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142 『人間と環境』2(2011) ISSN 2185-8365 Journal of Human Environmental Studies 2(2011) 徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図 Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─ 菅原布寿史  〈キーワード〉 ①復元模写 ②柏木グループ ③吹抜屋台 ④空間軸 ⑤動勢 〈論文要旨〉 徳川・五島本の構図は、絵具が剥落・変色した現状では形式的で静的なものと見られてきた。 しかし、現在は最新の復元模本を参照することにより、当時の絵師がより優れた物語の視覚化を 試行錯誤して生み出したダイナミックな構図を読み取ることができる。 本稿では、徳川・五島本の内建造物が描かれた十八作品を分析。結果として、二分割した画面 に主要なモチーフを配置することで物語内容を視覚的に表現した〈対置的スタティクス〉、様々 な動勢が影響し合って動的な運動感で画面内を満たし、ドラマティックなインパクトが感性に訴 えかける〈有機的ダイナミクス〉、そして両者の中間的な構図に分類した。そして、〈有機的ダイ ナミクス〉の構図である〈柏木グループ〉八作品の明度による視覚的刺激の強弱を基準にしたダ イアグラムを作成し、ダイナミクスのメカニズムを分析する。 Visual Dynamics in The Illustrated Tale of Genji ─“Equivalent Statics” and“Organized Dynamics”─ Futoshi SUGAHARA  〈Key Words〉 ① Restorative Copy ② Kashiwagi Group ③ Oblique Projection ④ Spatial Axis ⑤ Diagram of Movements 〈Abstract〉 19 old obscure paintings in the Illustrated Tale of Genji(produced in 12 th century)were considered as formal and static picture. But now, by referring to the latest restorative copies with chemical analysis, we can see creative and dynamic works in them. I analyze the paintings(omit one painting“Sekiya”which has no architecture image) . And I classified their composition forms into two types. One type is divided in two parts by outline of a part of architecture image. And it tells the story to put primary and secondary figures on each part. I call that composition form“equivalent statics” . Another type is organized around dominant dynamic theme, from which movement radiates throughout the entire area. The visual dynamics in those paintings tell the story with more dramatic impact. I call that form “organizeddynamics”. I demonstrate how the painters of the Illustrated Tale of Genji used movements for making dynamic composition and told the story. The University of Human Environments NII-Electronic Library Service
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142

『人間と環境』2(2011) ISSN2185-8365JournalofHumanEnvironmentalStudies2(2011)

二一

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図 Ⅰ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

菅原布寿史 〈キーワード〉①復元模写 ②柏木グループ ③吹抜屋台 ④空間軸 ⑤動勢

〈論文要旨〉 徳川・五島本の構図は、絵具が剥落・変色した現状では形式的で静的なものと見られてきた。しかし、現在は最新の復元模本を参照することにより、当時の絵師がより優れた物語の視覚化を試行錯誤して生み出したダイナミックな構図を読み取ることができる。 本稿では、徳川・五島本の内建造物が描かれた十八作品を分析。結果として、二分割した画面に主要なモチーフを配置することで物語内容を視覚的に表現した〈対置的スタティクス〉、様々な動勢が影響し合って動的な運動感で画面内を満たし、ドラマティックなインパクトが感性に訴えかける〈有機的ダイナミクス〉、そして両者の中間的な構図に分類した。そして、〈有機的ダイナミクス〉の構図である〈柏木グループ〉八作品の明度による視覚的刺激の強弱を基準にしたダイアグラムを作成し、ダイナミクスのメカニズムを分析する。

Visual Dynamics in The Illustrated Tale of Genji─“Equivalent Statics” and“Organized Dynamics”─

Futoshi SUGAHARA 

〈Key Words〉①RestorativeCopy ② KashiwagiGroup ③ ObliqueProjection ④ SpatialAxis⑤ DiagramofMovements

〈Abstract〉  19oldobscurepaintingsintheIllustratedTaleofGenji(producedin12thcentury)wereconsideredasformalandstaticpicture.Butnow,byreferringtothelatestrestorativecopieswithchemicalanalysis,wecanseecreativeanddynamicworksinthem.  Ianalyzethepaintings(omitonepainting“Sekiya”whichhasnoarchitectureimage).AndIclassifiedtheircompositionformsintotwotypes.Onetypeisdividedintwopartsbyoutlineofapartofarchitectureimage.Andittellsthestorytoputprimaryandsecondaryfiguresoneachpart.Icallthatcompositionform“equivalentstatics”.Anothertypeisorganizedarounddominantdynamic theme, fromwhichmovementradiates throughout theentirearea.Thevisualdynamics inthosepaintingstellthestorywithmoredramatic impact.Icallthatform“organizeddynamics”.  Idemonstratehow thepaintersof the IllustratedTaleofGenji usedmovements formakingdynamiccompositionandtoldthestory.

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二二

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

徳川・五島本源氏物語絵巻

ダイナミクスに至る構図

─対置的スタティクスと有機的ダイナミクス─

菅原布寿史

はじめに

復元模写プロジェクトの成果

 

近年は科学的分析技術を基にしたCGによる復元作業が盛んとな

り、私たちは多くの文化財の制作当初のヴァーチャルイメージを享

受することが可能となった。そうした中で徳川・五島本の〈平成の

復元模写〉は、徹底した科学的調査による顔料の分析、不明瞭であっ

た図様の明晰化に加え、原本と同じ素材と技法を使った模写により、

CGでは成しえない物質的再現性をも実現したといえよう。とはい

え、その模本の畳の彩色一つをとっても違和感は拭えないのも事実

である。実見したところ、復元プロジェクト第一作の「柏木三」の

畳は岩絵具の素材感が強く硬い気がするし、他の模本の畳はニュア

ンスが豊かすぎてふわふわしている。畳に限らず、白木の建材・建

具・調度品・装束などそれに触れ、その匂いを嗅ぎながら生活する

視覚以上の情報を保有していた当時の人々が復元模本を見たとすれ

ば、もっと大きな違和を感じるであろう。また、原本の鋭い墨線に

よる構図に魅せられていたせいか、筆者にはつくり絵の技法は甘っ

たるすぎるものと感じてしまう恨みもある。

 

しかし、原本の観察と僅かな写真資料による初めての復元事業で

あった〈昭和の復元模写〉と比較しても、その自然なモチーフ描写

や配色の整合性など、絵画としての完成度は飛躍的なものがある。

それは原本が持つ創造性まで認識させるに充分なものに思える。ま

た、変色を恐れずに原本どおり銀泥をふんだんに使用した点も、当

時の美意識を感受させ得るものとなったといえよう。従って「それ

ぞれの頭の中での想像による復元よりも一層実証的に看取し、共有

できる俎上ができたことに意義がある」一という見解に異論はない。

構図の分析手法

 

さて、これほどの規模による徹底した科学的分析調査を伴った復

元模写も、最終的には画家の裁量にゆだねられることはプロジェク

トにまつわる報告や文献、映像ドキュメンタリーからも伺える。一

つの色面に彩色する際にその顔料や膠の成分や量、使用する道具や

技法までが規定されていたとしても、描く人によって差異が生まれ

るし、それが画面全体に行き渡ればその違いは歴然としたものにな

る。従って、こうして提示された復元模本群をそのままニュアンス

にわたるまで実証的サンプルとして扱うには無理があるのは言うま

でもない。それに、こうしたニュアンスの情報は装束・建具・調度

など表象的再現に寄与するものであり、復元事業によって多くの知

見が得られたわけではあるが、徳川・五島本の作品性を支えるのは、

もっと基本的な構図と色彩の設定にあると筆者は考える。そして、

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人間と環境 2(2011)

二三

その画面効果を抽出するにはニュアンスを一旦捨象する必要があ

る。

 

そこで、これらの復元模本から形体・明度・色相・テクスチュア

の微細な表現を除去。単純な画面に還元し、それでも画面効果とし

て有効に機能する要素を抽出することで、原本の表現意図を探ろう

というのが本稿の目的である。分析作業の足掛かりとして、形体を

単純化し高い明暗コントラストのみを抽出したモノクロのダイアグ

ラムと、微細な色相差を同一色相に還元した色面に明晰で影響力の

強いテクスチュアを加えたダイアグラムの二段階を作成することに

した。

 

また、作品個々の分析に先立ち、こうした物語絵の構図の特徴で

ある俯瞰構図、吹抜屋台と呼ばれる手法から再検証をする必要性を

感じた。なぜなら、これまで徳川・五島本現存一九点の絵の研究は

個々の分析か、あるテーマに関連付けていくつかを扱うといったも

ので、徳川・五島本に通底する空間表現の定義付けには再考の余地

があると思っていたからである。例えば「東屋二」の薫と前栽の描

写が俯瞰視点の画面であるにもかかわらず水平視点で描かれている

といった類いの指摘は散見されるものであるが、俯瞰視と水平視の

併存は、俯瞰構図を斜投影図法的空間であるとするなら標準的表現

であり、ことさら取り上げるべき特殊事例ではないはずである。ま

た、その図学的解釈自体にも多くの問題を孕んでいるものの、そう

した指摘は図学の分野からに限られているようである二

。従って本

稿では、徳川・五島本個々の作品分析に先んじてこうした問題にも

触れてゆきたい。

徳川・五島本の構図

吹抜屋台の空間

 

図1のα─1、β─1、γ─1は直方体の立体投影図であるとし

よう。どの面も透明で、向こう側の稜線も見える状態となっている。

吹抜屋台の物語絵巻は、屋根をはじめ上面となる天井と手前正面に

あたる建具類が取り除かれている。手前側面にあたる建具類及び、

手前の稜線にあたる柱や上長押は描かれる場合と省かれる場合があ

るが、いずれにせよ、吹抜屋台はわたしたちが本来俯瞰視点から見

ることの出来ない向こう側の稜にあたる室内奥の柱や下長押も見る

ことが出来るので、こうした投影図に近い空間表現であるといえよ

う。

一 

四辻秀紀「国宝源氏物語絵巻とその復元模写」『中古文学』82

中古文学会

2008年 pp.25

二 

絵巻の空間表現を表面的な見え方で現代の既成の図法に適用する

のは便利ではあるが矛盾点も多い。日本建築学会での日本の絵

巻物を図学的解釈によって研究しようという取り組みは、その

第6回報告「源氏物語絵巻における建築空間の表現について

絵画における空間表現6─」(植田宏・北野隆、日本建築学会九

州支部研究報告第37号

1998年)において、それまで適用し

て来た投影法による分類と用語使用を放棄し、カヴァリエ投影

図(正面が画面に平行な斜投影図)的な絵を〈片斜線図〉、軸測

投影図的な絵とミリタリ投影図(上面が画面に平行な斜投影図)

的な絵を〈両斜線図〉という呼称に換えている。ミリタリ投影

図的な絵とは両斜軸の傾きが四五度に近い「柏木一」を指すと

考えられるが、それは真上から見下ろす俯瞰視点を含み、最も

矛盾の大きい図学的解釈となるので、本稿では採用しない。

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二四

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

 

絵巻の空間は斜投影図法的な水平構図と等軸側投影図法的な斜め

構図に分類されるという解釈が広く知られている三

。それに従えば

a─1、β─1は斜投影図的な水平構図、γ─1は軸測投影図的四

な斜め構図とういことになろう。しかし斜投影図法が水平アングル

(正面)と俯瞰アングル(上面・側面)という複数の視点・アング

ルを許容する空間であるのに対し(図2─a)、軸測投影図法の類

いは俯瞰アングルしか無く、全く違った空間設定となる(図2─b.

アのアングル、図3─a参照)。水平構図が大陸から輸入されたも

のであり、斜め構図が平安時代に国内で発展したものであるなら五

後者は前者から派生した新趣向に過ぎず、空間設定自体が違うとは

考えられない。そこで、本稿では斜め構図を図2─b.イのアング

ルを加えることで、図3─bのように解釈し、斜投影図的空間とし

た六

。従って図1の内、α─1が斜投影図的空間の左下がり斜軸を

持つ水平構図、β─1が斜投影図的空間の左上がり斜軸を持つ水平

構図、γ─1が斜投影図的空間の直方体の正面を投影面に平行にな

らないよう斜めに配置した斜め構図と、とりあえずのところ考える

こととする。

 

これらの図は心理学で〈ネッカーの立方体〉として知られる奥行

反転図形を直方体にしたものといえる。例えばα─1のアを手前の

正面、イを奥の正面と見ることも、その逆に見ることも可能で、ア

を手前と認識しがちなのは、大きな平行四辺形の面が水平面である

ととらえた方が安定した接地状態に見えるからだろう。吹抜屋台の

絵の場合、底面が床や畳の色で着色されており、その具象性が歯止

めとなって奥行は決して反転することは無い。しかし、こうした概

念図との空間表現における類似は、吹抜屋台が建築構造を解体した

というだけでなく、三本の空間軸による空間概念をも解体する性質

を有しているといえよう。つまり、その画面は常に二次元と三次元

の両義性を孕んでいるのである。

 

吹抜屋台の絵巻は、前出の投影図のようにその全体構造を画面に

収めることはない。物語絵巻、中でも『源氏物語絵巻』徳川・五島

本はそれをさらに切詰め、建築物の一角だけが画面に描かれるわけ

であるから、当然その空間表現も変化する。ここでは、極端なトリ

ミングで形状が著しく変化し、比較しにくくなることを防ぐために、

全体構造を画面いっぱいに収める程度にまでβとγの画面を切詰め

てみよう。β─2、γ─2では空間がより両義的になったのがわか

る。つまり、依然として直方体に見えるばかりでなく長方形を直線

分割することで出来た平面図形の集合体にも見え、また、図(直方

体)と地との区別がつかずに全てが等価な面にも見える。続いて両

図の左上がりの斜線を取り除くとさらに立体空間的認識は弱くな

る。β─3aは水平垂直の線で構成された安定した構図、γ─3は

斜線が目立つ動的な構図というそれぞれ表情の異なる二次元的画面

に変化したことがわかる(β─2の水平軸を取り除いたβ─3bは

γ─3に近い動的構図になる)。とはいえ、これらの図に依然とし

て重なりや奥行を知覚出来ることも否定できない。

徳川・五島本の吹抜屋台

 

徳川・五島本の場合、建造物の全体像を把握出来ない程に画面を

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人間と環境 2(2011)

二五

さらに切詰め、屏障具・人物・調度の配置等によって三方向の空間

軸の見え方を調整する。つまり、それら軸線の内一本を主調軸とし、

他の一本を副次的に用い、残りの一本を殆ど見えなくすることが多

いのである。そうすることで、三方向の軸によって保証される立体

空間の意識を後退させる。それでもわたしたちが徳川・五島本の画

面を三次元として認識しうるのは、室内の再現的描写(建材、畳の

固有色に従った彩色)に負うところが大きい。「鈴虫一」をはじめ「柏

木二」、「夕霧」に見られる彩色下の書き入れ文字は、寝殿造に慣れ

親しんだ人々ですら白描ではそれが建物のどの部分か判断に窮した

ことの証左であろう。徳川・五島本はそれ程までに抽象化し、具象

としての意味性の背後の造形そのものの訴求力が勝っているのであ

る。そして物語表現も、こうした潜在的な二次元空間の力学が雄弁

に紡ぎ出すのである。

 

表一は、屋外のみの描写である「関屋」以外の現存十八段の絵を

主調となる軸、副次的な軸、隠蔽された軸に分類したものである。

こうして見ると徳川・五島本では主調軸の傾斜の度合いが画面に影

響を与え、ドラマ表現として反映しているのがわかる。

 

このような構図では、水平構図や斜め構図の持つ立体物としての

三本の軸を問題にする空間概念は意味を持たない。例えば、「柏木三」

(図6─c)と「夕霧」(図6─g)は水平構図であるにもかかわら

ず水平軸は隠蔽されて、構図上殆ど機能していない。徳川・五島本

の構図において水平・垂直・斜めの内いずれの軸が支配的かはコン

トラスト(視覚的刺激の強度)七と本数によって決まるのであって、

三本の軸によって成り立つ立体の傾きの問題ではないのである。

 

実際、徳川・五島本の絵に三本の軸による立体空間の意識がどれ

ほどあったかは疑わしい。「

竹河二」

は、壷庭上方の簀子縁が水平

であるにもかかわらず壷庭左側の簀子板の合わせ目の線が左上がり

になっており、水平構図と斜め構図の混在ととれる。そうでないと

するなら本当に平行四辺形の板が用いられていたことになる。これ

にとどまらず、徳川・五島本の建築部材細部の表現には、統一的な

三 『日本美術館』小学館

1997年pp.308

、『じっくり見

たい源氏物語絵巻』小学館

二〇〇〇年pp.95-96

、いずれ

も佐野みどり氏による。

四 

a─1は順勝手、b─1は逆勝手と呼んで区別されること

が多い。

  

本稿では等軸測(等角)投影図を、二等角投影図、不等角

投影図とともに軸測投影図の一種として扱う。いずれの図

法にも近い構図表現が絵巻には存在し、徳川・五島本で等

軸測投影図に近い(傾きが三〇度程度の左下がり・左上が

り斜軸と垂直軸を持つもの)と思われるのは「橋姫」と「宿

木三」

のみなので(表一参照)、ここでは広く軸測投影図

法的とした。

五 

秋山光和氏は前者を〈第一の構成法〉と呼んで東洋絵画に

おいて基本的な空間構成法とし、〈第二の構成法〉である

後者は平安末以降鎌倉時代にかけての物語絵の構図として

標準的なものであったとする。(『王朝絵画の誕生』中央公

論社

1968年pp.120-121

六 

面出和子氏の「都市の形」(日本図学会編『美の図学』森

北出版

1998年)では、洛中洛外図歴博甲本を例にとり、

斜め構図の都市図に見られる画面と平行関係にない建造物

(洛外の寺社、洛中の祇園会山鉾)を、「画面と平行でない

物を斜投象で描いた結果、軸測投象的になったと考えられ

る」としている(投象=投影)。しかし、実際は図学上の

規範に則って斜投影図の空間内に軸測投影図的な図を作図

することは出来ない。

七 

この場合、コントラストの高さは隣接する色面の境界線の

長さ、明暗差等で決まる。本稿では〈コントラスト〉の語

は視覚的刺激の強度という意味で使用するので〈明暗コン

トラスト〉などと限定しない限りそこには様々な視覚的要

素が含まれる。

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二六

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

図法に則っていないどころか側面描写が省略されて立体構造として

成立してない個所が散見される。

 

また、「橋姫」では、左下がり斜軸と垂直軸は確認出来ても三本

目の軸が見当たらない。「

早蕨」

の稚拙な空間構造はそれ以上で、

水平垂直の軸はあっても奥行を示す斜軸がない。強いていえば前者

は簀子上の紅の袴の裾と箏の側面が左上がりの軸方向、後者では画

面中央の打乱筥が左下がりの軸方向を示して立体空間を保証してい

るともとれる八

。しかしそのように三次元空間として解釈すると、「早

蕨」画面右側の裏白の几帳は横木右端部分が背後の張付壁に減り込

むことになってしまう。中君の身体表現の破綻などに鑑みても、こ

の絵の担当者にどの程度三次元の空間意識があったか疑わしい九

 

これらのことから、徳川・五島本各画面を担当した人物の内、統

一的な立体空間の認識を持たないものも少なくなかったと思われ

る。制作過程においても三本の軸による空間設定はされることはな

く、せいぜい二つの軸によって画面を区画するという意識しかな

かったのではないか。そのようにして画面に引かれた線は建造物・

建具・畳の輪郭として、色を塗り分けるための分割線に過ぎなかっ

ただろう。とはいえ、前述のようにほんの僅かであっても三次元空

間を暗示する三つめの軸方向の構成要素を忘れずに入れているよう

にも思えるので、制作統括者は三本の空間軸が揃った三次元空間を

保証する要素を最小限確保していたともとれる。

 

佐野みどり氏は吹抜屋台の手法が物語表現に有効なのは、徳川・

五島本に見られるような近接的で部分的なトリミングの視野である

とする一〇

。そこには空間構造を把握する外からの視点はなく、画面

は生活環境内の視覚断片の集積によって形成されるのみであり、俯

瞰構図本来の客観的視覚という性質とは相容れない。それならば、

斜め構図、水平構図といった立体的な外枠としての空間概念も最早

意味を持たないだろう。世界は外からその全体像を見るものではな

く、中から見渡すものであり、その多くは奥行のないイメージによっ

て構成されているのである。

左下がり斜軸構図の遠近法

 

絵巻の構図解釈に図学の投影法を転用することの矛盾と、徳川・

五島本が水平・斜め構図といった三本の軸による空間表現をいかに

解体し、再構成しているかを示す例を他に示そう。

 

いわゆる俯瞰構図の視点とアングルは、水平視の場合、上下左右

のアングル共に視線が画面に直交し、俯瞰視の場合、上下のアング

ルが画面の垂直軸に斜角で交わるが左右のアングルは画面の水平軸

に直交する。このように、これまで視点とアングルは、画面の水平

軸に直交する視線のみを考えて来た。ところが、水平構図と同等の

空間表現としてきた斜投影図の側面と上面は、図2─aが示すよう

に、上下角、左右角ともに斜角で画面に相対することになる。これ

は、斜め構図の俯瞰視線の左右角が画面に直交するのとは異なる(図

2─a、2─b比較参照)。図学上の規範は忘れて斜め構図上の物

体と水平構図上の物体を同じ空間上に存在させることが出来たとし

ても、両者が孕む視線のアングルは左右角において異なるのである。

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人間と環境 2(2011)

二七

 

勿論、こうした矛盾は図学の投影法で絵巻を分析しようとしたこ

とから来るものであり、本来は絵巻の空間が持つ視点とアングルの

豊かさのあらわれなのである。つまり、斜投影図の場合、画面(=

投影面)に斜角で交わるのはあくまで投影線であり、その図を見る

視線は画面に直交する。それに対し、絵巻を見る場合の斜軸は画面

を斜め角度から見る意識を生み、斜軸があたかも水平軸であるかの

ようにしてモチーフを見迎えたりするような感覚を促すと考えられ

る(図4─a.ア)一一

 

しかも、こうした視覚は立体空間を解体した平面的イメージの集

積である徳川・五島本に、別種の深い奥行空間を提供する。特に、

左下がりの主張軸を持つ「竹河二」、「橋姫」が明確にそのことを伝

える。これらの構図には、鑑賞者が画面右下隅人物に同化し、斜め

の入射角の視線で画面を見て左下がりの軸を水平線のように見迎え

ることで、画面右下隅から左上隅へと続くこの軸の反復に奥行を感

じることができるのである。この心理的な遠近感は、絵巻の画面右

端を起点として左へと徐々に繰り出すことで増幅される。両作品の

画面下端簀子上の女房の斜投影図的空間としては不整合な傾きは、

このように左下がり斜めの主張軸を水平とする見方によって違和感

を解消できる(「竹河二」の女房は図4─bに図示)。

 

また、「柏木三」、「鈴虫二」、「夕霧」、「御法」、「竹河一」、「早蕨」、

「東屋一」にも同様の奥行感を認めることが出来ようが、制作者が

空間軸の傾きを恣意的に操作した顕著な例は「竹河二」にある。こ

の絵は蔵人少将のいる透渡殿が、本来画面上部に描かれた二人の女

房たちのいる渡殿と壷庭を挟んで向かいにあるベきところを、姫君

たちのいる廂と向かい合っているかのように描いている一二

。つまり、

透渡殿の上長押は寝殿造の構造どおりなら画面の水平軸上に描かれ

るべきなのである。それをわざわざ左下がり斜めに傾けることで、

奥行の空間軸上(右下隅から左上隅の対角線)に配列し直している

ということになる(図4─b)。

八 

前掲「源氏物語における建築空間の表現について」では「橋

姫」は水平構図扱いになっている。これは実測出来る建築

物のもうひとつの斜軸が画面内に存在しないが故の消極的

判断と思われる。また「早蕨」に関しては、やはり打乱筥

の側面が左下がりの軸上にあるとして傾角を決定してい

る。

九 

こうした統一感の無い空間表現が画技の稚拙さ故でない例

としては、「柏木二」画面右上隅の経机上の経巻がある。

右上がりの水平構図では死角となるはずの左端の巻軸が描

かれている。これは、右端にあたる巻軸部分が画面外に出

てしまうので巻物であることを説明出来ず、それを補完す

るための反転図形的処理と見られる。キュビスム的作画法

ともいえそうで、統一的な三次元空間表現の決まり事(モ

チーフの向こう側は見えないので描かない)を遵守する意

識があればこのようなことはあえてしないであろう。また、

「柏木三」は水平構図だが、上長押の断面は斜め構図とし

て描かれているという例もある。

一〇 「あくまでも物語の人物を中心に構築され、室内は一部

しか表されず、戸外の景物の大観的な広がりをもたない。

画中の人物、もしくは物語の語り手の視線の届く範囲しか

描かれないといってもよい。徳川・五島本源氏物語絵巻の

画面構成にあっては、空間的整合性は客観的なものではな

く、物語の心情が要求する空間を現出するのであり、それ

が親和的な鑑賞、情趣への共感を獲得するのである。」

野みどり『風流

造形

物語』スカイドア

1997年 PP.

511-512 

一一 〈見迎える〉は〈見送る〉とともに高畑勳氏による語。

図では氏の『十二世紀のアニメーション』(徳間書店

1999年)に倣ってカメラがパンしながら画面に平行

に移動するような視点移動として作図した。尚、氏は左下

がりの斜め構図を斜投象右面構図と呼称する。

一二 

五島邦治監修

風俗博物館編『源氏物語六条院の生活』

青幻社

1999年 pp.34

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二八

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

 

そして、そのように解釈すると4─a.イのような画面に正対す

る視点の意識は一気に後退し、水平軸は空間表現の障害物にすらな

る。そこで、「竹河二」、「柏木三」、「夕霧」といった左下がりの水

平構図では、水平軸を隠蔽する必要があったと考えられるのである。

また、水平軸を視線と平行に傾ければ空間的に整合するし(図4─

b.破線)、「鈴虫二」、「御法」、「竹河一」、「橋姫」のような左下が

り斜軸を主調軸とする斜め構図になるが、斜め構図が成立する契機

は実はこのようなことなのかも知れない一三

 

視線の斜めの入射を誘う空間表現は、対角線という矩形画面の最

も長い直線距離を遠近スケールに転じさせている。そして.そのよ

うな空間の捉え方においては、斜軸が水平軸として捉えられるため

斜軸方向が奥行にあたる斜投影図的な空間意識はさらに弱くなるの

である。

 

以上のことから、表一では徳川・五島本の構図を水平構図・斜め

構図という分類から主調軸の傾きによるものに切り替え、〈左下が

り斜軸構図〉(八点)、〈左上がり斜軸構図〉(五点)、〈水平軸構図〉(三

点)、〈垂直軸構図〉(二点)に分類した。

徳川・五島本

構図の類型

画面分割とモチーフの対置的関係

 

徳川・五島本には、画面内を主に主調軸に沿って平面的に二分割

し、それぞれに含まれるモチーフを対置させることでその場面を表

現する構図が多く見られる。源豊宗氏はこうしたモチーフの中央配

置回避と画面の両分性の理由を、藤原時代の浪漫的精神の非端正的

指向の偏倚性と、中央の折目を避ける冊子絵の見開き画面の構図の

名残であると分析する一四

。その謂れはともかく、こうした構図は主

要モチーフを画面中央に描く構図に比べ、登場人物の心理的葛藤の

描写に適するといえよう。『源氏物語』のドラマが複数の登場人物

や景物などによって成り立つことを考えると、主要モチーフを分割

し両画面に振り分ける「蓬生」、「竹河一・二」、「橋姫」「東屋二」の

ような例はドラマが成立する最も単純かつ有効な構図であるといえ

よう。これらの内容は〈入来〉や〈垣間見〉といった能動的立場と

受動的立場の両者の関係によって初めて成立するものであるから、

源豊宗氏のいうとおり画面の両分性が目立つものではない一五

 

氏は、それらに対し「柏木一」、「早蕨」、「宿木一・二」、「東屋一」

を例にあげ「主格的図象は画面の片方にあり、しかも付随的図象が

視覚的には同等の重さで、他の片方に描かれている」一六

と、主要登

場人物が画面の片側にのみ描かれ、副次的構成要素をもう片方に配

置した構図の存在を指摘、それらもまた主要モチーフを分割し両画

面に振り分ける絵と同じく両者の重要度は均衡を保っているとす

る。筆者は、「柏木一」に関しては二分割構図とはみていないので

除外するが、他はやはり主要モチーフ側の心情や物語上の意味を副

次的モチーフによる対比や仮託的表象によって強調・補完している

という点で構図・内容いずれの点においても両者の比重は均衡を

保っていると考える。

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134

人間と環境 2(2011)

二九

 

表二は画面分割とモチーフの対置的関係、その場面内容を示した

ものである。訪問する側とされる側(蓬生、竹河一、東屋二)、見

聞きする側とされる側(竹河二、橋姫、宿木一)、表象と比喩によ

る心情表現(宿木三)、同じ時と場の出来事を共有する人々の二つ

の立場による対比と補完(早蕨、宿木二)と、いずれもモチーフの

対置的関係によってそれぞれの場面を成立させている。「宿木一」

ではテキスト上に存在しないモチーフをわざわざ描くことにより構

成要素を二つにして、こうした構図を成り立たせている。筆者はこ

れを、対置することによってドラマとして機能し相互補完的に均衡

を保っているところから〈対置的スタティクス〉と呼ぶこととする。

「東屋一」の過渡的構図

 

表二には現存の徳川・五島本の絵の内、屋外が舞台の「

関屋」

源豊宗氏に二分割構図とされた「東屋一」、同じく二分割構図とさ

れた「柏木一」を含むいわゆる〈柏木グループ〉の作品群が無い。

屋外場面の「

関屋」

と後述する〈柏木グループ〉は置くとして、「東

屋一」(図5)をなぜ例外とするのか。この絵は、画面中央の柱と

美麗几帳の示す垂直線βによって画面分割可能なものの、分割され

た両画面のモチーフにはこれまでに見てきたようなスタティックな

対置的関係ではなくダイナミズムが感じ取れるからである。それは、

障子②の縁の垂直線と美麗几帳③の野筋の反復が、下長押①の水平

軸の左傾斜と相俟って右から左への動勢をつくり、それらが浮舟と

右近を経由して中の君に収斂する緩やかなダイナミクスである。中

君はその背後の女房3と共に大きなシルエットをつくり、柱④に支

えられてこの流れを受け止める。

 

それだけではない。左右に分割された画面はコマ割りされた画面

のように右から左へ時と場所が転換した二場面を描いているように

見えるのだ。女房2は浮舟と頭部が酷似しており、近くの女房1も

右近と横向きの頭部が相似している。図5場面1で、女房2は何か

を忌避して③に身を隠そうとしているように見えるし、それが場面

2では浮舟と右近のくつろいだ様子へと一転する。③は視野を遮る

ように置かれていることから場面転換の役割を果たすモチーフとい

一三 

心理学者R・アルンハイムはこうした〈視覚〉に気づい

ていた。著書“A

rtandVisualPerception”

の“space”

章で、このような空間の捉え方によって絵画の正面性から

解放され、モチーフは奥行きのある画面内を自在に行き来

できるようになるとする。そして、その典型的な作例とし

てあげているのが〈古代の源氏絵〉(徳川・五島本のみを

指すか他の源氏絵を含むかは不明)や〈18世紀の浮世絵

木版画〉である。アルンハイムはこうした(画面と平行な)

正面の無い構図への移行を斜投影図から等軸測投影図への

変化として図示。加えて日本絵画は、等軸測投影図の正面

の無い空間に矛盾する正面(水平)視の人物像を描く(垂

直軸を画面に平行なものとする)ことで俯瞰視の客観的空

間内に(鑑賞者と絵画世界を直接的につなげる)主観的視

点を維持しているとする。A

rnheim,Rudolf.A

rtandVisualPerception,U

niversityofCaliforniaPress,1970,pp.267-269.

徳川・五島本の「竹河二」、「橋姫」、「早蕨」、「東

屋一」の画面右下隅の人物像は丁度それにあたるであろう。

また、ここでいう矛盾は日本絵画の空間に問題があるので

はなく、それを等軸測投影図として解釈したことにあるの

はいうまでもない(図3─a、b比較参照)。アルンハイ

ムは正面視=平面的・主観的、俯瞰視=立体的・客観的と

いう捉え方で論じ、等軸装投影図法は斜投影図法に比べ絵

画空間として奥行があるが正面が無いため鑑賞者が絵画に

直接向き合う感覚を持たないとする。

一四 

源豊宗『大和絵の研究』角川書店

1976年pp.133

一五 

尚、源豊宗氏がこのタイプの構図として例示しているの

は「蓬生」と「橋姫」だけである。(前掲書pp.132-3

一六 

前掲書pp.133

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133

三〇

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

えよう一七

。従って画面分割は垂直線αとβに挟まれた場面転換部分

を含む三分割という解釈も成立つ。こうした連続性や方向性を感じ

させる要因は、ダイナミクスの要因を示した表三のオとコに該当し、

コによって得られた運動方向である図5の大きな矢印は図6の〈部

分的動勢〉に該当する。また、①は下長押⑥とくさび形を成し、強

い左への方向性を示す(表三.ケ)。

 

こうして画面を右から左に辿った後に、鑑賞者は中君の視点に

立って左から右へ見渡す。この絵は視線を右から左へと移動させる

だけでなく、左端に行き着くと逆方向を指向する。しかも左への方

向はアクションの展開であったのが、続く右への方向は一人の視点

から室内の様子を見渡すというものであり、それは詞書にある中君

の見る光景や心中の反映ともとれる一八

。浮舟の右脇に見える畳の繧

繝縁⑤は匂宮を暗示させ、中君が匂宮と薫に思いをめぐらし、浮舟

の処遇に思いを馳せるという詞書以前の物語本文を反映しているよ

うでもある。つまり、往路と復路は同じ意味内容の反復ではないの

である。「

東屋一」

は、表彰された場面の和やかな雰囲気に終止し

ない物語的観念が読み取れることからも、〈対置的スタティクス〉

という表象的ドラマ表現から抜け出そうという姿勢が感じとれる。

 

そのように見てゆくと、〈対置的スタティクス〉として扱った「早

蕨」も「東屋一」と画面中央の垂直線で二分割できる構図が似てお

り、さらに、〔赤い袿の女房→右下隅の女房→裁縫する女房→中央

下端後ろ向きの女房→弁尼→中君〕とひとつの流れを形成するよう

な人物配置の展開に気づく。ただ、そこには後に述べるような法則

性には乏しい一九

。実際、画面を右から繰り出した場合は前述の順序

ではなく、右に配置された人物から順に走査してゆくだけになって

しまう。他の構成要素もこうした人物配置に対して緊密な関係を結

んでいるとはいいがたく、張付壁の縁、柱、几帳の野筋による垂直

線の繰り返しは人物表現との対応関係が無く、動勢として有機的に

機能していない。

 

他に、「宿木二」の画面左半分の女房達にも同様な運動感を感じ

るが、やはり表一にあるごとく水平軸に沿った並列性の方が勝ると

いえよう二〇

。しかし、こうした例は完成されたものではないにせよ、

対置的表現から視線誘導によるアクション展開へと新たな物語表現

への移行を感じさせるのである。

〈柏木グループ〉のダイナミズム

 

そしてこのようなダイナミズムは、〈柏木グループ〉八作品にな

ると成熟を見せる。美術作品を心理学の見地から論じた“A

rtandVisualPerception”

では「構図のダイナミクスが成立するのは、各

部の動勢が全体の動勢の中で互いに論理的な一致をみたときだけで

ある。そのような作品は基調となる動的主題を中心に組織化され、

その動勢は画面全体に行き渡る。」とする二一

。こうした見解は物語

絵巻という形式においてこれら八作品に実現されているといえよ

う。それは、原本の観察では確信の持てないものであったが、復元

により明暗、色彩、テクスチュアの要素が補正され、作者の明確な

意図として読みとることが可能となった。筆者はこうした構図を〈有

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132

人間と環境 2(2011)

三一

機的ダイナミクス〉と呼称する。

 

立石和弘氏は徳川・五島本の画面内の境界線による区画の秩序化

とその越境に着目している二二

。氏は、その境界を建物や屏障具の輪

郭に求めており、それを越境するモチーフによるダイナミズムを論

じている。そこでは主に〈柏木グループ〉の作品について述べられ

ているが、筆者が〈対置的スタティクス〉とする「竹河一」、「橋姫」

もその範疇にあるとする。たしかに前者の御簾の下からはみ出た几

帳や後者の霞は筆者が分割線とした境界を〈越境〉してはいる。し

かし、両者とも画面全体に波及するダイナミズムは感じられない。

 「竹河一」の簀子上にこぼれ出た几帳は高欄の内側に収まり、対

置関係を崩すには至っていない。「橋姫」は復元模写の過程で霞が

濃い群青ではなく銀泥に群青が少量混ぜられているだけであると分

析された二三

。そうなると霞は淡く、薫と姫君たちを隔てる透垣の濃

彩緑青を凌駕する程の高いコントラストは持ち得ない。その透垣の

稜線で分割された画面はあくまで対置的均衡を保持したままになる

のである。原本の薫と姫君たちの間を循環する楕円構図二四

の運動感

は、銀泥の黒変で透垣と地面の明度差がなくなることで透垣の輪郭

が曖昧になり、逆に霞が際立って境界を越境するという経年変化に

よって成立した現状の魅力に過ぎないのではないだろうか。

 

本稿で問題とするのはモチーフそのものの越境ではなく、各モ

チーフやモチーフ同士の関係性によって画面全体に波及するダイナ

ミクスである。従ってこれら二作品は〈有機的ダイナミクス〉の範

疇には入れない。

一七 

この場面転換的モチーフは、拙稿「信貴山縁起絵巻時間

分析の試み

─飛倉の巻クライマックスの映画的表現手

法─」(人間環境大学人間環境学部紀要『人間と環境』1

2011年)で取り上げた“Fill,RevealFram

e”

の概

念に近い。

一八 

徳川・五島本に描かれた小さく尖った女性像の後頭部の

中で、この中君は構図の要として最も重要な意味を持つ。

小さく尖った形は人物表現としては確かに奇異ではある

が、このデフォルメされた形体の持つ集約性と放射性を最

大限有効に機能させた例といえよう。

一九 〈柏木グループ〉では、人物間をつなぐ経路となる要素

として後ろ向きの女房の髪の曲線を巧みに使うが、「早蕨」

では〔赤い袿の女房→裁縫する女房〕に線対称関係(表三.

カ)、〔赤い袿の女房→中君〕に相似的関係(オ)を見出せ

たとしても、それらの間を滑らかにつなぐ要素が無いので

ある。

二〇 

画面中央の美麗几帳の野筋と屏風の忍冬文が反復して並

ぶことであらわれる左上がりの経路の先に見いだす華やか

に着飾った女房。続いてその女房を起点に左回りに女房た

ちを巡回する。この画面左の5人には異時同図的展開や鏡

像関係を見出すことも可能だが、こうしたダイナミクスは

匂宮と六君のいる右画面の豪奢な幸福感を仮託表象するた

めのものであって、両画面のスタティックな対置関係を崩

す意図は無い。

二一 

前掲“A

rtandVisualPerception”

の“Dynam

ics”

の章

pp.432 

引用文筆者訳

二二 

立石和弘「源氏物語絵巻の境界表象」三田村雅子・川添

房江編『描かれた源氏物語』翰林書房

2007年

二三 

NHK名古屋「よみがえる源氏物語絵巻」取材班『よみ

がえる源氏物語絵巻

─全巻復元に挑む─』日本放送出版

協会

2006年 pp.91-92

二四 

三谷邦明、三田村雅子

『源氏物語絵巻の謎を読み解く』

角川書店

1998年 pp.61-62 

ここでは楕円を構成す

る要素としてまず薫の直衣の袖があげられるが、原本でコ

ントラストの高い袖の輪郭は、復元模本では群青の彩色に

紛れて目立たなくなってしまっている。それよりも透垣の

直線の輪郭が目立つので、復元模本では楕円を見出すこと

が難しい。筆者も原本の循環的構図に魅了されていた一人

ではあるが、「橋姫」を「竹河一・二」と同一グループの作

とするのなら、その分割配置的造形感覚は共通していると

いえ、模写の解釈が間違っているとは思えない。

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131

三二

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

〈柏木グループ〉の分析

〈柏木グループ〉の構図展開

 

分析にあたって、対象が絵巻であるので、その視覚効果を再現す

るために復元模本と同サイズの複製を制作し、それを絵巻と同じ状

態に丸めて徐々に繰り出しながらその効果を観察する手法をとっ

た。繰り出す行為が画面効果を発揮するのであるから、最初から画

面全体を眺めても絵巻の構図を理解することはできない。

 

そのように見てゆくと、〈柏木グループ〉の横長の作品は図6に

示したように画面を四等分した各面ごとに構図の展開があることが

わかる。最初に見る1/4は映画の一シーンの場面設定的な最初の

カットを思わせ、2/4又は3/4以降で主要登場人物によるドラ

マが展開する二五

。ただ、「御法」に関しては分割線αに身舎─廂間

の柱が位置し、中央のβに源氏が位置する以外はあまり関連性が見

られない。また、横幅の狭い「横笛」、「夕霧」は中央で二等分する

ことが可能であるが、四等分までして画面の構想を練ったとは思え

ない。しかし、いずれの場合も、右から左への時系列に沿って画面

を展開させることを意図している点は共通しているといえよう。

 

こうして見出したダイナミクスの経路は、眼球運動による視線の

走査経路とは必ずしも一致しない二六

。通常そうした経路は、鑑賞者

が注視しやすい人物の顔やコントラストの高いモチーフを辿ってゆ

くが、ダイナミクスの経路はあくまで画面上に現れる流れである。

それは走査経路と〈基調となる動的主題〉、〈部分的動勢〉が有機的

に影響し合って形成される。

〈柏木グループ〉ダイアグラムの作成

 

表三はダイナミクスの方向や経路を生み出し、その流れを制御す

る要因をまとめたものである。〈柏木グループ〉では限られたモチー

フにその役割が与えられ、それらを組み合わせることで画面全体の

ダイナミクスが形成される。

 

従来こうした分析結果をあらわすダイアグラムとしては白描画的

なものが主流を占めていた。それは原本の絵具が剥落・退色してい

るため、絵具の下の墨線を主な手掛かりとしなければならなかった

という事情もあるだろうが、墨線が絵具で覆われた濃彩の復元模本

が全画面出揃っている現在なら他の方法も可能である。そこで、本

稿では復元模本の細部描写や彩色のニュアンス、テクスチュアを除

いて単純化した色面をモノクロにすることで八作品のダイアグラム

を作成した(図6)。結果としてモチーフ同士の境界の明度差が小

さい個所は別個のモチーフであっても一体化して表示される。図5

のようなモチーフを分別するダイアグラム作成法とは違うもので、

概念図ではなく視覚的刺激の強度を基準にしている点が特徴であ

る。そうすることで具象的・意味的認識を後退させ、その背後にあ

る色面の明暗コントラストによる視覚的作用を抽出するのがねらい

である。尚、複数色によるテクスチュアの描き込み、隈取のぼかし

や襲のグラデーションなども出来るだけ中間明度にして一つの色面

にまとめたが、簡略化によってイメージが著しく変化してしまう場

合はそうすることを控えた。また、同じ理由から前栽の形や畳の縁

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人間と環境 2(2011)

三三

も極端な簡略化は避けたが、屏障具・調度・装束の図柄はテクスチュ

アとして、第Ⅱ部で扱うこととした。

 

復元模写で大きく変貌を遂げたのはいうまでもなく原本に失われ

た色彩とテクスチュアの要素であるが、構成要素が線から面に変

わっただけでも無視出来ない変化である。また、筆者は必ずしも賛

成できないが、心理学では色は視線の走査経路にほとんど影響を及

ぼさないとされており二七

、画面効果が形体と明暗によるものか、色

彩とテクスチュアによるものかを判別するためにもこうした段階的

分析が必要となろう。従って、このモノクロダイアグラムによる解

析は〈柏木グループ〉のダイナミクスの全体像を浮かび上がらせる

ものではなく途中の段階に過ぎない。

柏木一(図6─a)

 

全体として錯綜した画面構成のように見えるが、基本的な三方向

の軸に沿った配置の畳と屏障具が大半を占め、四等分した各画面に

は1/4〈三人の女房〉、2/4〈二つの几帳と一人の女房〉、3/

4〈朱雀院と源氏〉、4/4〈二つの几帳と女三宮〉の順でモチー

フが配置され、過剰な視覚情報量の割には整然とした構図であるこ

とがわかる。

 

では、何がこの均衡を崩しているのだろうか。一つは女三宮の美

麗几帳③と画面下の女房の美麗几帳①の横木がそれぞれ主調軸・副

次的軸とは別の方向を示し、秩序を乱していることにある。そして

もう一つ、画面中央に大きく描かれた朱雀院の明暗コントラストの

低さを忘れるわけにはいかない。要となるモチーフが弱いと画面は

不安定になり、鑑賞者は何処を注視してよいか判断に困り視線は画

面上をさまようことになる。そこにある程度の運動方向を示すと作

者の意図したダイナミクスの経路が設定出来るわけである。

 

結果として図6─aのような往路が見出せる。これに色相とテク

スチュアのつくり出す方向性が加味されるが、第Ⅰ部では扱わない

ので詳しい分析は第Ⅱ部に譲る。この段階では〔女房1─〈相似形

(頭部)〉─女房2─〈相似形(上半身)〉─女房4─〈相似形(上

半身)〉─朱雀院─〈面対称〉─源氏─〈面対称〉─朱雀院─〈線

二五 

拙稿「信貴山縁起絵巻時間分析の試みⅠ

─絵画にみる

映画の表現手法─」(人間環境大学人間環境学部紀要『藝』

7号

2010年)では信貴山縁起の各場面の全体を繰り

出してから全体の構図を場面設定(エスタブリッシング・

ショット)として眺めた後に各部を分析するという視覚体

験を論じたが、『源氏物語絵巻』徳川・五島本の場合それ

とは逆の順序となる。そこにはミニアチュアのようなフェ

ティッシュとして近視眼的に嘗めるように絵巻を眺める鑑

賞態度も関係しているのかも知れない。

二六 

筆者は、前出拙稿「信貴山縁起絵巻時間分析の試みⅠ

─絵画にみる映画の表現手法─」で、心理学における眼球

運動のメカニズムを絵巻分析の手法として転用し、鑑賞者

は右から左へ、また人物やコントラストの高いモチーフか

ら順に走査してゆくと考えた。

二七 

J・M・フィンドレイ、I・D・ギルクリスト著

本田

仁視監訳「アクティヴ・ビジョン」北大路書房

2006

年 pp.129-130 

Buswell(1935)

とYarbus(1967)

による

眼球運動と絵の知覚研究の共通する実験報告としてあげら

れている。この問題は第Ⅱ部で扱う。

二八 

より右にいる女房3より先に女房2に視線が向かうの

は、女房3が後ろ向きで周りの形体に紛れてコントラスト

が低いからである。女房2と女房4をつなぐ経路は、几帳

④(表四.サ)と女房3の髪(エ)に影響されて迂回する。

「早蕨」の右下隅の女房がこの女房3のような働きをすれ

ば、イメージの連続性は保証されただろう。女房4と源氏

も線対称関係でつながるが、女房4からコントラストの高

い畳の高麗縁が左上方向に視線を誘うことと、朱雀院がよ

り右側にいることから朱雀院に先に視線が向かうことにな

る。また、源氏から再び朱雀院に経路が戻るのは源氏の烏

帽子の示す方向の故である(ケ)。

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129

三四

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

対称〉─女三宮〕といった鏡像関係を指摘するに留める二八

 

七人の人物を頂点とする四つの三角形が右から左へと反復・転位

し、物語の周縁から核へと向かわせるという説ともその経路はほぼ

重なる二九

。二極均衡の〈対置的スタティクス〉とは別次元の動的構

図として解釈できよう。また、女三宮から経路が左上に向かうのは

左下がり斜線(彼女の直線的な垂髪も含まれる)の反復による〈部

分的動勢〉の影響である。

 

経路が登場人物をジグザグに渡り歩き画面左上隅の御帳台に行き

着いた後に、(ここでは図示しないが)復路が続く。それは几帳②

から斜め右上に向かう〈基調となる動的主題〉に関係する。往路で

は無関係に等しかったこの方向性の要因は表三.コだが、復路を形

成する要因はそれだけではなく、色彩も大きく関与する。「柏木一」

は、色面とテクスチュアによる対比効果が最大限発揮された画面で

もあるので、この絵における〈有機的ダイナミクス〉の復路の図示

は第Ⅱ部に譲る。

 

こうした動勢とは別に、図では朱雀院背後の裏白の几帳③が目を

引き、混乱した画面を安定させるバラスト的役割を果たしているの

がわかる。この几帳③は明暗コントラストが非常に高いものの、他

のモチーフから孤立しているので一定の運動方向を示さないのであ

る。その静謐さは脱俗性の象徴ともとれ、本来なら朱雀院が担うべ

き役割ともいえよう。同様に、画面右上隅の几帳も野筋が目立つが、

この几帳は裏白ではなく朽木文様のテクスチュアが入るため実際は

それに紛れて図に示す程のコントラストはない。他に、輪郭が垂直

線γと一致する几帳②も興味深い働きを示すが、この絵のキーカ

ラーといえる几帳②の橙色はモノクロの図ではコントラストが低

く、従ってこれも第Ⅰ部の段階で取り上げるべき問題ではない。

柏木二(図6─b)

 

1/4の場面設定として加持の僧の退出した部屋が提示され、開

いた障子に誘われるようにそこを抜けて(表三.ク)、主人公達の

いる2/4へ。その後経路は柏木の周りを暫し周回する。それは夕

霧の冠・直衣・指貫、柏木のひきかけた直垂衾が柏木の頭部を巴状

に囲むことで形成され(エ)、詞書の柏木の長い遺言部分に対応する。

 「東屋一」で既にみたが、〈柏木グループ〉でも、視線が画面右か

ら入り左へ抜けてゆくだけで終わらない場合がある。「柏木一」、「柏

木二」、「鈴虫二」、「御法」は、経路が画面端に行き着くか通り過ぎ

た後に逆方向の経路が発生する。中でもこの図と「鈴虫二」(図6

─e)のみ往路と復路の起点・終点が一致する。

 

図では画面左側にある几帳①、②の野筋が目立つが、やはり朽木

文様のテクスチュアがあり、実際はこれほどコントラストが高くな

い。野筋の方向と野筋が並ぶ方向の双方に方向性が感じられ(イ、

コ)、特に几張①が示す二つの方向性はほぼ等価であり双方向とも

機能している。

 

特筆すべきは3/4まで続いた水平方向を基調とする空間設定

に、几帳①による斜投影図法的な左上がり斜線の奥行が新たに設定

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128

人間と環境 2(2011)

三五

され、視覚情報の異様に多い4/4で透視図法的な奥行に変わるこ

とだ。つまり、女房の内、斜め前を向いた女房1、3、5は奥に描

かれた頭部程実測で小さくなる。こうした遠近表現は、屋外場面で

ある「関屋」の画面左端を占める空蝉一行の表現により強く現れる

ことから、この距離感を室内場面で女房間の時間的隔たりに置き換

えたと見られる。実際、「柏木二」の女房間の距離は他の段の屋内

の女房間の距離より離れているように見え、画面奥の二人の女房

4、5は几帳の影に控える三人の女房1、2、3とは別の事態に直

面しているような印象がある。そこには、事態の急転(柏木の容態

が悪化する詞書以降の展開)が感じとれる。そして、女房5の視線

は御簾を伝って往路の起点にまで経路を戻す(ア、ウ、コ)。

柏木三(図6─c)

 

殺風景な1/4が、祝賀場面の設定であるというアイロニーは鮮

烈である。簀子を伝って2/4に至ると(表三.ア)、色彩対比や

テクスチュアの疎密が過剰なコントラストを生み出すが、そのこと

は第Ⅱ部に述べる。

 

ジェットコースターのように激しく上下する経路が心の振幅を描

き出す。経路が画面最上端に上り詰めると、それは薫や女房1のい

る垂直線γ上端の源氏に位置し、彼は平面上の力学では上長押と畳

の繧繝縁に沿って左斜め下の女房2に向かって転がり落ちそうであ

る(イ)。

 

簀子─廂間の御簾と几帳の重なり①は、画面左上隅の御簾と几帳

の重なり②と相似的関係にあるため、左下がり斜線の反復をともな

う左上への〈基調となる動的主題〉の力も借りて連続性を示す。①

に見える印象的な打出衣③(女性の存在を示す)が②には無く、②

の陰の女三宮の存在の有無(または、物語本文に描かれた女三宮が

詞書では削除されていること)に鑑賞者の関心を向けさせる(オ)。

そして、後者にのみ描かれた柱が源氏と②を隔てることで(サ)、

共感し語り合う相手のいない源氏の孤立感を映し出す三〇

横笛(図6─d)

 

不定形の有機的形体が占める右半分と、整然とした幾何学的形体

が占める左半分に画面が別れる。両者をつなぎ止めるのは画面上端

を左右に行ききってしまう帽額と全体の左右対称性である。基本的

なアイデアは極めて平面的で、意表を突く大胆な構図である。

 

まず画面右側であるが、斜めに開いた壁代の左上がりの輪郭に沿

う〔女房1→女房3〕(表三.イ、キ)と〔女房2の袴→女房2の

髪→女房3の髪〕(エ)の二つの流れが雲居雁に合流する。あから

さまに一人の人物に意識が集中するような例は、この絵の他には「夕

霧」のやはり雲居雁がある。両者共、貴婦人にあるまじき女主人の

言動を女房たちの滑稽な姿で表しており、彼女たちの描写がいかに

二九 

前掲『風流

造形

物語』pp.434

三〇 「柏木三」は、物語本文で源氏が女三宮に詠いかける場

面が、詞書では女三宮の存在をカットして源氏の独詠に脚

色していることで知られる。物語の視覚化において、こう

した単純化は登場人物の立場や心理をより視覚的に鮮明に

映し出す効果がある。逆に、テキストに忠実に再現しよう

とすると、説明的になりダイレクトな伝達力が削がれる。

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127

三六

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

その場面のドラマ演出に寄与しているかがよくわかる。女房たちの

つくり出す線のうねりが「柏木一・二・三」では流麗にしなだれてい

るのに対し、「横笛」の女房たちのそれは不規則に躍動して不格好

なのである。

 

続いて〔中央の柱→夕霧の姿が覗く壁代の隙間空間〕と縦長の形

体が並び、画面左側は野筋によって分割された壁代がそれらの相似

形として左への連続性をつくり出す(コ)。これらは垂直方向に長

いためその速度感は実にゆっくりとしていて画面右半分の慌ただし

さとは対照的である三一

。そして、その先の少しばかり開いた障子は

夕霧の枕元に立った柏木の侵入を暗示させ、ただ滑稽なだけの幕間

劇に終わらない余韻を残す。こうしたことから、二分割された両画

面はこの段の二つの側面(現象的世界と象徴的世界)を示している

といえよう。

鈴虫一(図6─e)

 

加藤順子氏による復元作業の過程で、女三宮とされていた女性像

がその装束から女房ではないかとの説が出されたこともあり、ここ

ではそのモチーフを〈女房1〉として扱う三二

 

この絵の飛び抜けた特異性は、図6─e.2に示したように逆方

向のくさび形が巴状に向かい合う構図にあるのは間違いない。従っ

て〈基調となる動的主題〉も、表三.コではなくケを要因とする二

本の曲線という異例なものである。巴型は「柏木二」では夕霧と柏

木の親密さを示すのに有効であったが、ここではその基本的なアイ

デアである分割線のコントラストを下げてその運動方向を変更する

(図6─e.1)三三

。それによって画面は平面的で内向きの集約的構

図から経路が立体交差する開放的空間に一転。その代償として構図

の核を失い、主人公たちがすれ違うような空虚さが画面を満たすの

である三四

 αまで繰り出すと、コントラストの高い羅文の飾り①を起点に遣

水を伝う第一経路が現れる。その方向は主調軸である渡殿の上長押

③を向いているが、2/4で逆方向を向いた前栽②に阻まれて左上

へ。その先には女房①、②が両者をつなぐアーチ状に巻き上げた御

簾と共に開口部を形成(表三.ク)。虫の音の形象化である前栽は

遣水のせせらぎと共にこの〈門〉をくぐり抜け邸内奥へと至る。絵

具の剥落・変色の激しい原本では遣水のコントラストは低く前栽は

全く見えないので、かつてはこのような経路は想定できなかった。

遣水と女房2の袴・袿の低明度の色面(群青)のコントラストがこ

の経路のガイド的役割を果たしている。

 

続く3/4、第一経路が画面外へ向かうのに平行して画面下では

御簾の裂の反復に導かれて第二経路が現れる(コ)。「鈴虫一」は「夕

霧」を左右反転させた構図(図6─g.2)と似ており、後者の鳥

居障子と屏風の関係が前者の渡殿の御簾と廂の御簾の関係に丁度対

応する。しかし、前者は渡殿の左上がり斜軸の上長押③に沿って反

復する御簾の裂に続いて貼付絵④が正面向きに現れ、経路の右折を

促す。その後、同じリズムの裂の右方向の反復が連続性を保証する。

第一経路と第二経路が平行関係を保ったままで交差しない図6─

g.2との違いがここで明らかとなる。

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人間と環境 2(2011)

三七

 

そして、第二経路は女房1の重袿の裾のカーブと巻き上げられた

御簾のアーチを伝い(エ、コ)、女房2を経て閼伽棚(もう一つの

開口部)に達する(ウ、ク)。この右方向の経路は、女房1が源氏

を忌避するように逃れ、尼削ぎの女房2へと変貌するというアク

ション展開に見える(キ)。それは、女房1が装束の考証に従えば

表象としては女房であったとしても、女房2との関係によって女三

宮の出家の象徴表現になるという加藤氏の見解を裏付けることにも

なろう。

 

興味深いのは、γの所まで繰り出した段階では女房1が前栽②の

方を向き、穏やかな表情で鈴虫の音に聞き入っているように見える

のが、画面を全て繰り出して左下隅に源氏らしき人物の装束の裾が

見えると、その方を向いているかのように思えることだ。しかも、

両者を隔てる③の斜線が両者の緊張関係を演出する。この現象は、

ある種のクレショフ効果と解釈することも可能だろう三五

鈴虫二(図6─f)

 

特徴的な左下がり斜線の反復は、左上方向への奥行を生み出すと

同時に月光の照射を思わせる。

 

画面を四等分すると〈月〉・〈夕霧〉・〈源氏〉・〈冷泉院〉がそれぞ

れに配置されているのがわかる。二等分すると、右画面(1/4・

2/4)が月と夕霧との対置的構図(経路の要因は表三.ア)、左

画面(3/4・4/4)が五人のつくりだす円環的構図となる。両

画面をつなぐ要因は、夕霧と公達1の下襲を高欄に掛けたイメージ

が持つ連続性(オ)である。「早蕨」、「

宿木二」

も二分割した画面

の片側の女房たちの配置が円環的であるといえなくもない。いずれ

三一 

野筋がこれほど垂直方向に長いにもかかわらず縦の動

勢が生きてこないのは、水平方向の反復が柱や障子の縁に

まで及んでいるのに対し、縦方向は野筋の下端が突然切れ

てそこから他の形体につながってゆかないためである。

三二 

前掲

『よみがえる源氏物語絵巻

─全巻復元に挑む─』

pp.123-126 

物語本文柏木の帖では、女三宮の髪は少し

しか尼削ぎしなかったので出家前と変わらないものの、装

束は尼姿とされ、また、鈴虫の帖では源氏が訪れた時は彼

女は仏前で念誦している。廂の女房が女三宮であるとされ

ていた理由は、画面には主人公が描かれているはずという

思い込みだけであって、実のところ根拠など何処にも無い

のではないか。

三三 

第一経路の行き先は女三宮が念誦する邸内奥の持仏堂、

第二経路は閼伽棚である。これもまた、現象的世界と象徴

的世界にそれぞれが対応している。

三四 

構図の基本的なアイデアが他の七作品とは全く異なる。

従来の構図を踏襲せず絵師が試行錯誤してつくりあげた実

験的なものだったのではないだろうか。この点対称構図の

下描き段階なら、上下が逆になっていたとしても描いた本

人ですら判別しづらいだろう。この作品だけ書き入れ文字

が多い理由として、絵師が自身のための覚書として書き込

んだためという名児耶明氏の説(「国宝源氏物語絵巻の詞

書と書き入れ文字」NHK名古屋放送局編『よみがえる源

氏物語絵巻』NHK名古屋放送局

NHK中部ブレーンズ

2005年 pp.98

)は充分な説得力を持つ。

三五 

旧ソヴィエトの映画作家・理論家のレフ・クレショフに

よる有名な映画編集の実験により提示された理論。クレ

ショフが無表情の俳優の同一カットと別に撮影した様々な

カット(スープ、遺体、横たわる女性等諸説あり)をそれ

ぞれつないで上映したところ、観客は俳優がそれらの映像

を実際に見ているように思っただけでなく、それぞれに対

し違った演技をしているように思ったという。観客は全く

無関係なイメージ同士のつながりにそれぞれ違う意味を汲

み取ったのである。

   

絵巻の鑑賞者は物語本文という既に構造化された観念を

共有しており、その観念が虫の描かれていない前栽に鈴虫

の音、女房1に女三宮、装束の裾に源氏を見出し、〔女房

1─前栽〕、〔女房1─装束の裾〕の組み合わせに物語にお

ける別の観念を読み取るのである。柱に寄り添う女房1の

ポーズは三次元的解釈において、前栽に向かっては身を乗

り出しているようであるのに対し、源氏からは身を隠すよ

うなイメージであることからも、作者の明確な意図を読み

取ることが出来よう。

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125

三八

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

も興を同じくする人々の和のイメージである。順を追ってみると〔公

達1─〈相似形〉─源氏─〈面対称〉─冷泉院─〈相似形〉─蛍兵

部卿宮─〈相似形(顔の向きが違うがシルエットと纓が相似)〉─

公達2─〈線対称〉─公達1〕といった鏡像関係(オ、カ)で一巡

する三六

。しかし、この円環は柱と上長押によって分断されてもおり、

単純な和の構図でないところが他と一線を画す。興を一にしてもそ

れぞれの思いを共有しきれない複雑な人間関係を示しているといえ

よう。

 

絵巻を繰り出して最初に現れる月は、六人の人物を経由した復路

の終点に再び現れると、横笛を吹く夕霧との対置関係もあって柏木

のイメージを孕む。つまり、〔月→夕霧〕は単なる月見の表象であ

るが、途中の円環的経路がみる者にこれまでの経緯を回想させ、続

く〔夕霧→月〕の配置に物語的観念を見いださせるのである三七

。女

房装束や調度、建具類といった細々としたテクスチュアを伴う表象

的モチーフを排すことで、その象徴性はより高まったといえよう。

夕霧(図6─g)

 

二つの経路が雲井雁を経由して、長足の厨子という障害物の制御

も受け夕霧へと向かう。第一経路は、現状の原本では画面を左下方

向のまま行ききってしまいそうであったが、復元模本では鳥居障子

が群青で縁取られたため、女房2の髪とともに障害となって右折す

る。夕霧は厨子と重硯箱に阻まれて動けず、このエネルギーをまと

もに受けることになる。ダイナミクスの経路が画面外へ抜けずに〈経

路の障害〉に衝突して画面内で途切れる唯一の作例である。この緊

張感に満ちたダイナミックな構図は、左右反転すると「東屋一」に

近い。両者の違いは主調軸が〈左下がり〉と〈左上がり〉であるこ

とと、後者の斜角が六十度と現存の徳川・五島本の中で最も傾斜度

が高いことである。絵巻は右から左への視線移動が基本であるので

左上がり斜軸の場合、二つの方向性が平行関係のまま画面外に抜け

る(図6─g.2)。逆に、「東屋一」を左右反転すると、賭碁によ

る降嫁の婉曲なやりとりが、帝のプレッシャーを薫が被るより緊張

感した場面に変貌するだろう。また、絵巻という形式においては

六十度もの斜角は横方向の流れを遮るだけで、必ずしも動的表現に

有効とはいえない。従って、「東屋一」は似た構図でもさほど動的

にはならないのである。

 

それにしても、女房1・2と夕霧夫婦を隔てる鳥居障子の鴨居①

はコントラストが高く、この障害を飛び越えるような方向性をつく

り出すのは容易ではない。鳥居障子は三次元的解釈でも二次元的解

釈でも障害となる。そこで作者は女房1と雲井雁に異時同図的相似

関係(表三.オ、キ)で連続性を持たせるだけでなく、二人の女房

を底辺とし、雲居雁の袖から垂れる髪を頂角として形成される三角

形②により障子を突き抜け、雲居雁の頭部を指し示す(ケ続く三角

形③は夕霧を指す)。それでも、障子、上長押、厨子の左下がりの

斜線は雲居雁の進行方向と平行で彼女の夕霧への接近を促し〔女房

たち→雲井雁〕の方向性は弱められるが、〈基調となる動的主題〉

がそれを後押しする。左下がり斜め方向の主調軸と交差する〈基調

となる方向性〉の相克と主調軸の流れを急激に断つ床面④の存在が

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人間と環境 2(2011)

三九

この絵の持つ緊張感の源泉である。

御法(図6─h)

 

主人公たちが心情を前栽に託して歌を詠むという場面内容が描か

れている点で「宿木三」と共通するが、こちらはより複雑な構造を

持つ。〈基調となる動的主題〉が屋外へ飛び出す唯一の作例で、そ

れは寝殿造の庭園を越えて遥か彼方に向かうかのようだ。前述のよ

うにモチーフの画面四等分割配置による作画意図は弱く、ダイナミ

クスの経路と〈基調となる動的主題〉・〈部分的動勢〉・人物配置が

あまり重ならない特殊な例でもある。そのため、解析が最も困難で

あった。

 

御簾の裂や几帳の野筋の反復と上長押がつくる〈部分的動勢〉に

囲まれた紫上を通る往路は、次に注視すべき源氏をかすめるように

して方向転換する。これは源氏の障害物(表三.コ)としての力だ

けでなく、①、②、③が鋭角的形体として経路に対抗する方向を示

しているからである(ケ)三八

。これによって左下がり斜軸の反復に

よる左上がりの〈基調となる動的主題〉と合流する。

 

画面中央の御簾④は俗界(室内)と異界(屋外)の境界にある透

過可能なフィルターのように思える。そのフィルターを透過するよ

うにして柱から左を繰り出すと経路は突然消滅し、鑑賞者の視線は

茫漠たる屋外空間に投げ出され暫しの間さまようことになる。制作

者はこの屋外の面積を広く取るためにわざわざ簀子の幅を狭くした

ようだ。やがて鑑賞者は前栽と野分の表象である群青の帯⑤に運動

方向を見いだし、野分の強風を示すように復路が形成される。源氏

はこの復路に対しても障害となり、画面中央で統べる立場にありな

がら無力な存在として孤立している。源氏を迂回した復路は御簾④

の裂と几帳⑥の野筋を辿って往路の起点である画面右上端から画面

外へ出てゆくことになる(コ)。往路と復路の行き着く先は、想念

上の死後の世界と、物語上の現実としての紫上臨終の場(邸内奥)

をそれぞれ指し示しているかのようだ。

まとめ

ダイナミクスに至る構図

 

本稿では徳川・五島本の構図が三方向の空間軸による三次元的な

概念図から構想されているのではなく、主調となる一方向の空間軸

を中心に構築され、二次元と三次元の両義性を備えた空間であるこ

とを示した。その空間軸に沿った一本の線によって分割された画面

は、それぞれの分割面にモチーフを配置する〈対置的スタティクス〉

の構図として物語を語る。また、その空間軸を一定方向に反復して

三六 

『彦根屏風

無言劇の演出』(平凡社

1996年 pp.53-

60

)で奥平俊六氏は「鈴虫二」を鏡像関係の作例として、「彦

根屏風」や中国の仕女風俗図と共に紹介している。そこで

は人物造形を相似的関係によって響き合う音楽的表象とし

ている。

三七 

同じイメージの反復が物語的観念をうみ出すことは、前

掲拙稿『信貴山縁起絵巻時間分析の試みⅠ─絵画にみる

映画の表現手法─』で論じた。

三八 

①→②は相似形で連続性(オ)もある。明石中宮は長押

や御簾、几帳に隠れて断片的にしか見えず、造形的には几

帳②とほとんど等価である。

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四〇

徳川・五島本源氏物語絵巻 ダイナミクスに至る構図Ⅰ ─〈対置的スタティクス〉と〈有機的ダイナミクス〉─

配置することで新たな奥行を形成する。〈柏木グループ〉ではそれ

が奥行を示す役割からダイナミクスの底流〈基調となる動的主題〉

へと転じ、〈有機的ダイナミクス〉の構図へと発展していることを

示した。勿論この展開は、現実の絵巻制作上の発展段階に沿ってい

るというわけではない。

 

動力源となるのは絵巻を繰り出す行為であり、傾斜する軸と反復

する帯状形体が動勢を示す。そして私たちが注視するコントラスト

の高いモチーフをつなぐ視線の走査経路に影響することでダイナミ

クスの流れを生み出すのである。ただ、明暗と形体のみによるこう

したダイナミクスは明快な論理はあっても感情を揺さぶるような作

用に乏しい。第Ⅱ部で分析する色面とテクスチュアはこの経路を大

きく変えることはないが、ダイナミクスに抑揚を付与し、感性に直

接訴えかけるような効果が期待できる。

銀彩色の問題

 

今回のモノクロダイアグラムの作成で最も問題となったのは銀泥

で彩色された色面の明度設定である。金属色の中でも銀は反射率が

高く、照明の具合によって白い絵具より明度が高くなることもあれ

ば、逆に白木の簀子縁より低明度になることもある。復元模本を美

術館で実見した際は照明が安定していたのでその変化は気にならな

かったが、映像ドキュメンタリーの『よみがえる源氏物語絵巻』で

は照明やカメラアングルによって絵のイメージがかなり変化するの

を見ることが出来る。往時、原本は昼間なら薄暗い間接光、夜なら

火影をたよりに絵巻を手で操作しながら鑑賞したであろうから、光

源は不安定で変化に富んでいたに違いない。『陰翳礼讃』の蒔絵の

例を引き合いに出すまでもなく、鮮やかな彩色と金銀の料紙に彩ら

れた物語絵巻も、そうした環境でこそ真の画面効果を享受できたと

も考えられる。

 

とはいえ、そうした明度の振幅が大きい状態はニュートラルなも

のではなく、自然な再現描写からかけ離れた破調の美にもなりうる。

また、経年変化し輝きを失ってしまった銀彩色も美として受け入れ

られたことであろう。そうなると、制作者自体がどの程度それを画

面効果としていたかも不確定で、考慮外とせざるを得なかった。結

果として、入手できる数種のオフセット印刷図版を参考に他の色面

との兼ね合いを見ながらダイアグラムを作成した。従って銀彩色の

個所は変化することの無い明灰色となった。この銀の効果を分析対

象外とせざるを得なかったのは心残りではある。巻子に仕立てた復

元模本を室内の薄明かりや灯台のもとで鑑賞することが出来たとし

たら、徳川・五島本の制作者の意図した動的効果はさらに明らかに

なるのかもしれない。

菅原布寿史 

人間環境大学准教授(日本美術文化論)

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人間と環境 2(2011)

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