩の中に描かれ得るもの
であり'それらが凝縮され'集結しているという鮎が却
っ
て目を引-のである。序文での構築と獲得の詳細な説明を
受けて績-四言のこの部分は'平易な表現であるが故にそ
の他の詩文からは際だって直裁的であ-'また幸福の姿を
表して高度に概念的でもある。
さて、以下特に注目したいのは'この韻文部分において、
自居易が自適の室閲を直切り'定義するために用いた幾つ
かの表現である。長編
「池上篇井序」には'閉ざされ濁立
- 23-
中国文学報
第七十三射
し、過不足無-調和した世界が描き出されている。この杢
間を生み出すのに大き-寄輿している幾
つかの表現方法を、
その他の自居易作品の中に置いて再検討してみることによ
-'「池上篇井序」をよ-豊かに謹むことができるのでは
ないか。またそれを通して'白居易がいかにして自適の空
間を定義するか'ということもあわせて考えていきたい。
三
自適の室閲を定義する表現
(
一
)
「全て目の前にある」幸せ
先ず取-上げるのは'「畳鶴怪石、紫菱白蓮。皆な吾れ
の好む所'壷-我が前に在-」'杭州'蘇州から持ち掃
っ
てきた愛好物たちが'悉-自分の目の前にあるtという表
現である。この句に到る前の部分で'土地の狭さを是とし、
そこに寵
って自足することが詠われるが、この二句で
「手
に屈-場所に自分の好む物がある」と言うことによ-'池
上の空間は更に凝縮されその親密さを槍す。
このような表現方法の用例として確認し得た、最も早い
例は'詩ではな-江川にて書かれた手紙の
1節である。
前月中、長兄従宿州来。又孤幼弟姪六七人、皆白蓮至。
--此亦欺欺委順之外'釜目安也。況庭山在前'九江在
左、出門是鎗浪水'翠頭見香鐘峯。東西二林'時時
一往。
ヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽ
至如潅水'怪石、桂風'杉月、平生所愛者、蓋在其中。
此又九九任化之外、釜自適也。今日之心、誠不待此而後
安適。況乗之者平。
(先月中には'長兄が楕州からやってまい-ました。また、幼
-身よ-のない甥や姪六七人が、みな遠方より集まってきまし
た。--このことはまた'押し歎って流れに委ねることとは別
に'ますます安らかな気持ちにさせて-れます。ましてや、塩
山はすぐ前'九江
(江州)は左に、門を出ればすぐに長江の流
れがあ-'頭をあげれば香鐘峯が見えるのですから。東林寺
・
西林寺にはたびたび足を向けます。瀧や奇怪な岩、桂を渡る風
や杉にかかる月といった'普段から好むものごとに至っては'
すべてこの内に有るのです。このことはまたへじいっと蟹化に
- 24-
任せていることとは別に、ますます契しい気持ちにさせて-れ
ます。今の私の気持ちは'これらのことが無-ても本音に安ら
かで禦しいものです。ましてやこの二つが揃えばなおさらで
す。)
(「答戸部荏侍郎書」)∩)487]
この手紙は元和
11年
(八l六)に書かれたものとされ
る。荏侍郎とは、自居易と共に翰林学士になった荏華のこ
と。「欺欺委順」「九九任化」というのは'引用部分の前で'
左遷されてからの自分の心境を言う際に使
った表現を受け
て言
っている。心の安定をもたらしたものとして'自己の
精神の浄化と共に、親戚の集結や景物の美しきを奉げてい
るのである。
績いて確認できた例は'同じ-江州で'元積に宛てて書
かれた手紙、「輿微之書」〔)489]の
1節である。自民文集
の中では'元横に宛てて書かれた手紙には他に有名な
「輿
元九書」[)486]があるが'「輿元九書」が'これまでの文
学者としての遍歴や文学観など'比較的かしこまった内容
に傾-のに封Ltこの書には'切々とした情愛に溢れた私
自居易
「池上篇拝序」論
(二言)
的な手紙という趣がある。該普する部分の具健的な内容は'
「答戸部雀侍郎書」とほぼ同じである。自身が江川で志な
く過ごしていることを
「1泰」「二泰」として数え上げな
がら述べる部分で'親戚が集ま
ってきたことに梱れて'
ヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽヽ
-頃所牽念者'今悉置在日前'得同寒媛飢飽。此
一泰也。
(以前より気に掛けていた者たちを'今すべて目の届-ところ
に置いておき'暮らしを共にすることができます。これが一つ
日の安らぎです)
と言い'また庭山の景物がいかに美しいかをつらつらと述
べたあと、
ヽヽヽヽ
・・・大抵若是、不能輝記.毎
一端往'動禰旬日。平生所好
ヽ
ヽヽヽヽ
者、蓋在其中。不唯忘蹄'可以終老。此三春也。
(大まかなところはこのようですが'とても全ては書き記せま
せん。一人そこに行-度に'ややもすれば十日も滞在してしま
います。普段から好んでいるものへ全てがその内にあるのです。
2J
中国文学報
第七十三筋
締るのを忘れるのみならずへそこで老いを迎えられると思われ
るほどです。これが三つ目の安らぎです)
と言う。これらの手紙の中では
「目の前に有る」のは身内
の者たちであ-'景物の方は
「蓋-其の中に在る」という
表現にな
っているが'名詞の羅列から
「今全てその中にあ
る」とつながるという形式は'「池上篇井序」の句式と類
似している。この表現の特徴は、自分の目の前の室間を強
-肯定する鮎にあり'前に置かれる親戚'また景物や愛好
物の羅列表現は'肯定感を生み出すための棟件である。
さて、調査の及ぶ限-では'江川期から
「池上篇拝序」
が書かれた期間までには似た表現'言い回しは見あたらな
い。つま-'江川での友
への手紙の中で生まれたこの表現
は'長い時間を経て
「池上篇井序」の韻文の中で再び顔を
出したと考えて良
いと思われる。両者は、片や手紙'片や
韻文であるLt片や江州の苦境における友人とのや-と-
から'片や洛陽の自適の生活から生まれた表現であるので、
句の調子や'印象-
前者の切苦さ'後者の満足感-
が
かけ離れているのは言わずもがなではある。しかし、い
ず
れも眼前の空間を強-肯定するために使われている鮎で
は
愛わ-ない。左遷という喪失の後辿-着
いた先で'「ここ
にはこれだけ素晴らしいものがあるのだ」、と尊兄の喜び
を言う表現は'時を経た洛陽で、獲得してきたものを自分
の思い通-に眼前に並べ'その喜びと満足を詣う表現
へと
特化してい-。江川塩山は自店易が逃げ込んだ救済の地、
洛陽履道里は自覚的な選樺と構築を線-返した末の自適の
地であるが、そのいずれに在
っても白居易は'良いものご
とだけを目の前に並べてへそこに満足を見出すのである。
それではこの節の最後に'類似する表現が出て-る作品
として'「池上篇井序」が書かれてから更に数年経
ったあ
とに書かれたとされる詩を挙げる。
2∂
七月
一日天
秋生履造里
閑居見浦景
高興従此始
七月
一日の天
秋は履道里に生ず
あら
閑居
活景見われ
高興
此れよ-始まる
林間暑両歌
池上涼風起
橋竹碧鮮鮮
岸渉青廉廉
蒼然古磐石
清洩平流水
何言中門前
便是深山真
壁憧侍坐臥
一杖扶行止
飢聞麻粥香
渇覚雲湯美
林間
暑雨
飲み
池上
涼風
起
つ
橋竹
碧-して鮮鮮たり
岸渉
青-して廉廉た-
蒼然た-
古磐の石
清洩た-
平流の水
何ぞ言わん中門の前と
便ち是れ深山の裏なり
嬰憧
坐臥に侍し
一杖
行止を扶-
飢うれば麻粥の香るを聞き
渇けば雲湯の美きを覚ゆ
(胡麻粥、雲母湯
)
(胡麻の粥、雲母の湯)
平生所好物
ヽヽヽヽヽ
今日多在此
此外更何思
市朝心巳夫
平生好む所の物
今日多-此こに在-
此の外
更に何をか思わん
市朝
心は己みぬ
(「七月一日作」詩
大和九年)〔巻三〇
格詩
・3038]
自居易
「池上篇杵序」論
(二宮)
風景の美しさ、心配-の行き届いた環境'心に適った食
事tと積いたあとに現れる表現が'「全て」眼前にある'
ではなく
「多-」ここにある、と愛わっているのが面白い。
見つけられた
一例のみから締約するのは難しいが、閑適生
活が進む中'強い喜びを言う表現が'穏やかで鎗裕のある
日常風景を言う語に饗化しているtともとれるのである。
(
二
)
「有」字
の修辞
次に取-上げたいのは'「有」字を使った修酢である。
自己のいる空間
(自分の今の情況とも言い換えられる)に
は何が
「有る」かを言うこの表現は'単純でどこにでも使
われる句式ではあるが'作品の中で自分の空間を築-こと
に拘
った自居易文学においては'漏特の現れ方をする。ま
た、「有」字を様々に使い分けることによって生み出され
る明解なリズムや論理は、平易と言われる自詩の特徴を形
作る由来の一つになってお-、それが白居易特有の思考様
式につながっているとも考えられるのである。「池上篇拝
序」の中には'その意味するところは異なるものの、賓に
27
中国文筆報
第七十三筋
十
1文字もの
「有」字が使われてお-'作品全髄の喜びに
溢れた雰囲気を作り出す大きな要因となっている。それで
は'「池上篇井序」の表現を最終目的地としつつ、自詩の
室聞構成'情景描嘉に係る
「有」字句で'特徴的なものを
⑲
幾つか整理して見てみよう。
【有+衣/食=
必要最低限のもの】
この表現が用いられる作品の境地は'いずれも
「池上篇
拝序」の描-ものとは質を異にするが'自居易の
「有」字
句を見る際には看過できない重要なものなので、先ず取-
上げる。
幸兎凍輿倭
此外復何求
寡欲堆少病
楽天心不憂
何以明吾志
周易在床頭
幸いにして凍と倭を兎るれば
此の外
復た何をか求めん
欲寡-して
少し-病むと難も
天を楽しみて
心は憂えず
何を以て吾が志を明らかにせん
周易
床頭に在-
(「永崇里敷居」詩
永貞元年
長安)[巻五
閑適
・01
79〕
異陰山豆長遠
至道在冥捜
身雄世界住
心輿虚無遊
ヽヽヽヽヽ
朝飢有読食
ヽヽヽヽヽ
夜寒有布袋
異陰
山豆に長遠ならんや
至道
冥接に在-
身は世界に住むと難も
心は虚無と遊ぶ
朝飢うれば読食有-
夜寒ければ布袋有-
騨吏引藤輿
家佳開竹扉
往時多暫任
今日是長蹄
ヽヽヽヽヽ
眼下有衣食
ヽヽヽヽヽ
耳遠無是非
不論貧輿富
飲水亦療肥
(「蹄履道宅」詩
騨吏
藤輿を引き
家憧
竹扉を開ける
往
時
多-暫任なるも
今日
是れ長辞す
眼下
衣食有-
耳遠
是非無し
貧と富を論じず
水を飲むも亦た鷹に肥ゆべし
大和三年
洛陽)〔巻二七
律詩・27
25]
2g
ヽヽヽヽヽヽヽ
眼下有衣乗有食
ヽヽヽヽヽヽヽ
心中無喜亦無憂
匹如身後有何事
磨向人間無所求
静念道経深閉目
閑迎碍客小低頭
猶残少許雲泉興
一歳龍門数度遊
(「偶吟二首」詩之
一
眼下衣有-
兼ねて食有-
心中喜
び無-
亦た憂い無し
たと
匹如え
ば身後
何事か有らん
鷹に人間に向かいて求むる所無か
るべ
し
静かに造経を念じて深-目を閉じ
すこ
た
閑に椎客を迎えて小し-頭を低る
猶お残す少許の雲泉の興
一歳
龍門
数度遊ぶ
大和四年
洛陽)〔巻二七
律詩・2
775]
引用した詩は永崇里の観居、履道里の宅と、居所を題名
に冠している。いずれも閑適的生活を詠う作品であるが'
快適で喜びに溢れた自適の生活ではな-、現世的欲望を捨
て、精神生活の充茸を希求する境地を描
いている。「有衣
食」は自己の生活を保護する最低限の楳件として提示され
る。こ
れらの例は'自居易文学の'どのような状況下に在ろ
白居易
「池上篇拝序」論
(二宮)
うとそこに満足を見出すという特徴を良-表していると考
えられる。というのも'これは引用の
一首目に特に顕著だ
が'(粗末な)食事や衣服は普通'物質的な欲求を抑えた
隠逸生活の高潔さを言うために使われるべきものである。
故に'これらの食事
・衣服という候件は、取るに足らない
もの、最小のものでな-てはならない。ところがここで自
居易は、飢えないだけの食べ物、凍えないだけの衣服'そ
れらを
「Iは有る」という言葉で捉えることによって'い
わば逆説的に'満足感を表す表現
へと轄換してしまうので
ある。このような表現によって'隠逸的空間と現賓的な生
活との距離もまたぐ
つと縮められている。
【有+閑適生活の楽しみ】
帝都名利場
帝都は名利の場
薙鳴無安居
難鳴きて安居する無し
猫有償慢者
濁-願慢たる者有-て
旦筒頭末杭
日高-して頭未だ枕らず
- 29-
中国文学報
第七十三筋
旬時阻談笑
旦夕望軒車
誰能健校閲
解帯朴吾鹿
ヽヽヽヽヽ
薗前有竹玩
ヽヽヽヽヽ
門外有酒活
何以待君
子
敷竿野
一壷
旬時
談笑を阻
つれば
旦
夕
軒車を望む
誰ぞ能-健校の閲に
帯を解きて吾が庭に朴さん
薗前
竹の玩ぶ有り
A(ノ
門外
酒の活る有-
何を以てか
君子を待たん
敷竿
二軍に野す
(「常禦里閑居偶題十六韻兼寄劉十五公輿王十
1起呂二見呂四
穎崖十八玄亮元九横劉三十二敦賀張十五仲方時為校吾郎」詩
貞元十九年
蓋目前軒朴
紳閑境亦室
ヽヽヽヽヽ
有山普枕上
ヽヽヽヽヽ
無事到心中
簾巻俊床日
犀遮入座風
長安)〔巻二
閑適
・o
t75〕
蓋目
前軒に朴し
紳
閑にして境も亦た杢なり
山の枕上に首たる有-
事
の心中に到る無し
簾巻きて床を侵す日
犀は遮る座に入る風
望春春未到
鷹在海門東
(「閑朴」詩
大隠住朝市
小隙入丘焚
丘契太冷落
朝市大書誼
不如作中隙
陰在留司官
終歳無公事
随月有俸鑓
ヽヽヽヽヽ
君若好登臨
ヽヽヽヽヽ
城南有秋山
ヽヽヽヽヽ
君若愛遊蕩
ヽヽヽヽヽ
城東有春園
君若欲
一醇
時出赴賓延
春を望むも春未だ到らず
麿に海門の東に在るべし
長慶三年
杭州)〔巻二三
律詩・2329]
大隠
朝市に住み
小隙
丘契に
入る
はなは
丘焚
太
だ
冷落た
り
はなは
朝市
太
だ
器誼た-
な
如かず
中隙と
作-
て
隠れて留司
の官に
在るに
終歳
公事無-
随月
俸鑓有-
君
若し登臨を好まば
城南
秋山有り
君
若し遊蕩を愛さば
城東
春園有-
君
若し
一醇せんと欲さば
時に出でて賓延に赴け
JO
洛中多君子
可以悉歓言
君若欲高朴
但自深掩関
亦無車馬客
造次到門前
洛中
君子多-
以て歓言を窓にすべし
君
若し高針せんと欲さば
但だ自ら深-掩開せよ
亦た車馬の客の
造次
門前に到る無し
(「中腰」詩
大和三年
洛陽)[巻二二
格詩難健・22
77〕
いずれの表現も'「有
+O」という短い句で閑適空間の
姿を端的に'また単純に表してお-'それによってある種
の生活態度、空間を明示している。例えば引用した
1首日
では'「窓の外には愛でるべき竹があ-'門の外には酒が
(いつでも)手に入る」と'自由きままな暮らしができる
場が存在することを端的に示唆している。また、最後に引
いた
「中陰」詩では、「もし散策が好きなら'街の南に秋
のピクニックに適した山がある」と言うことで'中隊生活
の楽しみを保護しているかのようであるし、また繰-返し
白居易「池上篇拝序」論
(二宮)
の封句表現を使うことでその枠組みは単純化され'簡便な
観光案内のような趣さえ帯びる。「有」の後ろに置かれる
酒や竹、山などは'それぞれが精神的意味を付興されうる、
いわば閑適生活のシンボルであるが、それらが具健的にど
のようなものか、またそれらをどのように楽しみ鑑賞する
かなどは言われない。このような表現の単純さによ-、竹
や酒、山などは'詩の中で閑適生活の日常に組み込まれ定
着するのである。また、「有」字句は後ろに置かれるもの
の物質的な面を強調し、例えば二首目のように
「山」さえ
⑬
も身連に引き寄せているかのような表現が見られる
。
閑適空間とは'基本的にそれに反する存在が常に封置さ
れるもの、つま-'あ-せ-した官僚生活'名利を重んじ
る債値観などと封比された上で成立するものであるが'こ
こでは
「有」字句はそのような室間を保護する催件として
用いられる。「有る」ということは'それを柴しむ境地に
いられる、という修件の保護でもあるLt「有る」とわざ
わざ明示することによって'閑適空間にいることの喜びが
かみしめられ'噂幅されもするのである。
ー 31-
中開文学報
第七十三筋
「有+O」表現には、
他にも幾
つかの句式のパターンが
見られる。以下に挙げるのは'上に挙げた例と同様
「有」
の後ろに閑適生活の禦しみを置き
つつ'否定詞を用いて逆
の境地を言うものである。まず
一例奉げる。
十年馬旅客
常有飢寒愁
三年作諌官
復多戸素蓋
ヽヽヽヽヽ
有酒不暇飲
ヽヽヽヽヽ
有山不待避
豊無平生志
拘牽不自由
一朝蹄澗上
迂如不繋舟
置心世事外
無害亦無憂
な
十年
旅客と篤-
常に飢寒の愁有
-な
三年
諌官と作
-
復た戸素の蓋多し
酒有るも飲むに暇あらず
山有るも遊ぶを得ず
崖に平生の志無からんや
拘牽せられ自由ならず
一朝
消上に拝し
迂たること繋がれざる舟の如し
心を世事の外に置き
喜び無-亦た憂い無し
(「適意二首」詩之
一
元和七年
下部)[巻六
閑適
・0
236]
青年期の流浪や官僚としての責務'それらはいずれも詩
や山水などの楽しみを味わうことを許して-れなか
った。
翻
って'服喪で故郷に掃
っている今の、拘束のない自由さ
を喜んでいる。目の前に心誘われるものごとがあるのに'
時間がないためそこに踏み込めないことを言うのに、「有
⑯
○不○○」という表現が使われている
。
次に奉げるのは'同じ-
「有+閑適生活の楽しみ」では
あるが、「傭
(閑)」と言う別の要素が入-、更に複雑な境
地を表すもの。二例挙げる。
- 32-
門前少賓客
階下多松竹
秋景下西聴
涼風入東屋
ヽヽヽヽヽ
有琴傭不弄
ヽヽヽヽヽ
有害閑不語
門前
賓客少なく
階下
松竹多し
秋景
西糖に下-
涼風
東屋に入る
琴有るも
傭-して弄ばず
書有るも
閑として謹まず
壷日方寸申
渡然無所欲
蓋
日
方寸の中
塘然として欲する所無し
(「秋居書懐」諸
元和五年
長安)[巻五
閑適
・oL98〕
架上非無書
ヽヽヽヽヽ
眼傭不能看
ヽヽヽヽヽ
匝中亦有琴
ヽヽヽヽヽ
手傭不能弾
腰傭不能帯
頭傭不能冠
架上
書無きに非ず
眼傭-して看る能わず
匝中
亦た琴有-
手傭-して弾-能わず
腰傭-して帯する能わず
頭傭-して冠する能わず
(「傭不能」詩
大和四年
洛陽)〔巻二二
格詩難佳
・229)〕
いずれも酒を飲んだ-詩を詠んだ-できる催件は有るの
⑮
だが'「傭い」ためやらない'という
。
この
「傭」に少し
鱗れてお-と'これはもちろん単なるものぐさ、なまけを
言うものではない。稚康
「奥山巨源絶交書」などの影響を
自居易
「池上篇井序」論
(二宮)
受け'規律に縛られた融合的なものごとを意に介さない態
⑮
度を言う
「傭」であるが
'
注意したいのは'自店易詩では
詩や酒、琴といった、官僚生活とは無関係の'鎗暇/隠逸
的生活に関わるものまで
「傭」であるためやらない、とし
ている鮎である。更に、手が償い'足が傭いと'肉鰹的な
だるさを言う表現も見受けられる。自居易の
「傭」は'隠
者が示す
「傭さ」を踏まえ、その上でよ-多様で具膿的な
気分を表す際にも使われるようである。
ここまで様々な
「有+閑適生活の楽しみ」句のパターン
を見てきた。自分のいる側
(場所'情況)=閑適的境地に
は何が
「有る」かを言うこの表現は'詩に
一定のリズムを
もたらし、単純であるが故に自己の主張'情況を簡潔且つ
明快に説明できる。閑適空間を
「日常」として表現する
一
方で'「有る」ことによる喜びもまた噂幅される。また'
単純な句作-であるが故に'否定句と組み合わせられて更
に踏み込んだ境地を表現することもでき'白居易はそのよ
うな表現も好んで用いたようである。これらのことを確認
した上で'「池上篇拝序」に戻
って見てみよう。
- 33-
中国文学報
第七十三筋
ここに取-上げたい
「池上篇井序」の
「有」字句は'
「有堂有亭、有橋有船。有書有酒、有歌有絃」という羅列
表現である。これもいわば'「有+閑適生活の楽しみ」表
現の
一つのバリエーションと言えようが、この表現では今
まで見てきたものとは異なる鮎がある。「有」字の後ろに
来る堂や亭、橋'船は序文でその構築の過程が述べられ'
書や酒、歌'舷も'同じ-序文でその獲得が描宕されてい
る。つま-'「有」の後ろに置かれるものたちは、序文で
構築
・獲得の過程が詳細に記されると言う鮎においてきわ
めて具髄的であ-、故にまず強調されるのは、「ここまで
手に入れた」という所有と獲得の喜びであろう。また'こ
の作品の
「有」字句を'今まで見てきたものと同様'閑適
空間を端的に表す表現と見ることができるならば'ここで
表されるのは獲得
・所有の喜びを更に進めた、閑適生活を
送る場所にいて、そこに完全に屠している喜びである。単
純かつ明解な'「有
○有
○有
○有
○--」と言う塵みかけ
るリズムは'意味の上での通り易さと共に、作品が描-世
界が、何の拘束や阻害物もな-思うさま楽しめる場所だと
強調しているかのようである。四言のリズムがここでは非
常に効果的である。
〓疋のリズムを持
った句の連積によ-'
自店易は自己の理想とする閑適生活
(室聞)のビジョンと
その物質的確件、そして今それらを手に入れ'その空間の
中に在るという喜びを'これ以上はないと言うほど明確に
表現できるのである。
この
「有」字句に注目すると'この作品の持つ明快な雰
囲気が殊更に際立つ。韻文部分の形式面についてはこれま
でにも度々購れてきたが'最後にもう
一度振-返
ってみた
い。序文には、居眠-から醒めてご機嫌で口ずさみできた
ものだ'とあるが、我々が作品を謹むときには'それを額
面通-に受け取
ってはもちろんならないだろう。四言と言
う形式が選ばれたのは'「宣言」としての意味付け'また
詠うような口調を生かすという目的と共に'複雑な描寓や
韓折を容れない、単純な力強さを求めた結果ではないだろ
うか。四言のリズムは作為を感じさせない軽やかな風情を
湛え、柳かの構えたところも見せずに、単純かつ明確な自
己の理想を俸える。ここにこの作品の巧みさがあると言え
- 34-
るだろう。お
わ
り
に
先に'隠逸世界は基本的にそれに封置される世界と共に
成立すると述べた。ここにきて気付-のは'この
「池上篇
井序」にはそのような封置されるべき世界が、殆ど意識さ
れていないと言うことである。更に言えば'閑適室閲にし
ばしば登場する'自己の精細修養に関わる言葉も、この作
品には登場しない。あるのは、限られた空間をいかに構築
し、充賓させたかと言うこと'またその室閲をいかに楽し
み守
ってい-かと言う宣言であ-、外の世界のことは、恐
ら-意識的に'言及されていない。これは'物語を語るよ
うに描かれた散文部分'軽やかな宣言として馨された韻文
部分それぞれに'どのような言葉を使
って'いかに措-かt
という選樺を重ねた結果であ-、か-して
「池上」は閉ざ
された理想郷としてその姿を現すのである。
作品の最後は'「優哉瀞哉'吾婿終老乎其聞」という句
で結ばれる。自居易は'洛陽履道里のみならず様々な場所
自店易
「池上篇杵序」論
(lニ呂)
⑫
を自己の
「終老」の地であると詠う
。
これは'自己の老い
や柊の棲家に非常な関心を寄せた白居易がうその時々の心
情、またその作品が求める致呆に従
って言葉を綴
っていっ
た結果であると考えられる。しかし、様々な
「終老」の地
の中で'この
「池上篇井序」ほどま
ったき喜びを詠
った作
品は他にな-'この作品はその形式の濁特さとメッセージ
性の強さで'ひときわ異彩を放
っていると言えるだろう。
「池上篇拝序」は、自店易が獲得した自適の地を文学にお
ける表現世界として昇華したものであ-'また同時に自己
の庭世のあ-方の'力強い宣言文ともなっているのである。
- 35-
引用詩文は謝恩偉
『白居易詩集校注』(中華書局'二〇〇
六年)を底本とLt巻数と各巻の標題、また花房英樹による
作品番親を付す。詩文の制作年代
・場所もこの本の記述に擦
る。『校注』に採られていない散文作品については'『四部叢
刊』本を底本とする。語句の検索には'墓滞中央研究院の漢
籍電子文献
・董漕師大園書館の
「寒泉」を使用させていただ
いた。『白
居易研究年報』(創刊鋸'勉誠出版'二〇〇〇年)への
④
中国文学報
第七十三筋
ち
『白居易研究
閑適の詩想』(汲古書院'二〇〇六年)収
録。氏の研究は、題名を
「自居易
「池上篇」考」とされてい
るが'「池上篇井序」
一篇のみを研究封象とされているわけ
ではな-'「池」を措-閑適詩全てを考察の封象とされてい
る。これはへ池上を措いた詩篇全裸を'「池上篇」(「池上」
を措いた
「詩篇」の意か)と言う単語で線構しているのだろ
、つ0
捜
田氏の研究では'「池上篇杵序」から認められる'履造
里居における池連風景の三つの性格を'以下のようにまとめ
る。
一、作品中に描かれる水蓮の風景は'豊かな経験とそこ
から導き出される確かな計童のもとで、整備され改造された
人馬人工の空間であった。二㌧自邸の池連室間は、目的や用
途ごとに分割された小領域の絶結集からできている。三、作
品中に措かれる住居や庭園は、瑞々しい生命の張る生きた空
間となっている。
自居易の住居を描-作品を、各時代に沿って詳細に分析し
たものとして'塩田重夫
「自屠易と家屋表現(上)-上身憶と
居住室間を繋ぐもの」(『中固辞文論叢』
l五礁t
lL九九六
年)'同
「白居易と家屋表現(中)
身憶と居住室閲を繋ぐ
もの」(『中囲詩文論叢』
一六競t
l九九七年)'同
「自居易
と家屋表現
(下の
一)-
詩人における塩山草堂の意義」
(『中国詩文論叢』
一七凍、
一九九八年)、同
「自居易と家屋
表現(下)の二1
詩人における長安新昌里邸の意義」(『中国
詩文論叢」
一八礁'
一九九九年)'同
「自店易における洛陽
履道里邸の意義」(『中国文学研究』二九礁'二〇〇三年)
(いずれものち
『自居易研究
閑適の詩想』収録)がある。
⑤
『四部叢刊』本'紹興本などは、「序」に分類する。本稿
が底本とする
『白居易詩集校注』は紹興本を底本としている
が'「池上篇井序」は
「謡」や
「餅」、「吟」などを題名にも
つ作品と共に、巻三七
補人に入れられている。
⑥
鉦に梱れた埋田重夫
「自居易
「池上篇」考・--水蓮の時室
と閑適の至境-
」では'「池上詩」が白居易五十三歳から
七十
1歳の時まで間断な-作-積けら
れてお-へその詩形は
多種多様に捗る鮎が指摘されている。また'白居易にとって
池畔は、「自らの出鹿進退を意義づける上で、最適の場に
なって」お-'「水蓮の清浄な雰囲気」は白居易の
「内部に
ある塵境を濯ぎ流して-れ」'「一定の大きさで囲い込まれ、
分節され、所属を明示された私有地はへその持ち主にとって、
我が身の如-かけがえのない親密な空間にな-得る」とされ
ている。
⑦
それぞれの冒頭部分を奉げる。
「東南山水、除杭郡為最。就郡言へ重陽寺為尤o由寺観'霊
泉亭馬甲o・・・-」(「冷泉亭記」)
「匡鹿奇秀甲天下山'山北峯日香鐘へ峯北寺日通愛寺へ介峯
寺聞、其境勝絶'又甲庭山。」(「草堂記」)
⑧
例えばへ「蓮石」詩
(賓暦二年
杭州)〔巻二四
律詩
・
Jd
2476]
青
石
一両片、白蓮三四校。寄終末洛去'心輿物相随。
・
領郡来何遠'蓮郷去己遅。莫言千里別、歳晩有心期。
など。このようにへ自居易に随って各地へ運ばれる石、植物
などへの愛情を示す詩篇は数多-見られる。
⑨
注②で梱れた塩田重夫論文では'この句が
『三国志』巻五
四
・周稔侍のいわゆる
〟非池中物〟
の典故を踏まえているこ
とを指摘され、「「もともと蚊
・龍に
類しない自分たちは'た
とえ雲
・雨がやって来ても'天に向かって飛鞠することはな
い」と述べ'官界での発達を完全に断ち切って'魚共々
「地
中物」であり績ける生き方が選揮されている。」と解説され
ている。
「稔上疏日へ劉備以臭雄之姿、而有関羽
・張飛熊虎之牌、
必非久屈鵠人用者。・・・・・・今狼割土地以資業之'衆此三人'倶
在彊場'恐蚊龍得雲雨'終非地中物也。」(『三国志』巻五
四
・周稔俸)
⑲
「客有間日'六
一'何謂也。居士日'吾家蔵書
一高巻'集
三代以来金石遺文
一千巻'有琴
l張、有棋
l局'而常置酒
一
壷o客日、是鵠五
一爾'奈何o居士日、以吾
l翁'老於此五
物之聞'是豊不馬六
一平。-・・・吾鵠此名'聯以志吾之楽爾。
-・⊥
(欧陽修
「六
一居士俸」)
⑪
川合康三
「層鹿と白居易-
撃止と融和-
」(『中国文学
報』第四十
1冊'
一九九〇年)には、自居易が各年代の作品
白居易
「池上篇拝序」論
(二宮)
で、現在の年齢を最良のものとしている例を挙げ'「こうし
て見て-ると分かるように、何歳がいいという客観的な基準
があるわけではな-'自居易はそれぞれの時期において現在
の年齢を老若の中間にある最も好ましい時期として満足して
いるのである。」という指摘がある。更に、自居易作品には
「非A亦非B」という句式が大量に見られることを指摘し'
これは自居易が、「事物を封立の相において捉えず'本来封
立しあう関係にあるものすら、その対立関係を解消させてし
まう態度」を持っているからだ、とされている。このように、
生涯通じてこ疋した思想を持つことにより'類似する句式や
表現を繰-返し使うことは'自居易作品の特徴の一つと考え
て良いだろう。
ここで言う
「有」字句は'表現として共通する役割'あ-
方をしていると言う判断の下、分類
・考察したものを言う。
同じ分類の中にあっても、各作品毎の
「有」字句の具鰹的な
表れ方は様々であるがへそれらを句形などによって機械的に
分けることはしていない。
同様の表現を使う作品として、以下の詩が挙げられる。た
だしこの作品は、ひたすら忙しい日常を措-ものであり'本
文で挙げた作品とは雰囲気が異なる。
不覚百年牛
覚えず百年の半ばなるを
何曾
l日閑
何ぞ曾て一日閑ならん
朝随燭影出
朝は燭影に随いて出で
J7
中国文学報
第七十三冊
暮超鼓聾遺
棄裏非無酒
准頭亦有山
蹄来長臨朴
早晩得開顔
(「暮韓」詩
薯は鼓聾を趣いて遮る
要塞
酒無きに非ず
騰頭
亦た山有り
つね
蹄来
長
に困臥し
早晩
開顔を得んや
長慶元年
長安)[巻十九
律詩
・)247〕
⑭
同様の作品はもう
一例ある。
昔為鳳閣郎'今烏二千石。自覚不如今、人言不如昔。
ヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽ
昔雑居近寄'終日多憂悔。有詩不敢吟'有酒不敢喫。
今
錐在疏遠、責歳無牽役。飽食坐終朝'長歌酔通夕。-‥
(「詠懐」詩
長慶二年
杭州)〔巻八
閑適
・0359]
⑮
その他の例は以下の二首。
ヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽ
有官傭不遇、有田傭不農。屋穿傭不茸'衣裂傭不縫。
ヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽ
有酒傭不酌、無異櫓長室。有琴傭不弾'亦輿無絃同。・
(「詠傭」詩
元和九年
下部)〔巻六
閑適
・0260〕
ヽヽヽヽヽ
有酒病不欽'有詩情不吟。頭陪罷垂釣'手樽休援琴
。・
(「病中婁坐」詩
開成四年
洛陽)[巻三六
牛格詩
律
詩附
・3525]
⑲
この
「傭」という語に関しては'菅野租行
「自居易の詩に
おける
「傭」と
「拙」」(上)・(下)((上)‥『漢文教室』五二
戟'
1九八五年九月'(下)‥同五四携、
1九八五年へ十二
月)に'自居易は詩文の中でこの
「傭」字を特に好んで使い'
詩的主題としても扱うが'これはそれまでの文筆史上例を見
ないということが指摘されている。同研究では他に'自居易
の
「傭」には稚康の虞世態度や作品の影響が見られること、
「傭」としばしば野になって使われる言葉は
「拙」であ-~
「拙-世渡-下手」(こちらに代表される人物は院籍)とい
う概念が
「傭」を支えていたことtなどが論じられている。
⑰
「ここで老いを終えたいものだ」とする'肯定的な
「終
老」の用例としては'江州期に書かれた詩文が最も早い例で
ある。本文第二章
「序文と本文」に引いた
「香焼峰下新置草
堂即事詠懐題於石上」詩などの例がある。
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