Title 八重山に伝えられた琉歌『家訓歌語』について
Author(s) 前城, 淳子; 大城, 亜友美
Citation 琉球アジア社会文化研究 = Studies of the society and culturein Ryukyu and Asia(16): 1-38
Issue Date 2013-11-03
URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/28334
Rights
八重山に伝えられた琉歌『家訓歌語』
について
前
城 城
大
亜
淳友
美子
はじめに
琉球大学附属図書館宮良殿内文庫や石塩市立八重山博物館には‘首里や那覇を中心とする地峨で歌われた琉歌の資
料がいくつか所蔵されている。節名によって分類編纂されたもの(宮良殿内文庫『琉歌集円八重山博物館蔵新本家
文書『琉歌節組』}や、古い疏献を集めたもの
. 1・
〔八重山樽物館蔵糸洲家文書『古歌井つらに中風集』)もあるが、他の
地域にはほとんど残されていない『家訓歌蹄』や『いろは持政」といった教訓的な内容の琉歌を纏めたものも複数残
されている.
『家訓歌語』は、道光二五{一八四五}年に、蕪氏翁長筑畳之親雲上が「我か家族掛児より雑雷雑歌を避らしめ普
道に蹄かぬ背中」を願い、子弟を教育するために編纂した教訓書である。まだ書を蹴めない子どもが欧いながら覚えら
れるようにと、その教えの内容を琉歌にし、大学、中庸、論師、礼記など儒学の書を引きながら解脱が加えられてい
る。上下二巻からなり、上巻には一から十までの数飼を冠して蝕んだ『十欧家訓』、十二支を冠して除んだ「十二欧
家削』、忠尽君思、孝順父母など八つの家訓を歌にした『八歌家馴」などが収録され、下巻には二一三の歌悟りが収
*一宮良殿内本は一七、阪名曲集本は二一の歌硲りが収録されている。
録されている。
『いろは時歎」は、棺底痴翁が道光一五{一八三五)年に編纂したもので、いろは四七字に『京」『上」を加えた四
九字を欧の碩に冠して琉歌を詠んだものに聯句時二を添えたものである。これを写したものが、八重山博物館蔵喜舎場
英勝家文書『いろは詩歌』時三であり、『いろは時歌』から聯句を省いたものが八重山博物館蔵新本家文書『いろは歌』
と
八
重
山
博
物
館
文
書
『
い
ろ
は
諦
醗
』
で
あ
る
。
ま
た
こ
の
他
に
も
、
『
い
ろ
は
詩
歌
』
や
『
家
訓
歌
話
』
な
ど
か
ら
教
訓
的
な
内
容
の硫歌や文を集めた八重山博物館臓字江城家文書『いろは琉歌』待問が残されている。
『家訓欧語』にも四つの写本と、欧のみを抜き出したものに口説等を加えた歌集が残されている。また、昭和七(一
九三二)年に発刊された『琉球俗踊』(大披彦五郎編、大城印刷所発行)には、第一巻に『教訓一二三歌」として「十
歌
家
訓
」
の
琉
歌
が
、
第
十
巻
に
「
十
二
支
の
歌
」
と
し
て
「
十
二
欧
家
訓
」
の
琉
歌
が
収
録
さ
れ
て
い
る
。
『
家
制
歌
語
』
は
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在
で
は
ほ
と
ん
ど
顧
み
ら
れ
る
こ
と
は
な
い
が
、
「
い
ろ
は
詩
歌
」
と
問
機
、
何
度
も
書
写
さ
れ
、
形
を
か
え
な
が
ら
伝
え
ら
れ
て
い
る
。
子
.2・
弟教育のための書として広く受け入れられていたのである。
『家訓敬語』の筒本について
表題に『家訓歌語』とあるものには、①琉球大学附属図書館宮良殿内文庫蔵『家訓歌語』、②八重山博物館蔵識名倍
*ニ冒頭の琉飲「いかな生れ付勝れやひをてん習はねは人の道やしらぬ』の琉欧には『玉不琢腐鷲倣器
宮賀美何須学発舜孔館総有師」の勝句が付されている。
*三八盛山樽物館蔵書舎渇英勝文容『いろは詩歌』の他にハワイ大学宝玲文庫蔵『狂戯いろは詩欧』がある。宝玲文庫蔵本の中
原には『道光二十八年戊申三月上旬求之/狂戯るいろは詩歌/永実』、その次頁には『光絡五己卯年写之/裏書氏黒潟仁屋』
と記されており、宝玲本も八盛山に伝えられた欧柑端であったと恩われる.
*岡田口恵『八盛山に伝えられた『いろは琉欧』の翻刻|字江織家文密所収いろは放歌
l』(『史料錨集室紀要
県
教
育
魯
員
会
ニ
O
O二信ごによって闘刻と紹介がなされている。
人無学問寛無知
総
第二七号』沖縄
升
家
文
書
1
2『家訓歌話』、@孫
E本
『
家
訓
歌
語
』
、
@
筑
波
大
学
附
属
図
書
館
蔵
『
家
訓
欧
諸
』
、
⑤
八
重
山
間
物
館
新
本
家
文
書
『
家
訓
歌
語
歌
並
万
口
説
集
』
が
あ
る
。
こ
の
五
つ
の
写
本
は
、
翁
畏
筑
豊
之
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雲
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の
自
序
か
ら
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ま
る
も
の
(
①
て
自
序
の
前
に
呉
氏
吉
元
親
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上
の
序
文
が
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さ
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た
も
の
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て
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歌
の
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を
抜
き
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つ
に
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け
る
こ
と
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き
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。
①
琉
球
大
学
附
属
図
書
館
宮
良
股
内
文
庫
歳
『
家
訓
歌
賠
』
写
本
一
冊
。
縦
二
三
・
二
×
慣
一
六
組
。
丁
数
五
O。
中
表
紙
に
「
家
訓
欧
路
上
下
/
松
茂
氏
世
宗
」
と
記
さ
れ
て
い
る
。
墨
書
。
面
九
行
容
。
収
録
琉
歌
数
五
七
首
。
琉
球
大
学
附
属
図
書
館
の
ホ
lムベ
lジ
で
画
像
が
公
開
さ
れ
て
い
る
。
表
紙
見
返
し
に
『
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ち
ょ
と
か
き
り
し
ら
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大
御
代
の
ひ
か
り
の
う
ち
に
春
は
来
に
け
り
」
、
真
見
返
し
に
『
口
口
さ
と
稽
古
と
数
寄
と
三
つ
の
う
ち
数
寄
こ
そ
も
の
』
上
手
と
は
な
る
」
の
和
歌
が
記
さ
れ
て
い
る
。
.3・
宮由民殿内本には、巻末に次の文が加えられている
右
ニ
巻
無
学
無
才
の
私
雌
無
能
の
偏
延
家
訓
述
に
市
世
人
の
見
聞
へ
候
俄
甚
僻
酌
の
至
候
得
共
貴
方
市
中
は
御
心
安
得
御
意
候
上
志
学
鰯
行
の
御
噌
蹴
に
御
尤
に
て
御
互
に
評
論
の
為
任
御
望
書
進
申
候
理
筋
仮
名
遣
句
拘
れ
口
等
御
見
付
の
程
は
何
分
被
符
聞
度
希
た
て
ま
つ
り
候
丁
米
中
秋
泉
崎
村
翁
長
筑
豊
之
親
雲
上
西
表
首
里
大
屋
子
同
拍
七
戊
辰
年
二
月
写
之
用
紙
五
拾
壱
枚
松
茂
氏
世
親
宮良殿内本は、編纂された道光二五(一八四五)年から二年後の丁米(一八四七年)
の中秋に、編者翁長筑豊之親
雲上から西表首里大鹿子へ贈られ、
それを松茂氏賞親が同治七(一八六八)年に書写したものであることが分かる。
宮良殿内本は原本ではないが
それに近いものであろう。
②八重山博物館蔵臓名借升家文書
1
2
『家馴欧括』
写本一冊。四つ目仮綴じ。縦二五×横一九・五組。
丁数三因。表紙に『亥七月吉祥日写之/家訓歌話上下巻/若文
子
与儀兼徳』と記されている。愚容。
一面十一行書。表紙見返しに『父恩者高山/須蒲山尚下/母穂者深海/檎棋
海遺洩/白骨者父口/赤肉者母口/赤白三浦和」と記されている。見出しなど本来改行すべきところがベタ書きで記
されていたり、琉歌の部分が一行書の簡所と二行書の箇所があったりと、本文の体裁は整えられていない。しかし別
本との校異が傍注で記されていること、孫正本よりも歌語りの記述が多い所があることなど、『家訓歌語』の伝本の
. 4・
あり方を考える上でも誼要なテキストである。収録琉歌数六三首。
@孫
E本『家訓歌話』
写本一冊。琉球大学付属図書館に複写本が所蔵されている。この複写本の元となった写本の所在は確認できず、法
量等は不明である。表紙に『皇紀二六
O
O年正月一日/家訓歌語/孫正」と記されている。昭和一五(一九四
O)年
に喜舎場孫正によって筆写されたものか。書写の際に脱落したと恩われる箇所がいくつか見られる。例えば「八歌家
訓」の「教訓子孫」の項で、臓名家本では『子孫の成敗は家門の成敗にか』るものなれは子孫教訓堂心をゆるすべけ
んや」とあるが、孫
E本では「子孫の成敗は監心をゆるすべけんや」となっている。また、上巻に収録された口説の
題『晶子感小児口説」が脱落しているa
このようにいくつか書写段階で脱落したと思われる箇所があるものの、全体の
体裁は良く整えられている。収録琉歌数六
O首
@筑波大学附属図書館蔵『家訓歌語』
写本一冊。縦二六×横一八・五題。丁数コ二。内表紙に「家訓歌話/衷維藩」と記され、『東京師範学校図書館」の
蔵書印が押されている。墨書
一面八行書。筑肢大学附属図書館のホ
lムペ
lジで画像が公開されている。下巻はニ
首のみ。三八番『若木しのうちに」の歌諮りは『横渠の張先生の日、
小児を教るには先安祥恭敬あらんことを要す。
今世学を講せす。男女幼より使ち騒情にしてやふりをはり、長するに到ては益凶綴也。た』いまた曽て子弟の事をな
-5・
さしめさるか為に、則其現におひてすでに物我あって敢て屈し下らす。病被常に在また居る所に随て死に至まて只旧
きによると云り』とあるのみで、余白を残している。書写段階で既に後ろの部分が脱落していたのであろう。収録琉
欧数三八首。
@八重山博物館臓新本家文書『家訓歌甜歎並万口説集』
写本一冊。表紙に「光路五己卯年孟容吉日写/家訓厭蹄歌並万口脱集/松茂氏口口口業者/新本仁屋/官能」と記
されている。縦二五・五×横一八割。虫食いなどの痛みがひどく、丁数を砲偲できなかったが、祖写本から判断して
六九丁であろう。量密。
一面七行書。採られた琉欧や歌の配列から、官良殿内本系統の写本から歌の部分を抜き出し
たものに口脱などの費料を加えたものと恩われる。収録琉歌数九六首、内『家訓欧語』の散は五一首。
『家訓歌栢』の構成と筒本聞の異同
『家訓歌語』の構成と各写本での有無を整理したのが次に掲げた表である。
下 上
巻 巻
総 時 時 成 伊 孝 孝 }¥ 十 4・ 自 序 見
歌 運 理 性 呂 感 感 歌 一 歌 庁・ 文 出
語 人 守 恕 波 抜 家 歌 家 し
f青 勤 己 家 児 児 罰11 家 司11
口 ロ 省 i1J11 n 口 割11
説 説 ,心 ロ 説 説
説
① 宮
。。。。。。。。。。。 良× 殿
内
本
② 織。。。。。。。。。。。。名
家
本
@
孫。× × 。。。。。。。。。正本
@
筑
× X × 。× 。。。。。。。波
大
本
.6・
宮良殿内本には序文がなく翁長筑畳之親雲上の自序から始まるが、臨名家本等で序文の後ろにある「此欧語感情の
あまりに一首』と題した琉敏四首のうちニ首が自序の後ろに記されている。編者から西表首里大鹿子に贈られた時点
で既に質敵が付されており、その後序文が加えられた際に新たにニ首追加して序文の後に舗められたのであろう。
『十欧家訓」は一から十までの故調を冠した琉歌、「十二歌家訓』は十二支を冠した琉歌、『八歌家馴」は忠尽・君思、
孝順父母、勿忘師恩、輸相敬長上、和睦郷里、教刷子孫、各安生理、母作非為の八つの家酬を琉歌に詠んだものである。
この部分は写本間で欧の配列の相違は見られないが、歌や歌語りの部分に若干相違が見られる。
宮良殿内文庫本「十欧家馴」の『六』は次のように記されている。
...... ,、
むつかしき事やわか身ためともて
ねんのいる人とゑきやましゆる
• 7・
難事を厭は人の病根也。これを厭はすして日夜鍛錬を尽して道を口口ロ人は辱常の質にあらす.六ケ敷事口口口
口あらん。君子は道遵て而して行ふ半塗にして而して廃す、寄は止こと不能と孔子の給に、なすへきと知て労を
厭ひ蒙昧にして世を過すこと畳忍んや。
識名家本「十歌家訓』の『六』は次のように記されている
むつかしき事や我か身為ともて
念の入人といきやましゆる
鍵事を厭ふは人の病根也。これを厭すして日夜鍛錬を尽して道をさとり得る人は尋常の質にあらず。六ケ敷事に
こそ利あらん。たとひ堂に畳れとも室にいらすんはいかんして其精微を得るや.されは中庸に、所開人た〔は〕
一たひこれを能すらは己はこれを百たひにす‘人た〔は〕十たひこれを能すらは己はこれを千たひにす、とのこ』
ろを以能精力を果さは、所開愚也といへとも必明ならん。柔也といへとも必強しとならん。章義制にも今日一理
を弁し明日一理を弁し久ふするときは則自然に決拾すと云り.挟治は心と理正合也。
融名家本では、宮良殿内本の「君子は道遵て:・」以下の文が削除され、新たに『たとひ堂に畳れとも:・」の文が書
き加えられているのである。琉献は、
困難なことを我が身の為だと思って念を入れて行うことがその人の為になるの
だ、というものであり、館名家本の脱明の方がこの琉歌の説明としては適切であろう。
語句の町
Eも行われている。「十二欧家訓』の『丑』の項で、『これを戒めよ111爾より出たるものは爾にかへるも
のなり」を、宮良殿内本では「郁子」の雷葉として引いている。しかしこれは誤りであり、館名家本では『曽子」と
訂正されている。また『米」の項で、宮良殿内本では『天理の序次」となっている所を、臨名家本では『人事の序次」
. 8・
としている。幼いときに学び、壮年となれば実行し、老いれば楽しむという人に関する事柄を述べている部分であり、
」こでは「人事』が適切であろう。
下巻では収録された歌語りの数が宮良殿内本と蹄名家本とで異なっている.「戒性恕己省心」の見出しの後ろに、{昌
良殿内本では「凡二十四歌語」、織名家本と孫正本では「凡二十四侮」と記されていることから、本来なら二四の歌
語りが収録されていたと思われる。しかし、宮良股内本は一七、館名家本は一二、孫正本は二二{内一つは重複}し
か収録されていない。二四の歌語りを収録する予定であったが完成せずに終わったのか、二四あったものが書写段階
で脱落したのか、現段階では分からない。宮良殿内本には、融名家本の三九番『若木しのうちに」、四二番『あさむ
きゆすしらぬ」、四三番「是非やぜひわかす』、
四七番「慾にへつらへは」が収録されていない。また、酪名家本の四
六番「一夜やわかれても」が五六番『身もちいとなみに」の後に置かれているなど、毘列にもいくつか遭いが見られる。
鶴名家本と孫正本とは、『戒性恕己省心」の眠録数や配列に大きな違いは見られない。しかし、観名家本五四番欧『わ
肝あまかしゆるはなの身た〔は〕しらぬ
まよてつふりゆる人のをしさ」が、孫正本では『わきもしちわさもあまか
しゅすしらぬ
ゑんに目つふれる人のらめしゃ」とあり、孫正本は宮良股内本と閉じ歌を保用している。また、五八
番『ときの運しらぬ』の歌語りの後半部分『社神は土神梗は上君山川の神はをの111
百物の精」以下の文章が孫
E本
には無く、融名家本で新たに加えられている。また、臨名家本と孫正本は『総歌語」の部分の『成長の笹曹人にもな
らん事、これ吾か所希なれは、汝等も我か心を知て堅勤て相行はん」までほぼ同じだが、
それ以下は異なっており、
孫正本では次のように記されている。
-9・
吾にまたあたはさる〈所〉ありて辛卯秋の七月甥遣に告ていふに、余幼にして学ひ壮にして行はんと欲するに‘
不幸にして二十一歳庚午夏六月父を失ふ。母に事ふれともいまた一思も織へす。た』身を敬して噂命に頗へ。祝
や父に後る母なれは猶々敬て心を放さす、毎朝面をいたし安否を伺ひ出入相面す。母出行をせられ玉ふときは戸
に出て送り、帰せられ給ふときは戸に出て迎ひ、従行ときは服を執て易すかりし給はん事伺ひ、且おはすます所
相隔てるといへともいやしくもおはせます方へ足を延す。採薪の憂に逢とも時と起て脆く。常に食上るに寒曜の
節をとひ、食下れは膳せる所を視。兄に事ふるに為弟の道を守進退礼を失はす。於一旗も親敷道を体忍にしてい
また不陸あることなし。且我長女母是を愛せらる。かるか故に我またこれを愛す。二十歳越しまていまた怒ての』
せらす.男あるときは理を以これを賞、明も骨格心慮安からし玉はん事をあり玉はぬや。旦暮心を尽とも孝第の道
は財宝なくて尤あたはさる所ありて止事を不得。壬申春の三月交易のため宮古帽に汎、同夏の六月家に帰る所に
案外病の普に逢せ・る。万一面せさる事もありぬらは生涯いかんし・・・・砲と悶癒をいたし時に勢て海路の・
-・・伺而山北に執に、命のなす所にや利潤な・して我心はなはた足す.毎夕日の暮行を惜て受につくさらんお
もへははでもなかりしにまたけふの日も暮る。はひしき毎夕北斗に向て一百余棋のことふきを祈れとも、ロか祈
こと久しとの玉ふ理なれとかや、今年春の三月卒し給れ。鳴呼吾不孝の身に生て不孝の養も久をすること不能。
空首をたりて霊蕗に拝す。根遺て面を洗ひ痛て蹴に心を製不孝の報ひ食すること不得、忍て酒肉不受、悲み悲く
いひかたし。汝等常に直見の事に而何そ箪を報{執]て告るには不及れとも‘吾行佐の普思を弁し猶各の志恩を
かへ、汝等か父母に能孝順をいたさん。父母卒するの後追悔すとも何の益かあらん。且兄弟は一体の情意なれは
兄は弟を愛し弟は兄を稼ひたとへ過不及あるも怒をかくさすロ〔怨〕をと』みす。た』現愛をいたし於家門も親
睦を尽して父母の安心を願はん。伺市愚情を述也と。今また汝等もこの趣を探く心肝に・して厚孝悌を行はん。
-10・
識名家本と孫正本は比較的近いものの、同じではない。宮良殿内本から館名家本が最も遠く、孫正本はその中間に
位置するもののように思われる。
固
おわりに
『家訓歌語』の宮良殿内本と織名家本との聞には、序文の有無だけでなく、琉歌や歌語りの部分にも異同が見られ
る。富良殿内本の巻末に付された文章によって、完成から二年後に編者から西表首里大量子へと贈られたこと、宮良
殿内本はそこから書写されたものであることが分かっている。宮良股内本は原本に比般的近いものであり、艶名家本、
保正本、筑渡大本はその後に加筆訂正が加えられたものからの写本であろう。翁長筑豊之親雲上の自序に変更はなく、
維によっていつ手が加えられたものかは分からない。腕名家本と孫正本との聞にも典なる部分があり、何度か訂正が
行われていたと思われる
『家訓歌話』は祖教の写本が残されているだけでなく、
その琉歌は八盛山博物館新本家文書『家訓歌語歌並万口説
集』や八重山博物館宇江掠家文書『いろは琉歌』へと形を変え伝えられている。当時の士族崩にとって、琉歌を用い
て儒学の教えを分かりゃすく脱いたこの容は、便利で役に立つものであったにちがいない。伊波普猷は「お隣りの子
供は、大舜を三十字詩の琉歌に訳したものを説んでゐた』時五と『チエムパレン先生と琉球諦」の中で述べている。『家
訓歌話』の他にも、儒学の教えを琉敏に詠んだものがさまざまに作られ、利用されていたのだろう。
石垣市立八重山博物館鼠館名信升京文書
1
2
『家訓敬語』{観剖
-11・
【凡例
本稿は、石垣市立八重山博物館蔵館名倍升家文書
1
2
『家訓歌語』を翻刻したものである.
旧漢字・異体字は常用模字に、カタカナで記されているものはひらがなに改めた。
未判読の文字は口、虫食いなどにより判蹴出来ない文字は・で示した。
適宜句読点をつけ、適当に改行をした
琉欧は一行書きにし、上句と下句との聞に空白を入れた。
鼠字・眼写と思われる字は
その下に〔
〕に適当な文字を入れて示した。また街入と恩われる文字は、
その下
*E伊渡傍猷『チエムパレン先生と疏球鰭』一九三亙年。引用は『伊厳普猷全集』第八巻A
一九七五年、平凡社)による。
に〔ママ〕とした。
明らかな脱字は試みに
〉に入れて示した。
他本と異なる箇所を示した傍注は翻刻しなかった。
琉献の通し番号を、私に付した。
家削欧語
有時賢友繋姓武孝自作とて書按一巻悦来て予に一覧せん事を望む。予これを見るに家訓歌師と題号あり。駄のこ
〈』〉ろ五倫五常を宗として‘いにしへ聖賢嘉吉普行または普人福報を得悪人禍ひに注し故事を引、賢友胸中理
会の文語を以詠歌の蹄とす。肢に敬義博覧多織の徒なりとしらるへし。惣して宮の葉も優にやさしく聞へけれは
.12・
独り繋氏の家訓のみならす四海教化の補ひならんと感心のあまりに和歌二書〔首〕を践で送り侍る。
身のうちに千』のたからをたくわへて
子孫に伝ふ人そたのしき
むねのうちつみしたからはかくれなく
世々になかれる水くきのあと
此歌語感情のあまりに-首
ロ{双+牛)宮披親霊上
1みれは見る程に義理なさけふかく
子孫みちひき〈ゆ〉る代々のたから
安仁屋里之子観雲上{我那覇観盤上〕
2義理なさけそめて子孫みちひきゆる
たまの宮の葉やよ』にひかる
〈安元観盤上〉
3頼もしや子孫こ』ろみ口{か
』しゆる
たまの宮の葉の代々に残る
〈安仁屋里之子製盤上〉
4かにも珍らしやみこ』ろある人や
ひとのみちてらすたまのこと葉
〈自序
伊川の程先生の目、詩を作て略童子に教るに栖掃応対畏に事るの節を澗て以朝夕これを歌はせんと欲す。まさに
助あるへきに倣るといへり。惟るに按児のころ〈は〉書を不説、只管遊戯を事として邪俗雑宮雑歌は却て喜ひ雷
ひうたふ。惜かな。各父兄禁することなく窓に雑言雑歌を踊し欲〔歌〕わして心に染らせん事を、いかんしてか
我か家族按児より韓首雑歌を避らしめ普道に鵠かぬことを常に恩ふま』歌語詠述し、されは一族の子孫左の歌語
-13・
を踊しうたわして邪俗雑言雑歌をさけらしめ理の当然を服膚さ〔せ〕しめて成長の佳普人にもなさん事を希ひ
道光弐拾五年乙巳仲秋に紘し述る
蕪
姓
武
孝
家訓歌語上
十歌家訓
繋
氏
翁長筑豊之親盤上
6
いち期おめつめれ忍ひ慨しみや
うき世なれわたるはしょたいもの
最行録云、忍ひに禍ひなし
一時の気を忍へは百日の息をのかるといへり。文云慎に過ちなしと云り。少儀に所
問虚きをとれとも盈を執か如く虚にいれとも人あるかことしとのこ』ろを以毎事に慎をいたさん。人常に慎を以
身を守、忍ひを以気を費ずんは禍ひのかれかたきこと必然たらん。人間浮世をわたることたとへは舗をかけて川
のあやしきを渡かことし.忍慎は世をわたる捕となるものなれは、捕なふしていかんして渡ることを得んや.
6
ふ
た
こ
』
ろ
も
て
は
我
か
身
ゆ
き
な
り
の
み
ち
ま
め
ち
あ
と
や
く
や
む
と
も
れ
中
庸
に
云
、
凡
事
予
め
に
す
る
と
き
は
則
立
あ
ら
か
し
め
に
せ
ざ
る
と
き
は
則
廃
る
、
言
前
に
定
る
と
き
は
則
胎
か
す
、
事
前
に
定
と
き
は
則
不
固
と
い
へ
り
。
人
間
行
成
の
事
は
あ
ら
か
し
め
に
事
を
定
て
一
致
を
要
す
。
た
と
へ
は
的
を
立
て
射
か
こ
と
く
二
心
を
抱
く
も
の
ま
と
な
ふ
し
て
弓
い
る
か
こ
と
し
。
を
の
つ
か
ら
行
成
を
あ
や
ま
ら
ん
。
大
学
に
所
閉
止
る
こ
と
を
知
て
而
し
て
后
定
こ
と
あ
り
と
の
心
を
{
マ
マ
〕
な
く
妄
り
に
心
を
動
さ
は
い
か
ん
し
て
至
普
の
地
に
入
や
。
7
み
ち
ゃ
ひ
お
こ
な
れ
は
師
匠
の
お
ん
て
も
の
人
の
上
に
み
か
け
我
身
の
か
』
み
孔
子
目
、
三
人
行
つ
る
と
き
は
必
吾
師
あ
り
、
そ
の
笹
な
る
も
の
を
標
て
而
し
て
ニ
れ
に
従
ひ
其
不
替
な
る
も
の
を
は
し
か
も
こ
れ
を
改
ん
と
。
人
聡
明
あ
り
と
い
へ
と
も
己
か
普
思
を
見
る
に
は
昏
し
‘
人
の
た
め
に
は
私
の
拘
な
く
鋒
忠
明
白
に
弁
し
易
き
慣
ひ
な
れ
は
、
人
の
善
患
を
己
か
善
悪
の
畑
、
琢
腐
工
夫
を
尽
し
己
に
か
へ
り
み
て
足
さ
る
所
あ
ら
は
敬
て
勤
め
、
余
り
あ
ら
は
敢
て
不
尽
。
偏
に
実
体
の
性
心
を
み
か
ら
{
』
〕
は
、
仁
に
進
む
こ
と
尤
限
り
な
か
ら
ん
。
文
遣
に
も
君
子
は
友
を
以
鈍
と
す
、
愚
人
は
銅
を
以
-14・
鏡
と
す
と
い
へ
り
8 四
よ
も
う
ち
の
人
や
み
な
お
と
ち
ゃ
と
め
は
の
よ
て
わ
ん
位
相
に
与
所
の
し
ゅ
』
か
子
夏
目
、
君
子
は
憤
て
而
し
て
失
ふ
こ
と
な
く
人
与
と
も
に
恭
し
ふ
し
て
、
而
し
て
礼
あ
ら
は
四
海
の
う
ち
皆
兄
弟
な
ら
ん
。
蹴
に
我
か
実
情
を
以
兄
弟
の
如
く
愛
敬
を
は
さ
は
.
人
何
の
心
あ
り
て
か
あ
な
が
ち
我
を
鯨
ん
じ
血
相
に
す
る
や
。
9五
五倫みちすじに稲押さある人の
わ
た
ら
れ
め
夢
の
う
き
世
や
て
も
仁
を
以
民
を
恵
み
せ
ら
れ
恐
敬
を
守
君
に
奉
仁
{
仕
〕
を
君
臣
の
義
也
。
慈
悲
を
以
子
を
教
育
し
父
の
志
に
従
て
カ
を
喝
を
父
子
の
親
き
也
。
和
合
以
安
を
行
ふ
柔
に
し
て
夫
に
従
へ
る
夫
婦
の
別
也
。
懐
く
を
以
幼
を
導
、
敬
を
以
長
に
事
へ
る
を
長
幼
の
序
也
。
仁
を
責
て
交
を
全
ふ
す
る
を
朋
友
の
個
也
。
比
五
つ
の
も
の
は
人
道
の
大
要
な
れ
は
こ
れ
を
薄
ふ
に
す
る
人
は
人
誰
か
こ
れ
と
与
せ
ん
ゃ。人与せさるとき雌と与もに世をわたらん。
問六
むつかしさ事や我か身為ともで
念の入人といきやましゆる
艇事を厭ふは人の病娘也。これを厭すして日夜鍛錬を尽して道をさとり得る人は辱常の質にあらず。六ケ敷市中に
こそ利あらん。たとひ蛍に盛れとも蜜にいらすんはいかんして其精微を得るや。されは中庸に、所開人た〔は〕
一たひこれを・能すらは己はこれを百たひにす、人た〔は〕十たひこれを能すらは己はこれを千たひにす、とのこ』
ろを以能精力を果さは、所相思也といへとも必明ならん。柔也といへとも必強しとならん.軍曹削にも今日一理
を弁し明日一理を弁し久ふするときは則自然に挟拾すと云り。決拾は心と理正合也。
11 七
な』へ八重おもれ身にかへるふとに
務立たるおが身位相にする〔ママ〕なよ
. 15'
親の子を思ふのこ』ろ何の宝物とくらぶベけんや。疾病にあへは身を以代り得らんことを恨ん。いぬれとも安か
らずして撫索立たる汝等なれは、
一たひ是をあくるも敢て父母を踊て身を位相にするなよと深費戒の心也。孝経
にも身体袈膚は父母に受たり、敢て般ひ不備と。誠に此語をしらは父子の親きおのつから悟り得らん。
12 八
やさか山底やたつねても親の
ふかさしらりゆめなし子ための
八坂の験所山底のふかきは尋得るとも、親堂たも〔』〕我を愛し労して索立るのみならず、身を終まてわか為に
忙々奔走するの心いかんして量り知へけんや。されは親蛍われを恩ふのこ』ろを体にして尤親をおもはさらんや。
古語にも父母の思た{は〕山海の高深にまさるといへり。
13 九
」』のゑのみやたりわか身ゆたねやひ
いさをしのまこと朝夕つくせ
子夏目、君に事て能其身を致と。出て事へては私を不顧た』勤職に身を委ね忠節の識を尽して名声世にのこさん
ゃ。名前'世に残すときは父母をあらはして亦孝の終ならん
M十
とくらも』臓のもつゆっらよひや
意見のこすんでむかし人の
式様を倣して子孫を教育するは積普の礎也。教訓は樽ふにして宝金を臨るは鴫薬を踊る也.たとひ万金を麟り
〔る〕ともその子孫にあらざればいかんして保ち全ふすることを得んや。六輸詩に云、黄金万両有時尽詩書万巻
常に可存と云り。
十
ニ
欧
家
制
日子
ねつみ見てしれよきもあまくゆへと
あまかこまか』っせぬもな〈い〉らん
第〔弟〕子職に云、先生教を施せは弟子是則心を小しきにして翼々たり、これを一つにして慨らさるをこれを学
則といふと云り。凡事心を一つにして無他念一致の功にあらすんはいかんして成ことを得んや。鼠のこ』やかし
こかと心のこまなきゅへ、なす事のせんなきを見ておのれか心のこまなきを堅く戒めさらんや。
-16・
16 丑
牛の小車のうき世をて人の
よしあしの線ひあはぬをきゆめ
牛は車を挽も〈の〉にて車といはん為の枕雷葉也。浮世は四時の往来車のめくるか如く善悪の報ひ掴至ること自
然の理ならん.徐神翁か目、普を積は普にあふ悪を積は悪に造、仔細恩ひ量れは天地は不錯、普に普報あり悪に
悪報あり、もしいまた還し報ひさるかこときは時辰いまたならす、日生普作は天曹をくわふ、思頑は必桶換にあ
ふと。曽子の雷にも、これを戒よこれを戒よ、爾より出たるものは葡にかへるものなりといへり。
17 寅
虎や皮のこる人や名ののこる
のこる名をおもれあさもタさも
関羽か目、虎は死して皮をのこる、人は死して名残と。古語にも、富は是一生の財、身滅すれば則共誠す、智は
是万代の宝、命終も則従て行と云り。識に人の貴ふ所のものは名声ならん。
一身を以名声は末代に残るものなれ
は朝夕遺る名を思て勤をなさんや。
18 9n
卯のときになゆるかねきかぬ人の
いきやし身もちぞく与所になみゆか
司馬温公目、凡家長となれ〔り〕ては必礼法を笹守て以群子弟及家衆に御す、これに分つに聴を以す、これに授
るに事を以して其成功を費と。日中の事は寅にて手組を立各職を分して家人に授るは家主の職分ならん。朝寝を
愛し家主の職分を欠、家人を僻らし毎事遅滞にしてはいかんして家を治んや。孔子日〔ママ〕三針図に云、
生
の謀ことは有勤
一年の謀ことは有春、
一日の謀は寅に有と云り。
19 民
たつのころからとみやたりことしゆる
あさタさのをさめ油断するな
家を立ずんは忠を立ることあたわさるものなれは、備に勉強を立、寅にてそれ112事を令て夜は其成功を賀らは‘
貧しきといへともおのつから家を立て而して忠立らん。勉強を不立して而して家道を怠らはいかんして忠を立る
-17・
ことを得んや.大学に所開家を斉て而してのち国を治るといふは、是先後の道なれ〔り〕。
20 巳
巳の虫のこ』ろ与所さわるものや
歌〔敵〕すらぬをきゆめ見ちゆる人の
蛇た〔は〕人を書する故見る人雄かこれを殺さんや。人として人を陣るものはたれかこれを歌{敵〕さんや.古
陪にも恩を好むものは棋を控と云り.己か欲せざる所をは人に施ことなかれと孔子の玉ふのこ』ろを体にして人
と応対すらは、維をか怨ん、維をか答目ん
21 午
馬のはりまさる月日しらなしゅて
けふあちゃと過す人のをしさ
いつも此世になからへぬらん事しらさる人はなし。然に今日や明日と押移無学無能して徒に日を送る輩は識に惜
かな。朱文公目、今日不学して市して来日あるといふことなかれ、今年不学して而して来年あると云ことなかれ、
歳月逝央、歳我与ともに不延、鳴呼老ぬ、是誰か是智也と云り。
m未
ひっしときなれはくれす日間いらぬ
わ
か
さ
あ
さ
こ
ろ
に
油
断
す
る
な
年の行くことや道をあゆむか如し。半途を越は前にいたること何の暇あるや。されは幼壮のとき能精力を果さん
ゃ。古語に所調幼にして学ひ壮にして行ひ老にして楽むは人事の序次なれは、幼壮のとき能精力を呆さずんは老
に至ていかんして楽を得るや。老後の苦楽はた』幼壮の心にか』らん。かるか故に少ふしてその長を思ひ〔へ〕
は則学を動むと、老にして而して其死を思へは則教を勤と孔子の玉ふ。
23 申
猿の故事みれよわざはひのかとや
目
口
耳
ん
で
と
お
そ
て
居
ち
ゆ
す
楽記に云、君子は姦声乱色聡明にと』めず、淫楽思礼心術に不接、情慢邪畔の気身体に不設、耳目鼻口心知百体
をして皆順正に牒て以て其義を行ふと云り。いにしへの人は徳を養ふこと知斯。今の人徳を養ふ人鮮きゅへ、見
聞の態に従て心に汚かれをいれ口にものをいふて身に禍ひを受ぬことを恐、此三つの門を戒めんための故事也。
24 酉
-18・
烏の智仁男やたるも沙汰しゆすか
のかよひきう口{け]らぬ人のおふさ
鶏は喰物を見当ぬれは己はくわすして子を呼んて与へ是仁也。暁の時を知て鳴是知也。時を不遣して暗また常に
悌らさるを是勇也。鶏はケ様
fiの三穂あるとこそた』沙汰はかりして、烏すらかくあるものをと身上に反求す
る人すくなきを惜んてのかよとよめる由。中庸にも知と仁と勇と三つのものは天下の遺徳也と云り。誠に王倫を
知て仁を体にして勉強せずんはあるべからす。且須知鳥獣にも孝悌札韻愛敬語礼〔理〕をの111得所ありて、詩
歌人にも称せらることあり。雁は生育の思反晴の報あり。期は春に魚を祭る、豹は獣をまつる。各其本を報ふ事
知る。羊は乳を呑に脆きの礼あり。鳩は夫婦の序を敬て枝を韻る。雁は飛行に長幼の序あり。鴛鷲は夫婦ひとし
ふするの義を知て同居間死の盟あり。偶舗は父母兄弟死するときは尤悲みあり。舗は行に烈を不乱、友に掻ては
礼を不失、友死するときは屍を捨さるの義礼あり。人としてケ様
ft・-の徳行部きものは禽獣たにもしかさるへけ
んや。
26 成
いぬだにす夜のしよく守てをゆひ
徒にくらすひとのをしさ
犬たに家を守は己か職分と知て終夜守居を、人として職業を不動いたつらに普〔暮〕すものは畜類にもしかざら
ん。それ人の職分たるや持に云、昼は汝予て茅かれ、宵は汝祭を絢と云り。如斯寸隙もなく示しをかれしを堂徒
に普〔暮〕すをや。
26 亥
亥やおよそ人のねむるときともな
よるどゑりまさるまなふみちゃ
亥に臥貨に起るは人の大法なれとも、学聞は静にならずんはならぬものにで、夜は静口してまして過益あるもの
なれば、人とともにねふらぬと思ふへからす。切礎掴襲の功夜にあらん。古胞にも、車胤宜土と-E両人夜学を好
て文儲国家に淵と云り。性理世に云、学の序たるや博くこれを学ひ審にこれを閑ひ慎てこれを恩ひ、明に是を弁
-19・
ひ筋くこれを行ふと云り.静にあらつ〔ず〕んはいかんして明かに弁へる背中を得んや。かるか故に賭葛武候子を
戒るの書に云、静にあらすんは以学をな口口ことなしといへり。
八
歌
家
訓
忠尽君恩
幻我か身ゃしなひのもとひおめさとて
御主かなしみやたり朝夕つくせ
それ人は衣食にあらされは長すること不得、家宅にあらされは住ふこと不得、衣食住宅は人のなくんはあるべか
らす。図畠山林にあらされは衣食住宅と』のはず。卒土の浜も王土にあらすや。回畠山林みな王土ならんや。禄
ある人は禄を以其身ゃしなひ、禄なき人は国産を以其身を養ふ。鍵共子か所開父これを生らし君これをやしなふ、
父にあらされは不生、養にあらされは長せすといふは是也・かるか故に古の聖賢君に仕へ奉らるに、能其身香ら
れ国家長久安泰の為方策を立られ教を万世に伝へ玉ふ。むかし組雲と云人は強底捜と云所にて敗軍になりし時、
徹夫人阿斗の跡を失はる。天に登り地に入も盤跡を尋上られんとて、身命を惜まず敵方百万勢の中より人なき所
を行か如にして辱らるに、終に尋得られ・、阿斗を抱ひて主人に掃し上らる。此等主君の為身命を不惜忠義をあ
らはさる人また縫多あらん。我か朝は万国に異り太平を楽て禄を世々にせらる。
摘思はいかんして報し奉るや。
されはケ様彼是悉く弁別をいたし日夜君恩を忘れず偏に丹識を尽して事へ奉るを臣たるの道ならん。
孝頗父母
却なし表立観のおもひ身にかへて
こ』ろ慰めれ朝もタさも
それ父母の恩情たるや憤胎十ヶ月苦みいひかたし。乳哨三年父母のふところにすいぬれとも寝敷やすからすして
手を尽し‘門を出れは危事あらんことを愁ひ、来ること避なれは門に傍て望み待。疾病にあへは医を求め神に祈
り身を以代得らんことを恨む。書を醗の比になれは師を締て学道を教へ、成人になれは毘偶を求、いつれの時か
.20・
子の為に心を摘さ』る時はなし。されは此等の恩情我か身に引負ひ、今わか身あるを我身と不思、蹴に父母のう
みし身なり〔れ}は‘尤祭他降、偏に父母の志に随ひ、少も気にか』り玉ふことあらんかと旦普〔幕〕父母の志
を求、毎事吉行を慎て朝夕心安におはしませよ。それ孝は父母の志に随て心を聾ふを為本と云り。
勿忘師恩
却ふかく身にそめて我〔わ}するなよ人の
み
ち
に
さ
そ
は
れ
る
師
匠
の
思
義
礼記に云玉磨か口〔さ〕れは器ならず、人不学されは義を不知と云り。義をしらざれは父子君臣夫婦長幼明〔朋〕
友の倫を疎し‘倫を疎するものは禽獣に近からん。それ師の恩たるや文学を以事理を教へしかのみならず、労を
他はれす我か為に千恩万慮を尽され、放砕邪修を戒て普道に瞬かる。恩情豊敢て忘るへけんや。むかし孔子苑せ
られ玉ふ時、門熱基のいふりに宿せらること三年、古蹄にも師は三世の盟と云り。汝等厚く師恩を重んし、唯か
師のみならす我か過を知らし普に告る人は、其恩深心肝に徹してまた忘ることなかれ。
噂敬長上
叩年とたつときや心からこ』ろ
ゆっりあかめれようちもふかも
こ』ろから心とは長上を尊敏するに両件の事あり。外礼貌膿下ならん事を要す。内心地和平ならん事要す。外に
礼貌を尽とも内に尊敏の心薄きなれは尊敬といふや。少も我か才能を頼理に超長上を侮らは刻も立かたし。六舗
詩に云、温良恭謙なれは人尽く仰、倣て凶徳をなすはおのつから非ひを挽、満れは則挽を招謙れは則益といへり。
されは此等の理能弁へて我か長上及ひ外の長上厚尊敬せさらんや。
和睦郷里
.21・
れむつましと頼む鴫里の人や
かな
11といつり〔れ]おとちゃともれ
利慾は不睦の基となるものなれは第一利慾を離れ、被を是をと親疎をわかさす、私の是非を相費す、強調を争弁
せす、只同郷向井の親きを心肝に徹して相交らん。それ同郷の観しきたるや旅にてあへは観善、厚自家の骨肉よ
りも勝れん。其心を以郷中の人と日常相交らは、いかんして不睦あることあるや。六諭詩に
-z、東家に栗あらは
宜相閥、西家に勢あれとも軽使かことなかれ。偶逢忠艇は相扶持せよと云り。蹴に郷里は和睦より可頼ものはな
し教訓子孫
m与所の上もみれよさかゑおとろへや
しそんよす事の外にないさめ
子孫の成敗は家門の成敗にか』るものなれは、子孫教訓世心をゆるすべけんや。子孫を戒るは何の戒かあらん.
慈愛の探きならん。人誰か子出怖を愛せさらんや。欝民〔氏〕か目、愛して而して労しめることなさは禽積の愛也。
愛
し
て
而
し
て
こ
れ
を
労
し
む
る
こ
と
知
ら
は
則
そ
れ
涯
を
な
す
の
ふ
か
き
な
ら
ん
と
。
む
か
し
孟
母
は
孟
朝
を
教
育
せ
ら
れ
て
大
賢
に
畳
せ
ら
れ
、
万
世
賢
母
と
称
せ
ら
れ
玉
ふ
。
王
洛
は
子
を
や
し
な
っ
て
教
戒
せ
す
。
其
子
窓
に
し
て
有
目
玉
串
を
打
晋
て
官
法
の
打
死
を
載
る
。
終
に
王
培
孤
独
と
な
る
。
是
基
を
い
は
』
子
の
科
な
り
や
。
教
さ
る
の
科
な
ら
ん
。
能
子
孫
を
教
て
善
行
の
家
風
とならはおのつから家道昌盛を得らん。易に云、積善の家は必余鹿ありと云り。永くさかりを得らんと欲せはた』
子
孫
を
教
て
普
を
積
に
し
か
ん
〈各安生理〉
日高きいやしきもをのかたけ
ltに
ま
も
て
お
こ
な
ゆ
す
人
の
か
な
め
古
語
に
云
、
富
る
人
は
施
を
以
憶
と
す
、
貴
き
人
は
識
を
以
為
徳
、
士
農
工
商
は
各
其
道
を
得
を
以
為
徳
と
す
と
云
り
。
富
貨
貧
賎
は
各
生
理
時
運
然
を
弁
せ
ず
。
或
は
時
の
勢
に
乗
て
騒
て
或
は
食
に
過
き
事
高
大
を
好
、
或
は
人
の
営
生
を
諜
で
自
分
の
仕
業
を
捨
-22・
て
一
つ
を
得
て
は
十
を
望
み
百
を
望
み
、
あ
し
た
に
か
へ
ゆ
ふ
へ
あ
ら
た
み
、
終
に
一
つ
を
も
就
成
〔
成
就
〕
す
る
こ
と
不
得
し
て
後
悔
を
の
こ
さ
ん
。
此
等
騎
食
の
人
は
皆
天
に
逆
ふ
人
な
ら
ん
。
富
貴
の
人
は
施
践
を
行
ひ
各
人
は
生
理
に
安
し
て
事
高
大
を
好
ま
す
、
己
か
な
す
へ
き
業
を
あ
ら
か
じ
め
に
ゑ
ら
ん
で
其
一
業
を
就
成
〔
成
就
〕
し
て
身
を
営
む
人
あ
り
。
此
等
守
職
の
人
は
皆
天
に
順
ふ
人
な
ら
ん
。
孟
子
目
、
天
に
順
ふ
も
の
は
存
し
天
に
逆
ふ
も
の
は
亡
と
。
須
知
為
人
の
要
勤
。
中
庸
云
、
君
子
は
其
位
に
梁
して而して行ふ、共外を不顧と云り。た』其分限を守て而して相行はん。詩に云、永く命に配はんことをおもふ、
白から多掘を求と一五り。
母
作
非
為
制
与
所
し
ら
ぬ
と
も
な
天
と
地
や
か
』
み
よ
し
あ
し
の
彫
の
み
ら
ぬ
を
き
ゆ
め
古語に一宮、外面は仁を仮義に伏し、内中は険心を包貯せは、人しらさるも天知地知神知と云り。人夫あるを不知
して聖賢の語を欺て乱に行ふものあらん、須知。むかし輩永は父を葬らんために身を売て主人につかはる。天童
永か孝情を感し玉ひて織星を降し絹を織して債主を償はし玉ふ。越人況富民といふものあり。父子兇暴にして人
皆これを悪む。天また人の所悪を恵〔悪〕み玉ひて、雷を遺りて父子共に焼尽さる。是支の報慮ならんこと明白
ならんや。書に云、普を作ものは是百祥を降し、不普を作ものは是に百換を降と云り。
35
孝情強児口説
餌も言葉につくさらぬ
夜と昼なく我か親の
.23・
く』むたけしち撫素立
いきやし送ゆかこの御恩
伏てねか'ひはた』親の
いつもいまして拝まなや
36
孝感小児口説
よみは我か年いまいくつ
いつかとしころはやならな
をしゅんはなれぬ親の側
力ら喝して勤めやひ
心慰めをかみふしゃ
またや文学勇みたち
人は一たび能すらは
我はも』たび能果ち
みやたりさたりて我親に
か口〔な〕しゃされたる万億の
御恩ひとつも報ひかし
是そ朝夕の我かねかひ
37
伊呂波家訓口説
イ
い
と
も
こ
』
ろ
に
人
は
あ
る
"、
恥
よ
お
め
つ
め
勤
む
れ
は
ホ
誉
る
人
ふ
と
つ
』
し
み
よ
ト
と
く
と
こ
』
ろ
の
こ
ま
賀
れ
リ
利
口
す
く
し
て
却
て
は
Jレ
南
璃
の
玉
さ
へ
き
す
っ
け
は
ワ
わ
け
て
い
言
葉
つ
』
し
め
よ
ヨ
与
所
の
ま
し
は
り
む
つ
ま
し
く
レ
礼
儀
か
く
れ
は
人
の
ま
た
ツ
常
に
恩
義
を
お
も
ん
み
て
ナ
な
に
か
と
か
し
ゃ
親
の
た
め
ム
む
か
し
宮
の
楽
伝
へ
き
』
ヰ
況
や
人
に
生
れ
と
て
オ
お
ふ
ひ
に
あ
ま
の
せ
め
あ
ら
ぬ
ヤ
休
む
日
間
な
く
夜
昼
も
ケ
稽
古
も
の
こ
と
油
断
せ
は
コ
心
に
こ
』
ろ
は
な
す
な
よ
テ
手
柄
ふ
こ
れ
は
お
の
つ
か
ら
ロ
倫
じ
弁
し
で
も
の
こ
と
に
ーー
悪
み
あ
さ
む
く
人
は
な
し
,、、
へ
ら
で
よ
く
し
れ
与
所
の
肝
ツ{チ〕
智
能
さ
あ
れ
と
も
守
ね
は
ヌ
ぬ
る
し
人
に
も
あ
さ
む
か
る
ヲ
落
る
し
ら
露
玉
こ
』
ろ
カ
害
ひ
や
わ
さ
は
ひ
口
に
あ
り
タ
誰
も
こ
[
う
〕
や
ま
ひ
か
ろ
く
す
な
ソ
そ
し
り
疎
し
身
に
か
へ
る
ネ
ね
て
も
さ
め
て
も
忘
る
な
よ
.24・
フ
楽
に
や
す
ま
さ
た
ひ
と
も
り
ウ
生
る
恩
報
か
ら
す
あ
る
ノ
野
山
鳥
に
も
し
か
ざ
れ
は
ク
国
の
君
に
は
身
を
ゆ
た
ね
-マ
践
い
た
へ
て
忠
つ
く
す
フ
ふ
り
行
先
に
悔
み
あ
る
コニ
得
手
の
物
と
て
自
満
す
な
ア
欺
く
人
の
そ
ば
に
で
る
サ
喪子に心ゆるすなよ
キ
貴践とでなくうき沈み
.;:1
夢のうき世にためしある
メ
目にみぬ事やかわるさめ
、、司、
密腐なにかくき』たてな
シ
忍てわたゆすうき世なり
コユ
酔れ酒や混となる
ヒ
非
為
淫
乱
お
の
つ
か
ら
モ
もの』
{も』の〕題名を身にうける
セ
普に向て屈にさけ
ス
すなをに道を行れよ
京
けうも悶舎も人はみな
家
訓
欧
館
下
巻
戒性恕己省心
凡
二
十
四
傭
• 26・
"しろ地そめわかちいろかはすこ』ろ
もてなしにか』る人の慣や
持成にか』るとは気質の性は清濁の拘りありておなじからすといへとも元来は相遠からす.た』生来の後普に習
へは普に移り、思に習へは患に移り、習の為に変化して、普と屈とに遺く相さけること、たとへは同自の糸に色
を染て変化するか如く、城下田舎の人作法礼貌の異るは・偏にもてなしのよしあしにか』らん。書に所間人心は唯
危きと云の心〈な〉らん.今酒色に陥る友あり。たちまち化して酒色の道に陥る。普人に逢は酒色を恥とするの
心あるは、天より所得の固有の本心は生理なるか故也。人の性心は如斯普患に移り易きものなれは、堅く心を戒
めて見聞の普思尤工夫&尽し普を見ては速に従ひ悪を見ては速に去。大学に所問題臭を感むか如く好色を好かこ
としとの心を以損友相遊明師良友に近ついて道を好まはおのつから身を立らん。性は相近し習に相遣しと孔子の
玉ふは是此語也。且人の性命たるや、易一広、乾道変化して各性命を正す、保合大和するは乃ち利貞と云り。地道
は
厚
物
を
載
る
を
以
為
能
而
し
て
陰
陽
会
交
沖
和
の
気
を
葉
、
貞
を
以
無
歓
こ
と
漏
す
こ
と
な
く
保
合
開
然
と
な
る
を
為
性
。
天
道
は
噂
物
を
生
る
を
以
為
心
而
し
て
変
し
て
大
和
の
気
利
を
以
実
に
向
は
し
て
所
眠
を
為
命
。
物
を
以
執
ら
は
則
禁
飲
て
而
し
て
実
を
放
の
理
、
撃
は
命
也
、
実
は
性
也
。
是
乃
ち
天
道
の
利
貞
也
。
そ
れ
性
は
純
に
し
て
陰
柔
に
維
は
ら
ず
、
持
に
し
て
邪
悪
に
維
は
ら
す。至て正きにして善也。かるか故に性は本普也どいへり。
叩若木しのうちにもてなさぬあれは
お
い
木
な
て
か
ら
や
折
ぬ
て
も
の
横摂の張先生の目、小児を教るには先安符恭敬ならんことを要す。今世学を講せず男女幼より使関情て掛り了る。
長
す
る
に
至
て
は
益
凶
根
也
。
只
い
ま
た
曾
而
子
弟
の
こ
と
を
な
さ
ぜ
る
か
た
め
、
則
其
規
に
お
い
て
巳
に
物
我
あ
っ
て
敢
て
屈
し
下
ら
ず
。
病
級
常
に
在
又
居
所
に
随
て
死
に
至
る
ま
て
只
旧
に
よ
る
と
云
り
。
そ
れ
人
は
幼
少
の
気
持
切
要
な
ら
ん
。
さ
れ
は
子
弟
と
な
っ
て
は
酒
掃
応
対
長
に
事
る
の
理
に
安
ん
し
、
明
〔
朋
〕
友
と
交
て
は
心
地
和
平
に
し
て
醸
下
礼
対
の
理
に
安
ん
し
、
只
安
静
詳
審
恭
荘
敬
畏
の
道
を
崩
し
め
は
、
成
長
に
至
て
は
お
の
つ
か
ら
兄
長
官
長
賢
才
に
臆
下
礼
対
を
尽
し
て
人
こ
れ
を
任
ふ
。
彼
是
の
.26・
分
を
不
敏
扇
情
に
し
て
議
与
と
も
に
癖
を
長
し
て
よ
り
頗
に
制
せ
ん
と
欲
す
れ
と
も
病
恨
去
す
こ
と
不
得
し
て
父
母
常
の
患
と
な
る
の
み
な
ら
す
、
終
に
大
ひ
な
る
禍
を
受
ん
。
諺
に
若
木
は
直
し
易
し
、
老
木
を
直
せ
は
則
折
る
と
い
ふ
は
是
此
富
也
。
刊我か身かなしやらはさびつかぬことに
み
か
き
も
て
な
せ
よ
む
ね
の
か
』
み
人
の
世
に
居
こ
と
僅
か
百
哉
の
内
、
何
そ
融
実
和
平
に
し
て
世
を
不
楽
、
恋
に
父
母
の
教
育
を
忘
れ
、
無
二
の
身
を
幡
ふ
に
し
て
、
成
は
酒
色
を
好
て
人
に
咽
ら
れ
、
或
は
無
理
を
働
て
人
に
恥
か
し
め
ら
れ
、
或
は
争
闘
を
好
て
人
に
思
ま
り
、
或
は
人
を
摘
し
己
を
利
し
て
人
に
恨
み
ら
れ
、
悪
名
世
に
踊
る
も
の
は
蹴
に
惜
か
な
。
天
下
に
自
身
と
可
比
宝
物
な
し
。
汝
等
身
を
立
ら
ん
と
欲
せ
は
、
只
常
に
己
を
愛
す
る
の
心
を
以
放
僻
邪
修
の
こ
』
ろ
は
し
を
防
き
、
事
敏
し
て
首
を
慣
、
心
地
和
平
に
し
て
成
長
の
上
は
上
に
捜
〔謹}られ、明{朋〕友に侶せられ、兄弟和楽事子好合して、且議て人たるの性理を尽さん。柳屯か勤学文に一五、
父母教て不学、まなんて不動は、此子其身を愛せざる也といへり。
“まさるちやさしゆすやおのか陰徳と
そこなゆすしらぬ人のきもや
憶の首に、人をそねむものは海老のことく後に退と云り・人の心持たるや己か陰徳を損し思慮を報ふことをも不
願、た』人の勝れるをいたくして、成は無実にも人の過失長短をいひ、或は人の不祥を輪し強て人を摘むものあ
らん。廊を掩て曹を掛るは人情の当然、まして勝れる人をぱ、論簡に所間有道に批の心を以これを貴んて相従は
ん、椅も人をそねみみたりに人を是非するは間人還て己を悪まん。かるか故に柳批子弟を戒の書に云、身既に知
こと寡くして人の学あるを思む、己に勝るものは是を厭ひ己に俵ふものは是を喜ふ、頗僻に漫摘し飽義を鮪刻し
て智裾徒くあれとも席獲に何そ殊ならんといへり。
刊日あさむきゆすしらぬまさるぷりしちゆて
与所にはなたちゆる人もをもの
• 27・
それ人は臨厚を貴んで軽揮を不貴。軽薄にして弁を好み或は醜鵠を喜ひ或は奥を喜ひ昂々として聞を解、世人玩
戯とするを不知して柑人に先たちんことを悦て哨をうける人あらん。詩に云、錦を衣て銅をくわふると云り。そ
のあやのあらはりんことを悪むとの心なれは、たとひ人に長するも己か能をかくし範厚にして応対するを、所開
温恭慎徳の道ならん。周廟の銘戒に云、勝るを静ものは必其敵にあふ。かるか故に君子は人に先んすべからさる
』とを知る。是を後るといへり。
日目是非やぜひわかすたとひ敵やでも
わたくしのうらみもたぬことに
朱文公の家訓に云、公に口て私の替なしと云り。それ人は直を以為徳、私の仇に砕して人を不義にをちいらしむ
るは不仁ならんや。所開愛すともしかも其悪を知、悪ともしかも其普を知との心を以、私の怨に〔み〕を捨敵と
なく親しきとなく、普を揚て悪を捨るを人の正理ならん。かるか故に論語にも君子は旧悪を不怨といへり。
“与所せめるこ』ろ身かこ』ろせめは
人の上の人にならんしゅもの
活忠宜公子弟を戒て回、人至愚といへとも人をせめるには則明也、聡明ありといへとも己を恕には昏し、爾か曹
但常に人を賀るの心を以己を賀、己を恕るの心を以人を恕らは、聖賢の他位に至らざることを不思と云り.惟る
に人を費るに王つあり。愛するの心を以費るは仁也。罪するの心を以責るは悪也。己か能を以人の不能を費は持
也。己を買すして人を責るは逆也。己を質て人を恕は眼也。
E蝉慣は我か手下なりとて軽々敷賀ることなかれ。
彼もまた人の子也。我汝等を愛するか如く位か父母もまた是を愛せん。た』己を以人を体にするを恕の道也。中
庸に所踊子に求る所を以〈父に事へ、臣に求る所を以〉君に事へ、弟に求る所を以兄に事へ、明〔朋〕友に求る
所を以先つ是を施との心を以己を費は善人にならんこと何の疑ふことか是あらん。
MW
我か身修れはおと』子の慣や
風にのへふせる草葉こ』ろ
大学に云、天子より以庶人に至る誼壱是に皆身を修るを以為本、其本乱て而して末修るものはあらじと云り。そ
.28・
れ人の父兄たるや家の梼樺にて、子弟の普悪は父兄の善悪によらんや。父兄孝悌礼譲を行は』一家孝悌礼韻の風
を輿らん。父兄兇暴を行は』一家兇暴の風をなさん。父兄勉強を立らは一家勉強の凪を腐さん。父兄怠悌〔悌怠]
をいたさは一家怠僻〔僻怠〕の風に悌らん。父兄倹約の節を行は』一家倹約の節を守らん。父兄欝腿を好まは一
家華麗の風に晴らん。かるか故に論語にも上替を歓せはしかも下普ならん。君子の徳は風也。小人の徳は草也。
草これに風をくわふるときは必のへふすと孔子の宝ふ。
“枝やわかれてももと木おもへみは
一枝いろきよらさゑきのあるひ
人の父母兄弟子孫あるや猶木の本枝あるか如し。其根本は一也。我か子採を思ふの心を恕て祖宗の心を惟れは均
く遺体の子孫識に無親疎也。於我にも同根の情意をおもんみれは一身を豊かにしていかんそ余族の眼難を見るに
忍んや。それ親族は楽をも借にして息をも借にするを人情の当然。かるか故に活文正公子弟に告て目、吾呉中の
宗族太た衆し。於吾に固より親疎あり.然とも吾か祖宗これを視宝へは、則是に均く子孫固に無規疎也。荷も祖
宗の心無現疎ときは則我髄寒の者安ぞ他まざるを得んや。祖宗よりこの方徳を積こと百余年にして、而して始て
吾に発て大宮に至ることを得たり。もし独り宮貨を事て市して宗族を他まずんは、異日何を以祖宗を於地下にま
みゑるや。今何の顔ばせありて家廟に入也〔や〕。於是恩例傘賜常に践人に均し仲介義回宅を置といへり。
日懲にへつらへはしたしきもいらぬ
うちもふかなしゆる人もおもの
抽出かな、小人の小人たるや、物我の為におはれて事理を弁せす、宮人とおもへは則へつらひて厚ふし、貧人とお
もへは則親戚も薄ふにして其利害をしらす。曽子日、親戚悦ずんは敢て外に不交、近きもの親まずんは敢て遣を
不求とのこ』ろを反求して、天倫内外の序を崎んて為人の性情を尽さは、近きものは悦ひ遺きものは不求してみ
-29・
っから帰して自然に利あらん.かるか教に古語にも願に福あり、逆に禍ロひありと云り。いかんぞ心をまけ顔を
犯して債をなせん。
川叩恥と人とめはうき世ものことに
悔みあさむかるよしのあるひ
君に事て忠ならされは恥にあらずや。親に事て順ならされは恥にあらずや。兄に事て悌ならされは恥にあらずや。
明〔朋〕友と交りて侶ならされは恥にあらすや。行ひ雷葉を踊されは恥にあらすや。忍ひなふして事全ふせざる
は恥にあらずや。慎なふして過ちにをち入は恥にあらずや。始あって終なきは恥にあらすや。家道治らされは恥
にあらすや。不義のものを執は恥にあらすや。文学人に劣れは恥にあらずや。此等の類皆避にふまされは人これ
を欺く。自身これを悔まん。それ人の人たるや恥を以為人.孟子目、差患の心なきは人にあらすと。凡百行恥に
あらされはならず好盗邪慾恥を以またこれを防。た』常に恥を恥として、中庸に所間席徳これを行ひ庸宮これを
慎む‘足口さる所あらは敢て勤、あまりあらは敢て尽さるときは、則己に悔事なく人に欺ることなし.
ωおもく勤れよあたらしかわか身
与所のはつかしめとらぬごとに
景行録に云、みつから重んせさるは辱を執といへり。譲るに品あり、過きれは則幽也。人のため忠あり、過れは
則踊へ〔ママ]る也。人のために錬あり、過れは則疎せらる。雷葉に節あり、多宮なれは則品すくなし。呑酒飲
酒に度あり、食れは則人これを賎んじ。此等の類皆中ならされはおのつから恥を執んや。かるか散に論距にも君
子重からさるときは則不威、
又日明〔朋〕友に属すれは是疎らると云り。
印あまた与所へらいや糸柳こ』ろ
なれて肝うちにかとやたてれ
交る人に三つあり。契盟の明{朋〕友あり。郷党の明〔朗〕友あり。時に交る人あり。およそ人と交るの大道は
己を霊するの心を以て人を愛せは、人また己を愛さんや。仁を賀るは明〔朋〕友の道也と心得て、人の機密はし
らすして仁を資んとすれは却而は疎意を甜らん。た』背抑の風の為に邸いて折痛ずして全ふするか如く、心中に
.30・
廉直を立て人と』もに狩行って身をもけかさす人をも犯さず互に全を得て和好・をいたさは到る所敵なふして安
熊たらん。漁父か所開聖人は物に凝滞せすして能世より押移との心を以人の是非に磁滞なくた』移を以全ふする
を交るの大道ならん。
引したしさにまかちこ』ろゆるすなよ
与所ややみの夜の敵のこ』ろ
血膿に云、水底の魚天辺の雁、高きは可射、底は可釣。惟り人心は胞尺の間にありとも、間尺人心不可料天は可
度る。而して地も量るへし。た』人心は肪るへからざることあらん。虎を画に皮はゑかいて骨は画きかたし。人
を知るに面を知て心をしらす。面を対してともに踏とも、心は千里を隔とは云り。天地の中にさとりかたきもの
は人心なり。天地は遺太といへとも理を以量るときはさとり得らる。人心は至而短近といへとも内中の変化にて
尤さとりかたし。っく
ft世人の機変を惟みれば偽を構て我か実をさくふ人あり。或所好の為に忍て無実の親き
を以近つく人あり。或したしく交て漸々やふらんとする人あり.其虚実闇夜の敵のことし。人の機変はしらすし
て我か蹴ありは、彼いつくんぞ我に偽をなさんやと。等閑に心得て規友のためにやふらる』人古今歴々たり。か
るか故に論語にも提潤の閉膚受の忠行はれさるを明といふ遣といふへからくのみと孔子の玉ふ。
回なたやすくてやりあやさ忘るなよ
世界や丸木はしわたりくりしゃ
孔子家屈に云、安きともしかも危を忘るへからす、初にて乱を忘るへからすと云り。安きにありしとて心をゆる
せは丸木のはしの廻々として歩み得さるか如く、おのつから危にをちいらん。古よりこのかた富貴の家を頼み危
の心を忘れ終に家を失ひ身を失ふ人艶多あらん・
wvの過敗は危を忘れ等閑より起るものなれは、事を行は』先に
我か身を正し、事を執らは先に慎みを起し‘財は用を節にして丸木のはしをわたるか如く危の心をこ』ろに徹し
.31・
て家を斎ひ身を全ふするを為人の要目と心得ぬ.むかし揚王世子を戒ての玉ふ書に云、忠に居るも危を恐よ、恐
れずんは危の地に入と云り。上位の人すらかく返し
11勤鮪ありしかはまして常人においてをや。
日酒にとらりゆすしに{ママ〕りなから人の
あさましゃふけてのみゆるおしさ
部魯公質酒を戒るの蹄を作て健子果にさとし其詩に云戒む、爾酒を噌んすることなかれ、狂薬にして佳味にあら
す、能箇厚の質を移し化して狂険の類となる、古今傾敗するもの歴々たり、皆可記と云り.それ掘の狂薬たるや、
生質を変し、或は家法に妨、或は淫乱を師、戒は闘争を静み、妨の品により界科に及ふ人蟻多あり。医書に一京、
摘は五臓六蹄に入其かたより所によって病をなすと云り。惟にひたしロのもの功積て病ひとなる。病となるとき
はおのつから短命とならん.此等の舗のロ多く故古人酒を戒ること尤ふかし。
Mわ肝あまかしゆるはなの身た〔は〕しらぬ
まよてつふりゆる人のをしさ
古詩に云、色は財を費してまた心を破と云り。それ色の道たるや、人皆予に知ありといふといへとも薄氷を踏ん
ておぶへずおちいるか如く、情を含て宮葉をあまんす、我か気を求むるの和好を慕ひ終に勤職身分を志、情楽無
類のあまり色門にいらさる人は、人生れて甲斐なしと己か曽費陥併の内にいれをるをしらすして、却ては人をあ
さむく。それ財は源あるの泉にあらす。既に尽て而して情意疎んして以て後悔をなす人蟻多あらん。漢書に云、
財に交るもの』密は財尽りて而して疎んし、色に交るもの』親しきは色衰へて而して絶といへり。惜かな、此等
の理をも弁せず父母の教育を背き無二の身を忘れ一節の色に慕ひて身を禿りぬ事を。鳴呼色は尤戒めすんはある
べからず。
日身もちいとなみに心ゆるすなよ
さかゑおとろへのもとひたいもの
家道を簿ふにすれは衣食たらす。衣食たらされは礼義治るに暇あらず。礼義治るにいとまあらされは子孫教育を
欠らん。子孫教育を欠らは是おとろへの基ひならんや。それ人の色〔営〕みたるや脱苑に云、所相家を治るは轡
-32・
みを執かことく、財を求るは力を喝にありとの心を以、第一家人和睦を尽して各精力を腐し、大学に所相財を生
するに大道あり、これを生するものは多く、これを食するものは寡しとの節を堅守て、入ことを量て出すことな
して日用小事をも心をゆるすへからさるにあらん。むかし武主太公に問ての玉ふに、人世に居て何そ貴賎貧富お
なじからさることあるや、願くはその説を聞玉はん。太公目、富貴は聖人の簡の如く天による也.宮るものは用
の節あり、富さるものは家に十盗三耗あり。それ十盗は、将に熟して収めさるを為一盗、収め積て了らさるを為
二盤、無事に灯し火を灯して寝睡するを為三盗、情慨にして耕さるを四盗とす、工力を尽さるを為五盤、専に所
窃の害行六盗とす、宮をやしなふこと太た多きを七盗とす、昼眠り慣り起るを為八盗、酒を食り慾を噌んするを
九盗とす、強て嫉妬を行ふ為十盗。三耗は、倉庫湿をもらして不掩鼠省乱に食しむるを一耗とす、収め種うへの
時を失へるをニ耗とす、米口乱に槍賎に倣撤するを三耗とす。武王の』玉は臓なるかな此宮との玉ふといへり。
防蹴つくりれは仲仏け後生も
目にみらんあてもあらんしゅもの
孔子目、其気上に売し揖明昭慈悲口懐恰をなす是百物の情也、神の著る也との玉ふ。二れ造化の述良能ならんや。
かるか故に中庸にも鬼神の徳たるやそれ盛なるかな、これを視れともしかも不視、これを聞ともしかも不聞、物
に体して而して遣すへからすと云り.鬼神は有無の間にあって形声はなきといへとも其正盤たるや明鏡に物の移
るか如く偏に蹴をいたして神を神とそ、亡を亡とするの心を以畏れ敬て奪承するときは、鬼神噂亡遂に通し感応
し玉ひて盤顕あらん。所開口を致せは別著るといふは是也.践と云は自然の実にして無妾〔妄】天の所賦物の受
る所の正理也.かるか故に中庸にも蹴といふは天の道也と云り.これを践にするものは人の道也とは五常百行の
源也。蹴なり〔ら〕されは五常百行ならす。臓なるときは衆理自然に備りて、所開不勉して中る不思して得とい
.33・
ふの理なり。至岡蹴なるときは蹴の精人の精物の精ともに尽りて天地の化育を助、其蹴天地と並立て天地と三つ
なるべしと云り。蹴の極至るの妙たること如斯。それ如斯ならは我か鬼神と交通せさらんや.
幻すくられんためにまつりへつらへは
いなふらぬをきゆめ神も後生も
祭は性情の止へからさるの践を以致也。誠を以祭ときは鬼神受宝ふこと理の当然也。鬼神は正理にしてかたより
なく、人慾の私を以無ときは還ては恥をかへさん。今まつ震に人あらん。常に蹴なふして彼一難あって我に救ひ
を頼まは、我これを救ふや。常に識をいたす人あり。健一難ありて我に救を求されとも、我黙として捨るに忍ん
ゃ。是識によって所調不思して得といふの理也.偏に韻を致して祭ときは霊恵其内にありぬ。蹴以祭るとき私に
克て礼にかへる。拘を以祭るときは礼に克て私にかへる。鬼神それ受玉ふや。所間酷ならされは物なしといふは
是此理也。
日ときの運しらぬよたにたまされて
あまかこま手ずであとやきやしゆか
戸宮を立て旧式を祭は国家の礼也。戸官は元祖一人の為にあらす。〈衆亡の為也。〉これを祭るときは衆亡をのつ
から輔玉ふ。今の人禍口に逢は厘硯の証説に惑ひ拝所不足と間て震やかしくに神を求め祭を設。是まとへるの甚
しきにあらすや。桶福吉凶は天の所職〔賦〕の命あり、所当の時あり、所歪の週あり、所定の数あり、神のなす
所にあらす。されは病にあへは医を甜て治め、難にあへは慎てのかれ、貧に逢は力を喝して時を待、子孫を得ら
ん為には隠砲を行ひ、且は各一念を以旧式の神に奉祈は理の当然也。由来をしらすして座硯の虚説にまとひ、新
に神を求祭るを般けるは適の旧式を焼の義ならん。惜かな、時のまとひを以無故の神に錨ふの罪、永く子孫にも
およはせん事を。かるか放に口民{氏〕の家訓にも吾家は混親等気の云躍を絶、汝か口視る所也。娯妄をなすこ
となかれとありしかは‘た』績を尽して旧式を祭り蹴立ときは則天地の問到らさる所なし。然るを況や、こ』や
かしこも我か可梓の神においてをや。社神は土神硬神は上君山川の神はをの
ftt百物の輔、家廟旧式の神は吾宗
• 34・
棋の精也。孔子目、人の生るや有気、有魂。気は紳の盛る也。それ人生れは必死すれは必土に帰る。回定を鬼とい
ふ也。魂気天に帰る。是を神と云也。鬼と神と合して市して事らしめは教の至也と。是孝道の全ならん。塊気天
に帰って神となるとの玉ふの理なれは、於家廟欝ロの酒をロして以て神を降して奉祭らは、何そこ』やかしこに
神を求め祭を股るにおよひん。今社横山川の神を祭れは神の助ありと心得て、己に属せさるの神を祭る人あらん。
其鬼にあらすしてこれをまつるは胞へる也と孔子の玉ふは是也。むかし李子と云入国君の所祭の泰山を祭る。孔
子李子か宰仮平ありと云人に問ての宝ふに、汝季子か己に属せさるの神を僧み祭るの非を扱ふことあたはさらん
か。対目、
不能と.鳴呼李子は曾てロ放か如く礼の本を知にしかすとの玉ふ。此理尤しらずんは有べからす。
59
時速守勤口説
観も浮世は小事か
さかゑおとろへ夏冬の
貴賎貧富くりめくり
しらぬあさましとき人の
揺りたかふる人もある
むかし云の葉伝ひにも
鉄も化してきんとなる
かねもときとしっき果る
いかな貧苦にをるかしも
心さひなくみかきゆれは
めくて子孫に栄へあり
輯り詣らひないぬごとに
めく
11て常ならぬ
よ』の木草の色こ』ろ
いつも常ある人はなし
時の勢ひ常ともて
楽もくりしゃ時ともれ
運かめくわ{り
ていたりなは
時かつけれは万個の
か』る理筋をおもんみて
.35・
わひしわひるなあたらしか
た
と
ひ
其
身
に
あ
わ
ね
と
も
時と命とり能おもて
浮世わたゆす喪め也
輯
者
不
久
へつらひやまづしきの基ひ
ωむかしよりためしみれよ購る身の
あまのせめあわぬ人やおらぬ揺り〔ママ〕
61
時運人情口説
のかようき世の慣はしゃ
我か身ひとつの本の身に
むかし貧きやたる聞や
いまやとめるにおんてやり
人のこ』ろはしらねとも
ょやり集て暮なりは
市のさたかや人沙汰か
うれしつく
fkおもへみは
その身貧しき恨めるな
小人は愛栖人
ωゎひし身や人のよしあしゃいらぬ
〈総歌蹄〉
回朝夕わするなよ玉なさんともて
宮と貧と差別ある
時のよしあし色わかち
近き人さへ疎んして
しらぬ人まて観しむや
まづやおもへは朝市や
わかてのこゆる人はなし
時のさたにはか』る也
人の疎んし答めるな
時を待にはしくはなし
.36・
宮
る
人
と
め
は
色
に
わ
か
ち
吾曾て老子孔子に送るの宮を問、富貴は人に送るに財を以す、仁者は人に送に言葉を以すと。吾仁をなすこと不
かなしもてなしゆる我身のこ』ろ
能也といへとも、常に忠をいひ孝をいひ悌をいふしかのみならす、千恩万慮を尽して前件歌簡をなせるは何そや。
偏に汝等を普道に鵠かぬ為ならん。されは一朝一夕も心に不放猶万巻の書を弘め書籍に口へ時宜を察し、非礼視
る
こ
と
な
か
れ
、
非
礼
聞
こ
と
〈
な
か
れ
て
非
礼
宮
ふ
こ
と
な
か
れ
、
非
礼
動
こ
と
な
か
れ
と
孔
子
の
玉
ふ
の
こ
』
ろ
を
厚
く
守
て、宮忠慣行筋敬にして内外を行はん。それ道は普と不普と二つ、其境界において人の成敗にか』るものなれは
尤曹に踏思に避け。持に一耳、切するか如く躍するか如く琢するか如く臨するか如しとの心を以己か心をもてなし
て、成長の後普人にもならん事、これ吾か所希なれは、汝等も我か心を知て堅助て相行はん.
忠は徳の正き也。忠あれは則令名世に掛て父母を類はす。孝は徳の本也。孝あれは則夫の福を受ん。悌は徳の序
也。梯あれは則愛を受て普に蹄かる。忍慎は憶の制百行の本也。忍あれは則事全ふし、慎あれは則過にいらす。
二心は人心の危き食の本也。二心をいたけは則身を不襲。勉強は徳の達也.勉強あれは則身を立る。生理に安ん
-37・
するは性の希を執也。生理に安んすれは則身をやしなふ。恭敬は礼の本也。恭くあれは則患にとをざける。敬ひ
あれは則人これを愛す。蹴は憶の正理也。蹴あれは則常に悔ることなし。恥は徳の義也。恥をおもへは則人に欺
かることなし。重は徳の戚也。身をおもんすれは則恥を執らす。宮忠侶は徳の実也.宮忠侶あれは衆に和し人こ
れを任ふ。教は徳の導也.散を勤れは則家道昌太を得る。嫉妬は感の源也。人をそねめは則己に利ならす。酒色
は人心の危倹約の失也。酒を噌んすれは則質を変し、色を好は則心を乱。家道は百事の本也。家道治らされは百
事成ことなし。学は徳行の器也。学を勤されは則寵を磨こと不得して理に昏し。鬼神に奉承するは礼の大ひ也。
其鬼に彦承して他鬼に簡ひされは礼にかなふ。此書は只此二十一宮の太意を宗として余類これを附る。性を戒は
則悪にあらす。己を恕て人を体にすれは則人これを恭ふ。心を省めれは則節にかなふ。語文公童稚を教るに只俗
脱に便り道理をロす。久々にして成熟せは徳性自然の知くならんと。亦伊川の程先生章子を敏るに酒掃応対長に
事
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詩
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朝
夕
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大
学
大
学
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講
義
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球
古
典
文
学
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礎
特
論
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参
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生
か
ら
多
く
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指
摘
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た
だ
き
ま
し
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。
記
し
て
感
謝
申
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上
げ
ま
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〔まえしろ・じゅんこ
疏
球
大
学
法
文
学
部
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(おおしろ・あゆみ
琉
球
大
学
大
学
院
博
士
融
程
前
期
2年}
. 38・