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Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … ·...

Date post: 05-Oct-2020
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Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 Author(s) 辛, 有美 Citation 京都大学國文學論叢 (1999), 2: 34-49 Issue Date 1999-06-30 URL https://doi.org/10.14989/137272 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University
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Page 1: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性」

Author(s) 辛, 有美

Citation 京都大学國文學論叢 (1999), 2: 34-49

Issue Date 1999-06-30

URL https://doi.org/10.14989/137272

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

Page 2: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

大君か

ら浮舟

への転換

「形

「反

」―

有美

『源氏物語』は、既に多

の指摘がな

されているように

三、物語

の冒頭から末

尾まで

「形代」

の論理を

貫いて

いる。藤壺中宮が桐壺

更衣

の形代

であり

、紫上

が藤壺中宮

のゆかり、浮舟が宇治

の大君

人形

であ

ることは従来

の研究で繰り返

し述

ぺられてきた。特に浮舟

は、薫

の視点か

ら大

君の

「形代」「な

でも

の」とし

て把握

されるばか

でな

く、匂宮

にと

っても中君

「ゆかり」である。また、中君

っては大君

の形見であり、横川僧都

の母尼君や妹尼君からは亡き

の形見と

してとらえられ

るのであ

る。まさに

「人形」「形代

」「形

見」「ゆか

り」

の関係は、宇治十帖を

貫く方法だと

いえ

るだ

ろう。

小稿

では、多様な

視点

から

「身代わり

」として認識され手段化

る存在、浮

舟の

「形代」性

の構造を

明らかにし

てみた

い。形代

しての浮舟造

型論はすでに定説化

しているが、「形代性

」だけでは片

付けら

れな

いもう

一つの浮舟

の特徴が

ある

のではな

いか

と思われ

から

であ

る。それを私は

「反形代性

」と言

いた

いのだが

、これは

「形

代性」

の構造

から浮き彫りされ

る。大

君の人形とし

て登場

し、中君

の形代性を

通過して、入水

のイ

メージを顕在化する

「な

でもの」

った浮舟

は、結

局にお

いてはあ

る種

の異議申し立てをし

ているよ

うに思われる。入水

の決意

に至

るまでの匂宮と

の恋、そし

て入水、

再生、出離、最終的

には自

分の意

志を押し通すと

いう物語

の終焉

仕方には、「反形代性」を持

つ浮舟

の存在が見えてくるからであ

る。

大君

の死を語

る段階

で、大

君の第

一義

の形代

であ

った中

君を失

って

しま

っている

(自

らの仲

介で匂宮に与えた

こと

による)薫

に、大

の形見

であ

る中君

の、そのまた

の形代を登場

させるのは、作者

のい

かな

る意図

に基づく

ものな

のか。また、入水

と同時

一応

は終

った

のように思わせ

る浮舟

の物語が、蜻蛉

・手

・夢浮橋巻

を新

たに

必要とす

るのはな

ぜな

のか。もし形代性

だけの浮舟を語る

のならば、

浮舟巻

以後

の三

つの巻

は不用だ

ったはず

であ

る。

このような観点を

って、大君から浮

への転換過程

に存在す

「形代性

」と

「反形

代性」

つの世界を持

つ浮舟に

ついて考え

てみたい。

なお本文引

用は

『新編

日本古典文学全集』

に拠

る。

宇治十帖

において

「身代わり

」と

いう観念は

、「人形」「形

見」「形

代」「なでも

の」「ゆかり」と

いう顕在的な語

以外

にも

、「よ

そふ

」「な

ごり

」「代り」「准ふ」な

どの潜

在的な語によ

って示されている。そ

ぞれ

の言葉

の所有する意味

の枠が

微妙にずれると

ころがあ

るが

一34一

Page 3: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

〔三、大筋

に見受

けられ重

要な位

置を占

める形代を求める意識には、

作者

の何

らかの思考

・思想がうかがえ

るのではな

いかと考えられ

る。宇治十

帖においての形代性

という

のは、物語

の創作

の方法

のた

めだ

った

のか、それと

も主題

と何らか

の深

い関わりがあ

ってのこと

った

のか

。薫

にと

って浮舟

は大

君の

「人形」であると従来しば

ば説かれ

てきた

にもかかわらず

、本文

に拠

る限り

、薫が浮舟そ

の人

を指し

「人形」と呼称す

ることはな

い。中

君の心理または視点に

よる

「人形

」の語が

、『源氏物語』全編を通じてわずか三例

しか使

され

ていな

「形代

」の登場原

因とな

る。

「思

へわ

べり

の里

めま

しき

のわ

と寺

。を

、絵

とり

、行

べら

へな

る」と

のた

へば

、「あ

ひに

、ま

、う

Bこ

、思

ひや

いと

しく

る絵

そな

そは

るや

へば

、(中

)「人

cの

つい

、い

、思

こと

こそ

では

べれ

のた

のす

つか

、(後

)

(宿木

・四四八頁

)

薫は宇治

の邸を寺

に改

造する

ついでに故人

の人

形をま

つりた

いと

っていた

のだか

ら、Aの人形は文字

通り

の、大君

の姿

をかたど

「人形」

を意味

する。

そしてそ

の薫

の願

いに

ついてB

の人形が思

い出された上

で、Cの

「人形の

ついでに」と中君

は浮舟

ついて

話を語

り出

すのである。薫のいうA

の人形と中君

の思うBC

の人形

との意

味は、後述

のごとく相違す

るが、こ

の時点における三例

の「人

形」は大君

の外見を有する

「にんぎょう」を意味す

るも

のであ

る。

君から聞かされた浮舟

の存在に

ついて、さらに詳しく知りた

と思

う薫は、

世を海中にも、魂

のあ

り処

尋ねには

、心

の限り進みぬ

ぺきを、

いとさまで思

ぺきにはあ

らざなれど、

いとかく慰めん方なき

よりはと思ひよりは

べる。人形

の願ひばかりには、などかは

里の本尊

にも思ひは

べらざらん。

(宿木

・四五

一頁

)

と、「人形」「本尊」を作ろう

とまで願

っていた自

分の悲

しみを

中君

に訴

えるが

、ここでの

「人形」

の語も前述

の用例と同様、大君をか

たど

った

「にんぎょう」を意味す

るも

のであり、浮舟

その人を指

示すものではない。

その後宇

治を訪

れて弁

の尼に対面

した薫

は、亡き柏木や大

君に

いて話し合

うが、

その際

、大君と中君

の人柄を

「心の中

に思

ひくら

ぺ」(同巻

・四五九頁)ていた。そし

てそ

「ついでに」姉妹

二人

話題

からその異母妹

浮舟

の話題

へと転換す

る。

て、

つい

の形

こと

ひ出

へり

(同

)

浮舟

の存在

が薫

の視点

によ

って

「形代」と

して意識

される初場面

であ

る。か

つての

「人形」から

「形代」

へと、認識

主体

による変化

が見

られる。この

「形代」

の語

の登場

には、

亡き柏

木と自

分、大君

35

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と中君

と浮舟

ついて弁

の尼と語り合う時点

での薫

の内

心を考え

と、

八宮

の三人目

の姫君であり大君中君

の妹

であ

ると

いう

「ゆかり

11血

の繋が

り」

の要素が大

きく作用して

いると考えられ

る。前述

ごと

く、浮

舟登場

の直接的

な契

機は、薫

の悲嘆ぷりを見かね

た中

が、彼か

らの恋慕を避け

るために亡き大君に

「似た」浮舟と

いう

母妹

の存在

を告げ

たことによる

(宿木

・四五

〇頁

)。

その際

の薫

「似たりと

のたまふゆかり

に耳と

まり

て」(同巻

・四五

一頁)浮舟に

よせていた関

心は、初めて浮舟を垣間見た場面では、次

のよう

に描

かれる。あ

はれなり

ける人

かな、かかりけるも

のを、今ま

で尋ねも知

で過ぐ

しけることよ、

これより

口惜

しからん際

の品ならんゆ

かりなど

にてだ

に、か

ばか

り通ひき

こえたらん人を得

てはお

かに思ふ

まじき

心地す

るに、まして、

これは、知

られたてま

らざりけれど、

まこと

に故宮

の御

子に

こそはありけれと見な

たまひ

ては、限りなくあ

はれにうれしくおぼえ

たまふ。

(同

・四

)

つまり、「も

ののついでに」話し出した浮舟

の存在に

「ゆかり

」「故

宮の御子」と

いう要素が加わ

ったからこそ、浮舟は

「人形

」ではな

「形

代」とし

て確実に認識さ

れるのである。薫

の大君

への追慕

由来

する中君

への執

心は、新

たな状

況を招き、形代とし

ての浮舟

存在

は、そ

の後薫

の独自なあり方

に応

じて展開する

ことにな

る。

「形

二例

よう

②見

し人

の形代な

らば身

にそ

へて恋

しき瀬

々のなでも

のにせむ

(東屋

・五三頁)

③あやまり

てかう

も心も

となき

はいとよし、教

へつつも見てん、

田舎

びたるさ

れ心も

つけて、品々ならず、はやりかならま

かば

しも、形代不用な

らまし、と思ひなほしたまふ。

(同巻

・九九頁

)

「も

のの

ついでに」登場

してきた浮舟

の運命は、薫

の歌

であ

る②

の用例

によ

って、「形代

」から

「な

でも

の」へと

一層強調されて

いく。

歌語と

しての

「形代」に内在す

る意味は明らか

ではな

いが

{三、薫と

中君

の対話

の内容

によ

って人形として語り出され、身代

わりの人、

かた

しろ、な

でものの意

味に転換され

ていく中に、

形代

として

の浮

舟が

誕生す

るわけである。「形代」と

いう語が持

つ二重三重

の意味

が、浮舟

「なでもの」として

の運命をたどら

せる。物語

の言葉が

物語

の論

理および方法を

領導するとした秋山慶氏

の評言

と、森

一郎

「呼び方

、呼称

によ

って人物

の存在性が形象化

され

る」という

指摘が想起

される

茜〕。

の心内語

であ

る③

の用例に

ついては、浮舟を宇治

に据

え置

いて

から

も、大君と異な

る浮舟

「あま

りお

ほどき過ぎた

る」(同巻

・九

六頁

)性格を

「さうざう

しう思」

いながらも、浮舟を大

君像

に代わ

るま

さに生き

た形代

として認識しようとするも

のであ

る。「形代」な

らば

、「な

でも

の」になり得

ると思う薫

は、身

と心を慰め得

る要素を

浮舟

に求め

るのであ

り、「形代」とは

そう

った条件を有す

ると

いう

ことにな

る。

こう

して

「同じゆかりなる人」とし

て大君から中

へ、中君から

浮舟

へと形

代の論

理は進行して

いく

のだが、

ここで、数多

の人

一36一

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視点や主観

によ

「人形」「形見

」「形代」浮舟を整理してみる

こと

にしよう。

浮舟は、まず中

君にと

っては亡き姉大君

の形見

である。

両親

と姉

を亡くした中君

にと

って浮舟

は異

母妹

とはいえ

った

】人の身

内だ

った。しかもその浮舟は大君に瓜

二つで、故

父宮

にも似通

っている。

そんな浮舟を見

「いとよく思

ひよそ

へられ

たまふ御

さま」(東屋

二頁)と思

った中

君は、浮舟

のことを薫

に語

る。中君は言い寄

てくる薫

のわずらわ

しさか

ら浮舟を思

い出

し、形代性

の自

分の存在

をみごとに逆用

したのである

(宿木

・四四八頁

)。そ

こから大君

によ

「似る」浮舟

へと話題

は転化

してい

った。

また、

入水

による失踪

の浮舟は

、匂宮

により形

見と

して思われたり

(蜻蛉

・二

}九頁

)、

薫と母君

には

「過ぎ

にしなごり」(同巻

・二三八頁

)とな

る。また娘

を亡くし

て悲

しんでいる小野

の妹

尼にと

っては、故姫君の形見とし

て現れ

(手

二〇〇頁

)。浮舟にはゆかりもなければ容姿も似

いな

いが、観音様

の導き

と考え、娘

の代わり

として限りな

く愛

情を

注ぎ、自ら

も慰

められていく9なお、浮舟

の異父弟である小君

の存

在も薫にと

って浮舟

の形見

であ

(夢

浮橋

・三九二頁)。匂宮にと

ても浮舟

の形見とな

る人物があ

る。侍従

と宮

の君である。匂宮は浮

の失

踪後

、彼女に仕え

ていた若

い侍従を可愛が

る。行き

場を失

た浮舟

への贈

物も彼女に与え、共に浮舟を偲ぼうと

した

(蜻蛉

・二

二八-九頁

、二六

一頁)。ま

た浮舟

の死後

(実

は死んでなか

ったが

)

夕顔を失

った光源氏

のように、悲し

みを慰

めてくれる相

手を探し、

父親

同志が

兄弟である

ことから浮舟

の形見

になりうるかもと思

い、

の君

に目を

つけて

いた

(同巻

・二六

三頁

)。

このよう

に、数

多く

の人

の視点や主観に

よる

「形代」浮

舟の存在

が分か

るわ

けだが、「形代」と

いう語が使われて

いる

のは、薫にと

ての大

君の身

代わりの人、浮舟

の場合

だけだ

った。何故この場合に

のみ

「形代

」という語が

用いられているのか。

また

「形代

」ではな

「形見」

となる中

君は薫にと

ってどうい

った意味

を持

つ存在な

だろう

か。

君存命

中は勿

論、大

君の死

の直後までは中君を恋

の相

手としな

った薫は、中君を前にしても

「下

の心は、身をわけたま

へりとも

ろふべく

はおぼ

えざりし」「慰さむ方なくて」(総角

・三三

〇ー

)とい

った具合だ

った。しかし、大君の死による哀傷に伴

い次第

「いみじくものあはれと思ひたま

へるけはひなど、いとようおぼ

たま

へるを、

心からよ

そのも

のに見なし

つると思ふに、

いと悔

く思

ひゐたま

へれど」(同巻

・三五六頁)とあるように、薫

は中

君に

匂宮

を導いた

ことを

「みつから

の過ち」とし

て後悔する

のであ

る。

への自分

の横恋慕を

「誰がためにもあぢきなくを

こがましか

」(早蕨

二二五

一頁)と危惧

しながらも、中君が大君に似

ていると

識して

いる薫

にと

って、中君は

「ただ、か

の御ゆかりと思ふ

に、

ひ離れがたきぞかし、はらからと

いふ中にも、限りなく思

ひか

したま

へりしも

のを、

いまはとなりたまひにしは

てにも、

とまらん

人を

同じことと思

へとて」(宿木

二二八八頁)とあるように、た

った

「人残

され

ている八宮

「ゆかり」

の姫君な

のであ

る。大

君の死に

よる恋

の対

象の喪失のため、薫

の恋心はさら

に反転

し、中

への執

ついに

「思

ひ離る」ことが

できなか

った。「おほかた

の御後見は、

我な

らではまた誰かは」(総角

・三四

一頁)と思

った後見役薫

の心内

には、

後悔と執着

の思

いが複雑に交錯

していたのである。

「飽かぬ昔

のなごり

」(早蕨

・三五

〕頁)を求

める

「形代性」

37一

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はここか

ら胎

動する。形代とな

るには

、その本

となる現人とのゆか

りは勿論、

それ以上に

「似る」と

いう

ことが重

要な意

味を

って

たことはよく言われ

ている

とおりであ

る。これは薫

の人形を求

「昔

の御

けはひに、かけ

てもふ

れたらん人は、知

らぬ国までも尋

ね知らまほ

しき

心あ

るを」(宿木

・四⊥ハ「頁)という台詞を見

ても言

えるだろう。薫

にと

って身

代わり

という意味的

側面

においては、浮

舟と中君とは区別を持

たな

いが、容貌

の相似

の問題において、中君

は形見と思われなが

らも

「なかなか何ご

ともあ

さましくもて離れた

りとなん、見る人々も言

ひは

べりし」(宿木

・四五

〇頁

)とあ

るよう

に、大君に似

てはいなか

った

のであ

る。

これに対し、浮舟は

「あや

しきま

で昔人

の御

けはひに通ひたりし

」(同上)人であ

った

のであ

る。こ

のよう

に見

てく

ると、浮舟が薫

「形代」となるには、「似る

いう条件は

いう

までもなく、「ま

ことに故宮

の御子に

こそありけ

れ」と喜

ぶ薫

にと

って、八宮

「ゆかり

(縁)11血の繋がり」(宿木

・四九三頁

)であ

ることが重

要な要素

であ

ったことが

わかる。「山里

のなぐさめと、思ひ掟

てし心あ

るを」(浮舟

・一〇七頁

)と薫

のいう

とおり、薫

の慰め

のためのも

のであ

った浮舟は

、大君によく

「似た」

「代わる」(東屋

・四七頁)も

のとし

ての

「人形」、と同時に大

への執

着を祓

い流す形代

として

「なでも

の」とな

るぺき運命を生

かされ

ることになる

のであ

る。

では、こ

のような浮舟

「形代性」は、物語

の中

でいかなる意

つことになる

のだろうか。

元来

、形代

の発想

は古代

の神

話的な基盤をも

つも

のである

ニハ}。こ

の形代

の発想が、『源氏物語』の中

では、転じ

て本物に擬せられ

るべ

の、身代わり

の意味

で用

いられている。形代と

いう

のが人

の身

代わ

りとして用いられる

のは、実

『源氏物

語』

以外

に類例を見出

せない。『源氏物語

』以前

の作品を

調

ぺて見ても

「人形

」「なでも

の」

「身代わり

」の意味

で用

いた作

品は皆無

であ

った。そして

「人形」

と同義語とされる

「形代」が

「身

代わり」の意

味で使用され

ている

のは

『狭衣物語』だけ

であ

った。『源氏物語』に大きな影響

を受けた

作品

とされる

『狭衣物語』

の巻

四には、主人公狭衣が宰相中将

の妹

君に逢

い、理想

の人

であ

る源氏宮

の容姿

に似て

いることを喜ぷ場面

があ

る。ただし、形代と

いう言葉

は二度使われては

いるも

のの、

れは形代を求める意識

ではなく、

結果的に容貌

の似た女性

と巡りあ

ったと

いう形式を取

っているだけである。『竹

取物

語』『宇津保物語』

『落

窪物語』

の各先行す

る物語

ついても、かぐや姫、あ

て宮、落

の君、各

女主人公にあた

るよう

な女

性に

「形代」性は見当たらな

い。そうすると、

つまり断定は

できな

いまでも、形代

の方法は、

本古

典文学作品に見

る限り

、『源氏物語』に初め

て用

いられていると

いえ

る。繰

り返すが、身代わり

として

「形代」と

いう方法は、紫

式部

の独

自のも

のだ

ったと

いえ

る。そして、この

「人形」「形代」と

いう語

で表

されて

いる浮舟と

いう

人物

にこそ、作者

の考えが込

めら

ているのではな

いだろうか。

ここで、神話的

民俗学的な

発想から解き放たれ

、物語におけ

「形

代」

として

の浮舟自身

の役割、浮

の存在論的な問題を考え

てみた

い。

38

Page 7: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

浮舟を指

し示す

「人形」「形代

」「なでも

の」

の語が大君

の身代わ

りと

しての意味

のみならず、

罪を背負

って宇治川に入水すると

いう

将来

の運命

の象徴

であ

ることを指摘

したのは森岡常夫氏だ

った

〔七}。

また、

これを踏

まえ

て浮舟は

「女

の寄

る辺なき身

の上の象徴である

ともに、罪あ

る人

の形代

として、その罪過を背負

う人形を

のせて波

間を漂う、浮き舟

の連想が強

く働

いている名

でもあ

った」とい

い、

「贈罪

の女君」(八Hとしての浮舟

を語

る論もある。

このような浮舟造

型論はすでに定説化し

ているよう

であ

る。

しかし、「形代」「な

でも

の」と

いうも

のは、

そのことば

の意味す

ると

ころより、そ

の役割

ほう

に存在性をも

つも

のであ

る。「順罪性

にとらえられすぎる

のは

〈人形

・形代

〉の包括性を意味的

に限定

しすぎる

ことにな

る」と

し、

形代とし

ての浮舟

の役割を

その腰罪性

のみではなく、人

の安全を確

保するため

の手段

でもあ

ることに焦点をあ

てている日向

}雅氏

の見

(九)のとおり、身代わりとし

て浄化作

用を持

つも

の、と

いう

のが

代の原義として

のとらえ方な

のであ

る。「人

の安全を確保す

るため

手段

」という

のは、広義にお

いての形代

の意

味であろう。そして、

日向

一雅氏

の説

「罪や機

れなどを転移

して流した

〈祓え

つ物

〉と

いう

のは、

即ち人間の安

全を確保す

るための手段

であ

った」と

いう

ところから浮

舟の姿

を読

みとる

のならば

、「形代」から

「祓え

づ物」

へと、浮舟

の辿

る過程

には、女

の生あ

るいは

人生

の、ある種

「安

全性確保」と

いう作者

の意

図的希望があ

ったとも考え

られるのでは

いだ

ろうか

。ここでいう

「安全性確保」

という

のは、宗教的意味

での

「救済

」のことと解

釈す

ぺきであ

ろう。

すな

わち、大君の背負

った罪は

「浮舟」

という

「形代11なでも

の」

によ

って、浄化

され、

安全性は確保

され

るはず

である。そし

て、結

局にお

いては人々は浄

土思想

の論

理により

「救済」されるはずだ

ったのである。

しか

し、後

のごとく、物語

の最後まで

「救済」

の問題は疑問に

付され

る。作

者は浮舟

「形代性」に与えられている浄土思想の論

理を仏教的

認識論

に基づ

いて思索し

つづけていくために、

形代性と

は異な

るもう

一つの性格

「浮舟

」に与え

ているのであ

る。「形代性

は異な

る」もう

}つの浮舟

の特徴、

それをこれから

「反形代性」

と称す

るが

、巻名

の示すように

、浮舟が中

心とな

「浮舟巻」から、

その

「反形代

性」は表れる。

投身

を決意

して

「わが世

つきぬ」と書き付けて邸を抜け出

そうと

っている浮

舟巻

の終り部分

(「九六頁)

で、浮舟

の物語は

}応は

っているかのように思わせる。しかし作者は新し

い構想

の中、蜻

・手習

・夢浮橋巻を組み立て

ている。

ここでは、従来言われ

てい

るよう

な、入水による失踪に至

るま

での浮舟

の受動性

・主体性

のな

―̂。)や

「人形」であるがゆえに没個性的であ

った

ニニ既存

の浮舟

から脱

するもう

一人の浮舟が浮上す

る。何故作者は浮舟を蘇ら

せる

ような構想を新

しく立てた

のだろうか。こ

の構想は、最初

八宮

の姫

君は

二人であ

ったが、そ

の後新

しく作り出された異母妹

の存在が

宿木巻から浮上

してくることと似

ているが、浮舟物語は

ここで大き

な断層を見

せる。環境

の中に埋もれた前半

の浮舟と、主体性

に目覚

めた後半

の浮舟の生

の軌跡には

「形代性」と

「反形代性

」の二

つの

世界が存在

しているからである。

つまり、浮舟は薫

にと

っての単な

「形代」

の女君ではなか

った。単な

る身代わりと

しての

「形代

39

Page 8: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

であ

ったならば、似

ているとかあ

るいは血縁関係があるとか

の話筋

で、薫を、あ

るいは物語を充分満

たせたはずである。浮舟は、入水

・再生

・出離

の生を辿る浮舟独自

のあ

り方をめざしていくわけ

で、

浮舟を

「形代性」の領域に安住させ

ておくわけ

にはいかな

い。「形代

性」の領域

を離脱し、主人公

の相対化

して

いく〔―三過程を描く

のが、

浮舟巻

以後

の三

つの巻な

のであ

る。

浮舟

の生

の転換は、匂宮

に出逢

ってしま

ったことから決定的にな

る。匂宮と

の出逢

いは浮舟にと

って

「形代性」の存在領域を越え、「反

形代性

」の生

への転換とな

る契機

とな

った

のである。それはま

るで

薫の視

点か

「形代性」を振り

はらう

のようにして描出

してい

のである。振りはらわれ

べき

「形代性」とは、薫と浮舟

との心

の断絶

の中に胚胎し

ていた

と考え

られる。

そなたになびく

べき

にはあ

らずかしと思ふからに、あり

し御

さまの面影におぼゆれば、我

なが

らも、うた

て心憂

の身や

と思

つづけて泣きぬ。(中略

)など、朔日ご

ろの夕

月夜

に、す

こし

近く臥してながめ出だした

へり。男は、過きにし方

のあ

れをも思し出

で、女は、今より添

ひたる身

のうさを嘆き加

へて、

たみにもの思はし。

(浮舟

四四―五頁

)

は浮舟を

通して

「過ぎにし方

のあ

はれ」を懐かしん

でおり、

は浮

舟で薫と同席して

いながら

も恋情

ではなく、

二人

の板挟

みに

った自

「身

のうさ

」を嘆

いている。「男」と

「女」を語る場面

だが、

その心と心はすでに断絶

していて、薫と浮舟

の関係が象徴的

に表

されている。薫は自分

の目

の前

にいながら匂宮を思う浮舟と

う他

(=三と同居し

ていた

のであり、彼

はあ

くまでも亡き大

君を偲

ぶよすがとし

て浮舟を見

ていた

にすぎ

ない。

二人

の思いはそれぞれ

擦れ違

って

いるのである。

だからと

って、浮舟が単純

に匂宮

のほう

へ走ろうとしたわけで

はな

い。浮舟は自分

の置か

れていた立場を的確に認識し

ていた。

ことに

いと重くな

どはあ

らぬ若き心地に、

いとかか

る心を思

ひもまさりぬ

べけれ

ど、はじめより契りたま

ひしさま

も、さす

がにかれはなほ

いと

もの深う人柄

のめでたきなども、世

の中を

知りにしは

じめなれば

にや。かかるうき

こと聞き

つけて思

ひ疎

みたま

ひな

む世

には、いか

でかあらむ、

つしかと思ひまどふ

にも、思

はずに心づきな

しと

こそはも

てわづ

らはれめ、かく

心焦ら

れしたまふ人、はた、

いとあだな

る御

心本性と

のみ聞き

しかば、

かかるほど

こそあらめ、

また、

かう

ながらも、京にも

し据

ゑたまひ、ながら

へても思

し数

へむに

つけては、か

の思

さむこと、ようつ隠れなき世なり

ければ、あやしかりし

夕暮

のしる

べば

かりにだに、かう

たつね

出でたまふめり、まし

て、わが

あり

さまのともかくもあ

らむを

、聞きたまはぬやうは

ありな

んや、

と思ひたどるに、わが

心も、暇ありてか

の人に疎

れた

てま

つらむ、なほ

いみじかる

べしと思ひ乱

るるをり

しも、

(中略

)「なほ移りにけり」な

ど、

言はぬやうに

て言ふ。

(一五

)

入水を決意

するほど

の浮舟

の苦悩

は、匂

宮に

一段と恋

心の募

る思

いの中

でも、匂宮と

の関係

の発覚

により薫に

「疎まれた

てま

つらむ

40

Page 9: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

ことを自覚

して

いた

ことに起因すると

いえよう。いみじく

「思

ひ乱」

れて

いた

のは、「いとも

の深う人柄

のめ

でたき

」薫

から離

れる

べきで

はな

いと、自分

の置かれた立場を認識して

いたから

である。にもか

わらず、「いとあだな

る御

心本性」

の匂宮

へと

心が移

ってしま

た、匂宮と

の恋

の熱情に浮舟は悩んだ

のである。

ころが、匂宮

の浮舟

への関心は単なる

いつも

の好色心

によ

るも

のであ

って、特

別なも

のでもなか

ったが、浮舟が中君

の妹とま

では

らないう

ちに

「ただ、そ

のことを、このころは思し

しみたり」(↓

=ハ頁

)と夢中

にな

って

いく上に、薫

との競

争心にもあおられ

「宇

へ忍びておはしまさん

ことを

のみ思しめぐらす」(同上

)と特

別な

へと発展して

いく。

この恋は、薫

の浮舟

への思

いが

「過ぎ

にし

のあ

はれ」になぞらえ、「恋しき人によそ

へられ

たる」(一四五頁)

「形代

」性でしかなか

った

のとはま

ったく対照的

であ

る。「香

のかう

しき

ことも劣らず」(=

一四頁)と薫

の他人

にはな

い特徴

さえ

真似

した匂宮

は、薫

より浮舟

の心を奪

い取

ってしまう

ことにな

る。逢瀬

の後、「女

、いと

さま

よう

心にくき人を見なら

ひたるに、時

の間も見

ざらむに死

ぬぺしと思

し焦が

るる人を

、心ざし深しとはかか

るを言

ふにやあらむ」(=二〇頁)と薫と比較して匂宮

の心を

より

深いもの

だと信じてしまう

「女」は、初

めて

「形代性

」を脱した、浮舟

のこ

とであ

った

のであ

る。都

に戻

った薫

の、浮舟を偲

「衣かたしき今

もや

」(一四七頁)の吟講に焦慮する匂宮は、高く降り積

ってい

る雪

の中に宇治を訪ね

て行く情熱を見

せる。

これに対し、

ひたすら

「あさましう、あ

はれ」(一四九頁

)と感動

する浮舟は、匂宮と

の恋

にさ

らなる絶頂を目指す。浮舟と

いう巻名と

もな

った匂宮と浮舟

「年経

ともかはらむも

のか橘

の小島

のさき

に契

る心は」と

「橘

の小

の色はかはらじを

このうき舟ぞゆく

へ知られぬ」

との贈答歌

(一

一頁)には、絶頂に達した恋があり、

ここにはも

はや

「形代」と

して

の浮舟

の存在はなくな

って

いる

のであ

る。

匂宮と

の恋は、浮舟にと

って、脱

「形代性」

の経験だ

ったと

いえ

る。

この

「脱する」過程は、登場人物と組

み合わせられた物語世界

の主題的図式と相関し

ている。匂宮

の色好

みが浮舟

に向か

った時

は、六

の君や中君

への情熱とは異な

る新

しい物語

の方途が看取さ

のである。宇治十帖と

いう第

三部

の物語は、物語内部

におけ

る時

空間

の対位的構図

西̂}を基盤と

している。

その対位す

る世界

はまず

宇治と都と

いう空間とともに、薫と匂宮

の人物設定

にあ

る。八宮

姫君たち

の人生

に切実

に関わ

る人物

として、薫

という八宮

の精神的

風土に行き通う法

の友と

、八宮

の位境

とは相容

れな

い現世

の栄華

勢に支えられ

る皇統

の人匂宮が対位的

に宇治

に登場

している。

八宮

とそ

の姫君たちが対峙

したも

のが都

の貴族

の世界であ

ったという意

味にお

いては、匂宮は

八宮

一家

にと

って

「反世界―

の象徴」であ

った

のであ

る二五〕。宇治

の物語的時

の反世界的人物

であ

る匂宮は、

「いとすきたま

へる親王」(椎本

一七六頁

)とし

て八宮や大君中

の意

識にかたくなに堅持され

ていた

。「おぼろけ

のよすがなら

で、人

の言にうちなびき、

この山里をあく

がれたまふな」(同巻

・一八五

頁)と八宮が懸念を表明

した

のは、

現実

に中

君に接近してきた匂宮

を意

識して

のこと

であ

ったし、また大

君が中

君の身を案じ

て病没し

たことは、八宮

一家にと

っての匂宮

の存在

性が問われる最も象徴的

な意

味を有す

る事柄

であ

る。大君や中

君に堅持され

ていた

「反世界

の人

口匂宮」

の色好

みが浮舟と向か

いあ

った時、浮舟もまた

「反規

範的

」世界を辿

ることになる

のは、物

語の方法とも

いえる

のではな

41

Page 10: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

いだろうか。薫

との競争意識が

モチー

フとな

って始ま

った匂宮

の色

二さは、

浮舟

をして宇

治の時空を

「脱す

る」

ことを求めた

ので

ある。つまり

、「いつくにか身をば棄てむと白雲

のかからぬ

山もなく

なくそ行く

」(浮舟

・一九二頁)とま

で極ま

った浮舟

への匂宮

の狂熱

的な恋は、結局にお

いては

、「形代性

」の浮舟

に入水を決行

させる破

綻的なま

での脱

「形代性

」を経験

させた

のである。

こう

して大君

「形代

」として位置づけられて

いた浮舟は、薫

「形代性」を持

つ自分自身

に反

発でもするか

のようにして、匂宮

の恋による脱

「形代性」

の自分を

読者

の前に投げ

つけた

のであ

る。

「東

屋巻に次ぐ浮舟巻は、脱

〈形代の人〉を苦悩す

る浮舟

その人が

かたどられ

てゆき、

再生後

に至

っては文字通り形代

であ

るお

のれを

の流れにかき流

してしま

った以上、もはや形代

の人であり

えない」

【己)と

いう藤井貞

和氏の読みが

ある。藤

井貞和氏

の説く

「〈形代

の人〉

を脱

する」行動と

いう

のは、匂宮

との恋愛行為

であ

って、

その苦

の結果入水を決意

した

のであり

、そ

「形代

の人」を脱す

一連

行動に

「反形代性」

の浮舟が存在

する

のであ

る。浮舟

の取

った

―連

「脱形代性行為」に見え

てくる浮舟

の性格、「脱す

る」過程を経

獲得

しえた浮

の特徴とは

、まさに

「反形代性」

であ

った。

その過

には浮舟

の生

の大きな逆転あ

るいは転換が見てとれるから

であ

る。確

に、匂

宮と

の恋は、浮舟

の存在が

大君

の形代

ではな

いことを

明らか

にす

る行為

であ

った。だが

、しかし

ここに注目しな

ければな

らな

一つの錯綜した浮舟

の存在

が見

えてくる。結果論的な言

い方

だが、浮舟は

「形代

性」を脱

し、「反形代性

」を獲

得はしたも

のの、

結局

のところ自分を

「な

でも

の」

として川に流してしま

った

のであ

る。

これは、視点を変え

て認識

の主体を薫

に据え直すと、神体そ

のとし

ての元来

「形代」浮舟

に戻

ったことになる。浮舟

の入水

を知

った薫は

「人形と

つけ

そめたり

しさ

へゆゆしう、ただ、わが過

ちに失ひ

つる人なり

」(蜻蛉

・二三六頁)と思い、中君と

「戯れ

に言

ひなし」た人形

・形代

・な

でも

のの意

(東屋

・五三頁)が、浮舟

に入水され

てから、思

い合わ

せられる

のであ

った。

つまり、匂宮と

の脱

「形代性

」を

誘発した浮舟

の行為は、結果的には、薫には、浮

「形代性

」の再確

認的な意

味をもたらした

のであ

る。とす

ると、

浮舟は大君

の人形と

して薫

の大

君に対

する執着を祓

い去

るものであ

ったと

いう

ことにな

るだろうか。

の引用は、浮

舟の再生後、宇治

の人々と

の因縁

を反錫する薫

心であ

り、

浮舟の

「形代性」は

このように再確認

される。

のふところより出で来

たる人々

の、かた

ほなるはなかりけ

るこそ、この、はかなしや、軽々

しやな

ど思

ひなす人も、かや

のう

ち見る気色は、いみじう

こそをか

しか

りしか

、と何ごと

つけても、ただか

一つゆかりを

ぞ思

ひ出

でたまひける。あ

しう

つらか

りける契りどもを、

つくづ

くと思

つづけながめ

まふ

(後略

)

(蜻蛉

・二七五頁)

薫にと

って

「はか

なしや、軽々しや」と難

じてもき

た浮舟が、入

水によ

る浮

舟不在

という事柄を経て、「か

たほなるはなかりけ

るこ

そ」

の大

・中君に

一歩近付く

ことにな

ったのである。匂宮と

の恋

の板挟

みで苦

悩し、お

のれを

「なでも

の」

にしてしま

った浮舟は、

逆説的な言

い方だが、「形代性

」を拒否した

ことにより、

↓層大君

42

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同化して

いき、登場

当時

「形代性

」に近付

いて

いく存在とな

った

のである。

そして浮舟

は、大

・中

君と同じく

「か

一つゆかり」

の存在とし

て薫

の中

に生き

つづ

けていく。「薫にと

って浮舟は、大君

の形代以上

でも

また以下の存在

でもない」二八}と

いう増田繁夫氏

の読

みに賛同

でき

るわけ

であ

る。

のように、浮舟

巻で

の脱

「形代性」の浮舟は

、「なでも

の」とな

りお

のれ自身を流

したことにより、蜻

蛉巻

では

「形代性」

への復帰

をもたらしたわけ

であ

るが、

入水

の前後にお

いての浮舟

の自覚

と自

省は、さらなる変化を見

せている。浮舟巻

での匂宮

へ傾斜して

いた

恋は、自覚

の過程を

へて、手習巻での自省

へと

つな

っていく

ので

ある。再生

の後

「昔

より

のことを」思い

つづけて

いる浮舟は、「形代

性」と

「反形代性

」の二つの世界で揺れ動

いているように思われ

る。

昔より

のことを、

まどろまれぬままに、常

よりも思ひ

つづく

るに、

いと

心憂く

、親と

聞こえ

けん人の御容貌も見たてま

つら

ず、遥かな

る東国をか

へるが

へる年月を

ゆき

て、たまさかにた

つね寄りて、うれ

し頼も

しと思

ひき

こえ

しはらから

の御あたり

も思はずにて絶えすぎ、さ

る方に思

ひさだめたま

へり

し人に

て、

やうや

う身

のうさをも慰め

つべききは

めに、

あさましう

てそこな

ひたる身を思ひも

てゆけば、宮を、

すこしもあはれ

と思ひき

こえ

けん心ぞいとけしからぬ、ただ、

この人の御

ゆか

にさす

へぬるぞと思

へば、小島

の色を

例に契りたまひ

しを、

など

てを

かしと思ひき

こえけん、と

こよな

く飽きにたる心地す。

はじめより、薄

きながらも

のどやかにも

のしたまひし人は、こ

のをりか

のを

りなど、思ひ出つ

るそこよなかり

ける。かくて

そあ

つけ

つら

さり

べし

つか

んず

ち思

の心

つを

へさ

(手

・三

==

二頁

)

「さすら

へぬる」流転

の運命をふりかえる

「今

の浮舟」には、薫

と匂宮

の双方

ついて

の明確な認識がなされている。浮舟巻で

の虚

像性を持

っていた薫

への思

いは、蜻蛉巻で

「形代性」

への復帰過

程を余儀

なくされた浮舟にと

って、逆転している

ことが分か

る。匂

との過去は

「をかし」と思われ

「飽きにたる心地」がす

一方、

への恋情は

「は

じめ」

の時にさか

のぼり据え直され

ているのであ

る。丸

山キヨ子氏

の評言どおり、「浮舟は、す

でに匂宮に

ついては、

その

〈あはれ

〉を相

対化

しえていた」(一九}のだが、転換され

ている薫

への

「あ

はれ」は、浮舟を再

「形代性」の根源

へと導

いてしまう。

匂宮

との恋を否定し、自分

の中に内在する愛

の破綻、愛

の無常など

「心の憂

い」の原因を

つめなおす浮舟が、薫に対

しての

「恥つ

し」

さにこだわ

ってい

るのであ

る。取り逃

した安

らかな生

への憧

れが、

つての自分を反省させ、元

「形代性」

の自分

に戻

そう

している

一面がみえる。だが、

しか

し、浮舟

の錯綜

した心内は結局

「なほわ

ろの心や、かくだに思はじ」と、薫

への恋情を

も断ち

切ろ

うとす

る。

この後、浮舟は男女

の恋情

に対

しての永遠

の別れ、出離

を決

心する

のであ

った。

ここには過去を対象化し、過去

への自覚的な別

れを

つけ、「形代

性」

の自分から脱出しようとす

る浮舟

の、ま

た異な

「反形代性」

43一

Page 12: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

がうかがえ

る。

ここでの

「反形代性」という

のは、人生自体

への自

省を経

て、過去

の自

己のあり様

から離

脱しようとす

る、

一段と成熟

した浮舟

の内面

といえ

る。再生

の後、浮舟は自分を取りまくす

べて

の環境に対しかたくな

に抵

抗し

つづけ

ている。「いとむ

つか

しうもあ

るかな、人

の心はあながち

なるも

のなりけりと見知り

にし」(手習

三二二頁)か

つて

の匂宮と

の体験

を通じて、極限を通り抜け

てき

不動

「反形代性」を獲得

しようとする

のである。すなわち、尼

を含め、自分を再びか

つての

「形代性」に取り込もうとす

る中将

懸想に対しても

「な

ほ、か

かる筋

のこと、人にも思

ひ放たす

べき

まにとくなしたまひ

てよ

」(同巻

・三

二二―

三頁

)と願

い出る様

で、

浮舟は

「よろずに

つけ

て世

の中を

思ひ棄

つ」(同巻

・三

二三頁

)新し

い自分を見せようと

しているのである。匂宮

・中将

への拒

否、

さら

「かくだに思は

じ」と

「心ひと

つをか

へさふ

」薫

への、

まだ

相対

化しえ

ていな

い思

いでさえ

も、

いわば

「反形代性

の自

への支え

のである。男性

一般

へ、

そして、「よ

ろず

つけて」「世

の中を思

ひ棄

っ」る

のは、す

べて外

界の力に対峙し

て自分

「反形代性

」を

守りとおそうとする、浮舟

「拒否」

の表明な

のであ

る。

ついに出

家を遂げた後に、

手習の行為に伴う浮舟

の独詠歌

は、浮

舟自

の内

に回帰す

「反形代性」

の告白と考え

られる。

「亡きも

のに身を

も人を

も思ひ

つつ棄

ててし世を

ぞさらに棄

つる

つる

L

ても

とあ

限り

ぞと思

ひなり

にし世

の中をか

へす

へすもそむきぬる

かな

とか

く書

へる

(後

)

(手

・三

一頁

)

入水と出家

という極限

の体験

は、いわば世を

「棄

てつる」

こと

った。「棄

ててし世」をさら

「棄

つる」二度

「拒否」にこそ、

浮舟

「反形代性

」の軌

跡がうかがえ

るのではな

いだろうか。

入水

直前

「わが世

つき

ぬ」と辞世

の歌にあ

った世

の中を、浮舟

はさらに

繰り返

して

「そむき

ぬる」ことを訴嘆する

のであ

る。「同じ筋

のこと」

「拒否」

のことを告白する浮舟には、もはや観念的

な生

き方をして

いた大君

の影は存在しな

い。大君

「形代」

として登場

してき

た浮

舟は、再生

と出家

いう極限から

の転換

によ

り、

さらなる

「反形代

性」を生き

て行

こうとする

のであ

る。

そして、浮

舟は

「もと

の御契

り過ち

たまはで、愛執

の罪をは

るか

しき

こえ

たまひて」(夢浮橋

二二

八七頁

)という僧都の手紙

さえ鵜呑

みにす

ることな

く、

また、尼君

たちに

「世に知らず

心強

くお

はします

こそ」(同巻

・三九

〇頁

)と批

判され

るのも

、「今日は、なほ、持

て参り

たまひね。所違

へにもあら

むに、

いとか

たはらいたかる

べし」L(同巻

・三九三頁)と、薫

との

交渉を拒否

し通す

のも、浮舟

「反形代性」

の生き

方を語るも

のと

いえよう。

身代わり

の方法とし

て宇治十帖に登場

してきた

「形代」

の語は、

44一

Page 13: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

「言葉」

のも

つ重

層的意味

の展開

によ

って、

浮舟の

一生を

運命

的なも

のにした

。原語

におけ

「形代

」は、身

の災

いを移

し、襖

祈祷

の時に水に流すも

のであ

る。

これ

は浄化

の働

きとと

もに、生

安全を確保

してくれ

る役割を担う

ものであ

った。第

三節

で述

べたよ

うに、安全性

の確保と

いう

のが宗教的意味

「救

済」

のことなら

ば、大君や薫をは

じめ人

々は浮舟

によ

って救わ

れるはずであり、『源

氏物語』は横川僧都

の天台浄

土教的

な思想状

況において物語を結論

づけなければならな

い。

しか

しなが

ら、物語

の最後

まで浮舟の救済

・安全性は確保され

ていな

い。

出離

の問題や救済

の課題

にお

いてその帰結

を問う論議は

これま

いくども試

みられ

てき

三9が、

ここに依

然としてそ

の課題は

つき

つけられ

る。浮舟

「反形代性

」には、浮舟自身

の救

いさえ約束さ

れて

いな

いから

であ

る。『源

氏物語

』が夢浮橋巻

で終わ

った

こと

その

のの意味を考え

るとき、残さ

れた

問題

は、約束されて

いな

い浮舟

の救済

〔―三

るいは

「愛執

の罪

」を含

む人間

の内面的罪

の起源

三三

どを解決してくれる主体と

いう

こと

にな

るだろう。関根賢司氏は、

宇治

十帖では

「男を越え、

そうす

ることによ

って、人間を、世界を

越え

ようとする意志」が明確

にな

るといい、物語

の主体を

「彼岸か

のまなざ

し」三三}と見なした。ここで

「彼岸

」を

「此岸」に改

のが

、小稿

「浮舟

〈反形代性

>」論

である。宇治十帖

の主体は、

あくま

でも此岸か

らのまなざしをも

って、「男を

越え、人間

・世界を

越えようとす

る」

のであり、そ

の意志が浮舟

「反形代性」に表れ

ていると思う

のである。

物語

の思想が

たどり

ついたと

ころは、浮舟

の形代性ではなく

「反

形代性」

であ

った。浮舟

の運命的な生にお

いて、「形代性」は、「反

形代性Lを主張す

るため

のも

のであ

ったと

いえ

よう。作者は

「反形

代性」

の浮舟

を、作

品の思想

の担

い手

としたのであ

る。二度

にわ

「棄

つる」世

とはいかな

「世

」であり、繰り返

「そむき

る」その

「拒否」の意味す

るところは何だ

ろうか

。「拒

む女

」大君か

ら、

さらな

「拒

否」を受け継ぐ浮舟に、そ

の転換

の必然性

に、作

者は自身

の思想を

展開したものと考えるのであ

る。

「宇治十

帖で、

われわれが出逢う

のは、人生ではなく、

人生

の認

であり、作者

の思

想であ

って、これがモティーフの発見という

の意味

にほかな

らない」三四Hと述

ぺた先学もあるが、私は、人生

認識

の問題あ

るいは認識

の世界を越え出る作者の自ら

の内的課題が

浮舟と

いう

人物に託されて

いる、と

いう

ことしかできな

い。浮舟に

託さ

れている作者

の内的課題とは、浮舟

「反形代性」に表れ

てい

るのはいう

までもない。第

四節

で述

べたように

「反形代性」を定義

づけ

るのは

「男性と世」に対する

「拒否

」のことであ

った。「拒否

る認識

の世界に存在する浮舟と、作者

の世

に対す

る認識は何らか

の関連性があ

るに違

いな

い。今後

、さらに

その基盤を問

い直す

べく、

「拒否

阿否定」の問題と連係し

つつ、作者

の世に対す

る認識体系を

解明

していき

たいと願

って

いる。

〈注

(一)例えば、鷲山茂雄氏は

「源氏物語の

一問題」(「日本文学」二八巻、

一九七

・八)の中で

「形代」を求める意識の認められるものとして、夕顔―末摘

花、夕顔ー玉璽、螢兵部卿宮の故北の方i真木柱、女三宮―女

二宮、横川僧

都の妹尼

の亡き娘―浮舟などの関係を挙げている。また、上坂信男氏は

『源

一45一

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氏物語の思惟序説』(笠間書院、

一九八二)の中

「生活体験

(二)ー形代を

めぐ

ってー

」で空蝉、夕顔、六条御息所までを形代とみる考えを示している。

また、他にも、北川真理氏の

「源氏物語における形代の方法1

「憂し」を恐

れる薫―」(『物語研究』物語研究会編、新時代社、

一九八六)、島内景二氏

「竹取物語の発生基盤1

その話型的研究1

」(「電気通信大学学報」

―九八五

・二)、三谷邦明氏の

「源氏物語における言説の方法」(『物語文学の言説』有

精堂、

一九九二)がある。

(二)「形見」とは、本文によると身代わりとしての

「人形」とまでは行かな

いま

でも、愛する人の死によ

って生まれた心の空虚感を埋めることが可能な人物

であるように思われる。形見の条件としては、薫

の視点による

「形見」から

考え、亡き人の血縁であること、容貌が似

ていることが挙げられるように思

われがちである。しかし、

この二点は、本文第二節

で述ぺているように、「形

代」の条件ではあ

っても、形見の必須条件

にはならない。中君と大君は似て

いなか

った

(宿木

・四五〇頁

)。『源氏物語』の正編においても、例えば夕顔

に仕えていた右近が、夕顔

の死後、形見と呼ばれているが、彼女と夕顔には

血縁関係もなければ似ているという話もな

い。また葵上の形見とされる夕霧

には、母子という血縁関係はあ

っても

「中将

の、さらに、昔ざま

のにほひに

も見えぬならひに、さしも似ぬも

のと思ふに」(胡蝶

・一八五頁)とあるよう

に、似ていなか

ったのである。そして妹尼君の故姫君の形見と呼ばれる浮舟

に至

っては、似

てもおらず血縁関係でもな

い。

一方、「ゆかり」の用例を見て

もそのまま

「人形」に当

てはまるわけではない。本文の

「ゆかり」は結

果と

して人形とな

った例にすぎない。鈴木

一雄氏が

「形見の語が人と人との

つな

がりに用

いられる時には、きわめて

「ゆかり」に近接することにもなる」(「源

氏物語における

〈ゆかり〉について」「むらさき

」四輯

)と述べているように、

「ゆかり」と

「形見」は非常に似た語句である。なお、横井孝氏は

「ゆかり」

ため

の条件

「容貌

の相

似」

「血

関係

つの

を挙

いる

(「『ゆ

』の構

造-

の巻

ってf

」(「平安

文学

」五

二輯

)

が、

「ゆ

かり

「人

」を

決定

る要

とな

る時

「似

る」

こと

が強

く働

いるよ

ある

また

、「形

」が

「な

でも

の」

りう

こと

ついて

は、

屋巻

の五

三頁

照。

(三)この歌は

『六華和歌集』にも収められているが、他作品における歌の中

での

「形代」の用例は、次

のとおりである。

①かたしろと思ふもうしや引きとめぬ袖

のわかれのよ

こ雲の空

(『続亜椀集』三三六)

②う

つすともおよばじ筆

のかた代に思ひの色の姿ならずは(『

草根集』八二八九)

③にざらましむなし契の朽木がき筆限有る人のかた代

(『草根集

』八二九

一)

④とりか

へす事だに今はかた代のくやしき波にぬるる袖かな

(『遭遊集』

一八三)

歌の引用に

ついては

『新編国歌大観』による。

(四)秋山慶

『源氏物語の世界』(東京大学出版会、

一九六四)、森

一郎

「形象的

言語r場面空間の造型性―

」(『源氏物語生成論』世界思想社、

「九八六)。ま

た、高橋亨氏

「物語の世界ではことばが存在を決定する」という

のも、こ

れらに似た評言である

(「存在感覚

の思想

」『源氏物語の対位法』東京大学出

版会、

一九八二)。

(五)注

(二)参照。なお、上坂信男氏は

「光源氏像の両面

」(吉岡畷編

『源氏物

語を中心とした論孜』笠間書院、

一九七七)の論文

で、藤原師輔が北の方雅

子内親王死後、妹の康子内親王を得た

ことや、『紫式部集』

の十五番

の歌の詞

にみられる姉妹の契りなどに、当時

の社会及び

『源氏物語』

の作者に形代

を求める意識がうかがえると指摘する。その際

「似るがゆえ

に」その意識が

一46

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働くのだが、「似るがゆえに」形代的な人を求め

る意識は

『万葉集』や

『古事

記』にも見られる。

○川風の寒き長谷を嘆き

つつ君があるくに似る人も逢

へや

(『万葉集』四二五)

○天若日子の喪を弔ひたまふ時

、天より降り到れる天若日子の父、亦其

の妻、

皆実きて云はく、我が子は死なずて有りけり、我が君は死なずて座しけり、

と云ひて、手足に取り懸りて実き悲しみき。其過ちし所以は、此の二柱の

神の容姿、甚能く相似たり。故、是を以ちて過ちき。

(『古

記』

巻、

一七

頁)

用に

つい

ては

『日

古典

全集

によ

る。

(六)民俗学的な発想に基づく形代論については、折口信夫

の「国文学の発生」(『折

口信夫全集』第

一巻、中央公論社)、『祭りと神々の世界』(NHKブックス、

一九七九)、山折哲雄

「水の女―襖ぎ

の源流―」(『物語

の始原

へ―

折口信夫の

方法』小学館、

―九九七)参照。なお、折口の

「水の女」論を継承して、宇

の民俗的位相を

「伊勢と丹波を

つなぐ説話

の要衝地帯」であり、「賀茂川の

末」が合流する

「襖ぎ

の聖地」と規定する高崎正秀氏の

「説話物語序説―そ

の淵叢としての宇治

の世界

への試論1」(河出版

『日本文学講座』m、

一九五

〇)がある。これらの事実を踏まえて、高橋亨氏は民俗学を基底とする文学

的想像力の表現を重要視し、「大祓の詞で、諸人の罪をひきうけて、さいごに

根の国

・底

の国を流離する速さすら姫は、販罪山羊としての人形であり、流

離そのものの神格化と

いえる。流離

(さすら

い)を水を中

心とするイメージ

群のなかでとらえ、〈罪〉と

つな

いでしまう想像力の始源が、宇治

の時空

の基

底とな

っている」とする

(「宇治物語時空論」『源氏物語の対位法』東京大学

出版会、

―九八二)。

(七

)『平安

の研

』(風

間書

房、

一九

六七

)

一二

三頁

(八

)林

田孝

「腰

の女君

」(『源

氏物

の発

』桜

一九

)

二九

頁。

なお、氏の

「浮舟を薫や匂宮二人の男の罪業を順うだけでなく、光源氏

の罪

を賊う

ぺく登場させられた」というところに

ついては、近年の引用論により

多くの支持を得ているようである。

(九)日向

一雅

『源氏物語の主題』(桜楓社、

一九八三)二〇三頁。

(一〇)鈴木日出男

「浮舟と中将の君

」(「東京学芸大学紀要」

一九七六

・二)。

(=

)注

(八)の林田孝和氏

の論文。

(=

})丸山キヨ子氏の論文

「浮舟について―宇治十帖末尾

の考察-

」(『源氏物

語の探求』第

一輯、重松信弘博士順寿会編、

一九七四)と鴨野文子氏の論文

「あはれの世界の相対化と浮舟の物語」(「国語と国文学

」一九七五

・三/

『源

氏物語両義の糸』有精堂、

―九九

―所収)において

「あはれの相対化」とい

う言葉が使われているが、「あはれの相対化」というのは本節で述

ぺるように、

手習巻

にお

いては

「主人公」の相対化

でもあ

ったのである。

(=二)この箇所での二人の

「他者性」とは、結果論的な言い方だが、はじめから

二人の関係に潜んでいた

のではないだろうか。薫は浮舟と結ばれた後にも

「な

ほ、行く方なき悲しさは、むなしき空

にも満ちぬ

ぺかめり」(東屋

・九六頁)

と思い、「あはれ亡き魂や宿りて見たまふらん、誰によりて、かくすずうにま

どひ歩くも

のにもあらなくに、と思ひつづけたまひて」(同上)のような有様

であ

った。

一方、浮舟にも

「恋し悲しと下り立たねど」「いみじく―言ふにはま

さりて、

いとあはれと人の思」うに違いな

い人柄で

「行く末長く人の頼みぬ

ぺき心ば

へ」(浮舟

・―四三頁)であると、薫

のすぐれた点がまるで他人事と

してとらえられていたのである。

(一四

)高

「宇

物語

時空

」(『源

氏物

対位

』東

大学

版会

一九

二)。

た、

川勝

「源

・宇

時空

論―

の基

と深

層―

」(「日

二四

一九

七五

一一)

照。

(「五

)森

一郎

『源

物語

考論

』(笠間

一九

八七

)

三頁

一47一

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(一六)薫と匂宮

二人はお互いに相手

の欲望を紹介披露することにより、薫は大君

への、匂宮は浮舟

への欲望の程度がアヅブしていくのである。

この間題につ

いては

「欲望の模傲」「欲望の三角形」「差異化と秩序」「同

一化と暴力」「排

除」など

ルネ

・ジラールの根本原理を柔軟に駆使して、薫

・匂宮

・大君

・中

・浮舟

の相姦関係の展開と力学を、浮舟の排除による秩序

の回復や男性愛

に至るま

で包括的に扱

っている神田龍身氏の

「物語文学と分身―源氏物語宇

治十帖をめぐ

ってー」(『源氏物語と平安文学』第

一集、早稲田大学中古文学

研究会編、

一九八八)と

『物語文学、そ

の解体』〔有精堂、

一九九二)を参照

された

い。なお、ラカンを採用した

『源氏物語』宇治十帖論の成果としては、

小林正明氏の

「双数と法

の宇治十帖」(「日本文学

」三八巻、

一九八九

・五)

がある。

(}七

)藤

貞和

「形

の人-

・浮舟

1

(「国

二巻

=

二号

}九

一一)。

(一八)増田繁夫

「浮舟

の出家」(『源氏物語と和歌

・研究と資料』古代文学論叢

第四輯、武蔵野書院、

一九七四)。浮舟

のもつ

「形代性」には、桐壺更衣から

藤壷、そして紫上という正編物語における形代の系譜とは本質的

に異なると

ころがある。光源氏にと

って、紫上は藤壺

の形代、その藤壺は桐壺更衣の形

代性をもつ。しかし、紫上は

「ゆかり」ではあるが、「人形」「なでもの」と

は表現されていない。「桐壺帝にと

っても、また光源氏にと

っても、形代とな

る姫君は故人をしのぶためだけの単なる

「人形」では決してない。それは未

来に向

って伸展する愛の対象であり、新しい現実

の獲得であ

った」(大朝雄二

「浮舟

の登場」「文学

一九八七

・一〇)が、薫にと

っての

「形代」とは、過

への回帰または再確認のためにすぎず

、「なでもの」の語の意味が示すよう

に、そこにはいかなる意味

でも未来的な展望は存在しなか

ったのである。

(一九

)注

(―二

)丸

ヨ子

の論

三七

頁、

私の思うには、匂宮の存在の虚構性は、物の怪が去り意識を回復した浮舟が

匂宮と対岸の小屋に籠

った過去を想起している箇所にすでに表れている。「心

強く、この世に亡せなんと思

ひたちしを、をこがましうて人に見

つけられむ

よりは鬼も何も食ひて失ひてよと言ひつつつくづくとゐたりしを、いときよ

げなる男の寄り来て、いざたま

へ、おのがもと

へ、と二昌ひて、抱く心地

のせ

しを、宮と聞

こえし人のしたまふとおぼえしぼどより心地まどひにけるなめ

り、知らぬ所に据ゑおきて、この男は消え失せぬと見しを

(後略

)」(手習

二九六頁)。

つまり

「宮と聞こえし人」と

いうのは

「人をまどはしたる」(同

・二九四頁

)「物の怪」のことであり、

この箇所で匂宮

の存在はすでに否定

されていると考えられる。

(二〇)多屋頼俊

『源氏物語

の思想

』(法蔵館、

一九五二)○小野村洋子

『源氏物

語の精神的基底』(創文社、

一九七〇)○岩瀬法雲

『源氏物語と仏教思想

』(笠

間書院、

一九七二)○前掲注

(一二)『源氏物語の探究』第

一輯の三篇

の論文、

青山なを

「不用人の自覚」丸山キヨ子

「浮舟

について―宇治十帖末尾の考察

ー」武原弘

「浮舟論―その人物造型の主題と方法―」が示唆

に富む。または

同じ

『源氏物語の探究』第

八輯

(―九八三)所収

の中島あや子

「浮舟の形成

―還俗間題に至るー」の注

(一)には、横川僧都

の還俗勧奨説と還俗非勧奨

説の論文をリストアップしている。また、鷲山茂雄氏の

『源氏物語主題論』(塙

書房、

一九八五)の第四章

「夢

の浮橋考」、島内景二氏の

「浮舟のゆくえ」(『源

氏物語

の話型学』ぺりかん社、

―九八九)など参照。

(二

島内景二氏は、注

(二〇)の論文において、夢

浮橋巻では浮舟のイ

ニシエ

ーシ

ョンはまだ完了しておらず

、「救済さる

べき救済者」として

「夢の浮橋」

を渡り、「山」を下りることによ

って、「救済さる

ぺき救済者」としての浮舟

のイ

ニシエ―ションは完成すると

いい、「男と女が俗世の生活の中で相互に救

済し合う、という深い思想」が

『源氏物語』に展開されているとする。しか

48一

Page 17: Title 大君から浮舟への転換 : 浮舟の「形代性」と「反形代性 … · 再生、出離、最終的には自分の意志を押し通すという物語の終焉のうに思われる。入水の決意に至るまでの匂宮との恋、そして入水、

し、これは書かれざる浮舟物語の未来に対する人間存在

の救済

の可能性とし

ての

一つの方向提示ではあ

っても、浮舟の主体的位相がとらえられていると

は考えにくい。なぜならば、浮舟の

「反形代性」は、同じ現世に生きながら

も交わりえない男女の関係を拒否したことにあり、それを認識したところで

『源氏物語』は終了しているからである。

(二二)かぐや姫と同様に浮舟

の罪の起源が不在であることを指摘する小林正明氏

は、「最後の浮舟-手習巻のテクスト相互関連性―」(前掲注

(一)『物語研究』)

において、浮舟

の罪は

『竹取物語』引用によ

って発生し、か

つ増殖したとす

る。また、かぐや姫の系譜は多くの女君たちのうえにたどられてきたが、小

嶋菜温

子氏は、『竹取』引用を介して、光源氏の罪と浮舟の罪はパラレルにあ

るとし、「光源氏の罪もまた浮舟

の罪の起源と見なされる」という。なお、「か

ぐや姫―光源氏―浮舟の罪の系譜化にあ

って、ジ

ェンダ―

(性差

)は解体さ

れなければならな

い」とし、浮舟物語に形象された

〈女の罪〉の問題を語る

(『源

語批

』第

「か

や姫

用―

ェンダ

ーを

こえ

て―

有精

一九

)。

(二三)関根賢司

「かぐや姫とその喬

」(『物語文学論』桜楓社、

一九

八〇

)。氏は

『源氏物語』の中に

「かぐや姫の悌、その正系」として桐壺更衣、藤壺、紫

、宇

の大君

浮舟

あげ

て、

「ゆか

の系譜

の姫

たち

の意志

つい

て論

る。

(二四

)吉

岡暖

『源

氏物

』(笠

書院

一九

七二

)

一四

〇頁

一49一

(しん

ゆみ

・博士後期課程)


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